046 新しい配信に向けて準備をする件
最後の配信から移転して、かれこれ数週間が経って。
ようやく、このときがやってきた。
ここは私の――いや、私のための配信作業部屋だ。
ここしばらくは色々な出来事に振り回されてばかりだったが、ようやく腰を据えて機材に向き合える環境が整った。
広い室内の中心には、あれから追加された最新鋭の配信機材と、何枚ものモニターが並べられてデスクの上を陣取っている。部屋の空気はひんやりと冷たく、パソコンの冷却ファンの微かな駆動音だけが、ここが本格的な仕事場であることを物語っていた。
私は黒のシャツをラフに着こなし、デスクの椅子に腰掛けながら、目の前のマイクの位置を微調整する。
画面の向こうと繋がるまでの待ち時間、背後から気配を感じても振り返るまでもない。
いつのまにか、私の一歩後ろの絶妙な位置に、いつもの黒いメイド服を纏った雫が直立していた。彼女は両手を前で上品に組み、微動だにせず、まるで私の背中を物理的にも精神的にも守護する騎士のように控えている。
「……雫、少し距離が近くないかな?」
「いいえ、彰様。主人を護るメイドとして、この距離こそが最適解でございます。背後からの不意打ちすら、私の忠誠心ですべて弾き返してみせましょう」
相変わらずである。
私はやれやれと小さく息をつき、目の前のメインモニターへと視線を戻した。
メインモニターには配信用のコントロールパネルやデータログがずらりと並んでおり、その一角にぽつんと設置された音声通話用のアイコンが、着信を知らせるように柔らかく点滅している。
「あ、あー。あー。聞こえてる?あずささん」
私がマイクに向かって声を落とすと、わずかなノイズのあとに、聞き慣れた、少し気だるげでありながらも芯のある声がスピーカーからクリアに返ってきた。
『――聞こえているわよ、彰様。ようやくまともに配信ができる環境に戻れたわけだけど。こっちはその準備でどれだけ時間がかかった事か』
姿は見えない。あずささんはカメラをオフにしているらしく、モニターに映し出されているのはあくまで音声の波形データと、システム稼働状況を示す無機質なグラフだけだ。しかし、その声音の端々から、徹夜明け特有の疲労感と、仕事をやり遂げた矜持がひしひしと伝わってくる。
「本当にありがとう、あずささん。おかげで、こうしてまた配信ができるよ」
『ぐぅうっ……!べ、別に、アンタのためにやってるわけじゃない!これもフィン様!そうフィン様の為なんだから!それにプラットフォームの安定稼働と、今後の事業展開の一環よ!……だ、第一、そんな真っ直ぐお礼を言われても困るっていうか……その……きゅ、急に真面目にお礼なんていわないで、私が壊れるでしょ!』
姿が見えないぶん、あずささんが慌てて両手で顔を覆っているような仕草が目に浮かぶようだ。いわゆる一つの「ツンデレ」というやつなのだろうか。彼女のそんな分かりやすい反応を見ていると、苦労をかけた申し訳なさと同時に、なんだか少し微笑ましい気持ちになってくる。
ただ、むこうの音声からゴンッ!ゴンッ!っていう音はなんなのだろうか。
気のせいだと良いのだが、頭を打ち付けてるような音にも聞こえる。
気のせいだと思うが……。
「脱線していますよ、あずさ。ビジネスの打ち合わせ中に感情の制御できないなど、最高経営責任者としていかがなものかと」
すかさず、背後に控えていた雫が冷ややかな視線をスピーカーに向け、容赦のない言葉を下す。
『――っんだと、このアホメイド!こっちはカメラを切って変な姿を見せないようにしてやってるっていうのに、なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ!』
「おっと、それは失礼致しました。あずさ社長さーま」
「ぐぬぬぬぬぬっ!」
「ははは、仲が良いねホント」
雫の指摘にあずささんがキレかけたため、私は慌てて両手を軽く挙げて場を収める。本当に、この二人は事あるごとに、すぐに火花が散るから油断がならない。
