080 非公式レースな件
――エンジンが、地鳴りのような咆哮を上げる。
スロットルバイワイヤのミリ単位の微開に伴い、特注のストレート吸気ダクト——その高効率エア・インテークの奥深くから、空気を喰らい尽くす狂おしい吸引音が鼓膜を叩く。
超高回転型の燃焼室。その内部で極限まで圧縮された高密度混合気が爆縮し、幾重にも重なるチタン合金製のシリンダー壁面と、ハイドロ・エアサスペンションの重厚な金属フレームをミクロン単位で激しく震わせる。
セルモーターが唸りを上げてから瞬時に立ち上がる、荒々しくも完璧に調律されたアイドリング。
超高圧で吐き出されるエキゾースト・プレッシャーがリアのデュアルスラスターを激振させ、未燃焼のプラズマ粒子が紫煙となってピットロードの空気を一瞬で灼熱とオゾンの匂いで満たした。
ハンドルグリップを通じて、セパレート型のカーボン製ハンドルから両腕へ、そして脳波コントロール型ヘッドマウントディスプレイを介して大脳皮質へダイレクトに突き刺さる、脳を溶かすようなドッシリとした巨大なトルクの脈動。
フルフェイスのヘルメットの奥で、アタシは広がる視界に口元を歪め、歓喜の笑みを噛み殺した。
アタシのゲーム内での名前は『ライダー』。
どこにでもいる一人のVRゲーマー……そう名乗ってはいるけれど、アタシにとってこの『Dreams hopes iron blood』というゲームは、単なる暇つぶしのデジタル世界なんかじゃない。
アタシの、本当の「脚」なんだ。
かつてリアル世界で、アタシはプロのロードレーサーとしてサーキットを駆け抜けていた。風を切り、エンジンの鼓動と一体になり、コンマ一秒の限界を見極めるあのヒリつくような感覚。それがアタシの人生のすべてだった。
だけど――あの日。
雨のサーキットで、前方を走るマシンが派手にクラッシュした。避ける隙間なんてどこにもなかった。時速200キロを超えるスピードのまま、アタシは爆発する金属の塊へと突っ込んだ。
目を覚ましたとき、病院の白い天井と、鼻をつく消毒液の匂い。
そして――布団の下にあるはずのアタシの両脚は、なくなっていた。
事故の後遺症で、腰から下の一部には麻痺も残った。
『もう二度と、バイクに乗ることはできません』
医師の淡々とした宣告を聞いた時、アタシの「人生」は一度完全にストップした。
それでも、失意の底に沈んでいたアタシを救ってくれたのが、このVRの世界であり、そして自作のアセットだった。
脚が動かないなら、変わりになる物があれば良い。
手が動きにくいなら、脳波でダイレクトに動かせばいい。
アタシは何かできないのかと、必死に勉強して、必死に学んで、そしてエンジニア魂と知識を総動員して、切断端や脳から発せられる微弱な運動信号を直接捕捉する、専用の「脳波コントロール型ヘッドマウントディスプレイ」とインターフェース・アセットを自作・構築した。
そして飛び込んだのが、この『DHIB』の過酷なコックピットだったのだ。
手足の感覚すら不要。脳から直接出力されるアタシの「走りたい」という意思が、スロットルを開け、姿勢を制御し、機体を限界を超えたスピードへと加速させる。
だから、あの「サービス終了」の知らせを聞いた時は、本当に世の中のすべてを呪ったものだった。アタシから二度も脚を奪うつもりか、と。
だけど――奇跡のアップデートが起きた。
それどころか、今回の大型アップデートで導入された最新システムは、アタシの自作アセットと神がかった噛み合いを見せたのだ。
このゲームのアシスタントちゃんは、アタシの脳波信号のノイズを完璧にクリアリングし、まるで自分の手足……いや、それ以上の精度で機体へとフィードバックしてくれる。
『ライダー様、ニューロ信号の同期率99.8%を検出。本日も極めて良好な思考レスポンスです。フルスロットルでの限界駆動、アシスタントAIとして全力でバックアップいたします』
光の球体であるアシスタントちゃんが、アタシの頭上で誇らしげにピコピコと光る。彼女からの好感度は常にMAX。アタシが一切の迷いなく機体を100%フルマニュアルで、限界まで回し切る「バケモノ」だからこそ、アシスタントちゃんもアタシの思考に狂喜して同調してくれるのだ。
「ありがとよ、相棒!今日も最高の風を掴みに行こうか!」
ヘルメット越しに叫ぶ。
アタシの座右の銘は『人生はフルスロットル』。
事故で足を失おうが、体に麻痺が残ろうが関係ない。
このデジタルとプラズマが交錯するサーキットの上で、アタシは誰よりも速く、誰よりも自由に走ることができるんだから!
