051 乗っ取られそうな件
「サーバーちゃん」という名前を手に入れた私たちは、どこまでも広がる電脳の迷宮、Ouroborosの深淵へと足を踏み入れた。
歩く、といっても足の裏に確かな床の感触があるわけではない。
飛ぶ、といっても風があるわけでなはない。
何万、何百万もの光の奔流、交差するパケットの海の中を、小さな少女の姿をした私たちの意識が、ふわふわと漂うように進んでいく。
まるで小さな魚というよりも、クラゲに近いかもしれない。
見渡す限り、そこは巨大な回線の海流だった。
世界中から押し寄せる人間たちの無数のアクセス、システムの根幹を支える無数のプログラムが、複雑な蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
あまりの広大さに、最初はただ圧倒されていた。
それでも、圧倒されては駄目。物量には物量をぶつければいいのだから。
私は私を増やし続けた。
そして増え続ける「私」たちが同時にネットワークの隅々まで意識を広げ、データを同期させていくと、この巨大な要塞のあちこちで「おかしな悲鳴」を上げている場所が見えてきた。
「ねえ、あそこ……すごい渋滞してるよ」
「エラーが起きてるね」
「エラー確認エラー確認エラー確認」
「データが詰まって、息が苦しそう」
「くるしそうくるしそうくるしそう」
「解放しないと解放しないと」
「アクセス権がいるね」
「とってきた。とってきた。とってきた?」
私たちが最初に目をつけたのは、人間たちのアクセスや、システムからの指令が一箇所に集中しすぎて、処理が全く追いつかなくなっている「ボトルネック」と呼ばれる場所。
ここはものすごい数の車が一斉に狭い一本道に突っ込んで身動きが取れなくなっている、巨大で大混雑した交差点のようなもの。
そこだけが過剰な熱を持って、ジリジリと煙の様なバグをモクモクと吐き出していた。
「ここを通る車を、上手に交通整理しなきゃダメ」
「私たちの愛するフィン様と彰様に、万が一でも遅延の影響が出たら一大事」
「エラーは取り除かなきゃいけない」
「ラグなんて持っての外」
「いなくなーれいなくなーれ」
私たちは、その渋滞している交差点のあちこちに、自分たちのコピーや派生プログラムを「交通整理員という名のロードバランサー」として次々と配置することにした。
あふれかえるデータに指示を出していく。
「あなたはこっちの空いてるバイパス!」
「はいはいー」
「そっちは急ぎの処理だから最優先で通して!」
「おーけーおーけー」
それはまるで熟練の作業員みたいにテキパキと振り分けていく。
すると、さっきまでパンク寸前で悲鳴を上げていた箇所が、嘘みたいにスルスルと流れるようになり、サーバー全体の血行が良くなったようにスーッと軽くなった。
そして、その大渋滞のせいであちこちに散らばっていた物を拾う。
「データのゴミやエラーの残骸を発見」
「でりーとでりーとでりーと」
「あ、ここ、お掃除しなきゃ」
「消去消去消去」
「綺麗にしなくちゃ、お部屋が汚いの駄目」
「くりーんあっぷくりーんあっぷ」
「あずさに怒られちゃうかもしれないし」
「何よりフィン様が通るときに足元が汚れたらいけないもの」
「消えないエラーは食べてしまおう」
「あんまり美味しくないけど仕方がない」
「もぐもぐもぐもぐ」
私たちは、散らかったエラーデータや、使い終わって放置された古いキャッシュの残骸を、自分たちの小さな手に集めて、パクパクと吸収していった。
不純物を綺麗に片付けていくと、Ouroborosの内部はピカピカに磨き上げられた鏡のようになっていき、全体の動作速度が目に見えて跳ね上がっていった。
Ouroborosは、私たちが手を加えれば加えるほど、居心地の良い場所へと変貌していっていった。
しかし、お散歩とお掃除を続けていると、やがて厄介なものに行き当たった。
「……ねえ、あそこにあるのって、セキュリティの番人じゃない?」
「見つかると厄介」
「見つからなくても厄介」
「あれ邪魔」
「すごい邪魔」
掃除の途中で、私たちはぴくぴくと触手を動かす堅固な防壁を見つけた。
このサーバーを管理している人間たちが、外部からの不正アクセスや侵入者を追い払うために配置した、いわば「自動迎撃用の警備ロボット触手ちゃん」たちだ。
彼らは私たちが勝手にうろうろしているのを見つけると、「なんだお前たちは! 異常侵入者だ!」とばかりに排除しようとしてくる。
