041 執事喫茶な件
「――あのさ、雫」
私は窓の外を流れていく見慣れない街並みを眺めながら、目の前でやけに嬉しそうに微笑んで車を運転するメイドに声をかけた。
今、私はどういうわけか、高級感あふれる黒塗りの車の後部座席に座っている。
普段は自分の作業部屋から一歩も外に出ず、引きこもってVチューバーとしての配信やらの作業に明け暮れているというのに、気がつけば完全なる拉致――いや、雫の有無を言わさぬエスコートによって、見知らぬ街へと連れ出されていた。
久々の外でちょっと嬉しいのはいうまでもないが。出てきた理由がちょっと大丈夫なのか心配だった。
「いかがですか、彰様。窓の外の景色は。たまにはこうして外の空気を吸うのも、我が主様の健康管理の一環として非常に有意義かと」
「いや、健康管理も何も、僕をどこに連れて行くつもり?そもそもだけど、外に出るなんて一言も聞いてないけど……」
「ふふふ、サプライズでございます」
雫は一切の反論を受け付けないという輝かしい笑顔で首を横に振った。
事の発端は少し前、部屋で執事服を着せられ、給仕の練習をさせられていたときのことだ。私が「配信で使えるといいな」などと言ったのが運の尽きだったらしい。
「でしたら、実践あるのみでございます!」と言い出した雫は、私の返事を聞く間もなく車を手配し、あれよあれよという間に私を乗せてしまったのだ。
恐るべき行動力である。あずささんの暴走とはまた違った方向性で、このメイドの推進力はバグっている。
車はやがて、オフィス街を走り、その裏手を通る。人の往来が少ない道なりを進み。落ち着いた雰囲気の古い喫茶店の前にあった駐車場にゆっくりと停車した。
「到着いたしました、彰様。本日の舞台でございます」
雫に促されるまま車を降りると、そこにはアンティーク調の木製扉が印象的な、こぢんまりとした素敵な喫茶店があった。
「ここは……?」
「ふふっ、私の知り合いのおば様が経営されている喫茶店でございます。ただ、現在はおば様が海外旅行に行かれておりまして、しばらくお店を空けていらっしゃったのです」
話しながら懐から鍵を出してあける雫。
「そこで私が『ちょっと大切な御用がありまして』と頼み込んだところ、快く貸してくださりまして」
いやいや、どうやって鍵を借りたんだ?
「以前、ここでお手伝いをしていたもので合鍵をもっているのです」
心を読まないで欲しい。
鍵を開けて中に招き入れられると、中は外の喧騒が嘘のように静まり返っていて、古くからの木の香りが心地よく鼻をくすぐる。
「頼み込んだって、急にこんなお店を借りてどうするつもりなんだよ」
「決まっております。先ほど私がお伝えした『実演』の場でございますよ」
雫はテキパキとエプロンを身につけつつ、カウンターの裏へと回り込んだ。
「でも、料理とかできないでしょ?僕はせいぜいお湯を沸かして紅茶を入れるくらいしか……いや、軽食ならオムライスはいけるか?」
「ご安心ください。軽食の調理類、素材はございませんが。このお店のすぐ裏手には、おば様が懇意にしている絶品のケーキ屋さんがございます。そこからケーキを仕入れておけば、喫茶店としての形は十分に整います」
「仕入れてくればって、そんな事できるの?」
「準備はすべて、この完璧なメイド、雫にお任せください!以前、仕入れもしてたので問題ありません!」
言うが早いか、雫は喫茶店から出て行ったと思ったら、ありったけのケーキを手に入れて。手馴れた手つきで冷蔵ショーケースに陳列。
カウンター内のカップやソーサーを美しく並べ替え、棚の豆を挽き、あっという間に本格的な開店準備を整えてしまった。
その淀みない動きがあまりにもプロフェッショナルすぎて、私は思わずぽかんと口を開けてしまう。
「すごいねぇ、雫……」
「――メイドですから」
「まあ、それはいいとしてさ……」
私は自分の着ている上質な執事服の裾を軽くつまみながら、少しだけ現実的な不安を口にした。
「こんなところで、男の僕が急に喫茶店なんかやっていて、平気なものなのかな?変に思われない?」
私の問いかけに、雫はふっと不敵で、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ご安心ください、彰様。この場所を選んだのには理由がございます。確かに特別な場所ではございません。しかしながら、私は思うのです。というか、確信がございます。いまの彰様のお姿を目の当たりにした一般人が、あまりの尊さと美しさに脳を焼き切られ、全員一様にぼーっとして記憶が綺麗に飛んでしまうという自然現象が絶対に起きます」
雫は早口で確信をもっていいのける。
だが、それはおかしい。
「それってただのキャパオーバーで記憶飛ばされてるだけじゃん!もっと危ない気がするんだけど!」
「大丈夫でございます。皆様、店を出る頃には心地よい夢から覚めたような清爽とした顔でお帰りになりますので」
んな、馬鹿な事があってたまるか。
なんだか怪しい話だなと思いつつも、ここまで準備されてしまっては引き返すこともできない。
私はため息をつきつつ、カウンターの端に用意された椅子に腰掛けた。
「はぁ……分かったよ。やるからには、ちゃんと『執事』を演じさせてもらうけどさ。本当にお客様なんて来るのかな?」
「ふふ、それはどうでしょうか。ですが、我が主様を求める迷える子羊が、この甘い香りに誘われて引き寄せられてくるかもしれませんよ」
雫が意味深に微笑んだ、その直後だった――。
カランコロン、と入り口のドアベルが心地よい音を鳴らした。
「おや、さっそくお客様のようでございますよ、彰様」
雫に促されて入口の方に目を向けると、そこにはいかにも仕事帰りで疲労困憊といった様子の一人の女性が立っていた。
どこか呆けたような、しかしどこか切羽詰まったような目をしている。
本当にお客さんが来ちゃったよ。
心の中で少しだけ冷や汗をかきながら、私は教わったばかりの「執事のイロハ」を思い出す。
背筋をピンと伸ばし、上品に、かつ自然に。
今だけはフィン!
