井上真理:怖い夢
セジーおじさんからかなりエグいことを言われた翌日。アリシアとの夜の念話よりも前。
「何か気になることあったの?」
そう言われてやっと現実に引き戻されるくらいには、私――井上真理は、昨夜のことが頭から離れなかった。
車の揺れ。動く景色。すれ違う車。信号の色。横断歩道。電柱と電線。ビルほどではないけど3階か4階の建物がすらりと並んでいる通り。車はどんどん新宿へ向かっている。
助手席にいる人が振り返って、聞いてきていた。
「‥‥怖い夢を見ただけです。大丈夫です。面会で慰めてもらいます」
私はそう返事することしかできなかった。
セジーおじさんのことは誰にも相談できない‥‥ていうか、おじさんの話が本当なら、この運転手も敵。私に優しく話しかけてくれたこの人も敵。日本政府も敵。何もかも敵。そうとしか考えられない。怖い。みんな私を見張っているかもしれない。
もし今日アリシアと話せたとしても、それは解決にならない。
今この車の中にいるだけでも、アリシアの気持ちが痛いほどわかる。私は自宅で暮らして、比較的自由に外出できる。でもアリシアはそうではない。アリシアはこれよりももっとひどいことをされているんだ。こんな目で囲まれながら、寝ている間すら休むこともできず、狭い部屋で仲間と引き離されて3週間。そう思うとまた泣いてしまいそうで‥‥こらえる。
私はアリシアの力になりたい。だから私に今できることは‥‥少しも怪しまれないこと。
笑顔。笑顔を作ろう。いつも通りアリシアに会うのは楽しいと言って、‥‥前回みたいなのは無理でも、最低でも落ち着いた大人みたいに思われるようにしよう。そうすればギリギリ大丈夫なはず。
◇
エレベーターで隔離病棟に着くと‥‥「おっ」と、壁の掲示を見ていた赤荻さんが振り返ってくる。
‥‥いけない。昨夜のセジーおじさんと今の赤荻さんは別人だ。今の赤荻さんは何も事情を知らない。私はいつも通り‥‥は無理でも、控えめに笑顔を見せる。最低でも好意があるように見せる。
「赤荻さん、おはようございます」
「おはようございます。今日はいつもと雰囲気が違いますね。体調は大丈夫でしょうか? 体温は上がってないでしょうか?」
「はい、問題ありません」
「‥‥自宅でもしたと思いますが、念のため体温の再測定をお願いしてもいいですか?」
‥‥異世界人は未知の病気を持っているかもしれない。だから病院に入れたり、私たちを自宅待機させたり、今こうして体温を測るのもまっとうな対応だと思う。そこは切り分けよう。転移してきた人をいきなり病人扱いするのは気持ち的にはアレだけど、日本を守ろうとしてることには変わりないんだから、ね。
「‥‥平熱ですね、気分が悪ければ正直に申告してください」
「いいえ、昨夜怖い夢を見ただけです。アリシアさんに慰めてもらいに来ました」
「‥分かりました。でも面会中に少しでも体調に変化があればすぐ知らせてください。スタッフも近くにいますので、ね」
「はい」
面会室に入った。アリシアはにこにこ笑っている。
‥‥そうか。アリシアはまだ何も知らないんだ。私が伝えていないから。
ごめん、これから念話はできない。‥‥そう言おうとしたけど、ここで言うことではない。
私が念話している『かもしれない』ことと、私が念話していると『宣言する』ことは全く違う。
それはアリシアにも迷惑がかかる、危険な行為だと思う。
「‥あら、本日は少し元気がありませんね」
‥‥いっそ開き直ってしまおう。半分だけ。
「分かります? 赤荻さんにも言われたんです。怖い夢を見てしまいました」
「夢‥ですか」
‥‥あれ、内容を聞いてこないの。
なにか意味深な表情をしているんだけど。
「アリシアさん?」
「‥はい、そうですね。わたくしも少し思い出に耽ってしまいました。よろしければ内容を聞かせてもらっても?」
「はい」
‥‥こういうときのために、2年前に見て今も鮮明に覚えている夢を話す。明晰夢だったから余計たちが悪かった。
刃物を持った男たちに追いかけられて学校に逃げ込んで、教室の掃除道具箱の中に隠れる。この学校では構造上の理由で掃除道具箱は廊下のすぐそばにあるから、中の隙間からわりと廊下の様子が見れる。
男たちが廊下を列になって歩いている。そして誰かが「おい、あれの隙間で何かが動いてるぞ」と気付く。私の目玉が動いてるのに気づかれた。
わらわら集まってきて、掃除道具箱を開けてきて‥‥。
今思い出しても心臓が止まる思いだった。
「ふふ、話してくださってありがとうございます。学校についてお聞きしても?」
あ、そうだった。教室とか掃除道具箱とか、学校生活をよく知らないと説明しても分からないんだった。
そこからどんどん、怖かったものから話がずれていく。アリシアはこういうのがうまいと思う。




