第10話 いざ養護院へ!
「すごい、凄すぎるわ。これぞ令嬢の鑑よ。さすがだわ、イリーナ様」
前回養護院で購入した刺繍小物に、勝るとも劣らない……いや、完全に勝っている芸術的なイリーナ刺繍入りハンカチを、イザベルは震える手で持ち上げた。
「そんな……。イザベル様、大げさだわ」
《わぁ! 綺麗な刺繍だね。このお花は僕が好きなお花だ。あっ、ねえ、天使もかわいいよ》
イザベルが刺繍した天使はうさぎだと言った《たすく》は、イリーナの刺繍はすぐに天使だと認識できたらしい。
(天使を知らないのかと思っていたけど、そういうわけじゃなかったのね。私の刺繍があまりにも……だったってことか)
イザベルは自分の刺繍の出来が悲しくなっていた。
(こんな刺繍を見たら、私の刺繍なんて見せられたものじゃない……)
あの後も、離宮でも、馬車の中でも、アカデミーでも、恥を忍んでチクチクチクチク……し続けていた。遠巻きに見るクラスメイトにも、怪しい目で見られていたがイザベルは一心不乱に刺繍を続けた。イザベルの刺繍の腕前を目の当たりにしたアンガスとリアは、顔を引きつらせながら応援してくれたが遠回しに別の支援のかたちも提案してきた。
(少しはマシになってきたと思ったけど。アンガスたちが言うとおり、違う方法を考えた方が、いいのかな……)
イリーナは、テーピングだらけのイザベルの手をじっと見ていた。
「あ……」
イリーナの視線に気づき、イザベルはそっと手を隠した。
「イザベル様、その指……」
「あの……その、私――実は、あまり刺繍が得意ではなくて……」
(得意じゃないというか、苦手というか、壊滅的に不器用というか……)
「お兄さまがおっしゃっていた通りですわ!」
(お兄さま?)
「へ?」
イリーナは感動したような瞳を向けて、イザベルの傷だらけの手を取った。
「イザベル様が、ずっと刺繍を頑張ってらっしゃるって……お兄さまがおっしゃっていて」
「ル、ルーファス様が……?」
(一体いつそんな様子を? 教室でやっていたからディオン殿下にでも聞いたのかしら? それにしても……私が頑張っているなんて、そんなことを、ルーファス様が言うとは思えない)
いつもイザベルに向けているのは、無表情な顔か、怒りを抑えているような顔ばかりだった。
(あのお茶会のあとも、まともに話した記憶はないし)
「ええ。お兄さまはよくイザベル様のお話をされていますわ」
「――え?」
(ルーファス様が、私の話を、よく?)
イリーナの話が実話とは思えなかった。大した関わりもないのに、一体何を話しているのか。そんなイザベルの様子に、イリーナはくすっと笑った。
「お兄さまは、ちょっと……分かりにくいかもしれませんけど、イザベル様とは気が合いそうで良かったですわ」
「気が……合う?」
(あれ? イリーナ様って、聡明な少女じゃなかったっけ? もしかして鈍い系令嬢? あのお茶会でも同席していたわよね?)
「ええ」
「で……でも、ルーファス様とはあのお茶会以来、そんなにお話もしていなくて……――」
(そんなにどころか、全く話はしていない。学園への送迎も丁重にお断りしたし。教室にディオン殿下を迎えに来るときに少し目が合うくらいで。そのときだって、なんか殺意を感じる目で見てくるだけだ。それがどうして気が合うように見える!?)
混乱するイザベルを見て、イリーナは納得するように深く頷いた。
「そうだったのですね。でも、お兄さまが、こんなに女性に興味を持つことなんて、今までになかったので……」
「――……興味?」
「ええ!」
イリーナはにこりと天使のような笑顔を見せた。
(か……かわいい。こんな彼女が、私と同じ悪役令嬢とは――)
イリーナの瞳の色は、ルーファスを思い出させるが、兄妹と言えどあまりに違う。イザベルは瞼を閉じて、ルーファスの姿を思い出した。
(興味というか……疑いの眼差しは向けられている気はするけど……。まあ、帝国のスパイだと疑っているんだろうから、私の行動には興味はあるのか)
目の前には純粋な少女の笑顔がある。
(やっぱり、イリーナ様は少し……鈍い方、なのかも。いや、純粋なだけ?)
「今日だって、養護院へ一緒に来たがっていたのですよ。でも、殿下とのご用事があるみたいでどうしても来られなかったようで」
「……そ、そう、ですか」
(私が変なことをしないか、監視でもしたかったのね)
「イザベル様の刺繍も拝見して宜しいですか?」
「――えっ……あの、その……イリーナ様のものを拝見したら、私のものなど……」
「そんな、私の刺繍なんてお兄さまのものに比べたら」
「え!? ル、ルーファス様は……刺繍も……お出来に……?」
イリーナはいたずらっぽく笑うと、「実は――」と耳打ちをした。
「お兄さまは手先が器用なんですの。私が刺繍を習い始めた頃は、よくお兄さまが教えてくださって……」
「ル、ルーファス様が!?」
イザベルは、ルーファスが刺繍をしている姿を想像した。
(ま、まあ、美青年が刺繍をする姿は似合うけれど……。普通、貴族の男性は、刺繍はしないのでは……)
イザベルの頭の中が想像できたのか、イリーナはこそっとイザベルに続けた。
「子どもの頃、お父さまに注意されて以来、表立ってはなさっていらっしゃらないの。でも、今でも時々お一人で刺繍をなさっているみたい」
「そう……なんですね」
(前世のことを思うと、貴族社会ってやっぱり窮屈だわ。好きなことも自由にできないなんて……。ルーファス様がこの後ヒロインとうまくいくかは分からないけど、政略相手ではなくて、せめて好きな人と結ばれてほしいわ)
イザベルは、人目を隠れて刺繍をするルーファスのことを思った。
「そうだわ! イザベル様、刺繍がお得意でないのであれば、お兄さまに教えていただければいいのよ」
「え!?」
「お兄さま、教えるのがとってもお上手なの」
イリーナはイザベルの反応を無視して「それがいいわ」と勝手に納得している。
(そんな……。却下、却下! 攻略対象者とマンツーマンなんて死亡フラグでしょう!?可愛い笑顔でとんでもない提案を……。そんなイベント、全力で回避よ!)
イザベルは引きつる笑顔で「ルーファス様はお忙しいでしょうから」と、イリーナの提案を受け流した。そうこうしていると、セルフィナの羽根養護院が見えてきた。子どもたちが元気に遊んでいる姿も見える。
「まあ、子どもたちが待っていてくれているみたいだわ」
イリーナは馬車止めに待つ子どもや職員を見て微笑んだ。
イザベルは、背中の後ろに隠していた刺繍のハンカチが入っている袋を握っていた。
(子どもたちはかわいいけど……こ、この、刺繍――見せられたものじゃないわ。どうしよう……!?)
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