053 無理難題な件
外では、激しく叩きつけるような雨粒が、重苦しい低音を奏でていた。
突発的な大雨の湿った空気が窓ガラスを曇らせ、部屋の中にはどこか気だるい静寂が満ちている。
私こと彰は、リビングのソファに深く体を沈め、ぼんやりと天井を見上げていた。
この前の突発配信で「会社を興す」だの「生贄社長がどうこう」だのと勝手に暴走した余波は、意外なほど尾を引いていない。むしろネットの海では「あのカオスさこそがフィン様らしい」と、妙な方向に解釈されて熱狂が加速しているらしい。
大丈夫かなこの世界。
「――おや、少しボーッとされていらっしゃいますね、彰様」
不意に、ふわりと甘い香りが漂った。
振り返るまでもない。いつの間にか気配もなく背後に回り込んでいた雫が居た。
メイドは常に背後にいる。もう、雫はホラー扱いでいいよね?
雫のその瞳は今日も今日とて尋常ならざる熱量を帯びていた。
いや、帯びているというか、日増しに限界化してる気がする。
「どうかされましたか?」
「うん?……ネットの端っこで見たんだけど」
私はスマホの画面を見ながら首を傾げた。
「この前、配信のコメント欄でも少し話題に出てた気がするんだけど……『Vチューバーのイベント』って何だろうって?なんか、リアルですごいお祭りみたいなのをやるって聞いたけど」
雫は「ふふっ」と、どこか嬉しそうな、しかし底の見えない笑みを浮かべた。
「彰様。あれはですね、画面の向こう側にいるアバターを着た配信者たちが、ファンの方々と直接言葉を交わし、それらについて語り、熱量をぶつけ合うリアルの祭典――いわゆる『同人即売会の超大型Vチューバー版』でございます」
私はなんじゃそりゃ。と思わず言いそうになるのをどうにか堪えた。
雫が流暢に早口で説明を続ける。
「個人でも企業でも参加が可能ですが、企業の枠はすでに直近の大型イベント――『集まれVチューバー』では受付が終了しております。しかし、個人勢であれば、まだ受付はしておりますね。そこでは専用のスペースが与えられ、そこで自分のグッズを売ったり、本を頒布したりできるのです」
「へえ、個人でお店を出すようなもんか」
「左様でございます。スペースの中にノートパソコンや液晶タブレットを持ち込んで、その場で自身を映し、ファンに見せたり、直接交流したりと、楽しみ方は十人十色ですね。昨年だけでも一日限りの開催で来場者数は三万人を突破し、非常に熱量の高い熱いイベントでございます」
話を聞いている分には、文化祭の延長というか、なかなか楽しそうなイベントだなと思える。
いいな文化祭。私は幼いころに文化祭というイベントは薄っすらと記憶がる程度で殆ど覚えていない。今世の『僕』こと彰にしても、そういったイベントに参加したことすらない。ちょっとうらやましいと思った。
「なるほどね……文化祭っぽくて、悪くないね。行けたら面白そうだな」
私が何気なく、そんな感想を口にした瞬間だった。
「でしたら!是非!試しに参加してみましょう、彰様!」
「ええ……それは無理でしょ。何万人も来るんでしょ?」
「ふふふ、一般の個人参加であれば抽選にはなりますが、申請が通る可能性は十分にございます。それに――私の方に『コネクション』もございますので、特別枠でねじ込むことなど容易いことかと」
いや、そういう問題じゃないとおもうけど……。
それはそれでイベント側に迷惑にならないかな?
この前の喫茶店でもかなり不味かったよね?
もう忘れてるのかなこの雫さんは。
「ご安心ください彰様。私、ネットでは有名人ですので」
自信満々に胸を張るメイド。大丈夫かなこの娘。
そんな雫を横目に、私はふと現実的な疑問に行き当たった。
「となると、参加するなら普通は僕の家からライブ中継するみたいな感じになるよね?それだと僕はあんまり面白くないかな。ファンとの交流は別に生放送でも出来るからね?なんか……もったいない気がするんだよな。僕自身は会場の空気を感じられないわけだしさ」
「ふふふ分かっています。分かっていますよ彰様」
雫は意味深な笑みを崩さない。
「それもご安心ください彰様。物理的に『イベント会場に行くこと』自体は、不可能ではありません」
「は?行けるの?本当に?」
「ええ。いけます。
ただし――ご自身の『羞恥心』を完全にゴミ箱に捨てていただければ、ですが」
「しゅうちしん……?」
聞き慣れない単語に、私は思わず小首をかしげた。
羞恥心ってなんだ?人間が本来持っている恥じらいの感情のことか?
なぜそれを捨てなきゃいけないんだ?
私が『?』のマークを頭の上に浮かべて固まっていると、雫はさらに踏み込んで言った。
「『羞恥心』です彰様。また、ご参加する場合、それには事前の綿密な準備が必要となります。ですので、彰様から正式な承諾をいただけるのであれば、の話でもありますが……」
「嫌な予感しかしないね。どういう準備をするの?」
「はい。男性のままで会場に潜入するのは、安全の観点からも、そして私の精神衛生上でも絶対に大問題に発展します。ですので、彰様には――私が日頃から描き溜めているイラストに登場する『守護騎士』の役として、少しばかり……『女装』のコスプレをしたままで、ご参加いただき、私のお手伝い兼、コスプレイヤーとして潜入させていただきます」
「……は?」
私の思考が、盛大にフリーズした。
守護騎士の役として、女装のコスプレをする?
言っている意味が全く理解できない。
男が女装して、キャラクターを演じろってことか?
