058 冗談も言い合える関係になってきた件
配信の視聴アプリを閉じ、ふうと息をついたその直後だった。
ノックをして整えられた動作で、ドアがスッと開く。
そこには、無表情ながらも涼やかな気配をまとった雫が立っていた。
「失礼いたします、彰様」
雫は手際よくお盆を進め、温かいハーブティーのカップを私の机の上にそっと置いた。その完璧な所作に感心しつつ、私は湯気に視線を落とす。
「雫。ちょうどいいところに来たね」
「はい。長々と画面越しに、なにやら大変にお忙しそうにしていらっしゃいましたが……。また奇妙なネットの海で、何か面白いものでもありましたか?」
相変わらずの心配のされ方だな、と思いながら私はカップを手に取った。
しかし、今日の私は一味違う。なんせ、インターネットの荒野で初めての『お友達』ができたのだ。
「いや、別に。それに、奇妙なものなんて見てないよ。……実はね、友達ができたんだ」
その言葉を発した瞬間、部屋の空気がわずかに、しかし確実にピタリと凍りついた。雫の動きが、ほんのコンマ数秒だけ停止する。
「……友、だち、でいらっしゃいますか?」
雫の視線が、じっと、それはもう冷徹なまでの観察眼で私を射抜いてくる。
「うん。友達ができたんだって。Vチューバーのシンディっていう面白い子だったんだよ」
「ほう……」
雫はわずかに目を細め、いつもの丁寧な物腰に戻って問いかけてきた。
「差し支えなければ、その『シンディ』様とやらの詳細をお伺いしてもよろしいでしょうか。どのようなお方で?」
「あぁ、それがね……」
私は先ほどまでの経緯を、面白おかしく雫に語って聞かせた。
殺風景な荒野でひたすら石を積み上げるだけの地味なゲームをしていること。応援してた三人組が面白かった事。そして、ひょんなことから一緒に協力モードで石を積み上げ、四段目を完成させて大はしゃぎしたこと。
「――それでさ、なんだか意気投合しちゃってね。お互いといっても、こっちは連絡用のSNSアカウントでフォローさせてもらったんだよ。……あ、そういえば雫、ちょっと気になってたんだけどさ」
私はそこまで話して、ふと疑問に思っていたことを口にする。
「僕が使ってるこのアカウントって、別に誰をフォローしても勝手に他の人に見られたりはしないよね?」
雫はわずかに眉をひそめ、ビジネスライクな、しかしどこか呆れたようなトーンで淡々と解説を始めた。
「その点につきましてはご安心ください、彰様。そもそも、SNSのシステムにおきましては、彰様のご登録情報はどちらの公式用、非公開用であっても『男性』として厳格に管理されております。そのため、プライバシーの保護に関しては万全を期す仕様となっておりますよ」
「ふむふむ、なるほど」
そういって、私は温かいハーブティーを一口のむ。
「具体的に申し上げますと、男性側のアカウントから誰をフォローしているかというリストは外部からは一切表示されません。外から確認できるのは、アイコンの見た目と、『極めて抽象的な数字』のみとなっております。逆に、女性側のアカウントから誰かをフォローしている場合は一覧に表示されることもございますが、相手が男性側である場合に限り表示されません。本人同士でしかその繋がりを確認することはできない仕組みになっております」
なるほど、よく出来ている。私は感心してうなずいた。
「へぇ、流石にセキュリティがしっかりしてるね。男女のトラブルを防ぐための配慮ってわけか」
「左様でございます。これは男性も女性も、それぞれのプライベートと安全を守るために極めて厳重に構築されたシステムですので……まぁ、もっとも」
雫はそこで言葉を区切り、ふっとわずかにため息をついた。
「そもそも、その様な厳重なシステムが存在していたところで、このSNSに『男性』が登録して活動している例など、現在ではほとんど存在しないのですが」
「……ん?」
私は思わずカップを置く手を止めた。いま、サラッと聞き捨てならないことを言われなかったか?
