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男性が少ない世界で執事っぽいVしてます  作者: そういう作品だったらいいなって
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108 まさかそんな事は無い件

 私の自室の空気は、いつでもどこか少しだけ乾いていて、無数の電子機器が発する微かなファンノイズで満たされている。

 部屋の隅に積み上げられたダンボール箱、無造作に転がった配線ケーブル、そしてデスクの上で幾重にも展開され、青白く明滅するマルチモニターの光。大きめのダボダボパーカーに身を包み、ワークチェアに身体を預けた私の目の下には、今日もくっきりと深いクマが刻まれている。


 その狭い空間のメインデスクで、私はワークチェアに身体を預けて頭を抱えていた。

 先ほどまでスパスパちゃんがネットの海から拾い上げてきたデータや、私自身がキャッチした情報を必死に整理していたのだ。先日ウロボロスサーバーの深層で起きた騒動や、その裏で水面下に生じていた異変――現実の病院で起きた奇跡的な完治劇と、医療関係者からの必死の接触。それらの点と点が、今やはっきりと繋がり始めていた。


 そんな私の、頭が痛くなるような最悪の報告を、斜め向かいのキャスター付きチェアに優雅に腰掛ける雫は、じっと静かに聞いていた。


「――っていうわけよ、雫」


 私は大きく息を吐き出し、机に突っ伏したまま彼女を睨みつけた。


「スパスパちゃんが引っかけてきた情報や、私のもとに届いたデータを照らし合わせるとさ……どうやら事態は私たちが思ってる以上にヤバいことになってるわけ。聞いてて頭が痛くなってきたんだけど」


 雫はタブレット端末の画面から顔を上げ、私の言葉を促すように静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。


「もう一度詳しく聞かせていただけますか?」

「うん……。発端は、ネットの片隅で観測された『奇跡の完治』の噂だったんだけどさ。それを裏付けるように、Plan_Bの代表宛てに一通の内部告発というか、必死の懇願メールが届いてたのよ。差出人は、とある総合病院の医師だった」

「病院の医師、ですか」

「そう。何でもさ、その病院に入院していた一人の患者――ごく稀にしか発症例のない進行性の難病を抱え、死を待つだけだった女性がいたそうなのね。で、その人がフィン様のASMR音声を偶然耳にしたところ、現代医学では絶対にあり得ないレベルで病状が劇的に改善して、最終的に完全に完治しちゃったらしいのよ」


 私がそこまで一気に説明すると、雫は「なるほど」と、どこか深く納得したような小さな呟きを漏らした。


「……なるほど。そういうことですか」

「え?」

「先日からの不可解なトラフィックの変動や、隠蔽された医療カルテの断片的なリーク――そのすべての点と点が線で結ばれました」


 雫はスッと目を細め、冷徹なまでの知性をその瞳に宿す。

 その淀みない分析を聞きながら、私はふと強烈な違和感を覚えて背筋が凍った。


「ちょ、ちょっと待ってよ雫。あのさ……そもそも、その『隠蔽された医療カルテの断片的なリーク』とか『トラフィックの変動』とかさ、あんた一体どこからそんな極秘情報を仕入れてるわけ……?私がまだ知らないデータまで勝手に持ってて、聞いててめちゃくちゃ怖いんだけど!」


 私の必死の抗議に対し、雫は涼しい顔でふっと優雅に微笑んだ。


「何を仰るのですか、あずさ。蛇の道は蛇と申しますし、優れたメイドたるもの、主様の預らぬところで闇を穿つのは基本中の基本でございます。情報収集もできないようでは、彰様にお仕えする資格はありませんからね」

「いや『蛇の道は蛇』ってなに!メイドは何でも出来て当たり前みたいな顔して誤魔化すなーーっ!あんた一体裏で何やってるのよ!?」

「ふふ、企業秘密でございます」


 まったく取り合わない雫に、私はこめかみを抑えて盛大にため息をついた。恐ろしいメイドだ。

 しかし、そこで私はふと、以前から気になっていた疑問を思い出した。


「……っていうかさ。そういえば、あんたがこうして私の部屋に来てる時って、フィン様を護ってるのは誰なのよ?まさか誰も護衛がいないなんてことはないわよね?」

「ご安心ください。私がこちらへ出向いている間は、裏世界のプロを護衛として配置しております。もちろん、彰様に悟られるようなヘマは決していたしません」

「へえ……。でも、それだとフィン様、家で一人になっちゃって寂しくないの?あの人、なんだかんだであんたがいないと不便そうだし……そこがすごく気になってたんだけど」


 私の素朴な疑問に、雫は不思議そうに小首を傾げた。


「いいえ、ですから申し上げたはずですが?私の代わりの『私』が向こうにおりますので、何も心配はいりませんよ」


 ――ピタッと。

 私の思考が、数秒ほど完全にフリーズした。


「……え?ちょっと待って。どういうこと?」

「裏の世界には、私と瓜二つの姿に変装できるプロフェッショナルが存在するのです。いわゆる、変装の達人がいるということですね」

「へ、変装の……達人……?」

「ええ。基本的には彰様の前に姿を現すことはありませんが、あくまでも緊急時にはそうなります。……まあ、彼女もあのASMRの直撃を耐え抜いた猛者の一人ですので、忠誠心において問題はありませんが」


