第14話 二人のレッスン
「お兄さま、私、ちょっと飲み物を持ってくるわね」
「ああ」
「え!?」
イリーナが満面の笑みで立ち上がり、そそくさと図書室を出て行ってしまった。
(――……そんな。イリーナ様がいなくなったら、二人きり……)
イザベルは、室内で二人きりになったことにドキドキと心臓の音が高鳴った。
《イザベル、どうしたの? 緊張? ドキドキしてる。病気?》
(……なんでもない。大丈夫だから)
ルーファスは、イザベルの刺繍の手ほどきに集中している。
(私だけが意識しているみたい……。考え過ぎだわ)
二人きりだと思うと妙に緊張して、針を持つ手が震え、針が指にぶすっと刺さった。
「痛っ!」
《イザベル、大丈夫?》
イザベルの声に、ルーファスはイザベルの手をパッと掴んだ。
「大丈夫ですか?」
「え?」
突然ルーファスに手を掴まれたイザベルは、身体中が心臓になったような感覚だった。
「だ、大丈夫……ですので――その……手を」
ルーファスはイザベルの指から、イザベルの顔に視線を移した。
ルーファスに手を握られ赤面するイザベルと、目が合った。
「!?」
思いのほか、二人の顔が近付いていることにルーファスが気付いた。
「そ……その――手を、離し……」
「あ! し、失礼!」
ルーファスは慌てて、イザベルの手を離した。
イザベルはルーファスに捕まれた手の熱さを感じていた。
「突然触れて失礼しました。その……傷が――心配で」
「はい。分かっています……」
ルーファスの行動に他意はないことは分かっている。
私が意識し過ぎているだけだ。
何故だか分からないけど、ルーファスに触れると妙に落ち着かない。
ルーファスも落ち着かないように、突然立ち上がった。
「ど……どうかしましたか?」
「傷テープを……取って来ます」
「あ――……すみません」
ルーファスはぎこちなく出て行くと、傷テープを持ってすぐに戻った。
「自分で、やりますので」
そう言ったが、不器用なイザベルが利き手の指に中々傷テープを巻けずにいると、ルーファスがそっとテープを手に取った。丁寧な仕草で、あっという間にイザベルの指にテープを巻いた。
《ルーファス、上手だね》
(ルーファス様って、本当に手先が器用なんだわ)
「ありがとうございます」
「いえ……気をつけて。折角きれ……」
何かを言いかけて、ルーファスが急に言葉を飲み込んだ。
「何か?」
「……別に、なんでもありません。針を使っているときは、集中するようにしてください」
ルーファスは、少し固い表情でそう言った。
「あ……はい。すみません」
イザベルがしゅんとすると、ルーファスは言い過ぎたと思ったのか「少し休憩をしましょう」と声をかけた。
「イリーナ、お茶を取って来ると言っていたのに遅いな」
「……そう、ですね」
シーン。
手持無沙汰になった二人の間に、気まずい沈黙が続いた。
《たすく》は、下を向きながら沈黙する二人の様子を、不思議そうに見ながらパタパタ飛んでいた。
「……――子どもが、お好きなんですか?」
「――え?」
ルーファスが沈黙に耐えきれないとでも言うように、イザベルに問いかけた。
「養護院の、ボランティアに関心を持っていたので。この前、養護院でも子どもたちとも遊び慣れているようでしたので」
「え!? ご、ご覧に……なられていたんですか?」
「少しだけですが」
「すみません……。はしたない真似をして――」
「え? はしたない?」
イザベルの謝罪に、ルーファスは意外そうな顔をした。
「子どもたちと走り回ってしまって……」
「ああ。まあ、確かに。高位貴族の女性は、あまりそう言ったことはなさいませんが」
「失礼しました」
「――私は、あれは、気になりませんでした」
「え?」
「……子どもたちも、楽しそうでしたので」
ルーファスは、穏やかにイザベルを見ていた。
「そ……そう、ですか」
「ヴァルハルド帝国でも、ああ言った活動を?」
「いえ、ヴァルハルドでは……」
家では自由になる時間なんてなかった。
「そうですか。慣れているようでしたので……」
ルーファスは意外そうな顔をした。
「ずっと、こういう活動をしたいと思っていたので、嬉しいです」
イザベルが子どもたちを思い出してルーファスに微笑むと、ルーファスはパッとイザベルから目を逸らした。
「そうですか。それは――……良かったです」
何故か下を向きながら、ルーファスは機械的にそう答えた。
(なに? 急に?)
