007 みんな落ち着いてほしい件
いよいよ配信本番の時刻が迫ってきた。
私は特設された配信ルームの椅子に深く腰掛け、目の前のモニターに映るプレビュー画面を確認する。
「よし、機材の調子、ハードウェアにソフトウェアは……問題なさそうだな」
雫と、彼女の友人が裏でどれほど血ヘドを吐いたのかは知らないが、目の前に用意されたシステムは驚くほど滑らかで、一切の遅延やノイズがない。
パソコンのセッティングも全て雫がやってくれたし、こちらでも分かる範囲で教えてもらった。
配信画面に配置されたボイスチェンジャーやアバターのトラッキングテストを入念に行う。自分の身体の動きが、画面の向こうの漆黒のローブを纏った執事風のアバター『執事のフィン』に完璧に同期していく。カメラに向かって手を動かしたり、軽く首を傾げたりしてみるが、遅延は全く感じられない。
もっとも、画面に映し出されているのはあくまでフル3Dモデルの『フィン』の姿であって、こちらの生身の肉体や華奢な体格などが視聴者に見えるわけではない。見えるのは、どこか気品をまとった漆黒の執事アバターだけだ。
……やっぱりどことなく自分に似てるけど。
「声のトーンも……このくらいでいいか」
音のボリューム調整良し!
軽く咳払いをして、低音を少し響かせた声を出す。地声のままでも通るが、少し落ち着いた大人っぽい色気を意識したチューニングにしてもらったおかげで、自分の声を聞きなおしても、耳心地がとてもいい。これなら長時間のトークでも喉を痛めることはなさそうだ。
設定の微調整を終え、いよいよ配信のステータスを「公開」へと切り替える。
画面の隅に表示された視聴者数のカウンターをちらりと見やった。
――『視聴者数:7人』
「……まあ、初めはこんなもんだよな」
そりゃそうだ。告知なんて実質ないし。
むしろこの7人はどこで知ったのやら。
私は肩の力を抜き、気負うことなくカメラに向かって微笑んだ。
「こんばんは初めまして『執事のフィン』です。今日から、この場所で少しずつお喋りしていこうと思います。……音、ちゃんと聞こえてますか?」
喋りながら、画面の端にあるコメント欄に視線を落とす。
最初は数人分の、どこか戸惑ったような、しかし恐る恐るといった様子のコメントが流れてきた。
『……え?』
『待って、本当に始まった……?』
『声、良……』
『低音やばくないかこれ、耳が溶ける』
「音質も問題なさそう。コメントもちゃんと見えてますよ。今日はテストも兼ねて、軽く自己紹介とか、これからの話をしようかなって思ってます」
そう言って、私はアバターの視線を軽くカメラの正面に向け、微笑むように表情を動かした。
その瞬間だった。
コメント欄の流れる速度が、一気に、文字通り爆発的な勢いで跳ね上がった。
『うそっ……!?』
『顔、顔良っっっ!!?』
『待って、待って無理、可愛い……いや、カッコいい……!?』
『えっ、今の笑顔なに……? 私の心臓撃ち抜かれたんだけど……』
『待ってくれ、男くんのモデルの顔が良すぎて語彙力吹っ飛んだ、助けて』
『うおおおおおっっっ!!? 妄想じゃねえのかよおおおお!ガチの本物だぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!』
画面のカウンターが、一瞬で7人から20人、40人という数字へと跳ね上がる。
あまりの勢いに、私は思わず目をパチクリとさせてしまった。
「……えっと? みんな、聞こえてる?」
戸惑いながらそう呟き、軽く首をかしげた仕草をアバターにさせたのがいけなかったらしい。コメント欄はさらなる阿鼻叫喚の渦に包まれた。
『あ、頭がっ……! 今の仕草は心臓に直撃した……っ!』
『いまの首かしげたの見た!? 尊すぎて今すぐ全財産を投げ出したい』
『可愛いとかっこいいのバグでしょこれ……全人類の保護対象がネットに降臨したぞ……!!』
「あ、ええと……とりあえず来てくれて、ありがとう?」
私がぽつりと紡いだその一言に、ネットの海は完全にトドメを刺されたようだった。
コメント欄はもはや文字として判別できないほどの弾幕と、画面を埋め尽くすほどの尊いという言葉の嵐と化していく。
(……え? なんか、想像してたより良いリアクションだな……?)
