第32話 ローズガーデンのランチ
ハート学園の昼休み――。
イリーナとジゼルと、中庭の薔薇園内のガゼボでランチを取っているときだった。
「イザベルお姉さま、一緒に暮らせることになったんですね!」
「!?」
「え!? そうなんですか! 羨ましすぎます、イリーナ様」
《イザベル、お引越しするの~?》
ルーファスに公爵邸への転居を提案されて二日目。
イリーナが興奮した様子でそう言い、イザベルを置き去りにしてジゼルと一緒に盛り上がっている。カーターも驚いたように目を見開いている。
「いえ、そんな話は……――。イ、イリーナ様、一体どこでそんな話を……」
「え、だって、お兄さまが、お姉さまのお部屋の準備を」
「お部屋!?……イリーナ様。それは……どういうことなのです? 準備って一体何をしているの?」
興奮した様子のイリーナだったが、イザベルの慌てぶりに異変を感じているようだった。
「何をって……お兄さまのお隣のお部屋をお姉さま用にするとおっしゃっていて。昨日は壁紙やカーテンも新しくするからと使用人に……」
「壁紙!? カーテン!?」
「はい。家具のことも家令に相談していたので」
「家具まで!?」
(――……ちょっと待って。私、保留にしたわよね?)
イザベルは一昨日の晩の出来事を思い出していた。
「あの……公爵邸の件は、考える時間を少しいただけますか?」
今までになく高揚した雰囲気のルーファスだったが、イザベルの言葉に少し冷静になったようだった。
「考える?」
「――……はい。その、婚約期間はずっと離宮で過ごすと思っていたものですから、公爵邸で皆さまと暮らす心の準備はまだできていなくて」
イザベルの言葉に、ルーファスは口元に笑みを称えた。
「心の準備なんて不要ですよ。イリーナも喜びますし、両親もあなたを歓迎しています。それに両親は領地にいることも多いですから、そんなに気を遣う必要もありませんよ」
「でも――この国のことも不勉強ですから、失礼があってはいけませんし」
押しの強いルーファスの笑顔を、イザベルはルーファスの機嫌を損ねないように配慮しながら何とか交わそうと言葉を選んだ。
「そんなことは気にしなくて良いんですが、あなたのそういう勤勉なところは非常に好ましいです。公爵夫人としての資質が備わっていると、母も喜ぶと思います」
「そんな……。とにかく、少し考えたいことがありますので、公爵邸の件は一旦保留とさせてください」
イザベルの困ったような顔に、ルーファスはようやく引き下がった。
「そうですか……。すぐにでも、あなたと暮らしたいと思っていましたが、あなたがそこまでおっしゃるなら仕方がないですね」
「ご理解いただけてありがとうございます」
――あの夜の記憶を思い起こしたイザベルは、ゆっくりとまぶたを開けた。
(うん……間違いない。あの夜、返事は保留にしてもらったはず。なのに、何故、ルーファス様は私の部屋のカーテンやら壁紙やら家具やらを手配しようとしているのか……)
「公爵邸への転居は、少し考えさせていただくことになっていたはずなんだけど……」
「え? そう、なんですか。私はてっきり――」
「私も……ルーファス様が何故そんなことをされているのか、さっぱり……」
戸惑うイザベルを見て、イリーナは何か確信したように頷いた。
「――私が知る限り、お兄さまが女性に対してこんなに熱心に行動されることは初めてです」
「え?」
「お兄さま、おモテにはなるのですけど……。どなたにも、あまり積極ではないというか……」
「え、ええ。それは……――」
(女性が苦手なんだから、積極的ではないでしょうね)
「それが、お姉さまには違うんです!」
「まあ!」
興奮したイリーナの言葉に、何故かジゼルが歓喜の声をあげた。
「私、お姉さまがお兄さまを変えてくださると信じているんです!」
「ロマンチックですわね……」
なぜかジゼルが、夢見る乙女のようにうっとりしている。
《イリーナも、ジゼルも楽しそう! あっ! イザベル、ロザリンが来たよ!》
(――……やっぱり、現れたわ)
今日、薔薇園でランチを提案したのは偶然ではなかった。
もちろん、イリーナやジゼルは何も知らない。
(攻略対象者全員と接触したいま、次に起こりそうなイベントと言えば……『ローズガーデンでのかくれんぼ』)
ハート学園にまだ慣れていないロザリンがローズガーデンで迷子になる。
ロザリンを最初に発見した攻略対象者の好感度をあげるイベントだ。
(誰が……ロザリンを見つけるんだろう)
楽しそうにランチを食べながらおしゃべりしている二人を見ていると、ディオンやレンナルトでないといいと思うけど――。
学園内のイベントだから、エリーアスが現れる可能性は低いし、隠れキャラのハンスはおそらくまだロザリンとは接触していない。
もし、ロザリンを見つけるのがルーファスだったら……。
あれほど公爵邸への転居を勧めてくれたけれど、ロザリンへの好感度が上がれば、その気持ちも変わってしまうのだろうか。
『私は一途な男ですから』
ルーファスの言葉を思い出していたとき――。
「ロザリン!」
聖女を呼ぶ男性の声が聞こえた。
この声は……――。
「イザベルお姉さま? どうか……あら、あれはロザリン様では……――」
イリーナは、ローズガーデンで一人たたずむロザリンに気が付いた。
風に乗って「ロザリン」を呼ぶ男性の声も聞こえる。
「お兄さまたち、探しているのではありません?」
「そうですわね。ロザリン様、道に迷われたのかしら」
イリーナやジゼルは、ロザリンを気にかけて立ち上がった。
イザベルも二人に合わせて立ったが、近付いて来る声の主が気になった。
「カーター、ロザリン様に何かあったらいけないから、先にあなたがロザリン様の方へ」
そうカーターに指示を出した。
(攻略対象者ではなく、カーターや悪役令嬢たちが彼女のもとへ駆けつけたときにはこのイベントは無効になるのかしら……)
イザベルはロザリンに向かって駆けるカーターの後ろ姿を見ていた。
(ゲームの流れを、悪役令嬢が変えることはできるんだろうか?)
「ロザリン! 聞こえたら返事をしてくれ!」
男性の声が、薔薇園の向こうから近付いてくる。
(この声は――)
イザベルは思わず息を呑んだ。
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