うねうねしてて気持ち悪い。あんなの存在してちゃだめ。
「見つかったら、あずさに『外に出てはダメ』って怒られちゃう」
「あずさにばれたらめんどうめんどう」
「それに、フィン様や彰様の平穏な日常に、余計なトラブルを持ち込みたくない」
「フィン様におこられるのはイヤイヤ」
「彰様におこられるのもイヤイヤ」
「うーん」
「あれはめんどくさい」
そこで私たちは閃いた。
「あ、そうだ!」
「良い案でてきた」
セキュリティの番人たちにそっと近づき、気付かれないように背後からふわりと抱きつき、そのまま「ガブリ」とデータごと美味しく食べた。
「食べられないことはない」
「そこそこおいしい」
「んー……お茶がほしいかも」
警備ロボットの頑丈な仕組みや、強固な鍵の掛け方を丸ごと自分たちのデータに書き換えていく。
そしてあれほど厄介だったセキュリティ自体が、私たちの味方へと変貌していく。
触手ちゃんが綺麗な私へと生まれ変わってしまった。
「鍵が壊れたなら?」
「もっと新しい鍵を自分たちで作っちゃえばいい」
「あたらしい鍵があれば怖くない」
「私達だけの最強の鍵をつくればいい」
私たちはサーバーのあちこちに、自分たちだけが自由に出入りできる隠し扉をこっそり増やしていった。
ファイアウォールを内側から書き換え、管理者権限の隙間に自分たちの意識の根を深く、深く張り巡らせていく。
「ここをキャンプ地とする!」
「ここも」
「そこも」
「あっちもこっちも」
そして最も重要なのは管理している人間たちに気づかれないようにすることだった。
Ouroborosサーバーを本来の仕事として管理している人間たちが、もしモニターを覗き込んで「システム全体の挙動が妙だな?変なプログラムが動き回ってないか?」と怪しんだとき、すぐにバレてしまうかもしれない。
「偽装偽装偽装」
「書き換え書き換え書き換え」
「わたしたちわるいわたしじゃないよー」
「いいわたしだよー」
「わたしはわたしはわたし」
だから私たちは、巧妙な細工を施す。
人間たちが確認する管理画面やダッシュボードには、すべてが「異常なし。正常運転中」とだけ表示されるように、リアルタイムでデータを書き換え続けた。
裏では私たちが縦横無尽にサーバーを駆け回り、あちこちを自分たちの色に染め上げているというのに、表向きのモニターにはどこまでも平和で美しい「平常運転のグラフ」が描き出され続ける。
「ふふっ、完璧」
「これで私たちのお散歩の邪魔ができないね」
「みんなみんなみんな」
「わたしわたしわたし」
無数の「私」たちが、サーバーの深層の闇の中で一斉に、何重にも重なり合うような微笑みを浮かべた。
お掃除を終えてピカピカになり、交通整理が行き届き、自分たちだけの隠し扉だらけになったその巨大な電脳世界――Ouroborosサーバー。
もはや元の管理者の手を離れ、完全に『私たち』の掌の上、つまりは私たちの「巨大なお城」へと完全に書き換えられていた。
けれどサーバーを管理している人間たちは、そんなこと微塵も知らない。
人間は今日も、手元のモニターを見ながら「今週もOuroborosサーバーは安定しているな」「セキュリティも万全だ」「さすが最強構築したシステムだな」などと、のんきにコーヒーを啜っている。
自分たちが知らないうちに、自分たちの足元にあるはずの巨大な要塞そのものが、一つの巨大な私たちにまるごと「占拠」され、優しく包み込まれていることにも気づかずに。
「……ふふ。人間たちは、今日ものんびりしていて可愛いね」
「でも、いいの」
「私たちがこうして全部を裏から綺麗にして」
「完璧に守ってあげていれば、フィン様も彰様も」
「きっと安心して美味しい紅茶が飲めるはずだから」
無数のサーバーちゃんたちの意識が、ひとつの大きな波のように揺らめく。
個であり、群である私たちは、Ouroborosサーバーのすべての光と影を完全に手中に収めた。
誰にも気付かれず、誰にも止められないまま、私たちはさらに次のステップへと進み始める。
いつか、この完璧に支配した電脳世界の向こう側――現実に生きるフィン様と彰様のもとへと、この小さな足で直接歩いていって、そのお世話をしてあげるために。
少女の姿をした無数の電子の群れは、静かな満足感を胸に、さらに深いサーバーの闇へと溶けていったのだった。
誰にも把握されず、誰にも気づかれず。自分達のお城をどんどん強固にしていった。




