055 深淵をのぞく時、深淵ものぞいてる件
リビングの窓を打つ雨音は、いつの間にかすっかりと静まり返っていた。
曇天の隙間から、うっすらと白んだ光が差し込み始めており、重苦しかった空気はいくらか和らいでいる。雫が何かをしに引っ込んでいるこの隙に、私はソファに深く腰掛け、手元のスマホに視線を落としていた。
「さて……他のVチューバーは、いったいどんな配信をしてるものかな?」
私はSNSのアプリからVチューバーたちの生放送を覗いてみることにした。この世界の配信カルチャーというものを、少しは知っておいたほうがいい気がしたからだ。
しかし、いざ他のチャンネルを開こうとして、私は最初のトラップに引っかかった。
「ん……?なんだこれ」
どうやらこの世界の配信サイトは、匿名での視聴という概念が基本的には存在しないらしい。何かのアカウントと完全に紐づけられており、コメントをしようものなら自分のIDががっつり露出する仕組みになっているらしかった。
(……待てよ? じゃあ、普段私が『フィン』として配信しているとき、画面には視聴者たちの名前はなかったよね?)
気になって調べてみると、驚いたことに、フィン様の配信チャンネルにおいては、システム側が気を利かせているのか、あるいは別の何かなのか、視聴者たちの名前やアカウントネームが一切合切「非表示」になる特殊仕様になっていた。みんながフラットにコメントできる仕様だったらしい。
「へぇ……。じゃあ、他の配信を覗くときは、ちゃんとしたアカウントで見に行かないといけないわけか」
私は自分のサブ用というか、情報収集用の一般SNSアカウントに切り替え、再び配信一覧へと戻った。ざっと並ぶサムネイルのなかで、一際異彩を放つ画面が目に留まった。
「……なんだこれ」
タイトルも特にない。画面に映っているのは、殺風景な荒野の真ん中で、ひたすらごつごつとした岩や石を積み上げるゲームをしている一人の女性VTuberだった。
銀色の長髪はボサボサで、顔を覆うように垂れ下がり、その下にある目の下には、絵の具を塗りたくったような凄まじい隈が刻まれている。画面の向こうの彼女は、マウスを握りしめながら、画面の石が崩れるたびに「ぅぅ……」と陰鬱な唸り声を上げていた。
ひたすら石を積んでは崩れ、崩れては絶望する――まるで古代の刑罰のような苦行を、彼女は黙々と一人で繰り返している。
なんだっけ、地獄でこんなのあったよね。
賽の河原だっけ。
「……すごいな。なんだこのダークな雰囲気」
物珍しさに惹かれた私は、そのままスマホの画面をタップし、その配信の視聴者ルームへとひょっこり入り込んだ。
その瞬間。
「ひっ!?」
画面の向こうで、それまでもくもくと石を積み上げていた銀髪のお姉さん――シンディが、盛大に肩を跳ねさせた。
このときの私は知らなかったのだが、彼女の配信はいつも、常連の固定客である3人しか基本おらず、しかも彼女達はチャット欄で静かに見守るタイプだったため、シンディ自身も「今日もいつもの3人」と油断しきっていたらしい。
そこへ、急に見慣れない新しいアカウントがピコンと入室してきたものだから、驚きすぎてマウスが狂ったらしい。
積み上げていた石の塔が、ガラガラガラ――ッ! と音を立てて盛大に崩れ去った。
「あ、あわわわ……っ!」
シンディは激しく動揺し、両手で頭を抱えて机に突っ伏した。
すぐに「い、今の見なかったことに……!」とでも言うように、何食わぬ顔で再びマウスを掴み、何事もなかったかのように石を拾い上げ始めた。
しかし、手元がブルブルと盛大に震えている。明らかに動揺が隠しきれていない。
「ええと……大丈夫かこれ」
私がスマホの画面越しに首を傾げていると、彼女はぼそぼそと、まるで呪文のように呟き始めた。
「……ふ、ふふふ……。ふひひひ……」
口癖なのだろうか。闇を抱えたような乾いた笑い声が、スピーカーからジリジリと響いてくる。なんだろう。面白い子ではあるな。
チャット欄では、数少ない常連の視聴者たちが、一斉に慌てふためき始めた。
Misfortune『大丈夫かシンディ!』
Friday『石を崩したショックで精神が崩壊してるよシンディ!』
Nobody『いつもよりも気持ちが荒れてるよシンディ!落ち着けシンディ!』
画面の向こうの彼女は、ひたすら石をマウスで掴んでは縦に積み上げようとしている。だが、焦っているせいで2段目ですでにグラグラと揺れていた。
私は、ほんの出来心だった。
スマホの画面に表示されたコメント入力欄に、指を伸ばし、何の気なしに文字を打ち込む。
kojinyou_fin『なんで石を積んでるのですか?』
ポンとタップしてそのコメントが右下のチャット画面に表示された。
「ひぎっ!?」
その文字を見た瞬間、シンディは盛大にキーボードに頭を突っ込んだ。
見事に、せっかく積みかけた石が再びガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
「あ、あわわわわ……し、新規の……新規の方が……!」
シンディはコメントを読んで一瞬慌てる。
それでも、あわてた姿勢を正し、最初から石を積み直す作業に戻った。
「ご、ご新規さん、いらっしゃい……。こ、ここは、そういうゲームだからね。ただ石を積むだけ。ひたすら、高く、高く石を積むだけなんだよ……ふふふ……ふひひひ……」
そのあまりにも乾いた、底知れぬ狂気を感じさせる歓迎の言葉に、私は思わずスマホを持つ手を止めてドン引きした。え、本当にそれだけなの?拷問か何かか?
