第12話 イザベルの刺繍
「お兄さま、急にどうなさったの?」
「用が早めに終わったから、ちょっと立ち寄っただけだ」
「御用が早めに? たまたま?」
「たまたまだ」
イリーナの最後の台詞に含みを感じた。
《ルーファス、心配して来たのかな》
(そうね)
ルーファスとイリーナは仲の良い兄妹のようだから、もしかしたらわざわざ様子を見に来たのかもしれない。前世ではきょうだいはいなかったし、いまは義妹に目の敵にされているイザベルとは大きな違いだ。
「フォートレル侯爵令嬢、今日は娘と遊んでくれてありがとう」
エリーアスの台詞を真似るように、アニヤも「お姉ちゃん、ありがとう」と笑った。
(かわいい)
「私こそ遊んでくれてありがとう」
攻略対象者の中で、エリーアスは異色にも子持ちだ。
(奥さんは確か、この子を産むときに亡くなったんだったかな。それ以来、一人で子育てをしているのよね)
享年32歳の女性の記憶が宿るいまのイザベルにとっては、2歳下のルーファスよりも子持ちで10歳上のエリーアスの方が、友人としては気安い感覚がある。
(一人で子育てをするのは、大変だろうな)
アニヤの手を握る姿に、エリーアスの幸せも、苦労も、伝わって来るような気がした。
「養護院でボランティアをするのなら、また会えるかな?」
「そう、ですね」
イザベルがそういうと、エリーアスもアニヤもにこっと笑った。
(攻略対象者には関わりたくはないけど、アニヤちゃんもかわいいし……なんか、避けるのは罪悪感が生まれる親子だわ)
「その……お名前で呼んでもいいかな?」
「え? ええ、もちろん。アニヤちゃんも」
「じゃあ、私のことも」
「え?」
「エリーアス、と」
「え……」
エリーアスの優し気な目が、イザベルを捕らえていた。
(アニヤちゃんの遊び相手として……気に入られたってことかしら?)
イザベルが戸惑いながら返事をしようとしていたら、いつの間にかルーファスが後ろに立っていた。
「シュトライヒ侯爵、私の婚約者がお世話になったようで御礼申し上げます」
「イザベルはとても素敵なお嬢さんだね。アニヤと仲良くなってくれたんだ。礼を言うのは私の方さ」
「……イザベル? 随分親しげに呼ばれるんですね。今日会ったばかりでは?」
「ああ、失礼だったかな。アニヤもとっても懐いていたから、私も親しみを感じてしまって。君が嫌ならもちろん名前で呼ぶには控えさせていただくけど」
「いえ、別に、イザベルが良いのであれば私が口を挟むことではありませんから。いかようにも」
にこにこと話す二人の間に、不思議な冷気が漂っていた。
「そう、良かった。じゃあ、イザベル、イリーナ様、またお会いできるのを楽しみしています。アニヤ、帰ろう」
そういうと、エリーアスはアニヤの手を取った。アニヤは子どもらしく、みんなに手を振った。
(この養護院へ来る限り、二人にはまた会うことになるのか……)
イザベルは複雑な気持ちで、仲が良さそうな親子の背中を見送った。
◆◆◆
「あの……そんなに見られると、さすがに私も……」
ルーファスは、イザベルの刺繍入りのハンカチを院長から1枚回収していた。
「私が購入したものですから、あなたにとやかく言われることではありません」
イザベルが学校でも刺繍をしている姿は遠目にずっと見ていた。イザベルは刺繍に夢中で気が付いていなかっただろうが、ここ最近は刺繍に真剣に向き合う姿ばかりを見ていた。美しい指にテーピングが増えるのを見る度に、刺繍の技術はそう高くないのだろうと想像はしていた。
(貴族の令嬢なのだから刺繍は子どもの頃から習っているものだと思っていたが、もしかしたら彼女は初心者だったのかもしれない。フォートレル侯爵家は、武家として有名だが令嬢には刺繍を習わせなかったのか?)