現在、アタシがいるのは王国側の首都・北東に隠された『非公式レース場』の臨時に設置された地下ドックだ。
今日のメインイベントは、メンテナンス明け初となる非公式カスタムレース!
二足歩行の人型兵器をベースにしつつも、ここ集まる狂人というゲーマーたちはまともな二足歩行なんてハナからやる気がない。
それはアタシの愛機も例外じゃない。
本来は武骨な二足歩行兵器である機体の脚部、つまり下半身を完全に撤去し、そこに特大のハイドロ・エアサスペンションと、超高回転型プラズマエンジンを組み込んだ「大型二輪アセンブリ」を強引にドッキング!
上半身の腕部はハンドルバーの固定とエアロダイナミクスの整流フラップとして再構築。足回りは、荒れた路面すら力ずくでグリップする超ワイドな高粘性ナノラバー・デュアルタイヤを履かせている。
人型兵器のフレーム剛性と出力炉を、そのまま二輪車に流し込んだ、まさに「陸上最速の化物」だ。分かりやすく言えばバイクと合体させたんだ。
「よしよし……駆動系のトルクマップよし、スラスターの燃焼バランスも最高だね」
『ライダー様、本日のレース規則では、機体破損時の修理費はすべて無料補填されます。そのため、参戦者の90%以上が正気とは思えない出力超過改造を施している模様です』
「くははっ!最高のバカ騒ぎじゃん!損害ゼロなら、誰だって限界までブーストを叩き込みたくなるさ!」
アタシはヘルメットのバイザーをカチリと下げ、ピットロードへとマシンを滑り出させた。
非公式レース場のスタートラインには、すでにズラリと狂気のカスタム機たちが並んでいた。人型兵器の肩に巨大なジェットエンジンを4基くくりつけただけの機体、タイヤの代わりにローラーを足裏に敷き詰めた重装甲機、さらには――
「……は? なにアレ」
アタシは思わず目を疑った。
隣のレーンに並んでいるのは、どう見ても『棺桶』だった。
人型兵器のパーツを削ぎ落とせるだけ削ぎ落とし、細長いジェットカプセルにバイザーだけを取り付けた文字通りの「飛ぶ棺桶」。
乗っているパイロットは、内部で全身を紐で縛り付けられたような状態で固定されている。
「摩擦係数ゼロ!軽さは正義だああああっ!!」
棺桶の中からマイク越しに狂った叫び声が聞こえてくる。アタシは呆れ半分、感心半分で首を振った。
ちなみに、このレース場にいる連中は、アタシのことを「謎の最速NPC」だと思っている節がある。
いつもフルフェイスのヘルメットをかぶり、顔も素性も明かさず、ただ圧倒的なタイムで1着をかっさらっていくからだ。
『あのバイク型のヤツ、絶対開発が仕込んだ裏ボスNPCだろ』
『いや、飛行チュートリアルもクリアしてるっぽいぞ?NPCの動きじゃねえよ!』
なんて噂されているらしいが、アタシからすればどうでもいい。
アタシはただ、走りたいだけなんだから。
『シグナル、レッド……レッド…………』
電子音がサーキットに響き渡る。
アタシは走るために気持ちを切り替えた。
両脚の感覚がない?だからどうした!