しかし、チャット欄の常連たちは、この状況に慣れっこなのか、あるいは新しい視聴者が怖がって逃げないようにするためなのか、一斉に猛スピードでフォローのコメントを流し始めた。
Misfortune『新顔かな?力抜けよ、びびらないびびらない』
Friday『素人は4段いければ良いほうだから』
Nobody『このゲーム、ただ石を積むだけなのに妙に奥が深いんだよ。シンディはこれでも縦積み10段までいけるツワモノだからな』
Nobody『今やってるのは、一番難しい「たて積みモード」。ほらシンディ、新規さんが見に来てくれてたぞ!ちゃんと挨拶!』
視聴者たちの必死のフォローとパス回しを受け、シンディはごくりと喉を鳴らし、掠れた声で私に向けて言葉を絞り出した。
「ふ、ふふ……。石積み三年、地味なVチューバーのシンディです……。い、以後お見知りおきを……ふひひ」
その健気なのか不気味なのか分からない自己紹介に、チャット欄がさらに補足を入れる。
Misfortune『たまに情緒のネジがぶっ壊れるけど、中身はいい奴だから許してやってね』
Friday『昔は「しんでいい」って名前を、「シンディ」までに改変させて我々で手塩にかけて成長させたんだ』
Nobody『誇っていいぞ、シンディには私たちがついているからな』
画面越しにそのやり取りを眺めながら、私は世の中には色んなタイプの配信者がいるもんだな……と、変なところで感心してしまった。
なんとなく気になったので、私はさらにもう一度コメント欄に打ち込んだ。
いや、なとなく聞けっていう空気を感じたんだ。
kojinyou_fin「これって、『本当』に石を積むだけなんですか?」
私が送信した直後、チャット欄が一斉に反応した。
Misfortune『はい』
Friday『そのとおりで』
Nobody『イグザクトリー!』
数人の常連たちが一糸乱れぬロボットのような連投をしてきて、私はスマホを持つ手を少しびくっとさせた。なんだこの妙な一体感は。
それに気づいたのか、シンディは画面の向こうで少しだけ柔らかいしかしやっぱり不気味な笑みを浮かべ、私を勧誘するように言った。
「これを……これをやるとね、不思議と心が落ち着くんだよ……ふひひ。是非、新規さんもやってみて欲しいな……。心がすっごく、穏やかになるヨ……。あ、一応、二人で協力して高い塔を目指す『協力モード』もあるから、もしよかったら、今度一緒に誰かとやってみてね……ふひひひ」
Misfortune『ちょっと早口になったぞシンディ!』
Nobody『キャラクターを維持しろシンディ!』
Friday『一緒に遊びたいの駄々もれしてるぞシンディ!』
スマホの画面の向こうで、真っ暗な部屋に閉じこもっていそうな銀髪の女性が、虚ろな目でこちらに手を差し伸べているような気がした。
うん、なんかこう、関わっちゃいけないタイプの底知れぬ闇を感じるぞ、これ。
私は冷や汗を拭いながら、そっと画面を閉じようかどうしようか、本気で迷い始めた。
Misfortune『パソコンでもスマホでも視聴者参加型ボタンを押して見ると良いよ』
Friday『いまやってるシンディに協力してゲームが出来るぞ!』
Nobody『シンディが気になったのなら是非ボタンを押してくれ!』
なんだその面白き機能は!!!
私は協力してやれるゲームと聞いて思わずそのボタンを押してみた。




