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井上真理:アリシアの部屋

咲希の家での特訓から少し時間は巻き戻って‥‥


私――井上真理は、学校の昼休みに変な特訓をさせられた翌日、土曜日の夜21時に念話で連絡をもらった。


『真理さま。魔法陣の用意をお願いします』


21時以降、お父さんがここへ見回ってくることはない。私は普段から宿題をちゃんと出しているので、お父さんを心配させる要素がないのだと思う。だから私が普段使っている部屋に魔法陣をしくことにした。

エレナが描いた魔法陣が二折になっている紙を床にしいて、「準備できました」と返事する。


すると魔法陣が光って‥‥目を閉じて開けると、私の目の前にはアリシアがいた。

アリシアがいた。

金髪のアリシアがいた。


今までの病院での面会は、ガラスが私とアリシアを遮っていた。

それがない。

あの時に学校で見たアリシアそのものだった。


「‥アリシアさん‥‥あっ、声が‥」

「大丈夫です。全てのセンサーは動作していません」

「そ、それはそれで問題じゃないですか?」

「大丈夫です。後で説明します。それより‥その」


と、ふいに、私を見るアリシアの顔がいつもより赤らんでいるのに気づいた。金髪で皮膚も白いから、頬の赤らみが目立つ。


「‥‥ありがとうございます。その、実はわたくしも真理さまと同じ気持ちです‥」

「ええと、紙と石のことですか? いえいえ、どういたしまして。おかげで私もアリシアさんに会えて嬉しいです」


そこで、近くにいたモニカがアリシアに耳打ちする。小さくて聞こえない。アリシアは「‥そうでしたね、わたくしとしたことが混合してしまいました。反省です」と目を瞑って見開くと、いつもの落ち着いた顔に戻っていた。でも、どこかいつもの微笑みより固い気がした。


‥‥異世界人身内の込み入った話だろうか。そんなことよりアリシアと初めて同じ空気を吸っている。ガラスの遮断もなく、今見ているのは素のアリシアだ。

女友達なら抱き合ってるところだけど‥‥私はなぜか、咲希や萌仁花と同じことをアリシア相手にやるのは恥ずかしかった。


「真理さま、お座りください」


アリシアが指さしたソファーに座らせてもらうと、アリシアが後から隣に座ってきた。「‥‥っ」と私は思わず言葉を詰まらせる。

あのアリシアが、いつも向かい合っているアリシアが、今は横にいる。

息のかかる距離にいる。

心臓が苦しい。

え、なに、私、女だよ。なのになんでアリシアなんかで‥‥。

い、いや、この気持ちを悟られないようにしないと。咲希とも特訓したんだし、私は思ってることがすぐ顔に出やすいから。


ふと顔を上げると‥‥アリシアと反対側のほうに立っているモニカが「お飲み物は紅茶とコーヒーのどちらにいたしますか?」と尋ねてくるので「では紅茶を」と返事する。

するとモニカがぱちんと指を鳴らして‥‥向こうにある白いテーブルからカップと紅茶のパックがふわっと浮き上がって、こちらまでとんでくる。カップは空っぽだったけどそこにお湯が出てきて、浮いている紅茶パックがゆっくり透明な湯の中に垂れ下がって、湯に色をつける。


黙って呆然と見ていたけれど‥‥私は思わず、部屋の中を確認する。

四角形の一角を四角に削った、L字っぽい部屋。言い換えるなら小さい四角と大きい四角を組み合わせた感じで、私が今座っているソファーは大きい四角の中にある。小さい四角の部分は、ここから見るとテレビのかかった壁に遮られ、半分ほどが死角になっている。おそらくこの壁の先にバルコニーがあるのだろう。

ベージュ色の壁とフローリングが新品のように美しい。

ここから見ると大きい四角のほうに、L字にくぼんだような形の窓が見える。私たちの座っている、壁掛けテレビを横に見るような向きの白いソファーの向かいにもう1つ同形のソファーがあり、間にガラスのローテーブルが挟まれている。ソファーの下には黄緑色のあたたかい絨毯がある。部屋はひんやりしていて、アリシアたちはクーラーを使いこなせているようだった。

向こう側の小さい四角形の部分にはさっきの紅茶のパックの置かれたテーブルがある。キッチンはおそらく向こうをさらに左手に曲がった部屋にあるのだろう。


気のせいじゃない。ここは、センサーが大量にあるアリシアたちの部屋ではないか。


‥‥落ち着こう。私は紅茶に口をつける。


「日本の紅茶はどなたが入れても同じ味になるよう工夫されていて、大変素晴らしいですね」


そんなことを平然と言うアリシアに、おそるおそる尋ねる。


「‥‥アリシアさん、センサーの方は大丈夫なのですか‥‥?」

「はい。真理さまがコピー用紙と石を送っていただいたおかげです。ご覧ください、この部屋の隅に紫色の石が浮かんでいるでしょう」

「ああ、確かに‥‥」


部屋全体がL字だから、隅‥‥というか角は6つあることになる。咲希の用意した石らしいものが床から数センチほど浮いているように見える。


「紫の膜は魔力を込めて作ったもので、あらゆる物理法則を遮断します。便宜上重力などは少しつけていますが‥‥つまりあれで包まれたものはセンサーには絶対検出されません。エレナが即席で発明したのです」

