020 伊波なぎさの心情は複雑な件
私、伊波なぎさの仕事は、男性保護監察官だ。
だが、主な仕事は政府機関で要人や特殊な背景を持つ個人の動向を監視、または警護する事だ。裏社会では「猟犬」なんて呼ばれているらしいが、まあ、それも汚れ仕事を掃除していれば自然とつく二つ名だ。
左目を覆うこの黒いサングラスだって、数々の修羅場をくぐり抜けてきた名残に過ぎない。
けれど、そんな私にも唯一にして最大の例外がある。
かつて事故で両親を失った比良彰――私がずっと陰から見守ってきた、たった一人の「弟分」だ。半年に一度の定期巡察なんて建前は、要するに私個人の生存確認のルーティンに他ならない。あの子が元気に生きているか、変なことに巻き込まれていないか。それを確かめるためだけに、私はこうして足を運んでいる。
――そして数日前のことだ。
国家レベルのサイバーテロだの「妄想先生」だのと、裏社会じゃ不穏な噂が飛び交っていた。それが誰が何を引き起こしてるのかは大体察しはついていたのだが……。それはきっと何か深い事情があるに違いないと踏んでいた。
ただ、万が一もある。あの気弱でひょろひょろだった少年が巻き込まれていたらどうしようと、内心では結構ヒヤヒヤしながら私は平賀家のチャイムを鳴らした。
「よお、彰くん。相変わらず元気にしてたかな?」
いつも通り軽口を叩きながらドアを開けさせた私を待ち受けていたのは、度肝を抜かれる光景だった。
家に迎え入れようと一歩引いた彰の姿を捉えた瞬間、私の思考は完全にフリーズした。
反射的に出そうになった声を喉の奥で押し潰し、私は硬直した足を無理やり動かす。サングラスの奥の視線で、思わずあいつの全身を上から下へと舐め回すように見つめてしまった。
そこに立っていたのは、かつて私が知っていた「頼りないインドア少年」なんかじゃない。
情けなさそうな背筋が印象的だった子が、はっきりと自信を持って立ち。ガリガリだった体も引き締まり、服の上からでもはっきりとわかるほど引き締まった肉体。
元々良かった顔立ちは男の落ち着きと、なぜかぞっとするほどの色気を帯びていた。
(彰くんに何があったんだ!?)
傭兵としての訓練で鍛えたはずの心臓が、バクバクと五月蠅く跳ね上がる。
動揺と、言い知れない感動が胸の奥からこみ上げてきて、私は思わずガシリと肩を掴み、その筋肉の付き具合を確かめるように強く揉みしだいてしまった。
間違いなく本物だ。引き締まった肉の感触に、私は内心で「えぇ……どうなってるのこれ……」と頭を抱えた。
「いや、ちょっと体を鍛えようと思いまして。適度に運動していたら、自然とこうなったというか……」
「適度な運動でこんなに体格が変わるか普通っ……!」
喉まで出かかったツッコミをどうにか飲み込めなかった。
それでも私は必死に平静を装う。
自信に満ち溢れたような堂々とした大人の男の佇まいだ。
――あぁ、お姉ちゃん、ちょっと感動しちゃったぞ。
私が守ってやらなきゃ生きていけないと思い込んでいたあの子が、いつの間にか自分の知らないところでこんなに立派になって……。
誇らしさと、ほんの少しの寂しさが入り混じる。
だが、その感傷に浸っていた私へ、突如としてひんやりとした殺気が滑り込んできた。
「――彰様。お客様の応対をするのは、私の仕事ですので下がって下さい」
メイド服を纏った長身の女――一二雫が立っていた。
完璧なメイドの仮面の下、サングラス越しに向かってくるその双眸には、凍りつくような殺気が宿っている。
(あいかわらずだな!)
