021 はじまったばかりで終わりそうな件
――ジリリリリ……。
愛用のスマートフォンが、場違いに鋭い電子音を響かせる。画面を見ると、登録こそされていないものの、嫌な予感だけはしっかりと伝わってくる番号だった。
電話番号に37564がついてる時点でね……。
私は小さく息を吐き、覚悟を決めて通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「初めまして彰様、それともフィン様っていったほうがいい? 私は平賀あずさ。以後お見知りおきを。あと、この前のお礼、ありがとう。好意は受け取っておくから。それとは別なんだけど、その辺に居ると思う雫にも分かるようにスピーカーモードにして」
電話の向こうから聞こえてきたのは、気だるげでありながら、どこか頭の良さを感じさせる女性の声だった。
――おお! やっぱりあずささんか!
話すのはこれが初めてだが、彼女が裏のサーバー管理や技術的な面でどれほど私を支えてくれているか、私は身にしみて知っていた。だからこそ、この唐突な連絡に少し緊張が走る。
振り返るまでもなく、私のすぐ背後――いつの間にか気配を消して控えていたメイドはすました顔でそこに居た。
「雫?」
「何でございましょう」
「あずささんがスピーカーモードで話したいって良いかな?」
「彰様の御心のままに……」
良いらしい。ということで、早速。
「……あずささん、ですか。比良 彰です。いつも裏で助けてもらって感謝しています。おかげでフィンという楽しみが出来ました。えーっと、スピーカーモードにしますね」
私が丁寧にそう返しながらスマートフォンの設定を切り替えてテーブルの中央に置くと、案の定、背後から雫の低く冷たい声が降ってきた。
「――引きこもりネズミが何の用ですか、彰様。耳障りな雑音なら、今すぐ私の手でこのスマホを木端微塵にして差し上げますが」
「ちょっと待って雫、いきなり物騒なこと言わないで。一応僕のだからねそれ。壊しちゃ駄目だよ。あと、雫の友人のあずささんにはいつも世話になってるんだからさ」
私が慌てて取りなすと、スピーカーの向こうからあずさの呆れたような、しかしどこか面白がるような乾いた笑い声が返ってきた。
「聞こえてるぞ、そこのサイコパス。相変わらず主様の前でいい顔キメてるのか。……まあいいわ。雫には貸しがあるから、仕事として頼まれた事は吝かじゃないんだけどさ。
これからの事で、単刀直入に言わせてもらうけど……」
あずさの声のトーンが、一気にプロのエンジニアのそれへと切り替わった。
「今使ってる配信のサーバー、バックには私が在籍しているゲーム会社の極秘部門を使わせてもらってるのよ。ただ、そこだって無限に耐えられるわけじゃないし、無限に使って良い所でもないから、私が裏で必死に工作して負荷を分散させて上手く回してるの。それでも今のままだと、同時視聴者数は3000人が限界」
「3000人……? それ以上は増やせないってことですか?」
「そこの点。フィン様を動かすアバターやデータ自体の容量が大きすぎるってのもあるけど、一番の問題は別にある。公式の配信ページに対して、誰かが猛烈な勢いでアクセスを送り続けてるのよ。いわゆる、サーバーがパンクしちゃう攻撃――『DoS攻撃』ってやつ。……ただこれ悪意がないから。善意の攻撃なんだけど」
――善意の攻撃? 私の配信にそんなものが?
私が言葉を失っていると、あずさはさらに舌打ち混じりに言葉を重ねた。
「みんなフィン様の配信がみたくて、サイトにアクセスしてるってこと!
