第23話 修羅場の果てに
ハンスは犯人が自首するときのように両手をあげて、ルーファスに向き直った。
「なんだ。お姫様のお守に忙しいと思っていたのに」
「さっさと離れろ」
ハンスは慌ててイザベルから距離を取った。
「イザベルも怖い婚約者で苦労するね」
「話しかけるな」
「心が狭いなぁ。話すのもダメなの? あ、そうか。俺の方がイザベルと仲良くなるのが嫌なんだろう?」
「はぁっ!?」
ハンスの斜めからの指摘に、心外だと言わんばかりにルーファスは顔を赤くして怒っていた。
《ルーファス、イザベルを独り占めにしたいのかな》
(はぁっ!? 《たすく》まで変なこと言わないでよ!)
《変じゃないよ。ルーファスからそういう声、聞こえるもん》
(そんなこと……――あるわけ、ないじゃない)
イザベルは、顔を赤らめるルーファスの横顔を、チラリと見た。
(本当に――そんなこと……? でも、今だって私を助けに……来てくれたのよね?)
イザベルは、《たすく》の言葉を否定しながらも、内心は少し期待を込めてルーファスを見た。しかし、ルーファスの言葉にすぐに現実に引き戻された。
「彼女と私の婚約は、ヴァルハルド帝国との和平の象徴だ。軽率な噂一つで国同士の問題になりかねない」
冷静な顔に戻ったルーファスは理路整然とそう言った。
そのセリフは、当前のことなのに、イザベルの心を深く抉った。
(なんで……私、こんなに傷ついてるの? 政略結婚なんだから当たり前なのに。ルーファス様が私を気に掛けるのだって、国のためだって分かっているし……)
《イザベル、大丈夫? ルーファス、傷つけた? 意地悪された?》
(ううん。何でもないの。別に意地悪もされてない。大丈夫よ)
《本当?》
(うん)
ハンスは「政略結婚も大変だね」と、ニヤニヤ笑いでルーファスを見た。
「それにしてもさ、学園で氷の槍なんて危ないじゃないか。怪我をしたらどうするんだ」
「そんなヘマはしない」
「さすが水属性の天才。言うことが違うね。俺も久しぶりに氷魔法を見た。できれば自分に攻撃されたくなかったけどね」
「アンタに言われると馬鹿にされているように聞こえる」
「そんなことないさ。これ以上攻撃魔法を繰り出されると困るから、今日はもう帰るよ。――イザベル」
「ハンス、“また”はない。彼女に聞きたいことがあるなら、私を介せ」
「それだとさ――……あ、面倒そうな人たちが近付いているから俺はここまでにするよ。じゃあ」
ハンスはイザベルにひらひらと手を振って、風のように去っていた。
(面倒そうな人たちって……)
イザベルはハンスが見ていた方向を振り返ると、ロザリンたちがこちらに向かっていた。顔は確認できない距離だが、あんなピンクベージュの髪、見間違いようがない。
(げっ! ヒロイン! いま会いたくない人ナンバーワン!)
「ル、ルーファス様、先ほどはありがとうございました! ルーファス様もお忙しそうですし、私もここで失礼致します」
イザベルは1.5倍速のスピードでルーファスに挨拶をした。
慌てて立ち去ろうとした瞬間、ルーファスに手首を握られていた。
――え?
「な……何か?」
「一緒に行きます。また、ハンスに絡まれないとも限りませんから」
「……カ、カーターを呼びますから! ちょっと教室の方で待ってもらっているだけなので」
「カーターに会うまでに、またハンスに会ったらどうするんです?」
(なんか、しつこい)
「あの人だってそんな暇じゃありませんよ。それに教室まで大した距離じゃありませんから」
「ハンスはしつこい男ですから」
「そうかもしれませんけどっ、何かありましたら私も逃げられますし」
「――この手も、振り解けないのに?」
ルーファスは、イザベルをじっと見た。
イザベルの腕を掴むルーファスの手は、力を入れているようには思えなかったが簡単には振り解けなかった。
「それは……――」
「魔力もないなら、魔法での攻撃も無理です。むしろ、ハンス相手なら魔法で拘束される可能性だってあります」
「ハンス様だってそんな強引なこと……」
「しないなんて、なんで分かるんです?」
ルーファスの声音が、先ほどよりも一段低くなったように感じた。
《ルーファス、心配してる》
いつもの怒っているように見える顔だが、今日は本当に心配してくれているようだ。
(冗談だとは思うけど、本当に口づけなんてされて、妙な噂が立ったら困るものね……)
先ほどの強引なハンスを思い出した。
イザベルは、腕を緩める気のないルーファスに、小さくため息をついた。
「何かあったら……蹴りますから」
「――は?」
「その……思い切り、蹴り上げようと……思っていました」
「蹴り、上げる?」
「……その……股の間を……」
「…………」
ルーファスは一瞬だけ視線を逸らした。
「それは……確かに、効果的ですね。」
厳しい顔をしていたルーファスの気配が、一瞬緩んだ。
「ですから……大丈夫です!」
ルーファスの気が緩んだその瞬間、掴まれていた腕を思い切り振り払った。
ルーファスの虚を突き――イザベルは思い切り走って逃げた。
ルーファスが慌ててイザベルを追いかけようとしたが、その瞬間、廊下の空気がふっと華やいだ。
「ルーファス」
鈴が転がるような声とはこういうものなのか。そう思う見本のような、高く澄んだ透明感のある声が聞こえた。
(ルーファス様のことを、もう親しげに呼び捨てにしているのね)
逃げる途中のイザベルはそのことに気が付き、何故か胸が痛んだ。
でも、ここで立ち止まってヒロインと向き合う勇気は、まだない。
キラキラ集団からは距離を取り、物陰から覗いたルーファスは、ロザリンに優しく微笑みかけていた。
(私との婚約式ではあんなに仏頂面をしていたのに、ヒロインには全然違う……)
《イザベル、大丈夫?》
(うん……)
イザベルはそんな二人の様子に、ますます胸が締め付けられるような気がした。
(この痛みは……悪役令嬢の――感情っていうこと? それとも……)
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