《なんか、ルーファスもドキドキだよ。さっきの、イザベルみたい》
(え? ルーファス様が?)
目の前のルーファスを注視すると、確かに耳が赤くなっている――気がする。
(……やっぱり、年上の女と二人になるの、嫌なのかも――)
「イリーナ……、ずいぶん遅いな」
ルーファスはそうつぶやくと、耐えられないようにイリーナを探しに部屋を出た。
《イザベルも、ルーファスも、ずっとドキドキしていた。変なの》
イザベルも、自分の胸の高鳴りが何によるものなのか、不思議に思っていた。
「確かに――……変、だわ」
イザベルは自分の胸に違和感を持った。
が、その違和感を打ち消すように、刺繍をする手を動かした。
部屋を出たルーファスが、そんなイザベルの様子を扉の陰からそっと見ていることに、イザベルは気が付かないほどに集中していた。
◆◆◆
「救国の聖女?」
「ああ、近々“女神セルフィーナの予言”があると、枢機卿から報告があった」
「――……予言」
「前の救国の聖女を失って10年が経つ。そろそろ誕生してもおかしくはない」
「――ああ」
魔法と精霊の国・セレフィード王国は、女神セルフィーナを崇拝する国だ。
女神はおおよそ50年に一度“救国の聖女誕生”を予言する。
いまはちょうどその端境期にある。
「これがもう少し早く分かっていれば、お前の婚約もなかったかもしれないな」
ディオンがルーファスを見た。
「……――まあ」
「なんだ。“救国の聖女”が現れれば、婚約は破棄すればいいとでも言うかと思ったが」
ディオンがルーファスを見て、ニヤニヤした。
ルーファスはその視線から逃れるように、プイッと横を向いた。
「……――わざわざ和平条約を破棄して、戦に進む道を選ぶ必要はない。救国の聖女が誕生しようがしまいが、戦は民を苦しめるものだ」
「――まあ、ね」
ディオンはルーファスを見て、ニヤニヤ笑いを続けた。
「なんなんだ。その顔は」
「いや、お前がイザベル様に刺繍を教えてやるとは思わなくてな」
「……――イリーナめ」
「良い雰囲気だったという話だったな」
「ただ教えただけだ。養護院のバザーに出すというのに、刺繍の技術に課題があったようだから」
「いずれ公爵夫人になる女性だしね」
馬車の中でルーファスがイザベルに言った言葉を、妙に含みを持った表情で言われ、ルーファスの耳は赤くなった。
「……――婚約しているんだから、当たり前だ。俺たちの婚約は国同士の益がある。個人の感情に左右されるものではない」
「それはその通りだ。で、イリーナの話を聞いても、イザベル様は噂とは全然違うようだけど?」
ルーファスは昨日のイザベルを思い出していた。
レープ公爵家の図書室で、あえて一人にしても不審な行動はなかった。
レープ公爵家にある家人しか入れない図書室にあえて入れたというのに、だ。1人にしても機密情報を調べる素振りもなかった。
黙々と刺繍に取り組むイザベルの横顔が思い出される。
(フォートレル侯爵が何の思惑もなく、娘を差し出すとは思わなかったが考え過ぎだったのか……)
「フォートレル侯爵家というと、イザベル様の下には義妹がいたな」
「オフィーリアだったか。“ヴァルハルドの聖女”と言われている女性だろう?」
もちろん、“ヴァルハルドの聖女”は“救国の聖女”と違い、ただの比喩に過ぎない。
魔法と精霊の国・セレフィード王国と違い、戦争を繰り返し領土を広げるヴァルハルド帝国は、血と鉄の国といわれている。
(イザベルには魔力はないが、ヴァルハルド帝国ではそれが当たり前だ)
「“ヴァルハルドの女狐”も、聖女っぽいがな」
「え!?」
ディオンのつぶやきに、ルーファスは子どもたちと無邪気に笑うイザベルを思い出した。
(イザベルが……聖女……?)
「どうかしたか?」
ディオンはずっとルーファスにニヤニヤ笑いを続けていた。
「別に――」
「そうか? ……まあ、お前たちの婚約は国にとっても重要なものだが、それがお前にとって幸福なものになるなら、俺としては願ってもないことだと思っているよ」
ディオンの笑顔は、親友を慈しむものに変わっていた。
「は!?」
(イザベルとの婚約が……俺にとって幸福……!?)
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