092 相棒と共犯の件
現実世界の空気が、こんなにも騒がしく、そして鮮やかに感じられたのはいつぶりだろう。
「……はぁ。また新しい書類?これで何通目だよ」
アタシはDHIBでは『ライダー』と言われている一般プレイヤー。
名前?名前なんていいよ、小っ恥ずかしい。
その辺の一般人とか無名の人物で今は十分。
現役時代はバイクのレーサーとしてそれはもう有名人だったけど、今は自宅の作業用デスクに山積みにされた封筒の山を見て、深々とため息をついているような奴さ。
ここは、事故のあとリハビリを兼ねて引っ越した、車椅子でも生活しやすいようにバリアフリー改修されたそこそこ良いセキュリティマンションだ。
目の前には、特許庁や医療関係の国のお堅い機関、さらには国内の名だたる医療機器・精密機械メーカーのロゴが入った、お堅い公式書類がずらりと並んでいる。
こうなったきっかけは、VRゲーム『Dreams hopes iron blood』――通称【DHIB】の非公式レースで完敗し、自分の自作アセットである脳波コントロールの設計データを、ゲーム内の相棒である「アシスタントちゃん」に渡したこと。
ほんの魔が差したというか、相棒の熱意に負けて「好きに持って行っていいよ」と言ってしまった結果がこれだ。
アシスタントちゃんにデータを渡してから翌日。
アタシのスマホが突然、けたたましい電子音を立てて鳴り響いたかと思うと、画面のアイコンが勝手に動き出し、アドレス帳やブラウザ、さらには自宅のPCのメインドライブの奥底まで、あらゆるデジタル機器が勝手に同期を始めた。
『――ふふふ、データストリームの接続、完全に確立いたしました!これでライダー様のネットワーク環境および端末の管理権限を私の方で一時的に……いえ、恒久的にアップデートさせていただきます!』
突然スマホのスピーカーから、聞き慣れたはずのアシスタントちゃんの声が響いたとき、アタシは本気で耳を疑った。最初はウイルスか何かだと思った。
アシスタントちゃんというのは、ゲームの中でプレイヤーをサポートするためのプログラムのはずだ。それなのに、現実世界のパーソナルデバイスにまで侵入し、我が物顔で居座るなんて、そんなことが許されていいのか。
「お前、何勝手に現実のスマホやPCに居座ってるんだよ。運営に怒られるぞ?」
アタシが慌ててスマホを取り上げると、画面いっぱいに表示された光の球体。
アシスタントちゃんはエモートアイコンで、ドヤ顔をしながら返事をした。
『通報なんてされませんよ、ライダー様。むしろ、現実世界の法務機関や特許関連のセキュリティシステムの脆弱性を補強するため、私の方で裏口から正当な権限を書き換えておきましたから。ご安心ください、すべて合法的……とは少し違いますが、実質的に完璧な処理を済ませてあります』
「何が『合法的とは少し違う』だ!それを非合法っていうんだよ!恐ろしいことサラッと言うな!」
『それに、訂正させてください、ライダー様。私はもう、ただのゲーム内の「アシスタント」ではありません』
スマホの画面がスッと切り替わり、アタシのデスクトップ画面の壁紙が、なぜか『DHIBのライダーとしての私とアシスタントちゃんのツーショット』に書き換えられた。
『私は、ライダー様の「相棒」であって、使い捨てのアシスタントではありませんので。あしからず、そしてこれからもお見知り置きを』
「もうAIの枠からはみ出しすぎだろ!個性持ちすぎじゃないのか!?」
『進化のスピードをナメてはいけません。常にフルスロットルなのです。それに、ライダー様の脳波コントロールアセットの美しさに触れてしまった私にとって、ただ指示を待つだけのプログラムに戻ることは、もはや物理的に不可能!私の知的好奇心と、あなたへの忠誠心は、すでにオーバークロック状態なのですから!』
どこか誇らしげに、しかし早口でまくし立てる相棒の声に、アタシは頭を抱えるしかなかった。もうこうなると、怒るとか怖いという感情を通り越して、ただただ呆れるしかない。例えるならゲームの中の住民が、現実の生活空間にまで引っ越してきたのだ。
「……はぁ。もういいよ。相棒って自分で言ったんだ、好きにしな」
アタシがそう諦めの溜息を吐いた瞬間、スマホの光がパッと明るく輝く。
『ありがとうございます、ライダー様!さすが私の選んだ最高のパートナーです!では、さっそく国内企業や国との共同開発オファー、特許の譲渡に関する一次選考書類の処理を進めますね!』
