042 続、喫茶店での件
しばらく、お店の中には穏やかな時間が流れていた。
先ほどの一件で、女性が脳を焼かれて記憶の彼方へ旅立ってからというもの、新しいお客さんはやってこない。
裏通りのさらに隠れ家的な場所だからか、あるいはこの一帯に流れる空気が人を遠ざけているのか。
私はカウンターの端にちょこんと腰掛け、自分の着ている上質な執事服の袖口をぼんやりと眺めていた。静かな店内には、古くからの木の香りと、先ほど仕入れたばかりのケーキの甘い匂いが、ほんのりと漂っている。今現在は嘘のように平和だ。
平和……なのだが、どうにも胸のつかえが取れない。
カウンターの向こう側で手際よくティーカップを磨いているメイドに視線を向けた。
「あのさ、雫」
「なんでございますか、彰様。退屈でございましたか?」
「いや、そういうのじゃなくてさ」
私は小さく息をつき、少々気になっていた疑問を口にした。
「さっきから考えてたんだけどさ、社会の仕組み的に男の僕がこうして表に出て、勝手に喫茶店なんか開いて店番しているのって、よくよく考えたら法律的に大丈夫なのかな?アウトじゃない??」
この世界では、男性の数そのものが非常に少なく、社会的な構造としても男性が外に出て労働したりビジネスをしたりすることは基本的に想定されていない。
あるいは厳しく制限されているはずだ。そんな環境下で、Vチューバーの引きこもり男子が、裏通りとはいえ一般の店舗で「なんちゃって執事喫茶」を営業している。
どう考えても、ラインを盛大に踏み抜いている気がしてならない。
私のそのまっとうな、かつ核心を突いた疑問を聞いた瞬間、雫はぴたりと手の動きを止め、ふっと優雅で、しかし底知れない不敵な笑みを浮かべた。
「ご安心ください、彰様」
その不敵な笑みが全然ご安心できないけどね?
彼女は磨いていたカップを置き、胸元に手を当てて堂々と胸を張った。
「そのあたりの懸念につきましては、すべて万事、完璧に片をつけておりますので」
「万事片をつけてるって?」
「第一に、この店舗の経営権および賃貸契約の名義につきましては、現在海外旅行中で消息不明――ではなくバカンスを満喫中である、おば様の名前で完全に維持されております」
いま消息不明っていった?言ったよね?
まずそこが大丈夫なのカナ?
ちゃんとここを借りる話をしてるのカナ?
私は一気に雲域が怪しくなるのを感じた。
「お上の書類上、ここはあくまで『個人の所有する私有地におけるスペース』という建前になっておりますので、外部から突っ込まれる隙はございません」
絶対に隙あるよね?隙間だらけだよね?
そんな事は口が裂けても言わないけど。
「なるほど、おば様の名前を使った隠れ蓑ってわけだね……。でも、実際に僕がこうして店に立って、一般の人にお茶を出して代金を受け取ってるわけだし。それじゃあ言い訳にならないよね……」
「第二の防衛線でございます」
雫は自信満々に人差し指を立てた。
「このお店は本日、表向きは『休日』の札を掲げております。つまり、先ほどのお客様がいらっしゃったのも、すべて『偶然通りかかって迷い込んだ一般の女性に対する、我が家の『個人的な善意のおもてなし』というあくまでも、プライベートな処理になっております。代金をいただいたことになっておりますが、それはあくまで『お茶代のカンパ』もしくは『心づけ』の範囲内でございますので、商行為には該当いたしません!ちなみにですが、あの方が頂いたケーキの値段も飲み物の値段も仕入れ値より下回っています」
「それじゃ赤字じゃん……。なにしてるの」
「彰様の執事としての実務を見ておりますが?」
「ええ……いやまあ、そうだけど。でも、めちゃくちゃ法の隙間を強引に潜り抜けてるグレーゾーンじゃないかそれ……!むしろ、グレーどころか真っ黒に近い灰色だよ!」
私のツッコミを、雫は涼しい顔で華麗にスルーした。
「ふふっ、我が主、彰様を守るためであれば、法律の網の目など、私のメイドとしての包丁さばきよりも細かく切り刻んでみせますとも」
「物騒な事は駄目だよ!」
背筋がゾッとした。このメイド、これまで裏で一体どれだけの行政手続きや、あるいはもっとヤバい裏工作を済ませてきたというのか。想像するだけで胃が痛くなってくる。
「ですがご安心ください彰様」
「な、何を?」
「このお店の持ち主である『おば様』は本当に旅行中なのと、連絡がつかないのはいつもの事ですので。おば様はフラッとした感じで旅行という名の冒険にでてしまうので」
「ええ………」
なんで雫の知り合いって、変に斜め上の人しかいないのだろう。
私はどんびきした。
「それじゃあさ。これって、万が一お上の人とか、あるいは何か大きなトラブルに見舞われたりしても……裏で色々と言い訳とか証拠隠滅とか、そういう面倒な後始末も全部、あとから何食わぬ顔で処理しようとしてる?」