イザベルの刺繍は、初心者の作品であることは聞かなくても分かった。しかも、教師に習ったことがあるものとは思えない。
(丁寧に作ろうという意思は感じるが――……)
「お兄さま、そんな黙って見られたらイザベル様だって緊張するわ」
イザベルを離宮まで送るために、イリーナも同乗させていた。
ルーファスが送るというと、何故かいつもイザベルは固辞する。
(政略と言っても、私は彼女の婚約者だというのに、何故か妙に距離を取ろうとしてくる……。眼鏡のクラスメイトと親しげに話したり、ディオンとのダンスで顔を赤らめたり、初対面のエリーアスとは名前呼びの話までしたりするのに……。なんで私だけ、こんな扱いなんだ。何か思惑でもあるのか)
ルーファスは、イザベルをチラッと見た。
「どうか、しました?」
「いや――」
(イリーナの話では子どもたちとも走り回って遊んでいたというし……。髪や化粧が崩れたり服が汚れたりするのが気にならないのか。思った以上によく分からない女性だ)
「この刺繍――」
「酷い出来なのは承知しております」
イザベルは赤くなった顔を両手で隠した。
(そういう表情も、するのか……)
ルーファスは照れるイザベルに、頬が緩むのを感じた。しかし、その瞬間イリーナの意味深な視線を感じ、顔を引き締めコホンと咳払いをした。
「そうではありません。その……一針ずつ丁寧に仕上げていて……非常に、良いと思う。図案も、独創的で……悪くないかと」
「――……え?」
ルーファスの言葉に、イザベルは今度は惚けた顔を見せた。
(割と表情がコロコロ変わるんだな)
「お兄さまならそうおっしゃると思いましたわ!」
ルーファスとイザベルが何を言って良いか分からず、見つめ合ってもじもじとしていると、イリーナがそう言いながら手を叩いた。
「イザベル様は、今後も養護院の支援を続けられるご予定ですわよね?」
「え……――ええ、まあ……」
「だったら、お兄さまに刺繍のレッスンを受けたら良いんですわ!」
イリーナは名案とばかりに、ルーファスに声をかけた。
イザベルはイリーナの提案に、明らかに顔色が曇り硬直していた。
(……そんなに、私に習うのが、嫌なのか? いや、刺繍が嫌なだけか?)
ルーファスは、イザベルの表情の変化にモヤッとするものを感じた。
「で、でも……ルーファス様はお忙しいですし、そんな私のことでお時間を頂戴するなんてとんでもなくて……」
学園の送迎を固辞したときと同じような断り文句を、イザベルは並べ始めた。あのときはイザベルの意向に沿って無理強いはしなかったが、こう何度も嫌そうにされると……。
「私は構いません」
「え……いま、何て……」
「構わないと、申しました」
ルーファスは、必死に理由を取り繕うイザベルをまっすぐ見据えた。
明らかに、イザベルの目が泳いでいた。
「で、でも……。私、本当に刺繍が苦手で……。刺繍以外の、別の支援も考えてみようと思っていて……」
「それはそれでも構わないが、あなたは公爵夫人になる身でもある」
「公爵……夫人」
まるでそんな考えはなかったというようなイザベルの反応に、ルーファスはムッとした。
「婚約者なのだから、いずれはそうなるでしょう」
「そ……そう、ですわね」
イザベルは困ったように視線を伏せた。
まるで、その未来を考えたこともないような反応だった。
(……そんなに、私との結婚は望んでいないのか)
「刺繍はある程度は出来た方が良いのではないですか」
「では……家庭教師を、ご紹介いただくというのは……」
「私が教えるのがそんなに問題ですか?」
「いえ。そうではなくて……ルーファス様はお忙しいでしょうし」
「ですから、それは大丈夫だと言っています。それとも――私がそんな時間も捻出できない男だと思っているのですか?」
「――……いえ」
イザベルは、ルーファスの言葉に何も言い返せず静かに黙った。
気まずい沈黙が二人の間に流れると、それを打ち消すようにイリーナが「じゃあ、お兄さまが先生ということで! イザベル様、お兄さまはこう見えて面倒見の良い方ですから」と明るくイザベルに声をかけた。
(“こう見えて”というのは、どういう意味だ……)
ルーファスがフンと黙っていると、イザベルが観念したように「ルーファス様、宜しくお願いします」と頭を下げて来た。その姿は妙にしおらしかった。
「婚約者の助けをするのは当たり前のことですから」
そういうと、イリーナがルーファスに見えるようにニヤニヤという笑顔を見せて来た。
《ルーファス、嬉しそうだね》
(嬉しそうじゃないわよ。あれは先生の顔よ、先生の)
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