前世の記憶を思い返しても、ここまでストレートに感情を爆発させる人々の群れを見たのは久しぶりだった。
雫に無理を言って始めたはずのバーチャル配信。しかし、私の予感とは裏腹に、この世界の女性たちのハートを撃ち抜くには、ほんの数秒の笑顔だけで十分すぎたらしいのだった。
コメント欄を埋め尽くす凄まじい弾幕の嵐を眺めながら、私は冷や汗を拭う代わりに、アバターの表情を落ち着いたものに整えた。
「ええと、みんな、ちょっと落ち着いてコメント欄を流してほしいかな。文字が流れる早さで目が回りそうだよ」
私がそう苦笑しながら告げると、画面の向こうでは
『落ち着けるわけがない』
『今の苦笑いプライスレス』
『声が良すぎて呼吸困難になる』
といったツッコミがさらに加速した。
「ふふっ、ありがとう。音も映像もちゃんと届いてるみたいで何よりだね。今日は初配信だから、これからの活動方針について軽く話しておこうかなと思う」
私は軽く姿勢を正し、カメラに向かって淡々と語り始めた。
「今後の活動だけど、基本的にはこの部屋からまったりと雑談したり、あとはゲームをしたりする配信がメインになるかな。男ってほら、外を自由に歩けない事情もあるからさ、こうしてネットの向こうでみんなと喋るのが主な日課になると思う」
コメント欄には
『ゲーム配信!? 一緒にできるの?』
『雑談だけでご飯三杯いける』
『引きこもり設定すらも最高に気高い』といった歓声が飛び交う。
「それと、まあ……生活していく上での自立というか、自分の力で何かを稼ぐ仕組みも作っていきたいからさ。ゆくゆくは、ちゃんと収益化も目指して頑張ろうと思ってます。……まあ、始めたばかりだし、今のところは投げ銭みたいな機能はついてない仕様なんだけどね。収益化まだだし。追々、システムの準備ができたら解放されると思うから、気長に待っててくれたら嬉しいかな」
その言葉を聞いた瞬間、コメント欄の空気がガラリと変わった。
『投げ銭……!?』
『金を払わせろ!!!! 私の財布から勝手に引き落とせ!!!』
『無課金でこのクオリティの神配信を浴びていいのか……? 逆に罪悪感で死にそうなんだが』
『クレカの情報を入力させろって言ってるんだよぉぉぉおおおおっ!!』
『貢ぎたいのに貢げないもどかしさで今夜は眠れそうにない』
「あはは、そんなに慌てなくても逃げたりしないって。お金のことはおいおい考えるとして、まずはこうしてまったりお喋りできる環境を楽しもうよ」
私が苦笑しながら言うと、コメント欄では『推しに金を使えない世界線なんてクソだ』『無銭でこんな尊いものを摂取して申し訳ない』
『早く課金させてくれ』といった、前代未聞の悲鳴と歓声が入り交じる異常事態となっていた。
「それと、さっきから『声の加工がすごすぎる』とか『地声はどんな感じなの?』ってコメントをいくつか見かけたんだけど……」
私は少しだけ喉元に手をやる仕草をアバターにさせる。
「ボイスチェンジャーは一応使ってるよ。ほら、ずっと喋ってると喉を痛めやすい体質だからさ、そのへんのケアの一環としてね。無理して変な声を出してるわけじゃないから、安心して聞いてほしいかな」
――その瞬間、全ネットの女性たちの思考が数秒間停止した。
『……は?』
『なるほど、ボイチェン……?』
『え、待って、じゃあ今の低音ボイスは喉を痛めないための安全措置……!?』
『待て待て待て、それってつまり……地声はもっとヤバいってこと……!?』
『私の脳の処理能力が追いつかない、全人類の急所を抉る気かこの執事はぁぁぁぁぁぁっっっ!!』
コメント欄のパニック具合を見て、私は首をかしげた。
というか、なんか全体的にみんな思考がうまくまわっていないような。
「え? そんなに驚くことかな。喉のケアって大事だよ? ちなみに僕、今の普段の趣味はもっぱら体を動かすことだし、意外と健康優良児なんだ」
『趣味が運動……!?』
『待って、執事くんの解像度が高すぎてしんどい』
『運動しててそのスマートさは反則だろ!!あ、vだから見た目は普通なのか?(困惑』
『信じられない、私の知っている現実はいったいどこへ行ったの……』
「いや、本当に普通にトレーニングとかしてるんだけどなぁ……。みんな、そんなに信じられないものかな?」
首を傾げて苦笑する私の姿は、画面の向こうの住人たちにとって、とんでもなくダメージを与えていたらしい。
こうして、バーチャル執事『フィン』としての初配信は、予想をはるかに超えた大混乱と大歓喜の渦に包まれたまま、和やかな(?)初日を終えていくのだった。
差しかえわからなかった。かなc。頑張れパソコン君。コーヒーこぼしてもめげないで。。。。




