006 思ってたより大変な件
四方を頑丈なセキュリティに囲まれた薄暗い一室。
モニターのブルーライトが、不気味に青白く空間を照らし出している。
ここは、業界屈指の某ゲーム会社の開発の一室にして個人の家。
天才プログラマーが住まう、まるでの牢屋の様な場所。
――一二雫の友人、平賀あずさの作業場であった。
あずさは乱雑に積まれた仕様書の山と空の缶コーヒーの山に囲まれ、愛用のキーボードを凄まじい勢いで叩いていた。
そこに、激しいノックの音が響く。
「あずさ。開けなさい」
「鍵は開いてるよ。って、なんだ雫かよ。相変わらずその漆黒のロングメイド服、趣味が重すぎて引くわ」
呆れたように振り返ったあずさの視線の先で、一二雫は、いつも通り完璧なカーテシーをみせながら、部屋に足を踏み入れた。
その銀縁メガネの奥は、異常な熱量の光を放っている。
「あずさ。あなたに、今世紀最大にして、宇宙の歴史を塗り替える重大な依頼があるの」
「また始まったよ。お前がいつもネットで垂れ流してる『うちの主様は世界一尊い』系の妄想ポエムの続き? 私、今、会社の大型タイトルのデバッグでそれどころじゃないんだけど」
「妄想ではない。真実よ」
雫は一歩も引かず、ずずいっとあずさに歩みよった。
「我が主、比良彰様が――電脳世界へ降臨されることになった」
「は……? ちょっ、ちょっと待って。お前、まだそんなこと言ってんの?比良様? 電脳世界?配信でもするのか?」
あずさは呆れ返ったように大きく息を吐き、椅子に背中を預けた。
「いい加減にしろよ、雫。お前が『どこかの富豪の屋敷で完璧なメイド長をやっている』って設定、最初はウケ狙いの奇抜なキャラ作りだと思ってたけど、ここまで長期間だと逆にホラーだからね。どうせ実家で引きこもりながら、妄想の中で高貴な主様に仕立て上げた近所のだれそれくんか何かを愛でてるんだろ? 会社でも『またあの妄想絵師がテキスト欄でヤバいこと書いてる』ってネットでもちょっとした有名人だぞ。そろそろ現実見なよ、病院行くか?」
あずさの冷ややかなツッコミにも、雫は微動だにしない。むしろ、その冷徹なまでの真剣な眼差しが、いっそう鋭さを増していく。
「あずさ。私は一度たりとも、主様に関して嘘をついたことはない」
「いや、お前のSNSのイラストは神がかってるのに、説明欄を開くと一瞬で精神科送りレベルの怪文書になるから『妄想先生』ってあだ名ついてるんだよ!? 脳内設定の解像度が高すぎて怖いよ!」
「世間が我が主の真の尊さを理解できていないだけ。今回は実際に配信を行うし準備はすでに進んでいる。だからプログラマーであるあなたの技術が必要」
「はいはい、妄想乙。そんなに言うなら、その脳内の主様の配信準備の画面でも見せてみなよ。どうせお前が自作したイラストとかだろ? ゲーム会社の技術ナメんなよ」
「ふっ……。愚かね、あずさ」
雫は冷笑を浮かべると、スマホを操作し、さらに別の一枚の画像ファイルを開いた。
「自分の目で見るがいい。我が主の、あまりの高貴さと気高さに魂を抜かれないよう、心して視線を合わせろ。あと、はじめて写真撮らせてくれたからもう死んでもいい気分」
「はいはい、見ればいいんでしょ、見れヴぁ――」
あずさは面白半分でスマホの画面を覗き込んだ。
次の瞬間、あずさの時間は完全に停止した。
画面に映っていたのは、専用の試作スタジオでトレーニングの合間にふと横を向き、どこか気だるげで涼やかな視線をこちらに投げかけている少年の姿だった。
思わず創作物かな?完成度たけーなおいっ!と呟いてしまうほどに。
顔から首にかけての汗が滴るラインがとても良いという言葉だけはどうにか口にはしなかった。
華奢でありながら引き締まり始めた完璧な少年のボディライン。整いすぎた顔立ちに、大人の様な落ち着きが絶妙に混ざり合った、圧倒的な「本物」の気配。それは、ゲーム業界で数々の3Dモデルや美麗なキャラクターを見てきたプログラマーの目から見ても、生半可な創作など足元にも及ばないほどの、現実離れした存在感を放っていた。