本能的な戦闘態勢が頭をもたげる。同い年でお互いの底を隠し合っている者同士、水面下で激しい火花が散るのがわかった。あいつはわざわざ彰の背後にぴたりと密着し、服の皺を整えるふりをして、誇示をしてみせる。
(相変わらず胡散臭い目をして……。だがまあ、彰くんの近くに張り付いて変な虫を追い払ってくれているなら、とりあえず及第点としておこう)
私は心の中で鼻を鳴らし、余裕の笑みを貼り付けて、案内されるままにリビングへと足を進めた。
テーブルに向かい合って腰掛けた私に、雫がティーカップを差し出す。その背後から突き刺さってくるプレッシャーを華麗にスルーしながら、私は本題を切り出した。
「で、どうなんだ最近は。政府の特殊な部署にいると、変な噂ばっか耳に入るんだが……最近変なことに巻き込まれてないだろうな?」
本当は世間を騒がせているサイバーテロの件とか、「妄想先生」の正体とか問い詰めたかった。だいたいは察してはいるのだ。このメイドが何かしていると。
ただ、雫に関しては彰の事になれば悪い事はしない。
つまるところ、雫は彰を守ったことになる。
それはまあ、良い事だ。しかし、しかしだ……。
私の可愛い弟分がそんな大事件に巻き込まれないと信じたいけれど、心配性な保護者としてはどうしても気になってしまう。
しかし、当のあいつはカップをソーサーに置き、まったく動じない顔で涼しく言い放った。
「いえ、特に何も。平穏なものですよ。最近はSNSのアカウントを開設して、ちょっと登録者が増えて驚いているくらいです」
「SNS……? 彰くんが?」
「ええ。執事のキャラクターで、Vチューバーとして優雅に生配信をやろうと思いまして。お陰様でフォロワーも3000人を突破して、皆さんに温かく応援していただいています」
その言葉に、私は思わず心の中で「おっ?」と声を上げた。
人付き合いの苦手だったあの子が自分から表舞台に立って配信を?
しかもフォロワー3000人?
目の前の彰はどこまでも落ち着いていて、すっかり肝が据わっている。
なんだかお姉ちゃん。どんどん置いていかれる気がするな。
「ふーん……。お前がなぁ、Vチューバーねえ」
弟の成長を見守る姉の気分を感じつつ。私は涙腺にあがってくるこみ上げるものをどうにか抑えながら冷静を保った。
「まあいいさ。お前が元気で、こうして男を上げて立派に暮らしてるなら、お姉ちゃんとしてはそれだけで十分だ。何か面倒な奴が絡んできたらいつでも言いなさい。『お姉ちゃんがどうにかするから』な?」
私がそう言って豪快に笑ってみせると、背後に控えていた雫の肩がわずかにピクリと揺れ、殺気に似た冷気が漂ってきた。
……ふふ、私の「お姉ちゃん」発言に思いきり敵意を抱いてるな?
まあ、それだけあいつへの執着が強いってことだ。
彰の周りがそれだけ固められていると思えば、むしろ頼もしいくらいだ。
「ありがとうございます、なぎささん。そういえば、次の配信は今度予定しているんですが……もしよければ、なぎささんも見てくださいよ」
「おっ、いいな! お姉ちゃんが正座して監視してやるからな!」
「――ふっ。監察官様はお忙しい身の上。そんな中で暇があって、視聴できれば良いのですが」
すぐ隣から飛んできた雫のトゲのある嫌味に、私は「生憎と、可愛い弟の監視にはいつでも全力を割く主義でね」と、満面の笑みで綺麗に言い返してやった。
さて。
紅茶の余韻を喉の奥に流し込みながら、私はふと腕時計に目をやった。
もっとこの成長した自慢の弟の顔を眺めていたかったし、あれこれ話を聞きたかったけれど、政府の特殊な部署を預かる私にいつまでも長居の時間は許されない。社会の後始末や山積みの仕事が、私を呼んでいる。
「……っと、そろそろお暇しなきゃならない時間か」
私は名残惜しさを隠しながらソファから立ち上がり、柔らかい笑みを浮かべて彰を見下ろした。ここにあるのは冷酷な猟犬の顔じゃない。ただの、弟を可愛がる普通のお姉ちゃんの顔だ。
「何かと忙しい身なもんでね、今日はこれくらいにしておくよ。
でも、元気そうな顔が見られて本当によかった。近々、また様子を見に来るさ」
「お疲れ様です、なぎささん。お仕事、無理しないでくださいね」
「ああ、お前もな。次の配信、楽しみにしてるから――それじゃあな、雫も機嫌よく主人を支えるんだぞ」
不敵な笑みを残して平賀家を後にし、重厚な扉を背にする。
国家の裏側を揺るがすかもしれない秘密を抱えた部屋から離れながら、私は帰路の足取りを軽くして、心の中でそっと呟いた。
(あいつ、本当にいい男になるな……。次に来るときは、どんな驚きを見せてくれるか楽しみだ)
後日だが、その配信とやらを楽しみに待っていたのだが。
一瞬で枠が埋まったらしく入れなかった。
何故だ!
「お前らそこを退け! 私がお姉ちゃんなんだぞ!」
待てども待てども、配信には入れなかった。
おのれ雫め! 謀ったな! そういうことだったのか!!!
私は生放送を一切見れなくて、それが悔しくて悔しくて。
私は不貞寝した。