「ちょっと待って、雫。いま『登録している例がほとんど存在しない』って言ったかい?」
「はい。正確に申し上げますと、『ほとんど』ではなく、『ゼロ』に等しいかと」
「えっ……じゃあ、僕しかこのSNSに登録してないってこと!?」
私の驚きように、雫は涼しい顔でうなずいて見せた。
「過去には、好奇心旺盛な男性が物珍しさで登録した例も、ごく稀にはございました。ですが、皆様口を揃えて『居心地が悪すぎる』『周囲からの視線が痛い』と仰り、すぐにアカウントを削除して去っていかれました。現在、このプラットフォーム上で男性のアカウントを維持し、実際に稼働させているのは、私が知ってる限りでは彰様お一人だけかと存じます」
このSNSで私一人!?
私は思わず自分のスマホを二度見した。そんなレアすぎる環境で、私はさっきまで平然と一般の配信にコメントを飛ばし、あの三人組とシンディとでフレンドリーに交流していたというのか。冷や汗が一気に背中を伝う気分だ。やはり男性の発言は気をつけないと。
「そ、そうだったのか……。なんだか悪い事しちゃったかな」
私のそんな動揺を見て取ったのか、雫はふっと目を細め、どこか営業用スマイルめいた、しかし妙に真剣な表情を浮かべて私の前に一歩歩み寄ってきた。
「ふふ、知り合いがお一人だけだなんて、なんだか少し寂しそうですね、彰様。……でしたら、よろしかったらで構わないのですが」
雫は胸元に手を当て、しおらしく、しかし圧倒的な圧を感じさせる微笑みを向ける。
「是非、私のSNSアカウントもご登録いただき、お友達リストに加えていただけないでしょうか?いつでも、彰様のデジタルなご動静を、この私が一番近くで全肯定、もとい見守らせていただきますが」
「いや、それはいいかな」
私は即答した。一秒の迷いもなかった。
だって、相手はあの雫である。彼女がネットの海でどんな怪文書を垂れ流すか、想像しただけでも夜も眠れなくなる。
「……は?」
その瞬間、雫の全身から溢れていた気品と余裕が、きれいさっぱり消え去った。
彼女は自分の耳を疑うように、数瞬まばたきを繰り返す。
「い、いま……『いいかな』と仰いましたか、彰様?」
「うん、だから、遠慮しとくよ?」
「なっ……! なぜでございますかっ! 私のアカウントを登録することがそんなに不服でいらっしゃいますか!?主従の絆をデジタル空間においても深める絶好の機会ではありませんか!」
珍しく雫が取り乱している。普段の涼しげな鉄仮面はどこへやら、彼女の端正な顔立ちは驚愕と不満で歪んでいた。
しかし、私が拒絶するのには、それ相応の理由があるのだ。
「いやだってさ……」
私はやれやれといった風に首を振る。
「雫のアカウントって、たまに何を言ってるのか分からないから怖いんだよ。タイムラインの隅っこで急に意味不明な呪詛みたいなポエムをつぶやいてたり、僕の行動を全自動で実況監視してそうなプレッシャーを感じるし。そんなのと繋がったら、僕の精神的安寧が秒で崩壊するよ」
それを聞いた瞬間。
雫は、まるで雷にでも撃たれたかのようにその場でガクッと膝を折る……ことはなかったが、全身の力が抜け落ちたかのように大きくよろめいた。
「そ、そんな……っ! 私のデジタル上での忠義と愛情表現が、彰様にとっては『嫌悪感』があると……!?」
「うん、めちゃくちゃ怖い。ホラー映画より直球で怖い」
「ひどい!あんまりでございます、彰様!私はただ、主様のネットリテラシーと交友関係を24時間体制でバックアップしつつ……ではなく、熱烈なフォロワー第1号になりたかっただけなのにっ!」
「そうだね。妄想と欲望が、だだもれだもんね」
後半の言葉が盛大に危険な方向に滑り落ちていたが、私は華麗にスルーすることにした。なんだかんだ、雫は喜んでるっぽいんだよね。何となく扱いが分かってきた。
このメイドはどう転んでも楽しんでいると。
まあ、それはそれで面白いんだけど。
私は少し残った温かいハーブティーを一気に飲み干す。
「はいはい、お仕事してお仕事。お茶ごちそうさま、美味しかったよ」
「ま、待って下さい彰様!まだお話は終わっておりません!私のフォロワー権限について徹底的な議論を――!」
雫の悲痛な叫びを背中で聞き流しながら、私はスマホをポケットにしまい、何食わぬ顔で配信部屋の方に移動するのであった。
――こうして、私の穏やかで賑やかな一日は、今日も元気に平和な方向へと暴走していくのであった。




