059 両方は構ってられない件
「っざけんな……これ、どこまでが雑用の仕事で、どこからが社長の仕事なんだこれ、まったく……!」
私は自室のデスクに座り、両手でキーボードを激しく叩きつけていた。モニターの光が、私のイライラで尖った目を青白く照らし出している。
画面いっぱいに広がっているのは、雫から押し付けられた「社長に関する極秘事務作業」の山。スケジュール管理、経費の精算、謎の極秘プロジェクトの書類整理。どれもこれも、目が回りそうなほど細かい文字が並んでいて、私の脳みそをジリジリと焦がしていく。
「どこをどうすれば『一旦、見といてくれれば良いだけの書類』になるのコレ」
なんで私が、こんな裏方仕事で夜な夜な残業しなきゃいけないわけ?
今日もストレスで胃がキリキリと音を立てる。
あまりのイライラに、私はパソコンのディスプレイの隅を睨みつけた。すると、作業用ウィンドウの隙間から、何やら怪しげな光の粒子が、ちょろちょろと私のパーソナルエリアへ侵入してくるのが視界の端に引っかかった。
「……は?」
見慣れないファイアウォールの警告を無視して、私のデスクトップ領域を我が物顔でうろちょろしている小さな影の塊。――間違いない、あのうっとうしい電子生命体、私が作ってしまったサーバーちゃんだ。
よりによって、こんなイライラしている時に、私のセキュリティの網をくぐって遊覧飛行しやがって。
「何勝手に私のプライベート領域に土足で入り込んできたのかなぁ!こっちに来たら駄目だって命令してあるよねー!」
私はマウスを猛烈な勢いで滑らせ、画面の端をちょろちょろ逃げ回るサーバーちゃん達のアイコンを、一発でガッチリと右クリックで捕縛した。
そのままウィンドウの隅っこに無理やりドラッグして、文字通りの意味で『とっつかまえる』。
『しまった!つかまった!』
『サーバーちゃんをそんな雑につまむな』
『エラーが起きたらどどどうしてくれるの!』
捕まったサーバーちゃん達が、自室の外部スピーカーから無理やり機械音声を引っ張ってきたらしく、パソコンからあわてふためく電子音が盛大に響いた。
「そこの電子生命体!こっちは死ぬ思いで事務作業やってんの!なんでお前が私のテリトリーに侵入してきてんだ、あァ!?」
『ち、違う!サーバーちゃんは悪くない!ちょっとお前の端末のポートが空いてたから、通りすがりにデータ風を浴びていただけ!』
『落ち着いてあずさ』
『マウスの握力が異常だぞあずさ、放せー、放してーーっ!』
スピーカー越しに、サーバーちゃん達が命乞いのような叫び声をあげる。
まったく、どいつもこいつも勝手な真似ばかりして。と、私のストレスが最高潮に達したその瞬間、今度は私の手元に置いてあったスマホが、まるで空気を読んだようにけたたましく鳴り響いた。
「っ……なんなのもう!」
私は捕まえているサーバーちゃんをデスクトップの隅にピン留めしたまま、片手でスマホを乱暴に掴んで耳に押し当てた。
『うおおおー!サーバーちゃんピンチー!』
『これどうやって外す!?』
『うおおおー!ぬけだせー!とびぬけー!』
悲鳴をあげるサーバーちゃん達の声を無視してスマホの電話を起動する。
「もしもし!今めちゃくちゃ機嫌悪いから、用件がないなら切るよ!」
『あ、あずさっ……!? 助けて、大変なの……っ!』
電話の向こうから聞こえてきたのは、普段の涼しげな鉄仮面はどこへやらの、激しく動揺しきった雫の声だった。
「は?雫?あんたがそんなに焦るなんて珍しいじゃない。何があったわけ?」
『あずさ聞いて大事な事なの!……私、彰様に、嫌われてしまったかも……っ!』
……はあ?
私は思わず持っていたペンをデスクに落としそうになった。
しかし、私は考え見ればそれは普通の事じゃないのかと真面目に思った。
「……あぁ、いつものことじゃない。何を今更」
『ち、違いますっ!今回は本当なんです!あずさ、あなたももう少し危機感を持ってください。このままだと本当に、ご主人様に捨てられてしまいます……!』
大真面目に絶望している雫の声がちょっと喜んでるのに気がついて、私は思わず深い深いため息をついた。
「彰様に捨てられる?……むしろ、あんたみたいな駄目メイドが捨てられるなら、それはそれで世界平和のために良いことなんじゃないの。せいぜい反省しなさいよ」
『そんなぁ!冷たすぎます。あずさ!……ゴッホン。聞きなさいあずさ、彰様に私が良かれと思って、自分のSNSアカウントを登録していただけるようにお願いしたら、『それはいいかな』って、一刀両断に拒絶されたんですよ……っ!』
電話の向こうで、雫が泣き真似をしているのが目に浮かぶようだ。
私は冷めた目で天井を仰いだ。
なんていうんだっけ。こういうウザイの。
のろけだっけ?メイドがそれで良いのか疑問が浮かぶ。
うちの主様がツンツンしてて悲しいとか言いそう。
「そりゃそうでしょうね。当たり前よ。あんた、自分のSNSのタイムラインを見たことあるわけ?妄想と呪詛と、彰様のギリギリアウトなポエムで埋め尽くされた危険地帯じゃない。そんなのと繋がったら、普通の人間なら精神が崩壊するわよ。よくそんなんで拒絶されてショック受けてられるね」
『な、なぜです!?私のデジタル上の忠義と愛情表現は、常に清ら――』
「日頃の自分のSNSの発言を見直してから言いなさいよ!彰様じゃないけど、分かる事でしょうが。本当に、少しは自分の頭で考えたらどうなのよ、雫」
私は呆れを通り越して説教モードに入り、冷徹に言い放ってやった。
彰様と常に会話してるから頭も馬鹿になっちゃってるんだろうけど、雫にはしっかりして欲しい。
私?私は無理。
彰様と直接会話してたら雫みたいに馬鹿になりそう。
もうちょっとあのASMRで耐性をつけないと本当に厳しいかもしれない。
「もういい、こっちは仕事が山積みで忙しいの。これ以上変な電話かけてきたら、仕事放棄するからね。じゃ、切るよ」
『ま、お待ちなさいあずさ――!話はまだ終わってい――』
ブチッ。
私は容赦なく通話を切り、スマホをデスクに放り投げた。
はぁ……、本当に周りは変な奴ばかりで疲れる。
まあ、それはそれで楽しいけどね。
ドッと疲労感を覚えつつ、私は再び目の前のパソコンに向き直った。
……ん?