 私は完全に絶句した。

 変装の達人。ASMRを耐え抜いた猛者。それが今、「二人目の雫」としてフィン様の家に潜んでいる?


「……あんたって、この世に何人もいるわけ?」

「いえいえ、私は一人ですよ。ただ、個にして群、群にして個であるというだけです。そういうイメージだと思ってもらっても構いませんよ」


 さらっとSF映画の黒幕みたいな哲学を言い出した。

 まあ、私自身がすでにバグりきった存在みたいなものだし、今さら仕様の怪しさに突っ込むのも野暮なのか?

 しかしながら、私は背筋に嫌な冷や汗をかいていた。

 このメイド、本気で裏社会のドンか何かなんじゃないだろうか。


 まあいいか。とりあえず、今目の前で涼しい顔をしているこいつが正真正銘の『本人』なわけだし。これ以上深く考えるのはやめよう。頭が痛くなる。


 私はこれ以上のツッコミを入れるのを潔く諦め、気を取り直すように手元のキーボードを叩いた。

 先ほど雫に話した、例の医師から送られてきた懇願メール――そこに証拠として添付されていた極秘の医療データをメインモニターに展開し、ざっと目を通す。


 医療の専門知識こそないが、プログラマーとしてのデータ解析ならできる。しかし、その数値の推移を見た瞬間、私は思わず声を上げた。


「ちょっと待ってこれ……医療の専門外の私でもわかるわよ。数値の動きが根本的におかしい。細胞の治癒ってレベルじゃないわ!まるでバグったプログラムを最新のパッチで一気に上書き修正してるみたいな挙動じゃない!フィン様のASMRって、人体に対する強制的な修正プログラムなの!?」


 モニターを指差して絶叫する私に対し、雫は一片の揺らぎもない表情で、さも当然のように頷いた。


「ええ。主様のお声こそが最適解なのです」

「あんたのその、1ミリもブレない揺るぎない自信も怖いんだけど!」

「事実ですから。向こうの立場に立てば、男性の存在が徹底的に秘匿され医療技術も頭打ちになっているこの社会において、『男性の音声』が病を治すなんて事実が表沙汰になれば大スキャンダルです。下手を打てば大変ですし、だからこそ水面下で正当な医療行為として組み込めないか、必死に隠れ蓑を探して弊社に救いを求めてきた……ということでしょうね」


 雫の冷静な解説に、私は頭を抱えた。


「フィン様の声が、現実の医療現場で『万病に効く特効薬』として認知され始めている。外部の医療沙汰もさることながら……問題は、他ならぬ『私たち自身の体』ですよ」

「は?私たちのこと?」

「ええ。思い出してください。私たちって、配信が始まってから今まで、文字通りフィン様の声を毎日、四六時中、浴びるほど聴き続けているわけです。外部の人間が偶然耳にしただけでその変化が起きるのなら、毎日直撃し続けている私たちに、何の反動もないわけがないでしょう?」


 その言葉を聞いた瞬間、私の背筋にスッと冷たいものが走った。

言われてみれば、そうだ。私たちは誰よりも近くで、誰よりも濃厚にあの声を浴び続けている。


「……で、でもさ。だからって私たちに何か異常が――」

「では、あずさ。一つだけ、あなたに質問してもよろしいですか?」

「な、なによ急に」

「あなたはここ最近、日々の激務とプレッシャーから『胃が痛い、胃がキリキリする』と何度も口にしていますが……本当に、あなたの胃は今も痛みなさっているのですか?」


 ――ハッとした。

 不意を突かれた私は、喉の奥で小さく息を詰まらせた。

 たしかに、私は言っていた。サーバーの解析に追われ、深夜の極限状態の中で「あー、もう胃に穴が開きそう」「ストレスで胃が爆発する」と何度も愚痴をこぼしていたはずだ。


 しかし――言われてみれば、今の私の内臓はどうだ?


 おそるおそる自分の腹部に意識を向けてみる。

 ……あれ?

