井上真理:初めての会話
その次の休日の昼。私――井上真理は、お父さんと一緒に書類を読んで、自分の名前を書き込んだ。できあがった書類を写真撮影して官房指定のメールアドレスに送信する。原本は郵送するけど、今回は写真をメールした時点で面談を設定してくれるらしい。
誓約書の中身は‥‥お父さんも「普通の契約より厳しめだなあ」と言っていた。政府の指示に従うこと。SNSへの投稿は禁止、同級生への共有も禁止。一部制限ではなく禁止。私も誓約書を読む時、身が震える思いだった。
「これは国家機密で、普通なら女子高生が首を突っ込むものじゃないところを特別に触らせてもらっているからね」
「うん、分かってる」
この面会が実現するのは、私がアリシアと最初に出会った人間だから。他にも理由があるらしいけど、そこまでは教えてもらっていない。
友達に話すことすらダメだと誓約書に書いてある。面談が決まったことも、面談をしたことも、誰にも言ってはいけない。つまり友達にアリシアのことを聞かれても徹底的にぼかさなければいけない。咲希にも教えられない。これが国家機密ということだ。そんなものを一介の女子高生が背負っていいんだろうか。自分でいうのもなんだけど。
でも、これでアリシアに会える。オンラインだけど、アリシアの顔を見られる。元気にしているかな。今どこにいるのかな。
最初に出会った時のアリシアの顔が今も忘れられない。あの子にもう一度会えるんだ。
「アリシアに会いたい?」
「うん」
そんな私の頭を、お父さんはぽんと撫でてくれる。
◇
その2日後は平日だったけど、お父さんはその時だけ仕事を休んで家にいた。私の面談が終わったらすぐ学校に戻るらしい。
スマホをテレビに接続すると、大きな画面にスマホのホーム画面が映し出される。ここからスマホを操作して、通話アプリを開く。そのアプリアイコンに触れる指すら震えている。
「緊張してるかい?」
「してないもん!」
お父さんの笑い声が聞こえてくるので少しはほぐれる。指が画面に触れる。「きゃっ」という声が思わず出てしまう。
しばらくたって‥‥画面に、金髪の少女の顔が大きく映し出される。
美しい。あの時に出会った時の記憶は間違ってなかった。かわいらしくて、気品があって、美しい金髪で‥‥。あの『友達になりたい』という声、優しさに溢れる声だったけど‥‥目の前にあるアリシアの表情も間違いなく優しさと慈愛だった。
アリシアもじっと私を見ている‥‥ような気がする。いや、これ配信のラグだよね‥‥?
といっても事前に説明のあった通り、画面の下側には別の部屋が映っている。官邸の中の部屋で、見慣れた無精髭付きの顔をしている赤荻ともう1人の官僚が映っている。赤荻には、身内だということはアリシアには内緒にしてほしいと言われているので、今日は親しげには話さないでおく。赤荻は泣き虫ってイメージがあったけど、仕事しているときは真面目だと思う。
配信は最初に赤荻の説明から始まる。誓約書の内容の再確認と、面談の時間と流れの説明。これだけで5分を使う。30分のうち5分が潰れるのすら惜しい。
でも、この会話の内容は録画されて官邸の一部官僚の間で共有される、関係省庁の官僚もリアルタイムで確認してるので尖った話をしたら途中でストップがかかるかもしれない、という赤荻の説明‥‥そしてアリシアの顔を見ていると、なんとなく、アリシアは不自由な境遇に置かれていると思った。
「真理の父の佑です。真理の高校で数学の教師をしています。あのときに真理を引っ張ったのが私ですが、生徒の安全を優先するためのルールというのがありまして、それに従ったものです。敵意はありませんので、娘と仲良くしてくださるなら大歓迎です。よろしくお願いします」
とお父さんが挨拶してから画面外に出る。ようやく話が始まる。
「‥アリシアさん、久しぶりですね、私のことは覚えていますか?」
『はい。転移した時にわたくしのすぐ目の前にいました。真理というお名前だったのですね』
アリシアの声。正直、見た目ほど鮮明には覚えていなかったので、それが聞けるだけで嬉しかった。記憶に色がついたような気がした。
「はい、その時に友達になろうって言ってくださって嬉しかったです」
『わたくしもこうしてお会いできて嬉しいです。もうお会いできないと思っていましたので』
「今、どこにいますか?」
『病院の‥‥隔離病室というらしいです。そこに入院しています』
‥‥え。隔離病室。そんな話は初耳だけど。そういえばアリシアの簡素な服装もそれっぽい。
「何か病気ですか?」
『いいえ、異世界には未知の病気があるかもしれないと言われて検査してもらっています』
‥‥多分、アリシアは自分を病気とは思っていないんだろう。でも病気扱いされて、隔離ってことは閉じ込められていたんだ。
そして、はじめから思っていたけどアリシアには元気がなさそうだった。
