第40話 公爵邸への引っ越し
「お姉さま! お待ちしておりました」
あれから2週間――。
父・バーレントからは二つ返事の手紙がすぐ届いたようで、ルーファスはあっという間にイザベルの転居の準備を進めた。
(ロザリンの件もあって、忙しいはずなのに……――)
イザベルが公爵邸の馬車から降り立つと、「待っていました!」と言わんばかりにイリーナが飛びついてきた。
「あら、イリーナ。そんな子どものような真似をして」
「ごめんなさい、お母さま。嬉しくて、つい」
イリーナと同じミルクティー色の柔らかそうな髪に、碧の瞳の貴婦人がイザベルに優雅にほほ笑みかけた。
「レープ公爵夫人、お出迎えありがとうございます」
「息子の突然の申し出を聞き入れてくださり、ありがとう。あなたの到着を娘もそうだけれども、息子も首を長くして待っていたのよ。今日もお出迎えをしたいようだったけれど――」
「ロザリン様の護衛が入ったと、離宮に連絡をくださりました」
「そうなの。聖女様の護衛が忙しいようで、あなたには申し訳ないわ」
レープ公爵夫人とイリーナが、屋敷内を案内してくれている間に、公爵家の使用人たちは、手際よくイザベルの荷物を部屋へと運び込んでくれていた。
(まるで美術館だわ――)
刺繍を習った際に入った図書室の蔵書数にも驚かされたが、玄関に飾られた絵画や、ロングギャラリーに飾られている美術品の数々にも驚かされた。1階にはドローイングルームや両親の主寝室、書斎などが、2階にはイリーナの主寝室やロングギャラリーや、図書室などが、3階にはルーファスやイザベルの主寝室や客室などが配置されていた。どこも広々とした部屋で屋敷中を見て回っていると、一日かかってもおかしくない広さだった。
「以前図書室にお邪魔させていただきましたが、本当に素晴らしいお屋敷ですね」
ドローイングルームでお茶を出されたイザベルは、感嘆の声をあげた。
《すごいたくさん絵がたくさん飾られてる》
(うん、本当に離宮が質素に感じるからすごいわね)
レープ公爵家は、セレフィード王国でも有数の家柄だ。
屋敷のどこを見ても、歴史の深さや凄まじい財力を感じさせる。
(あれ、これ……)
イザベルは手に持っているティーカップの手書きの絵柄に惹き付けられた。
(――桔梗だわ)
サンルームでのルーファスを思い出し、頬が熱くなった気がした。
そのことを知らないはずのイリーナは、思わせぶりにイザベルを見た。
「そのカップ、最近お兄さまが作らせたのですよ」
「――え?」
(――最近?)
《イザベルのために作ったのかな?》
《たすく》の声が、自分の内心と重なった。
(まさか、そんなわけ……――)
目を見開くイザベルを、イリーナは愉快そうにふふと笑った。
「お部屋をご覧になったら、驚かれるのではないかしら?」
「え?」
「イリーナ、あまりルーファスを揶揄わないの」
「だって――あんなお兄さま初めてで……」
笑いをこらえるイリーナをレープ公爵夫人は貴婦人らしく窘めた。
ルーファスを揶揄っているらしい姿は、年相応の少女に見える。
「ああ、そうだ。イザベル、私のことはブレンダと名前で呼んでくださる? もちろん義母と呼んでくれても良いけれど」
ブレンダは、貴婦人の見本のような笑顔を浮かべた。
その高貴なたたずまいは、皮肉にも継母イリーナの外面の笑顔にも重なり、イザベルの心をざわつかせた。ブレンダはイザベルを気遣い、自室で少し休憩されるといいわと声をかけてくれた。一緒に行きたがったイリーナを、優しく諭した。
(ブレンダ様は、優しい方だわ。あの人とは違うのに――)
《イザベル、怖いの?》
◆◆◆
「は? これがイザベルの机に?」
ルーファスはボロボロになったロザリンの教科書を持っていた。
今日はイザベルが公爵邸へ引っ越してくる日だった。
先週からこの日は休むとディオンにも伝えていたのだが、当日になって急に王宮に呼び出されることとなった。固辞したのだが、イザベルに関することを匂わされた。仕方がなく王宮へと向かうと、ディオンの執務室に弱り切った様子のロザリンと、深刻な顔をしたディオン、口をへの字に曲げたレンナルトが、ルーファスを待ち受けていた。
ルーファスの声音に、ロザリンの肩がビクッと震えた。
ディオンはロザリンを慰めるように、そっと肩を抱くように支えた。