アタシの意識は今、このモンスターマシンのピストン一つ、シリンダーの熱量一つと完全にリンクしている!
『グリーン!レーススタート!!!』
爆音とともに、十数台のモンスターマシンが一斉にロケットスタートを切った!
直後に巻き起こる猛烈な爆風とタイヤの焦げる匂い!
そして、最初の第1コーナー――過酷な90度ヘアピンカーブが目に前に迫る!
「行くぞおおおっ! MAGAREEEEEEEEEEE!!!!」
「MAGAREEEEEEEEEEE!!!!」
先頭を走っていた棺桶機体と、ジェットエンジン4基のバカ機体が、叫び声を上げながら猛スピードでコーナーへと突っ込んだ。
当然、過剰なオーバースピードで曲がりきれるはずもない。
「ははははっ!大クラッシュだぁぁぁ!」
「まがれねえええええええええええ!!」
壁にまっすぐ激突して派手に大爆発を起こす爆笑ものの自爆パフォーマンス。
だが、それがこのフリーレースの醍醐味だ!修理費無料の開放感に包まれたプレイヤーたちが、修理費の恐怖ゼロで限界に挑んでいる!
「無駄な減速、ヘタクソなライン取り……アタシの後ろを付いてきな!」
アタシは笑いながら、前方の爆炎を鮮やかにすり抜けた。
迫るヘアピンカーブ。
普通のプレイヤーならヘタクソな手元ブレーキを踏み込み、フットペダルをガチャガチャと踏んで姿勢を崩すところだ。
だが、アタシは違う。
ブレーキなんて踏まない。
フルスロットルのまま、脳波で機体側面の可変エア・ブレードを展開!
文字通り風を切るようなエフェクトが飛ぶ。
超高圧のスラスターを逆噴射させ、瞬間的な飛行・ホバリング用のボトムノズルを全開!
二輪のタイヤを滑らせ、車体を極限まで寝かせながらリアを流し、強引にコーナーの出口へ鼻先を向ける!
「ハハッ!この切り返しのドリフトを耐えてみな!!」
凄まじい空圧とタイヤの摩擦音が爆風となって周囲を吹き飛ばす!
路面を削り取り、半ば浮き上がりながらの凄まじい力技の横スライド。機体がミリ単位で壁を掠め、火花を散らしながら、寸分の狂いもなくコーナーの頂点を通過!
『お見事です!凄まじいドリフト!旋回速度、時速280キロを維持! 物理演算を力ずくでねじ伏せています!』
アシスタントちゃんが狂喜の声を上げる。
綺麗にラインをトレースし、立ち上がりでプラズマ・ブースターを点火!
ドカンッッ!!と、衝撃が加わる一体感。
「はーーーっ!最高ぉぉぉぉっ!!」
視界が加速のGで歪む!
後続の機体たちが曲がりきれずにモタモタしている間に、アタシのマシンは一瞬で直線コースへと躍り出た。
圧倒的な加速力。完璧なライン取り。
追いつける奴なんて、この世界に一人だっているはずがない!