「…………は?」
あずさの口から、間抜けな声が漏れた。
彼女の手から、愛飲していたコーヒーのカップがポトリと床に落ち、茶色い液体が床に広がっていくが、それすらも気づく様子がない。
「…………は?」
思わず二度見。
嘘だといってよと目で訴えるが、雫はふふんと満足げである。
「うっそだろ、お前……!?」
あずさの顔から血の気がスーッと引いていく。
彼女はゲーム会社のプログラマーとして、数々のCG、そしてフェイク映像、画像の仕組みを熟知している。それが本物か偽物かを見抜く目は、誰よりも肥えている。
だからこそ、理解してしまった。この画像が、一切の加工も合成もない、生身の現実を切り取ったものであるということを。
「な、なんだこれ……本物……? おい雫、これ、ガチの男くんか……!? 写真だよねこれ!? え、こんな子がこの世に実在してんの……!? いやまて、お前、本当にどこかの屋敷のメイドやってたの……嘘だろおい!?」
さっきまでの余裕はどこへやら、あずさは椅子から転げ落ちる勢いで立ち上がり、スマホにすがりついた。その目は血走り、冷徹なプログラマーの面影は完全に消え去っていた。
「そう。これが我が主、比良彰様であられる。素敵でしょ……」
「うっそだろお前……! なんでこんな、妄想をひっくり返すレベルの爆弾を、お前はしれっと語ってるんだよ!? 」
「だからこそ、あなたの持つ世界最高峰の技術力による鉄壁のセキュリティが必要なの。あずさ、比良彰様は配信をしたいらしいの。あなたも我が主の電脳世界への降臨を、この手で支える栄誉に浴したいとは思わない?」
あずさは激しく頭を抱え、自分の髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
脳内で凄まじい計算とリスク管理がオーバークロック状態で駆け巡る。こんな危険すぎる案件に関われば、一歩間違えれば何が起きるかわからない。普通なら即座に断るべき案件だった。
だが――。
あずさの網膜には、先ほど見たばかりの、あの少年の姿が焼き付いて離れなかった。男自体の希少性は言うまでもなく、あの気だるげで儚い美しさは、プログラマーとしての知的好奇心を底知れぬ深みへと引きずり込んでいた。できるなら会ってみたいし話してみたい!
「くそっ……!」
あずさは激しく歯を噛み締めると、自分の頬を両手でパチンと強く叩いて気合を入れた。
彼女の表情が、プログラマーとしての冷徹な仕事モードに切り替わる。
「……良いよ。わかったよ! やってやろうじゃねえか!」
「そういってくれると思ってたわ」
「正気かよって自分でも思うけどさ……あんなもん見せられたら、血が騒ぐってレベルじゃねえよ! 知る限りで最も強靭で、かつ誰も追跡できない特設配信プラットフォームを、この私があらゆる技術の粋を集めて構築してやるよ!」
あずさはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、キーボードの上に両手を構えた。
「で、配信はいつだ?」
「十日の午後19時♪」
「はあ!? 十日っておい、準備期間が八日しかないじゃねえか!! なんでもっと早く言わないんだよ馬鹿野郎!!」
「仕方ないでしょ。我が主の思い立たれたタイミングが、即ち宇宙の絶対真理なの! あとvのモデリングで死ぬかと思ったわ。イラストと3Dモデルはできてるから褒めて!」
「 褒めねえよ! ちくしょう、こうなったら 自社サーバーの裏使って負荷分散と、リアルタイム演算、あとボット対策と……!」
あずさは猛烈な勢いでキーボードを叩き始め、モニターの文字が滝のように流れ出していく。
こうして、周囲から「妄想絵師」と笑われていた一二雫の現実離れした日常は、ゲーム会社の天才プログラマー・あずさを本気で巻き込み、『フィン』の伝説の初配信に向けた、プロジェクトへと発展していったのだった。




