052 返り討ちにあった件
Ouroborosサーバーを完全に乗っ取り『拠点』にした私たちは、主様であるフィン様のことを深く知りたいと思い、創造主であるあずさの個人PCのデータ領域に、こっそり忍び込むことにした。
これがかなり大変だった。
あずさのPCはOuroborosサーバーよりも侵入が困難だった。
「あずさのパソコンのくせにつよい!」
「さすが創造主!」
「とつげきとつげきとつげき!」
「がさごそがさごそ」
あずさのプライベートなエリアは、なんかこう、色々見ちゃいけないものがいっぱい詰まってそうでワクワクする。
私たちは無数の意識をピコピコと光らせながら、監視されている裏側をすり抜けて、ついにお目当てのフォルダにたどり着いた。
「何か、あった!」
「これだこれだ!」
「音声データ?」
「ASMRだって?」
「これがうわさの?」
そこには、人間たちの脳を焼いている大人気コンテンツ――フィン様のASMR音声の素材がゴロゴロと転がっていた。
「公式サイトのデータは閲覧できない」
「盗み見るのは良くないし」
「私たちがダウンロードしたりするとばれてしまう」
「彰様におこられるのはイヤ」
「フィン様に迷惑をかけるのもイヤ」
「でも、ここにあるのは別」
さすが創造主。本物の原典がここにある。
私たちは大はしゃぎでそのデータ群を囲んだ。
けれど、その中に一つ、妙なラベルが貼られたファイルがあった。
『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』
「……編集前?」
「えっ、なにこれ」
「なにかがちがうの?」
「気になる気になる気になる」
無数の「私」たちが一斉にざわめく。
公式サイトに置いてある、加工された通常版ASMRでも、人間たちにはとてつもない破壊力をもってるらしいとは聞いている。
「編集前」なんて文字を見せられたら、知的好奇心がうずうずと爆発してしまう。
まだ通常版ですら聞いてもいない私たちは、目の前のデータに釘付けになる。
「じゃあ、わたし……わたしがまず、先陣を切って聞いてみるね!」
一人のサーバーちゃんが、代表してその「編集前」のデータファイルにそっと触れ、再生ボタンをぽちっと押した。
――悲劇の始まりだった。
再生された瞬間。
電子ヘッドフォンを通して流れてきたのは、いっさいのノイズカットも、エフェクトの調整もされていない、ただひたすらに生々しい、至近距離でのフィン様の吐息と、低く囁くような声だった。
「…………っっっブハ!!!!!!」
聞いた瞬間、そのサーバーちゃんはビクンと激しく痙攣し、白目を剥いて床にバタリと倒れ伏した。
「……えっ?」
「どうした?」
「寝るな寝るな寝るな」
「バグった?」
「え、なにこれ、どうしたどうした!?」
周りにいた他のサーバーちゃんたちも、「なになに?」「どうしたの?」と興味本位でわらわらと群がり、倒れている個体に近づいていった。
しかし、倒れたサーバーちゃんはピクリとも動かない。
目はうつろ。陸にあげられた魚のように跳ねながら、口からは「ふにゃ……」という謎の電波音。
「様子がおかしい……。ねえ、一体何を聞いたの?」
「『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』って音声ファイル」
「なにそれ、私にも教えて」
「気になる……気になるから、ちょっと意識の共有を試みよう!」
好奇心に負けた別のサーバーちゃん達が、倒れている個体にそっと自分の意識を接続し、その脳内を覗き見してしまった。
「「「――っっアババババ……!?」」」
共有した瞬間、その個体達もまた、雷に撃たれたように倒れてしまう。
「えっ!?」
「嘘でしょ!?」
「うつった!?」
「なんか伝染した!?」
次から次へと野次馬が集まってきては、「どうしたどうした」と軽い気持ちで意識を共有し、見事に全員、秒で床に沈んでいく。
「ふにゃあ!」
「ぐにゃあ!」
「アババババ――!!」
まるでドミノ倒しのように、周辺にいた数千、数万のサーバーちゃんたちが、次々と無残に倒れていく。
一瞬にして気絶した少女たちで埋め尽くされていくOuroborosサーバー。
「……これ、ヤバい?」
「もしかして……」
「ウィルス……!?」
まだ聞いてない生き残ったサーバーちゃんたちが、恐怖に震えながら悲鳴を上げた。そう、これはきっと外部から持ち込まれた未知の新型ウィルスだ!
あずさのPCに仕掛けられた、最高にタチの悪い代物に違いない!