そのまま残りの周回を完璧なフルスロットルで駆け抜け、チェッカーフラッグが切られる。
『1着ゴール!タイム、従来のコースレコードをさらに3秒更新!』
「ふぅーっ!気持ちいいいっ!」
大歓声に包まれる観覧席を横目に、アタシは一切の余韻に浸ることなく、マシンを素早くピットロードへと滑り込ませた。
非公式レースは参加希望者が山ほどいるテスト運用だ。1着になったからといってコース上に居座るわけにはいかない。すぐに次のグループにコースを譲り、アタシは自分の機体を臨時格納庫へと移動させた。
プシューッ……と冷却ガスを吐き出しながら、愛機のエンジンが静かにアイドリング音へと落ちついていく。
「ふう……やっぱり走るのは最高だね。足がなかろうが、風を感じられる。この世界を作ってくれた奴らには、本当に足を向けて寝られないよ」
アタシはヘルメットのバイザーを上げ、汗を拭いながら愛機のフレームを愛おしそうになでた。
『お疲れ様でした、ライダー様。冷却系統のオーバーホールを完了。次のレースエントリーまで、あと15分ほど猶予がございます。いかがいたしますか?』
「んー、そうだねぇ。今日はメンテナンス明けたばかりだし、このくらいにして引き上げようか……それとも、もう一回走ってタイム縮めてみようか……」
アタシがそんなことを考えながら、格納庫の壁に設置されたコースモニターをぼんやりと見上げた、その時だった。
『――ピンポーンパンポーン♪』
地下ドック全体に、テンションの高いアナウンス放送が鳴り響いた。
『さあさあ皆様!本日のフリーレースも大盛り上がりですが、ここでピットに驚愕のニュースが入ってまいりました!次の第8レースに、なんと――超巨大な【ニューチャレンジャー】が飛び入り参戦です!!』
「ニューチャレンジャー?」
アタシは首を傾げた。
まあ、ここには毎日、変な自作マシンを持ち込んでくる目立ちたがり屋のバカたちが集まる。棺桶の次は、巨大なタライでも転がしてくる奴でも現れたんだろうか。
『先ほど出航した星間船から直行で殴りこんできたという、その注目の機体が……今、スタート出撃用エレベーターから姿を現します! 機体データ照会……えっ!? 嘘だろ、この機体識別コードは……!!』
実況のアナウンサーが言葉を詰まらせた。
ドック内にいた他のプレイヤーたちも「なんだなんだ?」「誰が来たんだ?」と騒ぎ始め、視線が一斉に巨大なメインモニターへと注がれる。
重厚な油圧音とともに、中央の発進シリンダーがゆっくりとせり上がってくる。
そこに鎮座していたのは――
漆黒と深紅の斑模様に彩られた装甲。
流線型でありながら、圧倒的な質量感と研ぎ澄まされた刃のような凶悪さを同居させたフォルム。背部には狂気とも言える量の超小型ブースターが積まれている。空間を切り裂くような巨大な可変式高機動スラスター・ユニット。
そして、その圧倒的な存在感を放つ人型兵器の胸元には――はっきりと、その【銘】が刻まれていた。
「……え?」
モニターに映し出されていたのは。
バイク型に改造された珍妙なマシンなんかじゃない。
純正の、完璧な二足歩行形態のまま立つ――伝説の特注人型兵器。
『強襲用型カラドボルグ』。
「な……なんで……あんな本物の【軍用特注機】が、こんな草レース場に……!?」
アタシは一瞬で鳥肌が逆立った。
アタシは知っている。あの機体は、DHIBのトップPVで圧倒的な動きを見せ、今や世界中のゲーマーから神格化されている……あの『執事のフィン』の専用機だ。
そして、その機体のコックピットから放たれる、尋常ではない空気感。
シークレットモードか何かは知らないが、モニター越しでも伝わってくる、あの機体が持つ「絶対的なポテンシャル」。
『ライダー様……!』
アシスタントちゃんが、興奮と緊張で震えるような声を上げた。
『あの機体……そしてあの搭乗者……思考波の波形が、一般のプレイヤーとは根本的に異なります……!』
「……帰るなんて、撤回だ」
アタシはヘルメットのバイザーを、バンッ!と叩き降ろした。
両脚を失ってから、ずっと止まっていたアタシの心が、今までにないほど激しく、狂おしいほどの熱量で脈打ち始める。
「おい、相棒! 次のレースのエントリー、今すぐねじ込みな!!」
『了解いたしました! ライダー様、出撃準備、ただちに開始します!!』
相手が誰だろうと関係ない。
本物の怪物? 伝説の機体?
上等じゃないか!
アタシの人生は、いつだってフルスロットルなんだから――ッ!