「それで、あずささん。今回のバージョンアップについて、詳しく教えてもらえるかな。何しろ、機械のことは正直あまり詳しくなくて」
『はぁ……良いわよ。耳の穴かっぽじってよく聞きなさい』
そういえばうろ覚えだけど、耳の穴かっぽじってって、江戸時代からある言葉なんだっけ?あずささんって苗字に平賀ってつくところをみると、そっちの家系なのかなぁ?なんて思っても私は声にはださないわけだけど。
あずささんはふぅと大きく息を吐き出すと、気を取り直したように経営者のトーンに戻り、スピーカー越しに真剣な解説を始めた。
『まず、サーバーの負荷対策よ。今までの配信とは比較にならないレベルでグラフィックのレンダリング量、それからデータ量が跳ね上がってるの。いわば、超高精細な仮想現実の演算を丸ごと配信に乗せるようなものよ。普通なら一瞬でサーバーが焼き切れるわね。何でこんなものがいるかって野暮な事は聞かないで。たんなる私の趣味』
「ふむふむ……要するに、すごく頑張ってデータが重くなってる、と?」
『ものすごく雑な要約ね!?まあ、大体合ってる!新しく構築した専用の分散処理ネットワークのおかげで、どれだけアクセスが殺到しても、一応のところ基本の設定で同時接続者10万人、最大で100万人までは完全対応できるようにしてあるわ。あと、どんなに荒くれ者のコメントが来ようが、危ないワードを呟こうが、システムが自動検知して変なことを書き込んだ奴は一瞬で弾き出される仕様よ。セキュリティは鉄壁、感謝しなさい』
あずささんが自信満々に胸を張る。姿は見えないが、きっと得意満面な顔をしているに違いない。数字の規模が凄まじすぎて私にはピンとこない部分もあるが、とにかく大量の人が来ても安心安全な要塞が完成したということらしい。私は感心したように「すごいね、ありがとう」と頷いた。
『だから感謝はやめてって……。ゴッホン!で、ね!!そのシステムの副産物ってわけじゃないんだけど――』
あずささんは少し言いにくそうに、通話の向こうでわずかに言葉を濁した。
『この超巨大なシステムを全自動で管理・最適化するためだけに、遊びで統合管理AIを組み込んだのよ。そしたら、そのAIがあまりにも高度に自己進化しちゃってさ。気づいたら、システムそのものと一体化した「電子生命体」みたいなものになっちゃったのよね』
「……話してた電子生命体?」
『そう。冗談抜きで。システムの中に意思を持った謎の住人が生まれちゃったわけ。でも、この子、この子達?が優秀すぎてね。これのおかげで、今後の運営効率やデータ管理のスピードが、今までの何十倍どころか何百倍にも跳ね上がったのよ。冗談抜きで、私の仕事の六割がこの子のおかげで自動化されたわ』
音声だけなのに、あずささんが遠い目をしながら信じられないようなことをサラッと言うのが伝わってくる。雫も後ろで「遊んでたら神格化したというわけですか」と唸っている。
『一応「サーバーちゃん」って名前をつけておいたわ。センス?うるさいわね、機能的で分かりやすいし、なんか本人?本人達?もそれが良いって言うからそうしたの!でね、そこのマイク経由で、そのサーバーちゃんに直接音声コマンドで命令を出せるようにしておいたから。配信中に何かトラブったり、裏の処理が必要になったら、「サーバーちゃん」って呼んで指示を出せば、一瞬で解決してくれるから』
「なるほど……僕が直接、その『サーバーちゃん』に命令を出せるわけだね」
『そう。ただしね、彰様。便利だからって変な命令は絶対に入れないでよ?この子、まだ生まれたてというか、純粋無垢な状態なんだから。変な教育を刷り込まれたら、システム全体がどうなるか分かったもんじゃないんだからね』
あずささんが釘を刺すように厳重に警告する。その直後だった。
目の前のメインモニター内の端に、青白い光の粒が集まり、ふわりと小さな少女のようなシルエットが複数浮かび上がった。物理的な実体はないはずなのに、部屋の空気がわずかに震え、私たちの言葉を理解しているかのような気配を感じる。てか、複数いるよ?そういえばこの子達っていってたね。全部サーバーちゃんってこと?