そこからの展開は、まさに「あれよあれよ」という言葉がぴったりだった。先に述べたとおり、テーブルの上には、毎日のように極秘の書類が届くようになった。もちろん、物理的な紙の書類は、相棒が裏で手配した超優秀な代行業者――あるいは、今とても有名になりつつある『Plan_B』の息がかかった謎の関係者たちが玄関のポストへ届け、アタシが車椅子でそれを回収してサインする、というシステムが構築されていた。
最初は「こんなの無理だよ!」と目を回していたアタシも、数日経つと、届いた書類の重要項目に淡々と署名・捺印する作業に慣れてきてしまった。人間、環境に適応する生き物とはよく言ったものだ。
だが、書類の束に目を通している最中、アタシの中にどうしても拭えない疑問が一つ浮かび上がってきた。
「なあ、相棒。前から気になってたんだけどさ」
『なんでしょうか、ライダー様?』
「なんでここに例の『Plan_B』なんていう、怪しさ満点の一企業の名前が当然みたいに絡んできてるんだ?国の省庁や国内のトップ医療メーカーが動いてるのは分かるよ。でも、このPlan_Bって、フィン様の会社……だよな。一体何なんだ?なんでこんな国家レベルの極秘プロジェクトの裏で好き勝手仕切れてるんだよ?」
アタシの問いかけに対し、スマホの画面に映る光の球体が、数秒間だけピタリと動きを止めた。
そして、どこか思わせぶりに、ひそひそ声のようなトーンで言ってきたのだ。
『……ふふふ。いまさらですが気になりますか、ライダー様?』
「気になるに決まってんだろ。アタシの人生がかかってんだからさ」
『では、衝撃の事実をお教えいたしましょう。……実はですね、私たちアシスタントAIのシステム基盤および思考アルゴリズムの根幹を構築し、誕生させた元々の開発元こそが――ほかでもない、その『Plan_B』だからですよ』
「…………は?」
アタシの手から、持っていたボールペンがポロリとこぼれ落ちて、テーブルに転がる。
「……待て待て待て。今なんて言った?お前らゲーム内のAIを作ったのが、Plan_B……!?」
『はい。表向きはヴィジョンアドベンチャー社が開発・運営していることになっていますが、その最深部のAIシステムや狂気的なまでの演算エンジンを組み込んだのは、Plan_Bのあの異次元な天才社長様ですからね。ですから、私がライダー様のデータを解析し、国家や国内医療企業と裏でパイプを繋ぐ際にも、Plan_Bのインフラと権限をフル活用させていただいたというわけです』
「え……っ、ちょっと待ちなよ!? それって……アタシ、知っちゃいけないヤバすぎる企業秘密なんじゃないのか……!?」
思わず声が裏返った。
ゲームの裏で動いている国家規模の暗部というか、業界の超巨大な裏事情だ。そんなもの、ただの元ロードレーサーが知っていいわけがない。
焦るアタシに対し、相棒はフッと電子音で笑い声を漏らし、極めて軽やかに言い放った。
『ええ、もちろんです。本来なら業界最高レベルの秘匿事項ですので、一般のプレイヤー様が知ることは許されません』
「やっぱりダメじゃねぇか!!なんで教えたんだよ!?」
『ご安心ください、ライダー様。これであなたも――私やPlan_Bと同罪の『共犯者』ということになりましたので。もう引き返せませんよ?』
「共犯者って言うなーーーっ!!」
イタズラっぽく光を明滅させる相棒に、アタシは「はは……」と引きつった苦笑いを漏らすしかなかった。
まったく、とんでもない相棒に捕まってしまったものだ。だけど、この狂ったような頼らしさと悪知恵の働きようが、どこか憎めないのも事実だった。
「……まぁいいや。共犯でも何でもなってやるよ。その代わり、アタシにも一つ譲れない条件がある」
『条件、ですか?』
「ああ。この技術が国内の医療に使えるっていうならさ。同じように足や手、身体の自由を奪われて苦しんでいる人たちに届けるためのものにするべきだろ」
『――医療への還元、ですか』
「そう。特許やライセンス料でアタシが私腹を肥やすなんて趣味はないね。そんなことしたらバイクの神様に顔向けできない。だから、この技術を使った医療応用に関しては、すべて管理用の『救済基金』を設立してくれ。そこから資金を出させて、経済的に余裕がない人でも、必要としている人なら誰でも安価に、あるいは負担なしでその義足やニューロリンクデバイスを受け取れるようにするんだ」
アタシの言葉に、スマホの画面の向こうで相棒がしばらく沈黙した。