「ルーファス、ロザリンが悪いわけではないだろう?」
ディオンが放った声は、ルーファスを諫めるようだった。
「――すまない、ロザリン」
「……いいんです。イザベル様は、ルーファスのご婚約者だもの。気を悪くするのは当たり前のことだわ」
俯くロザリンの表情は確認できなかったが、声が微かに震えているのが分かった。
ロザリンの魔法の教科書は、ページをめくろうとしてもインクがべったりとこびり付き開くことができない。
「なんでこんなことに……」
ルーファスのつぶやきに答えるように、レンナルトが「ついに尻尾を現したのかもしれない」と表情を険しくした。
「は? レンナルト、お前、イザベルがやったと思っているのか?」
「じゃあ、なんでイザベルの机の中にあったんだ? それにそのインクの色、イザベルが使っているペンのインクと同じ色だろう」
イザベルのペンは、ヴァルハルド帝国製のものだ。同じ青と言っても、セレフィード王国製の一般流通品のインクとはやや色味が異なる。
「そんなの、誰かが勝手に入れたんだろう。インクもこの国で手に入れられないわけじゃない」
「何のために、そんなことを?」
レンナルトの問いに、ロザリンの肩が小刻みに震えているようだった。
「――イザベルを陥れる目的だろう」
ルーファスがそういうと、レンナルトが目を眇めた。
「誰がそんなことを?」
「……――」
「誰が、何の目的で、ロザリンの教科書をこんな風にして、イザベルに疑いがかかるように仕向けるんだ? ロザリンは“救国の聖女”だ。この国の人間が、彼女に危害を加えるとは思えない」
――しかし、イザベルは違う。
レンナルトは言外に、そういうメッセージを込めていた。
(ジゼルがイザベルに助けられたのを忘れたのか。この恩知らずが! これだから筋肉馬鹿は嫌なんだ)
ルーファスは内心でレンナルトを罵倒していたが、ゆっくりと息を吐き出し、冷静な紳士の仮面をかぶった。
「この前、ロザリンが彼女に魔力がないことを指摘したんだろう?」
(離宮でのことか……)
ルーファスが手にしていた教科書は「魔法」のものだった。
「別に彼女はそんなことで、ロザリンに怒ったりはしていない」
「表向きはな」
「どういう意味だ?」
「嫉妬かもしれないだろう? 魔力がない彼女が、膨大な魔力を持つ彼女に」
「……。それはお前の想像だろう? 状況証拠だけで、犯人を決めつけるのは早計だ」
ルーファスの指摘に、レンナルトは黙った。一瞬の沈黙の後、震えるロザリンを慰めていたディオンが、ルーファスに同意した。
「――それはそうだな」
「……ディオンまで、私を疑うの?」
ディオンを見上げた彼女の水色の瞳は、涙で潤んで見えた。
「そうではないよ、ロザリン。ルーファスだって君を疑っているわけではない。そうだろう?」
ディオンにそう問われ、ルーファスは「ああ」と答えた。
「ただ、君の教科書にいたずらした犯人が、自分の机の中に証拠品を入れるなんておかしいと思わないか?」
ディオンの指摘に、レンナルトは顔を上げた。
「その犯人は、かなり間抜けな犯人だよ」
ディオンがそう指摘すると、ロザリンが目を大きく見開き少し顔を赤らめた。
「……間抜け?」
「ああ、見つけてくれと言わんばかりではないか」
「――確かにそうだな」
先ほどまでロザリンに同情していたレンナルトは、ディオンの指摘に腕組みをして感心していた。
(――本当に、良くも悪くも単純な男だな)
「これを見つけたのは――……アンガスだっけ?」
ロザリンはディオンの問いにゆっくりと頷いた。
「私が教科書を探していたら、たまたまその人がいて……。もちろん、イザベル様のことを思って、彼には何も言わないでほしいと言ってあります!」
「うん、分かったよ。ありがとう、ロザリン」
ディオンは柔らかい声音でそう言った。
(――アンガス……)
ルーファスは、イザベルと仲が良いメガネの男を思い出した。イラっとするほど、親しげにイザベルと話している様子を、ルーファスは何度となく見たことがあった。
(彼とイザベルの関係は、悪くなさそうだが――)
「明日、アンガスに事情を聞こう」
ディオンはルーファスに目配せをした。
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