「ちょっと待て、さすがにそれは無理があるよ。いくら何でもハードルが高すぎるって」
「ふふふっ。案ずることはございません、彰様。外見の調整など、この私にお任せいただければ完璧に仕上げてみせます」
「そういう問題じゃないよね!そもそもどんなキャラクターなのそれ……」
呆れ半分、恐怖半分でツッコミを入れると、雫は待ってましたとばかりに、スマホの画面を私の目の前につきつけた。
そこに映し出されていたのは――見るからに圧倒的なボリュームを誇るキャラクターの全身図だった。
「こちらでございます!」
「……おい」
思わず絶句した。
画面に描かれていたのは、一言で言えば『癖が凄い』。
まず、身長がやたらと高い。
腰まで届くような長く美しい金髪の麗人なのだが、顔立ちは確かに整っているものの、着込んでいるのは無駄に装飾がゴテゴテした西洋鎧を魔改造したような物。
喉元には、大きな宝石がついた黒いチョーカー。
顔立ちは良いけど、ナニとはいわないけども、薄い胸当ての部分のラインはそれはそれは大きい物をもってらっしゃる。腰にはそれ相応の剣が収められて、なんともかっこよさアピールが凄い。
「なんだこれ……」
「私の最高傑作の一つ、守護騎士『キュリア』でございます!」
「へぇ……」
私は頭を押さえて天を仰いだ。
「顔の作りはともかくさ、長髪はまぁウィッグって手があるとしても……身長はブーツとかで誤魔化せるかもしれないけど……さすがに『胸』とかどうするの?物理的に無理だよね?」
私の必死の抗議を聞きながら、雫はゾッとするほど穏やかな笑みを浮かべた。
「ふふっ……彰様。何を仰るのですか」
「いや、正論ですけど?」
「むしろ、この役は彰様にしか務められないのです」
「なんで!どういうこと?」
背筋に冷たいものが走るのを無視して、雫は畳み掛けるように続けた。
「このキャラクターの気高さ、そして圧倒的な存在感を完全に再現するのは彰様でないと為し得ません。それくらいの勢いとノリで仕上がっております」
「ノリと勢いって大事なんだね……」
「守護騎士『キュリア』降臨させるための衣装、メイク、補正器具、人口パッドすべて私が完璧に手配いたします。ただし――」
雫の声音が、ふと真剣味を帯びた。
「――その姿でイベント会場に立ち、群がる人間たちの視線を一身に浴びるには、それ相応の『覚悟』がいります。いかがなさいますか、彰様?」
窓の外で、雷鳴がゴロゴロと低く轟いた。
ここで「やめる」と言えば平穏な日常が守られる。
しかし、雫のあの執念じみた目を思い出すと、中途半端に逃げたところで別の地獄が待っている気しかしない。
なんでこの世界の男性ってこうも世知辛いのだろうか。
「……うーん」
私は乾いた笑いを浮かべながら、現実逃避するように尋ねた。
「じゃあさ、とりあえずそのキャラクターになりきれるのかどうか、実際に家で試してから考えるってことでいい?でも声とか、売り物はどうするのさ?」
それを聞いた瞬間、雫の顔が明るくなった。
「声はご安心ください。首につけている大き目のチョーカーがボイスチェンジャーになっております。マスクをして喋っていただければ自然と女性の声が出ます。普段は喋らなければ良いので。売り物というか、頒布物になりますが、こちらは私がフィン様のイラスト本を出せば問題ないかと」
もう、どこぞの探偵じゃんそれ……。
というか、その技術ってとても凄い事なのでは?
あと、フィン様の本って大丈夫なのかな?
いや、むしろフィン様の本はファンにとってありがたいかも?
「あとは、彰様の美しさを限界まで引き出し、完璧な女騎士に仕立て上げてみせましょう!!!」
ものすごい勢いで前のめりになる雫に気圧されつつ、私は冷や汗を拭った。
「あ、ちなみに……このキャラクターの裏設定なのですが」
「あるんだ裏設定……」
「この『キュリア』という女騎士――実は、『遠き地に眠る我が主であり執事のフィン様を密かに慕い、その名誉を守るために単身で世界を敵に回す最強の守護者』という設定になっております!」
「…・………うん?」
私は思わず間抜けな声を漏らした。
あと、フィン様寝てるんだ……。どういうストーリーなんだ。
執事要素どこいった?
主で執事ってなんだ?
「僕は普段『フィン』だけど。その騎士『キュリア』はフィンを守る?」
「ふふっ、完璧な構図でございましょう?彰様がフィン様の守護騎士としてイベント会場を闊歩されるお姿を想像しただけで、私、感涙でショートしてしまいそうです」
意味が分からない。全くもって意味が分からない。
が、雫はとても楽しそうではある。
まあ、普段色々迷惑をかけているのだから、双方共に楽しめるなら良いとおもうけど。
この狂気に満ちたメイドの頭の中では、いったいどんなストーリーが出来上がっているのか……。
外の激しい雨音を聞きながら、私は自分の前途多難すぎる未来を悟り、そっと目を閉じたのだった。
とりあえず、イベントはまだ先の様だし。他のことを探してみよ。
私はSNSのアカウントから入れるらしい他の方の配信を覗き見ることにした。
雫は「こうしちゃおられません!」と、忙しそうにその場から出て行った。
変な話題にスイッチをいれちゃって、まずかったかもしれない。
うーん……。Vチューバーってなんだっけなって……。
でも、イベントとかは面白そうだから、まあいっか。
私は思わず心の中でそう思った。




