第15話 小さな変化
父から届いた手紙を開く気にはならず、引き出しの奥に閉まった。
《イザベル、お手紙、開けないの?》
「うん、いいの」
婚約式のときに記憶が甦ってから、イザベルとして生きた記憶を客観的に見つめられるようになっていた。
(だからこそ、お父さまの指令を無視し続けることができている。記憶が戻る前のイザベラだったらどうだったんだろう……。手紙なんて、今まで送って来たことなんかなかったのに)
手紙どころか、18年間で父と顔を合わせて話した記憶など、数えるほど。
それくらい、父はイザベルに関心を向けなかった。
鏡に映る自分を見ると、思わずため息が漏れる。
厚化粧に巻き髪、露出多めのドレスに身を包むイザベラは、ゲームで見たビジュアルそのものだった。
(ゲームをしていた頃は、ただの悪役令嬢でしかなかったけど……。この恰好だって義妹の清廉さを引き立てるために継母にさせられていただけ。イザベルが好きでしていたわけじゃないのよね。もう見張られているわけでもないし、こんな格好しなくても良いんだけど……)
《イザベル、どうかした? 元気ない? 心配だよ、僕》
《たすく》が、鏡をじっと見るイザベルの周りをパタパタと飛んでいた。
イザベルはハッとして、《たすく》を安心させるように小さく笑った。
「この恰好だと子どもたちと遊ぶのも大変だから、もう少し動きやすい恰好がいいなって思ってただけ。ごめんね、心配させて」
《ああ、今日はバザーだもんね》
「うん」
《お着替えしたらダメなの?》
「うーん……」
イザベルはドリスを思った。
「ダメ、というわけじゃ……ないけど」
ドリスは継母の指示で“ヴァルハルドの女狐”らしい恰好をさせている。私がその指示に従わないと、彼女の母が痛めつけられる可能性もゼロではない。
(そんな些細なこと、ヴァルハルドにいる継母に伝わるわけもないとは思うけど――)
「お嬢様、イリーナ様が到着されました」
◆◆◆
「いいか。何か不審な点があれば、必ず報告しろ」
「はっ!」
ルーファスは、離宮に送った護衛のカーターに厳しい目を向けた。
「以前のように、私に黙って彼女の我儘に付き合うようなことには――」
「もう二度とあのような失態は犯しません!」
「分かっていれば良いんだが……」
バザーに同行するカーターに厳しい目を向けるルーファスに、イリーナは呆れた目を向けていた。
「彼女に近付く人間に、警戒を怠るなよ」
「はっ!」
「お兄さま、そんなにカーターを脅してどうするのよ。私たちが行くのは、ただの養護院のバザーなのよ」
「バザーみたいなものは、多くの人間が出入りする。お前も王太子の婚約者なんだ。油断をするなよ。それに、彼女も、何か思惑を隠しているかもしれないだろう。警戒は怠るな」
「まだそんなこと言っているの? どう考えたってイザベル様は子どもたちに興味があるだけにしか見えないけれど。お兄さまだって一生懸命刺繍をなさるイザベル様に感心していたじゃない」
「べっ……別に、感心していたわけでは――」
「あらそうなの? 上達が早いとか、おっしゃっていたから私はてっきり」
「それは、事実を言ったまでだ」
「私が子どもの頃は、そんなことおっしゃらなかったと思うけど……。私は上達が遅かったのね」
「お前は、妹だ」
「彼女は、婚約者だものね」
イリーナは意味ありげにほほ笑んだ。
ルーファスはそんなイリーナの笑顔に、眉間にしわを寄せた。
「彼女と私は――……国同士の関係を背負っている」
「それは大変なご関係だわ。ねえ、カーター」
カーターはどちらに同意することもできず、引きつった顔のまま直立不動を保った。
「お父さまもこんな日にお兄さまにご用事を頼むなんて――」
ルーファスは、今日に限って父から用事を頼まれていた。
「用事が早めに終われば、顔は出す」
「あらそう。イザベル様も喜んでくださるといいわね」
ルーファスは、イリーナの含みのある言い方に眉間の皺を深くし、カーターに言い忘れたと言うように付け加えた。
「カーター、エリーアス殿と彼女の関係にも目を配るように」
「は! ――え? シュトライヒ侯爵、ですか?」
イリーナも、カーターも、最後のルーファスの指示に不思議な顔をした。
「エリーアス様が、イザベル様のなんだって言うのよ。お兄さまにはスパイにでも見えているわけ?」
「エリーアス殿は、我が国にとっても重要な人物だ」
「まあ」
「彼女がエリーアス殿に近付いて何かを聞き出す思惑があるかもしれないだろう」
「――それは、さすがに考え過ぎじゃないの?」
「エリーアス殿と彼女は先日が初対面なのに、既に名前で呼び合う関係に発展している。おかしいと思わないか?」
「――は? だってそれはエリーアス様から言ったのであって、イザベル様は何も……」
イリーナはそう言いながら、ハッとしてルーファスを生ぬるい視線で見た。
「そうね。カーター……エリーアス様と、イザベル様が、あまり仲良くなり過ぎないように注意してあげて。お兄さまが心配しているみたいだから」
「は!」
「仲良くなるなと言っているわけではない!」
「重要な機密事項を聞き出されたら困るのよね」
「――その、通りだ」
含みのある視線でイリーナがルーファスを見た瞬間――。
「お待たせいたしました!」
イザベルがドリスを従えて、馬車の前まで現れた。
「あ……ルーファス様。今日はご同行できないと伺っていたので……」
「同行はしないが、私も王宮に用事があるので――」
「そうだったのですね」
「イザベル様、その髪型素敵ですわ! ね、お兄さま!」
イザベルは髪をアップにまとめていた。
「ありがとうございます。イリーナ様。ちょっと、養護院でやりたいことがあって。髪が邪魔になるといけないのでまとめて貰いました」
「新鮮です! ね、お兄さま」
「――……あ、ああ」
ルーファスは髪をアップにしたイザベルを見て、ドギマギした。
(髪型が変わるだけで、いつもと……印象が、変わるんだな)
いつもは巻き髪に隠れていた白い首筋が目に入り、慌てて視線を逸らす。
(……何を気にしているんだ、私は)
そう自分に言い聞かせても、一度意識した視線はもう戻せなかった。
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