「すごいですね‥」

「当初はあれで真理さまの体を包むのも考えたのですが、それですと真理さまに音も光も届かないおそれがございましたので、このような形になりました。紫色の石で囲まれた部屋は、真理さまにお渡しした魔法陣のある閉じられた空間から時間を吸い上げます」

「つ、つまり‥?」

「簡単に言えば、真理さまの部屋から時間を引いて、この部屋に足したのです」

「‥‥‥‥はい」


わからなくなったので適当に頷いた。アリシアはくすくす笑って「この理論は難解で、わたくしも最初聞いた時は何度も聞き返しました」と言いつつ、ちらと向こうのテーブルを見る。

あ、四角になっていた椅子から立って、誰かがこちらへ歩いてくる‥‥エレナだった。あ、マノラもいる。


「真理様、ごきけんよう」


とエレナが、日本人らしいデザインのトップスとスカートのままカーテシーを仕掛けてきた。


「はっ、はい、こんばんは‥」

「僭越ながら私が続きを説明いたします。元の部屋から時間を吸い上げるということは、元の部屋の中にいる人が時計を見れば、21時だったものが一瞬で22時に変わります。そしてこの部屋の中にいる人が部屋の外の時計を見れば、ずっと21時のままでいるように見えます。うーん‥‥正確な説明ではないですが、元の部屋の時間を犠牲にする代わりに、この部屋の外を時間停止状態に置いています」

「‥‥な、なるほど、代償を払ってこの部屋以外全部の時間を止めるんですね‥‥?」

「はい。ですのでこの魔法が効いている間、この部屋からは出られません」

「でも‥‥えっと、この魔法を解除する時、外から見れば人間が瞬間移動したみたいに見えませんか? さっきもモニカがティーバッグを消費していましたし。そうするとセンサーに引っかかるかなって‥ごめんなさい、よく分かりません‥」

「よく気づかれましたね。ですので魔法を解除する瞬間、この部屋の中にあるものが元に戻るようにしています。徹底してセンサーに『連続性』を提供できるようにします。このキーワードを出せる真理様の先輩は大変優秀ですね。ですので、例えば‥」


と、エレナが向こうのテーブルを指差すと‥‥どかんと爆発して、ぱりーんと真っ二つに割れる。


「この部屋にあるものを壊しても後で巻き戻るので問題ありません。ちなみに人間の位置やポーズも元に戻りますが、記憶や食事などは消えないので大丈夫ですよ」

「わあ‥すごいです」


完全に理解できたとは思わないけど、私は拍手して‥‥はっとようやく思い出す。すごく今更すぎる質問だけど、日本人としてしなければいけないと思った。


「い、今のエレナさんとモニカさんが使っていたのって、魔法ですよね」

「はい。普通は紅茶を入れる程度では使わないですが、真理様にご覧いただきたくて使ってみました」


モニカが笑いながら返事すると同時に、ローテーブルの上の紅茶が浮かんで私の口元まで移動する。「ありがとうございます」と、取手を持って少し飲むと、カップが勝手に浮いてまたローテーブルの上に着地した。


「モニカもエレナも、1ヶ月も魔法を使えずストレスがたまっているのです」


アリシアがくすくす笑いながら言っていた。確かにこの前アリシアから話を聞いた限りでは、魔法無しでは生活が不便になったと感じるだろう。

そして‥‥エレナは急に表情を変える。


「ですがこの魔法には2つの欠点があります」

「欠点‥ですか?」

「はい。ひとつは時間間隔が狂うことです。中にいる人にとっては1日が24時間よりも長くなります。体の老化や怪我などは開始時の状態に戻るので問題ありませんし眠気も同様ですが、記憶は残るようにしているので、慣れないうちは酔います。なので監視に気づかれないよう、はじめは短時間だけ使いましょう」

「分かりました。もう1つは?」

「‥‥真理様、ご自身の部屋に魔法陣を置きましたね」

「はい」

「魔法を30分使用した場合、真理様が部屋に戻ってから30分間、真理様以外の誰かがその部屋に入ると‥‥体がばらばらになって死にます」

「ひえっ」

「もともと部屋の中にあったものはともかく、外の人が介入すると時間軸のひずみが起きます。それもあってこの魔法は禁忌になっているのです」

「え、ええ、禁忌っ、そんなの使って大丈夫なんですか!?」


するとアリシアが続きを説明する。


「本来の目的であれば問題ありませんが、代償となった部屋に人が入ると死ぬうえに死体も残らないのを悪用して、暗殺に使われたものです。大丈夫です、禁忌魔法はわたくしを含む王族が許可すれば使えることになっております」