私の問いかけに、メイドは誇らしげに、しかしどこかゾッとするほど穏やかな笑みを深めた。
「何を仰るのですか、彰様。万が一の事態が発生したときのシミュレーション常に対策を完璧に完了しております。何か問題が起きそうになれば、私がその場で記憶の改竄……ではなく、円満な誤解の解消をスマートに執り行いますので、一切の心配には及びません!」
「後から色々と言い訳を考えてるどころか、トラブルの芽ごと闇に葬る気満々じゃないか……!怖すぎるよ雫!」
何かあっても「裏でうまくやってるから大丈夫です」と言い切られると、かえって得体の知れない恐怖が募ってくる。
私が法に触れて捕まるとかそういう心配よりも、このメイドの暴走によって社会の裏組織と全面戦争になりそうな不安の方が圧倒的に大きい。
私の怯えた様子を見て、雫は「おや」と首をかしげ、少しネジが外れた笑顔を向けた。
「彰様がそこまでご心配なされるのであれば、より確実な証拠をお目にかけましょう。何でしたら……直轄の『男性保護監察官』である、あの『なぎさ』様にお尋ねになってみてもよろしいのですよ?」
「なぎささんに?」
「はい。あの方でしたら、この世界の男性保護に関する法的ルールの裏も表も熟知していらっしゃいます。今すぐ彼女に連絡を入れ、『彰様が裏通りの喫茶店で執事としてお茶を淹れておりますが、法的に問題ございませんか?』とご質問なさってみますか?多分、一時間もかからずにこちらにやって来るかと思いますが、全て大丈夫とお答えなさるかと。ただ、あの方は延々と居座ると思いますが……」
雫は自信満々に自分のスマートフォンを取り出し、画面をこちらに向けてみせた。そこにはすでに「なぎさ」の名前で通話が発信できる状態の画面が表示されている。
「繰り返しますが、なぎさ様ならきっと『お姉ちゃんがどうにかするさ!』と、あの方なら間違いなく即答なさるでしょう。彰様を堪能するために居座りますが」
「それ絶対に向こうの勝手で、ねじ曲げようとする返事しか返ってこないやつじゃん……!なぎささんに迷惑をかけちゃだめだよ……」
私は慌てて雫のスマホを両手で押し戻した。
どうしてこうも私のことになると法も常識も全速力で無視して、私を推してくるのか。雫の頭の中では、治安って言葉はどうなっているんだと本気で頭を抱えたくなる。
「ご安心いただけましたか、彰様?」
雫は私のそんな苦悩など露知らずといった様子で、ふんふんと機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、再びティーカップの拭き掃除に戻った。
「すべては我が主、彰様が、安心して優雅に執事としての戯れを楽しんでいただくための『完璧な根回し』でございます。ですから、法律の壁など気にせず、ただ目の前のお仕事――いえ、優雅なティータイムにだけ集中していらしてくださいませ」
「うーん……」
私は椅子に深く座り直し、自分の頭を抱えた。
法律的にはグレーどころかアウトかもしれない。裏では私の知らないところで行政や何やらをいいようにし、あるいは力技でねじ伏せたりしている可能性が非常に高い。
だけど、現にこうして、小さな喫茶店の中で、私は安全に、誰にも邪魔されず、美味しいお茶とケーキに囲まれてこうして息抜きをしている。危ういバランスの上で成り立っている砂上の楼閣のような日常――いや、むしろ地雷原の上のピクニックのような状況かもしれないけれど。
「……まあ、いいか」
結果、残念な私は考えるのをやめた。
まあ、どうにかなるであろうと。
私の環境が特殊すぎた事にしよう。
ただ、一番楽しんでるのはこのメイドだと思うけど……。
「とりあえず、今日だけだよね?」
「はい、勿論でございます。興がのって貰えるのでしたら是非!また!別の機会にも!お願いいたします。執事というのは女性の希望なのです」
「まあ、そうだなぁ……。気分がのったらね」
私がそう呟くと、雫は「――っ!」と息を呑み、まるで自分のことのように感動に打ち震えながら、再び両手で自分の頬を抑えた。
「彰様……!なんという寛大なお言葉……!そのお覚悟、しかと受け止めました!……では、万が一の際に備えて、男性保護監察官への緊急ダイヤルは常にスマホに表示させておきますね」
「待って待って待って!へんに大事にしないでね!普通にお茶を淹れるだけで十分だから!」
私の必死の制止の声を背中に聞きながら、雫は目をキラキラと輝かせ、すでに頭の中で新たなヤバい計画の構築を始めているようだった。
――こうして、法的な不安と限界オタクの妄想に挟まれながら、私たちのなんちゃって執事喫茶の奇妙な一日は、まだまだ終わらないのであった。
「衛生面、営業面においても責任者としてはお任せ下さい。
私、この喫茶店でしたら一応許可証も免許もありますので」
しかしながら、ドヤ顔の雫には不安しかないのであった。