おしくら饅頭みたいにパンク寸前ってこと!」
「なるほど、推しの饅頭になっていたのですか。それは不味いですね」
「雫の頭は推ししかないのかよ!」
「ありません。推し中心の命なので」
「あっそう……」
仲の良い二人のやりとりを見ながら、落ち着いたあずさがまた話だす。
「ともかく!いつかはサーバーが耐え切れなくなってダウンしかねないし、正直かなりヤバいのよ。一つ言っておくけど、彰様が思ってる以上に、今の時代に男性が生配信をするなんてレアだし、ほぼいないから。
確かに過去に挑戦した奴もいたけど、すぐに正体を暴かれたり、裏のデータを抜かれてボロボロにされるのがオチだったんだから」
ピリピリとした緊迫感が部屋を包む。だが、あずさの言葉の端々には、技術者としてのプライドと、どこか負けず嫌いな苛立ちが滲み出ていた。
「だからって、このままおめおめと引き下がるのは、私のプライドが許さないしムカつくからさ――」
あずさは電話の向こうでふっと鼻を鳴らし、さらに早口でまくし立てた。
「別の手を考えたってわけ。逆に、あちこちから攻撃されるような隙だらけの所じゃなくて、情報が多すぎて常に厳重なセキュリティが張られていて、下手につっつこうものなら国際問題になって訴えられるくらいヤバい海外のプラットフォームを使おうと思うの。そこなら毎日のようにサイバー戦争が起きても不思議じゃないくらい要塞化されてるから安心だと思う。
巨大なサーバーならちょこっとカチカチ更新したところでビビたるものだし。勿論
表向きの管理や調整は私がやるけど、裏側の面倒で危ない部分はそこの専門家チームに丸投げしちゃえばいいし。
ただ一つ問題があって、そこでサーバーを借りるとなると、費用が桁違いに馬鹿でかくなるわけ。……で、一体どこまで予算を出せるって話よ、主様?」
法外な見積もりを突きつけるようなあずさの問いかけに、私は思わず手に力を込めた。まだ私には収益が入っていない。
海外の要塞サーバーを借りる費用など普通に考えても、一般人の私に払えるわけがないのだ。
困り果てて言葉に詰まった瞬間、私の背後から一歩前に踏み出す足音が響いた。
「――なるほど、よく分かりました」
スピーカーから漏れるあずさの声とは対照的に、雫の低く冷ややかな声がリビングの空気を引き締める。彼女は完璧な笑みを浮かべ、私を見下ろすように恭しく一礼した。
「費用面のことでしたら、どうぞご安心ください。それに関する諸経費は、すべて私の方で責任を持って工面し、全額お支払いいたします。彰様におかれましては、余計な心配をなさらず、ただご自身の好きな配信で大いなる成功を収めてくださればそれで十分です」
あまりにも即答で、しかも全額自腹を切るという恐ろしい発言に、私は冷や汗を流しながら首を振った。
「いやいや雫、さすがにそれは金額が大きすぎないか? 多分、個人で払えるレベルの額じゃないだろ……」
「ふっ、主様にお金の心配をさせるなど、メイドとして万死に値します。稼ぎならいくらでもありますので、どうかお気になさらず」
引き下がる気配の微塵もない雫の狂気的な忠義に圧倒されつつ、私は小さく息を吐いた。ここで変に意地を張っても、彼女を説得できそうもないのだから。
「……わかったよ。そこまで言ってくれるなら甘えるけどさ。その代わり、配信の収益がたくさん増えて余裕ができたら、ちゃんと返済するからね」
私がそう苦笑いしながら告げると、電話の向こうのあずさが、やれやれと言いたげに小さく溜息をついた。
「はいはい、太っ腹な狂気メイドに、お人好しな主様っと。こっちはこっちで面倒な手配が増えて忙しくなるってのにっ!
……話はまとまったみたいだし、さっそく向こうの要塞サーバーへの移行手続きを進めるから。せいぜい感謝しなさいよね、彰様。
あと、私も半分払うから! 全部そこのメイドだけにさせはしないから!」
ガチャリ、とドライな音を立てて通話が切れる。
静まり返ったリビングで、私はテーブルに置いたスマホを見つめながら、これから始まるであろうさらなる大騒動の予感に、そっと遠い目を向けるのだった。
ん? いや、まって欲しい。
なぜ、あずささんも払うのだろうか?
この時の私は、まさかあずささんも既に沼っているとは思ってもいなかったのだ。