ものものしさと怖さを感じるけど‥‥アリシアの微笑みを見ると、ああこの人たちは理解したうえで使っているんだ、という考えになる。そうか、未知だから怖いんだ。魔法のことはアリシアたちに任せよう‥‥。


「っ、ま、魔法って便利なんですね! 紅茶とか入れられますし、ものも運べますし‥」

「ふふ、そのうち真理さまにも使えるようになりますよ」

「え、アリシアさん、それはどういう意味ですか‥?」


そりゃ私も魔法を使ってみたいけど、そんな簡単にできるのかな‥と思っていると、アリシアが指を2本立てた。

顔からいつもの微笑みは消えていた。


「わたくしから2つお話がございます。‥‥わたくしたち異世界人一同から真理さまに、大切なお話がございます。今、そのために準備を進めているところです。おそらく4~5日で完了すると思います。真理さまにはあらかじめお気持ちの整理をお願いいたします。おわかりでしょうがこれは特に内密に」

「‥‥分かりました」


わざわざ数日前に説明するような話だ、よほどの内容なのだろうと思う。先に緊張を済ませて欲しいほどなのか。

‥‥と、重々しい空気だったものが一気に軽くなる。アリシアは表情を変えるのが素早いし正確だ。


「もう1つは‥‥真理さま、以前から思っておりましたが‥‥気分が表情や行動に出やすいですね」

「っ!?」


一気に昨日の昼休みのことを思い出して恥ずかしくなる。思わずのけぞってしまう。


「ふふっ。わたくしは真理さまのそういうところも好きなのですが‥‥真理さまはこれからわたくしたちの秘密を知る身です。日本政府に表情や行動から心を読み取られると‥‥最悪の場合、わたくしたちは『目的』を果たせず死ぬことになります」

「‥‥っ!?」


今の話の意味を知りたかった。そんなに重い話だったとは。思わず前のめりになりそうになったけど‥‥でも、そうだね。今の私には知らないほうがいいことなのだろう。咲希の言っていたことは正確だ。私が肩を落とすと、アリシアが「大丈夫です」と声をかけてくる。


「ですので、真理さまが機密情報を漏らすような動揺をしないようにする魔法を使います。慌てる性格自体がなくなるわけではありませんが、本心で隠したいと思っている情報をうっかり漏らさないよう制御します。断じて人格や感情、記憶などを操作するものではありませんし、行動制約もありません。やろうと思えば自発的な漏洩も可能です」

「そ、そのような魔法があるんですね」

「ただしこの魔法は精神に直接働きかけるもので、洗脳にも悪用できるため禁忌魔法の1つです。むろん日本政府にも禁止されています。かけてかまいませんか?」


私はこくりとつばを飲み込むけど‥‥でも、死ぬかもしれないと言われるとどうしても気になる。


そもそもアリシアたちはどうして、ここへ来たんだろう。

赤荻さんからは外交使節団と言われたけど、それ以上の理由があるのだろう。

いや、この口ぶりだと、おそらく赤荻さんにすら話していない。


私は信頼されている。


私はアリシアと話した、唯一の‥‥いや、数少ない一般国民かもしれない。

そんな私に、アリシアたちはやってほしいことがある。

私だって、アリシアのことを知りたい。

手伝えるのは私しかいないかもしれない。


‥‥そしてやっぱり、アリシアに死んでほしくない。

辛い目にあってほしくない。


「お願いします」

「真理さまの勇気にいたく感謝いたします」


精神を操作する魔法。洗脳にも悪用できる。

アリシアが私の顔に手をかざしてくる。私はぎゅっと目を閉じた。‥‥「終わりましたよ」という声が聞こえても、何が起きたのか全く分からなかった。私は目を閉じて開けただけ。他におかしいところもない。


「‥‥終わりですか?」

「ふふ、真理さまが心の底からこの魔法を受け入れてくださったので簡単に終わりました。普通なら激しい痛みを感じるところでした」

「‥‥その説明を最初に聞きたかったです」

「真理さまなら大丈夫だと信じておりました」


‥‥あれ、頭の中で‥‥何かが押さえつけられてるような気がする。なんだか、しこりがあるような、ないような。


「はじめのうちは違和感がありますがすぐ慣れます。ではわたくしたちは説明の準備を進めてまいります。先程のエレナからの説明通り、本日はそろそろお開きにしましょう」

「分かりました。待っています」


私は立ち上がって、アリシアに転移魔法をかけてもらう。まばたきすると自分の部屋に戻っていた。


‥‥これが魔法。まだ実感はないけど、ファンタジー小説でよく出てきた魔法なんだ。興奮するけれど‥‥それが全てではない。

またアリシアの知識が増えた。そして、アリシアが私を信じてくれる。たったそれだけのことが、私には嬉しかった。

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