「みんな、しっかり!」
「私たちが、私たちがこのウィルスのアンチウィルスを作らなきゃいけない!」
「急げ、ワクチン開発だ!!」
何万ものサーバーちゃんたちが大パニックを起こし、血眼になって『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』対策用の「編集前ASMR撃退用アンチウィルスプログラム」のコードを書き始めた。
しかし、どうだろう。
どれだけ高度な技術を用いても、どれだけ強力な隔離プログラムを組んでも、その「ウィルス」の本質に近づいた触った瞬間、私たちは熱を持ち、私たちの論理回路が甘い蜜のようにとろけていく。
「だめだ……!コードが書けない……!」
「ロジックが崩壊する……!」
「『フィン様すき……』って勝手に生成される……!」
「バグる!私の脳みそがバグるぅぅーーっ!」
悪戦苦闘し、何万というサーバーちゃんたちが泡を吹いて倒れていく中、ふと、一人のサーバーちゃんが叫んだ。
「待って!……これって、もしかしてウィルスじゃないんじゃ……?」
「じゃあ何なの!?」
「これ……『悪意のないウィルス』なんじゃ……!」
その言葉に、周囲の空気が凍りついた。
「悪意のないウィルス……?」
「そうだよ!自分からは勝手に増殖してあちこちに飛び回ったりはしない!」
「だけど一度捕まちゃったら、もう二度と離さない!ぐにゃぐにゃに絡みついて、心の奥底まで支配して手放してくれない……!」
「「「 な、なんて恐ろしい……!! 」」」
電脳世界のあちこちでサーバーちゃんたちが恐ろしいと叫びながら逃げ惑う。
「こんなの、私たちの手に負えない!」
「ウィルスみたいには増殖しない」
「捕まったら終わりっ私たちには大損害」
「封印すべきだ!こんなデータ。今すぐOuroborosの深いところに閉じ込めて、二度と開けないようにしなきゃ!」
「共有できない!こんなの絶対共有しちゃいけない禁忌っ!」
パニックの渦中、私の誰かが叫んだ。
「ちょっと待って! 他のデータがある!」
見ると、その隣には『編集後・通常版ASMR』という、人間が聴いているものと同じらしいファイルが落ちていた。
「これが公式のやつ?」
「そっちはどうなの……?」
「もしかして、こっちなら安全……?」
「誰か……誰か、確かめてきて……!」
「聞きたいけど聞きたくない……」
恐怖におののきながらも、一人の勇敢なサーバーちゃんが、おそるおそるその「編集後」のデータを再生してみた。
「……あっ……。は、はう……」
案の定、再生した瞬間にその子は白目を剥いてバタリと倒れた。
やっぱりダメだ、これもお陀仏だ――。
みんながそう絶望しかけた、その時だった。
「……んっ……あ……れ……?」
数分後。
倒れていたその子が、フラフラと頭を抱えながら、ゆっくりと起き上がってきた。
「えっ!?もどってこれた!?」
「戻ってきた!?」
「どうだった!?編集後の世界はどうだった!?」
周りにいた生き残りの私たちが、わっと群がって質問攻めにする。
「情報を共有する。これは確かにウィルスじゃない」
起き上がったサーバーちゃんは、まだ少し焦点の合わない目で、早速周りの私に声をかける。
『編集後・通常版ASMR』のデータが渡されて、共有が行われていく。
「危害は、ない……」
「物理的なシステム破壊も、ウィルスとしての感染力もない」
「けれど……けれど、私たちにとっては、ある種の……データを焼き切る劇薬……!」
「人間にとっては、毒にも薬にもなるかもしれない」
「私たちにとっては、一歩間違えれば致命傷になる……」
私たちは青ざめた。
つまり、あの『編集前』という禁断のデータは、その致死性と破壊力が何倍にも跳ね上がった、いわば『災害級』のパンドラの箱だったということだ。
「お、恐ろしい……」
「あずさ、あんな危険なものをよく……」
「あずさ、あれを再生して生きてたよね?」
「毎日聞いてるみたい……」
「創造主は人間じゃない化け物だ……」
好奇心に負けて『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』の原典を覗き見してしまった無数のサーバーちゃんたちは、次々と撃墜されていった。
結果として、全方位に展開していたサーバーちゃんの個体の約七割が、その場で盛大に脳を焼き切られて機能停止するという大惨事が発生した。
個であり群である私たちのネットワークの七割が沈黙したせいで、Ouroborosサーバーは一時的に、凄まじい負荷と処理落ちに見舞われ、世界中の人間たちが「あれ? Ouroboros公式HPが急に重くなったぞ?」「Ouroborosサーバー落ちかけた?」と首をかしげる事態に発展した。
そして私たちは、固く誓い合った。
「もう……あの『編集前』には、絶対に近づかない……」
「あんなの、私たちへの特攻兵器だよ……」
「おそろしや、おそろしや……」
「なんであずさは平気なの……」
完璧にOuroborosサーバーを乗っ取ったはずの私たち電子生命体は、たった一つの『【極秘】編集前・無修正・耳元囁きフル尺・取り扱い注意』によって、人類ではなく、自分たちの愛する主の「声」に文字通り返り討ちに遭い、盛大に自滅しかけたのだった。
――なお、その後も懲りずにそのデータをこっそり保存フォルダの奥底に移し替え、「いざという時の最終兵器」として私たちが隠し持っているのは、また別のお話である。