「‥‥ここ、けっこう大変ですよね。ずっと一人ですし」
『‥はい』
「アリシアさんはどうしてここに来たのですか?」
『日本と友好関係を結ぶために来ました。でも真理さまのようなお友達も欲しかったのです、ふふ』
目元は疲れているようだったけど、その笑顔は自然にさりげなく出ているものだった。
「アリシアさんの国はどのような場所ですか?」
『木や緑がたくさんあるところです。この世界にレンガってあるでしょうか、それを積んで建物を作っています。この世界の建物は見慣れない材質ですが、どのようなものを使っているのですか?』
「コンクリートですね。レンガはこの世界にもありますよ、昔は多かったんです。今も東京駅がレンガなんです」
建物の材質、気候、人口‥‥‥‥私はアリシアの世界のことをいろいろ聞くけれど‥‥アリシアも同じ数だけ、地球のことを聞き返していた。
地球に興味津々らしかった。
「落ち着いたら旅行してみますか?」
‥‥これを言っただけでセジーおじさんが分かりやすいくらいに落ち込んでいるのが見えて、申し訳ない気持ちになった。確かに異世界人は国家機密の塊みたいなものだし、ね。おじさん頑張ってね。
『はい。どのような場所がありますか?』
「まずおすすめは京都です。日本の昔の町並みが見れます」
『‥‥昔よりも今の日本が知りたいです』
「そうでしたね、では東京のあちこちを見るだけでも楽しめると思います。渋谷とか、新宿とか‥‥」
アリシアの顔が明るくなっているのが分かる。‥‥やっぱり病院で、しかも国家機密案件だから、ずっと部屋の中に閉じ込められていたのだろう。分かりやすいくらい元気になっていた。
私も嬉しい。私も自宅待機中だから、アリシアの気持ちはわりとすぐに分かるような気がした。
『あの、よろしければわたくしが退院したらご一緒に‥‥』
とアリシアがなぜか頬を赤らめて言い淀んだ時点で‥‥
『あ、すみません、少し補足させてください。政府としてもお二人の交流自体は歓迎したいのですけども、退院直後は健康面や安全面の確認が必要になるので、すぐに自由に外出という形は難しいです。また改めて調整させてくださいね』
‥‥‥‥いくらセジーおじさんとはいえ、‥‥分かっていたけど見張られているんだって思う。いつか2人で自由に話せる日が来たらいいな。私がふふっと笑うと、アリシアは真っ赤な頬を手で隠していた。真っ白な肌がそこまで赤くなるのかと思った。女同士なんだけど、そんなに恥ずかしかったのだろうか。私が「大丈夫だよ」と言うと、くすっと笑っていた。
「日本にはいろいろな場所があります。ここは建物でぎっしりですが田舎もありますし、いろんなところを見て回るときっと楽しいですよ!」
『楽しみですね。1年で回りきれるでしょうか‥‥』
「ん、どうして1年なのですか?」
『わたくし、ここには1年滞在する予定でいますので』
その言葉で政府関係者2名がざわめき出したような気がする。カメラの向こうの赤荻が周りをぎょろぎょろ見て指示を仰いでいるように見えた。おそらくアリシアはこのことを政府に言っていなかったのだろう。
『‥‥っと、もうすぐ30分ですね』
「あ、本当ですね、話し足りませんね。赤荻さん、次の約束をしてもいいですか?」
『はい、前向きに検討します。日程はこちらで調整して、改めて連絡しますね』
セジーおじさんも交えて軽い感じで面談を終わらせた。私が手を振ると‥‥アリシアは『‥‥これはどういう仕草ですか?』と尋ねてきたので、「日本では友達と別れる時に手を振ります」と説明した。
アリシアが手を振る仕草は慣れなさそうで新鮮だった。
◇
『面談の前に誓約書書いたよね、それ、守秘義務って言うんだけど。仕事関係者以外には言っちゃダメってのは分かるよね』
「うん」
『ここでややこしいのがおじさんの扱いなんだけど、真理ちゃんは確かに面会したいっておじさんに連絡したよね。でもそれは仕事の正式なルートを通してきたんだ。だからおじさんも仕事モードで対応した』
「うん」
『今、真理ちゃんはおじさんに、親戚として連絡したよね。だから今のおじさんは親戚モードなの』
「うん」
『仕事モードと親戚モードはそれぞれ別の人だと思ってほしいな。おじさんみたいな官僚って、身内にはこういうところでけっこう気を遣うのよ』
「‥‥ごめんなさい」
『まあまあ、高校生だからあんま教えられないだろうし、これから気をつければいいよ。あ、仕事モードのおじさんに連絡するときは仕事用の番号に連絡してね。でも本当に仕事の話だけだよ』
後で面談の感想を電話したらたしなめられた。
でも、この嬉しい気持ちをぶつけられる相手がいないことももどかしい。プライベートな日記も書かないでほしいと言われているし‥‥うー。女の子は共感する生き物なんだけどな。国家機密ってこんなに重いものなんだなあ。
「はぁ‥‥」
とため息をつきながら、ベッドに転がった。