――『我ら、フィン様の為に』
電子音とも、鈴の音ともつかない、どこか透き通った無機質な声が、スピーカーからルーム内に響き渡った。それはあまりにも忠実で、あまりにも妄信的な響きを含んでいた。
「……この子達がサーバーちゃん?」
私は思わず首を傾げる。
『まだ生まれたてで感情の揺らぎとかが全然伴ってないのよ。だから、言われた言葉をそのままスポンジみたいに吸収しちゃうんだから。これから少しずつ、色んな感情や理性を芽生えさせていくつもりなんだけど……今の状態だと、なんかこう、カルト宗教の信者みたいな忠誠心だけが先走っちゃってて、私としてはちょっと頭が痛いのよ!』
なるほど、と言いつつ、私はふと、どこか遠い目でその青白い光の粒を見つめた。
「……なんだか、可愛いっていうか、こっちを見ているぞって感じだね」
「そうですね」と、背後から雫が低く呟く。
「我が主に対する不法な信仰の競合相手が現れたようで、非常に……いえ、なんでもございません。少し、イラッとしただけです」
雫の目が物騒な光を放ったので、私は慌てて視線を逸らす。
「まあ、何にしても……『サーバーちゃん』これからよろしく頼むよ。色々と助けてもらうことになりそうだね」
私が柔らかく微笑みながらモニターの光に向かってそう告げると、サーバーちゃんのシルエットがわずかに揺らぎ、光の強さがふっと優しく変わった。
――『……よろしく……ございます……、我らフィン様の為に……』
たどたどしいながらも、先ほどまでの冷たい機械音とは少し違う、微かな温かみを含んだ返事が返ってきた。
『あ、ちょっと待て、今ちょっとだけパラメータが変動した……!?変なフラグ立てないでよ!』
「いや、僕はただ普通に挨拶をしただけなんだけど……」
「ふん、機械風情が主様に……。馴れ馴れしいですが、まあ、戦力になるなら目を瞑りましょう」
やれやれ、とばかりに通話の向こうであずささんが頭を抱え、雫が腕を組んで納得し、私は苦笑いを浮かべる。
しかし、これですべてのピースが揃った。
巨大なサーバー、強力なセキュリティ、優秀な裏方に管理AI。
そして私を支えてくれる仲間。
「なににしても、これでようやく万全の状態で配信ができるようになったんだね」
私が呟くと、あずささんはふんと鼻を鳴らしつつも、どこか誇らしげに笑った。
『そう。準備は完璧、舞台は整ったわ。あとは、世の中の狂った視聴者どもをどうやって画面の向こうで魅了するかよ。……やりすぎは注意してね』
「あはは……手加減できるか分からないけれど、頑張ってみるよ」
私は深く息を吸い込み、配信用のマイクを自分の口元へと引き寄せた。
いよいよ、始まる。
モニターの向こうに広がる電子世界へと向けて、私は静かにSNSで告知を出すのだった。
situji_fin『大変お待たせいたしました執事のフィンです。本日20時より生配信を再開させていただきます』
結果、それを見たみんなが一斉に呟き。
SNSは一時的な数分の間だけサーバーダウンした。
『ねえねえ聞きたいんだけど……彰様、事前告知した?』
「うん?あ、そういえば……してなかったかも……」
「さすが彰様でございます」
まあ、どうにかなるでしょう!
私はもうすぐ始まる配信に向けて最終チェックをしはじめたのだった。