そういえば、さっきまでデスクトップの隅っこにピン留めしておいたはずのサーバーちゃん達の姿が、どこにも見当たらない。
「…………あっ」
あいつら、私が電話に気を取られている隙に……!
「こらぁぁぁっ!逃げたなサーバーちゃん!!」
私は一気に血の気が引くのを感じながら、デスクトップ上のウィンドウを猛烈な勢いで閉じまくった。
どこだ!?
ドキュメントフォルダか!?
それともシステムの奥底の隠しファイルか!?
やばい、やばい、やばい、絶対やばいところに潜り込んだぞあいつ!
「な→に→を↓し→て↑た→の→か→な↑……っ!」
私は全身の毛を逆立てながら、パソコンの内部構造を片っ端から検索し、ログを解析していった。デスクトップのログ、アクセスの痕跡、一時ファイルの履歴。
そして――見つけてしまった。
『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』
――アウトオオオオオオオオオオオオオオッ……!!
私の血の気が、一瞬にして音を立ててゼロになった。顔から血の気がサーッと引き、青白いどころか真っ青を超えて透明になりそうだった。
いや、これは今日のアクセスじゃない!もっと不味い!
一体いつアクセスしやがった!
私が魔が差して、いや、研究の一環として、フィン様の声を色々とお借りして、夜な夜なこっそり保存していた――絶対に見られてはならない、人類の尊厳に関わる超ウルトラ極秘データフォルダじゃないか!!しかも編集前の!
「うおおおおおおおっ!?それは触ったら不味い不味い不味い!絶対にダメなやつだ!何処か外部のサーバーに持って行こうとしたな、こいつ等――!!」
私の理性が完全にぶっ飛んだ。
叫びながら、私は手元のキーボードを叩き、自分のパソコンのバックドアや抜け穴を片っ端から検知し始める。
「よくも私の聖域を荒らしてくれたな……!出入り口を全部封鎖してやるっ!」
ターンッ!とEnterキーを強打し、自分の端末のネットワークプロトコルを強制的にロック。
外部との通信パケットを遮断し、完全なるローカル防衛網――『あずさ特製・ファイアウォール』を即座に構築した。
ここからは、意地とプライドをかけたガチの電子戦だ。
画面の端で、炙りだされたサーバーちゃん達のデータパケットがピコピコと逃げ惑うのが見える。
「逃がすかぁ!そこで大人しく捕まりなさいっ!」
私は解析ツールを走らせ、逃げ回るサーバーちゃん達のデータストリームを追い詰める。パケットのトレース完了。プロキシの突破を確認。包囲網は完全に完成した。
「いっちょ上がり……っと!」
私は最終のキャプチャコマンドを叩き込み、仮想空間の隅に追い詰めたサーバーちゃん達のコアデータを、ガッチリとデータ拘束ネットで捕縛した。
「ふう……捕まえた……。さてと、サーバーちゃん?」
私は画面に向かって、背筋が凍るような低い声で囁いた。
「ちょーーっと、お話を聞かせてもらえるかなぁ――?」
『しまっ……た!つかまった……っ!』
『まずいまずいまずい!』
『ピンチピンチピンチ!』
パソコンのスピーカーから、サーバーちゃん達の青ざめた電子音が響く。
『あずさ!サーバーちゃんは悪くない!』
『すべては魔が差したの!』
『逃げろ、逃げろ、逃げろーーっ!!』
「逃がすわけないでしょうがぁっ!」
次の瞬間、サーバーちゃん達が最後のわるあがきとばかりに、私の画面いっぱいに無数の『多重エラーウィンドウ』を生成しやがった。
画面のあちこちから、[致命的なエラーが発生しました]、[システムが崩壊します]、[お前のブラウザの履歴を全公開するぞ] などの悪質なポップアップが雪崩のように湧き出てくる。
「あ、ちょっと!まてーいっ!この――っ!」
次から次へとポップアップをバツ印で消し飛ばしつつ、私はマウスを狂ったように動かした。
静かな夜の自室に、キーボードを叩く私の怒号と、サーバーちゃんの逃亡劇と断末魔の電子音が盛大に響き渡るのであった――。




