002 それでも世界は回ってる件
「――さてと」
雫がトレーニング器具の手配のために意気揚々と部屋を退出していき、私は一人、広めのリビングのソファに深く腰掛けた。
部屋の外から聞こえてくるのは、きびきびとした彼女の足音と、電話で何やら凄まじい圧を業者にかけているような頼もしい声音だ。
あまり業者の方に迷惑にならなければ良いけど。
リビングの壁に掛けられた大型の液晶モニターに目をやる。リモコンを手に取り、電源を入れてみる。
前世の記憶が戻ったとはいえ、今のこの世界がどうなっているのか、まずは世間の情勢を把握しておかなければ話にならない。画面がパッと明るくなり、女性アナウンサーの明瞭なニュース音声が部屋に響いた。
『――続いてのニュースです。本日の主要都市における男性保護区画の治安維持について、治安局より発表がありました。本日未明、一部の地域において男性の外出ルールに違反した未登録の接触事案が発生……』
ニュース画面には、きらびやかな高層ビル群と、洗練されたスーツ姿のキャリアウーマンたちが闊歩する街の映像が映し出されていた。政治も経済も、そして警察といった実力組織のすべてを女性が握っている世界。それがこの社会だ。
男性は文字通り「国の宝」として手厚く保護されている。
生活費は毎月満額支給され、住む場所も、衣食住の面倒を見てくれる専属の家政婦――雫のような優秀な人材まで国が用意してくれる。
だが、その代償として、男性が自分の意志で自由に外を歩き回ることは厳しく制限されていた。
(まあ、そりゃそうか)
画面のニュースでは、男が一人で街を歩いた際に、あまりの希少性と保護対象としての過剰な人気から、すれ違う女性たちが我先にと群がり、文字通り揉みくちゃになって交通網や治安が大混乱に陥る様子が防犯カメラの映像付きで流れていた。
ただ、別に襲われてるわけでもなく心配されてそれなのだ。大変な世界だ。
身の安全を守るため、そして周囲の社会や経済活動に大迷惑をかけないためにも、男は基本的に自宅や指定された安全区画から勝手に出歩いてはならないことになっている。専属の家政婦が常に付き添っていようとも、一歩外に出れば周囲の女性たちがパニックを起こしかねないレベルの「貴重」な扱いなのだ。
「外を自由に歩くのは、当分無理そうだな……」
私はため息をつきつつ、リモコンでチャンネルを切り替える。
経済ニュースやバラエティ番組を流し見していると、世間では「いかに男性をストレスなく快適に保護するか」「最新の男性向け癒やしグッズのトレンド」などが連日のように大々的に特集されているらしかった。
国から過保護なまでに守られ、労働の義務すらない。このまま何もしなければ、文字通り「箱入り人形」の一生で終わる。
多分だが、記憶の中で考えるに、この世界の男性はそれで良いとおもってる風潮がある様だ。余り物事を考えず、ゆっくり生きている温厚な生き物なのかもしれない。
(それは流石に、35歳のおっさん魂としては耐えられないな)
外に出られないなら、この家の中でやれることをやるしかない。幸い、ネット環境は完全に整っているし、金融市場へのアクセスや情報収集も自由だ。肉体を鍛え直すための器具も、業者さんがそのうち最高級品を揃えて持ってきてくれる。
逆にこの恵まれた環境をどう利用して、自分の足で立てる基盤を作るか。
考えてみれば中々に楽しそうだ。
これまで忙しく生きてきた身としては、ゆっくり好きなように生きるなんて考えた事もなかったしな。
コン、コン、と控えめなノックの音が響き、すぐにドアが静かに開いた。
「彰様失礼いたします。トレーニング器具の業者への手配、すべて完了いたしました。明日の午前中には、こちらの部屋の一角に完璧に設置される手はずとなっております。設置は私が致しますのでお任せください」
メガネをクイッと押し上げながら、雫は涼やかな顔でそう告げた。だが、その瞳の奥には、明日への期待で燃え盛るような凄まじい熱量が隠されているのを、私は気づきもしない。
「ありがとう、雫さん。色々と手際が良くて助かるよ」
「とんでもございません。すべては彰様の健やかな生活のためですので」
外の世界には出られなくても、この屋敷の中には、私を支えてくれる優秀な家政婦と、有り余る時間と、これから鍛え上げる肉体がある。
前世の知識と経験を武器にした新しい人生は、こうして静かに、しかし確実に動き出していた。