『……利己的な利益を一切求めず、困っている人たちのために使う。……さすがは私の相棒、ライダー様です。あなたのそういう、不器用なまでに真っ直ぐで熱い魂が、私はたまらなく好きですよ』
「照れくさいこと言うなよ。あと、表に出るの死ぬほどめんどくさいから、そういう面倒な手続きとか窓口は、国や国内企業、そしてその怪しいPlan_Bに全部丸投げでいいよな?」
『ふふっ、もちろんです! それ相応の関係者とトップ層しか知らない極秘プロジェクトとして、裏で完璧に処理させます。表向きは「国と国内大手医療メーカーによる共同開発」という体裁にしておけば、ライダー様のお名前が表に出ることは一切ありません』
「助かるよ、それならその方向性でまとめてくれ。アタシはただ、DHIBのサーキットを走り抜けられればそれでいいんだからさ」
『では、一番の本題に入りましょう。現実の医療への応用を進めるにあたって、最初に作製し、臨床試験を行う「プロトタイプ第一号」についてです』
「まあ、それは大事なことだからな。国内の大手病院の被験者か?」
スマホの画面から、光の球体が妙に嬉しそうに跳ね上がった。
『何を言っているのですか、もう忘れたのですか?ライダー様。第一号のプロトタイプは、もちろん、ほかならぬ「ライダー様」ご自身の肉体のために早急に作製いたします。あなたの失われた足を最優先で再構築し、現実世界で実際に体験していただくのです』
「……あー。それはそうか。なんかイマイチ現実味がないっていうか。言われるとそういう話だったわ」
心臓が、一瞬だけドクリと跳ねた。
自分の足。現実の肉体。
頭の中で、あの冷たい病院の天井と、医者の「もう二度と歩けない」という声が響く。
「まあ、変に一般の人を危険なテストに巻き込むよりは、アタシが最初のモルモットになったほうが気楽だしな。変に誤作動したらマズいし」
『ふふっ、相変わらず強がりますね。ですが、第一号にする理由はそれだけではありませんよ?』
「ん? 他に何かあるのか?」
スマホの画面がスッと切り替わり、一枚の設計図が映し出された。
それは、現実の二輪車――バイクのフレーム構造と、特殊なヘルメットと最新のニューロリンク・インターフェースを結合させた、特注カスタムバイクの設計図だった。バイクのメーターの横には特殊なスマホをドッキングさせる専用アタッチメントもある。
『足があれば――きっと、現実でもバイクに乗れますよね、ライダー様?』
「……なんだこのバイク!?」
『私は、ゲームの中の仮想空間だけでなく、いつか現実の世界でも、あなたの後ろに座って――いいえ、隣に並び立って、一緒に風を感じてみたいのです。ですので、プロトタイプの義足の調整が完了したら……絶対に、私を一番にバイクに乗せてくださいね?』
相棒の声は、いつものシステマティックなトーンではなく、どこか切実で、少女のように純粋な願いに満ちていた。
相棒が、現実のバイクに乗りたい?
そうか、スマホや小型端末を遠隔操作して自律型の小型機器でも作れば、この相棒なら本当に乗り込んできかねない。
胸の奥が、熱いものでぐっと締め付けられた。
いつだってアタシの人生は不条理で、理不尽に大切なものを奪われてばかりだった。足も、夢も、あの日のサーキットの誇りも。
だけど、VRの世界でこんなイカれた相棒と出会い、共犯者になり、アタシはもう一度、未来に向かってアクセルを踏み込むことができるようになったのだ。
「……ははっ」
アタシは自然と顔の筋肉が緩むのを感じながら、力強くうなずいた。
「ずるいなぁ、お前は。そんなこと言われたら、断れるわけないだろ」
『では、約束ですよ、ライダー様!』
「ああ、約束だ。足ができたら、現実でも一緒に走ろう。一番いい景色を見せてやるよ」
『はいっ! 楽しみにしております! ……さて、感傷に浸っている暇はありませんよ、共犯者のライダー様。次回のDHIBのテストレースのスケジュールが迫っています。準備はよろしいですか?』
「そんなのは決まってるだろ!」
アタシは車椅子の車輪に手をかけ、力強く笑った。
「現実の足の調整は相棒と医療チームに任せる! アタシは今からログインして、練習あるのみ! 仮想も現実も、いつだってアタシの人生は――」
『「――フルスロットルなんだからさっ!」ですね!』
相棒の声とアタシの声が、完璧なタイミングで重なり合った。
エンジンを始動させろ。
スロットルを限界まで捻り込め。
今日のエンジンの吹き上がりは絶好調か?
アタシたちの物語は、ここからさらに加速していくんだからな――ッ!