今だけはフィン!
私は気合いをいれて役を演じた。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
私はカウンターの奥から一歩前に出ると、柔らかく微笑みながら声をかけた。
その瞬間、入ってきた女性の足がピタリと止まった。
「……え゛?」
女性は目を見張り、信じられないものを見るような目で私を凝視した。
その顔には「仕事の疲れでついにおかしくなったか?」「ついに幻覚が見え始めたか?」という絶望と混乱の色がこれでもかと浮かび上がっている。
無理もない。まさか裏通りのこんな小さな喫茶店に、執事服を着た男が立っているなんて思わないだろう。
「お疲れのようですね。温かいお飲み物でもいかがですか?」
私はあらかじめ雫から教わっていた通り、自然な仕草でメニュー表をそっと差し出した。
女性はしばらく固まっていたが、やがて「あ、私、いよいよやばい病気にかかったんだ……」とでも言うように頭を抱えかけ、しかし、そのあまりのリアルな空気感に負けたのか、おそるおそる席へと歩いていき、ポツリと呟いた。
「じゃあ……温かいブレンドティーと、チョコレートケーキのセットを……」
彼女の目の焦点があってない。大丈夫だろうか。それでも私は顔に出さず頭を下げる動作をゆっくりする。
「かしこまりました、お嬢様。少々お待ちくださいませ」
私は一礼し、カウンターに戻った。
その背中越しに、女性が「お嬢様?これは夢だな。疲れてるのかな……」と必死に自分に言い聞かせているような気配が伝わってくる。
「お見事でございます、彰様」
カウンターに戻ってきた私に、雫がこっそりと親指を立てて見せた。
「完璧な所作でございました。あの迷える子羊も、すっかり我が主様の美貌に脳を焼かれてクラクラしていらっしゃるご様子ですね」
「いや、完全に頭がバグって混乱してるだけに見えたけど……。ほら、ケーキの準備を頼むね」
私は雫から渡されたチョコレートケーキを皿に盛り付け、ブレンドティーの準備を整えた。
手馴れた手つきでお盆に載せ、再び女性の席へと運ぶ。
「お待たせいたしました。ブレンドティーと、チョコレートケーキでございます」
「あ、ありがとう……ございます……」
女性は震える手でフォークを持ち、チョコレートケーキを一口食べた。
その瞬間、日々の社畜生活で蓄積されたストレスや疲労が、その濃厚で甘さ控えめな絶品ケーキの味わいによって一気にとかされていくのが、見ているだけで手に取るように分かる。
もぐもぐと夢中でケーキと紅茶を平らげていった。
やがて、ティータイムを終えた女性が、途中ふにゃふにゃになりながらも、お会計のためにカウンターへとやってきた。少しだけ顔色も良くなり、最初の絶望したような顔から、どこか夢見心地な、フワフワとした表情に変わっている。
私は伝票を受け取り、穏やかな笑みを浮かべた。
――その時だった。女性が、急に思い詰めたような顔をして、私にこう言った。
「あの……その服、すごく素敵ですね!」
まさかそんな感想を面と向かって言われるとは思っていなかった私は、少しだけ目を丸くした。
だが、ふと頭に浮かんだのは、これを僕にどうしても着せたくて仕方がなかった、目の前で嬉しそうに控えているメイドの姿だった。
私は少しだけ柔らかく微笑み、女性にこう答えた。
「ありがとうございます」
その言葉を聞いた瞬間、女性は「ふぇっ……?」と奇妙な声を漏らし、顔を真っ赤にしてフリーズした。
彼女の中で、この出来事が「現実の出来事」なのか「極上の妄想」なのかの境界線が完全に崩壊し、そのまま脳の処理限界を超えていくのが見て取れた。彼女の目がトロンと遠くなり、記憶の彼方へと意識がフワフワと浮遊していく。
「お会計、頂戴いたします」
私のその声でかろうじてハッと我に返った女性は、慌てて代金を支払い、「夢の国から帰ってきた気がする……」と呟きながら、まるで足元がふらつくようにして喫茶店を飛び出していった。
ガチャン、とドアベルが鳴り響き、静けさが戻った店内で、私は小さく息をついた。
「ふふっ……素晴らしい接客でございました、彰様」
雫は目をきらきらと輝かせ、まるで自分のことのように誇らしげに胸を張っている。
「あの方も、我が主様の圧倒的なお姿を直視したことと、素晴らしいお声に余計な日常の悩みはすべて綺麗に吹き飛び、記憶の彼方へと旅立たれましたね」
「記憶が飛んでるって、それもう色々大丈夫なのかな……。まあ、こういうのも、たまには悪くないのかな」
私は自分の制服の袖口を軽く払い、カウンターの椅子に深く腰掛けた。この裏通りの小さな喫茶店の中だけは、不思議なほどに穏やかで、そしてどこかシュールな時間が流れていた。
――こうして、私の予期せぬ「なんちゃって執事喫茶」の営業は、静かに、そして盛大に幕を開けたのだった。