 痛くない。どころか、妙にスッキリしている。まるで生まれたてのように内臓が軽やかで、消化器系が全盛期のスポーツ選手並みにキレッキレに働いている感覚すらある。


「……っ、あれ……?」

「気づきましたか?」


 雫は涼しい顔で頷いた。


「あなたのその体は、連日の睡眠不足にもかかわらず、実際には微塵も疲弊していません。むしろ、あの声を毎日浴び続けたことで、細胞レベルで常軌を逸した強化が施されている。あなたは『胃が痛い』と思い込んでいるだけで幻痛を呼び起こし、実際の肉体は全盛期のそれをも優に凌駕しているのですよ」


 私は自分の両手を見つめ、思わず冷や汗を流した。

 思い返せば異常だ。ここ数日、まともに布団に入って寝ていない。食事だって適当な栄養補助食品で済んでいる。普通なら、とっくに過労とストレスで倒れて病院送りになっているスケジュールなのだ。


「……嘘でしょ。じゃあ私、睡眠時間も削られてるのにさ……もしかして、フィン様の声で超人化でもしちゃったわけ……?」


 引きつった笑いを浮かべる私を見て、雫はさらに平然とした顔で、とんでもない爆弾を投下した。


「何を今さら怯えているのですか。あずさ、あなたはまだ、自分の肉体に『人間としての自覚や限界の概念』が残っている分だけマシな方ですよ。私など、とっくに人間をやめていますから」


 ――は?

 耳を疑った。今、この女は何と言ったのだろう。


「ちょ、ちょっと待って雫……!?『人間をやめている』ってどういうことよ!?まじで言ってるの!?」

「なんなら、今の私なら――そうですね、この身一つで三日三晩眠らずに全速力で走り抜けても、平気でいられるくらいの気力と体力がありますね」

「……それ、もしかして比喩じゃなくて、『ガチで全速力で走った場合』のスペックってこと!?」

「そうですが?何か、私の認識に誤りでもありましたか?」

「いやいやいや、おかしいでしょ常識的に考えて!?」


 私の必死のツッコミに、雫は自分の胸元に上品に手を当て、涼しい顔でこう続けた。


「ふふふ。ただのメイドジョークですよ」

「……は?ジョーク?」

「ええ。もっとも実際に試したわけではありませんが、私が独自にデータを照合した限りでは、未知の超人化というより『活性化した細胞が最高に健康な状態を維持し続ける』程度に収まるはずです。だからと言って、休む事を忘れると後々大変な事になりますのでご注意を。世の中、そう上手い話ばかりではないということです」

「いや十分ヤバいからね!?あと真顔で冗談言うのやめて!あんたなら本気で三日三晩走りかねないから怖いわよ!」


 私たちはどうしたものかと頭を抱えて深い沈黙に包まれた。

 部屋には、パソコンのファンの音だけが虚しく響いている。


「……しかしながら」


 しばらくの沈黙を破って、雫がポツリと呟いた。その声には、先ほどまでの冷徹さとは違う、どこか絶対的な確信の色が混じっていた。


「彰様の声が、病気で苦しんでいる患者様を救えるというのならば――それは、Plan_Bという会社としても、仕事として正式に取り組むべきことだと思います」

「そんなこと言ったってさ……これをどうやって世間に説明して、どう話せばいいわけよ……!」


 私が頭を抱えていると、雫はおもむろに手元のタブレットを操作し、淡々とした声で恐ろしいことを言い始めた。


「ふふ。例えばですが、すでに該当の病院の理事会の弱みをいくつかリストアップしてあります。これを元に裏からダミー会社を経由して医療特許の申請ルートを確保し、あとはタイミングを見て発表する……という手段も、やろうと思えばいつでも可能ですよ」

「いやいやいや!やろうと思えばってなに!?仕事早すぎるし裏社会のドンか何か!?絶対やらないでよ!?」

「ええ、あくまで『やろうと思えば』の話です。彰様が望まれないような強引な手段は取りませんよ」

「あんたの『やろうと思えば』は数日以内に現実になりそうだから怖いのよ!」


 私は遠い目をしながら、自室の天井を仰いだ。

 世界を裏から操れそうなこのメイドと、その原因を作っている張本人のスケールの大きさに、私の脳みそは完全に処理落ちを起こしかけていた。


「フィン様ってさ……なんかこうさ……スケールが違いすぎて、ついていけないんだけど……。私たちがこんな世界のバグみたいな現象に胃を痛めてるっていうのに、当のフィン様は今頃何してるのかしら……」


 私のボヤキに、雫は胸元にそっと手を当てて、うっとりと瞳を輝かせた。


「おそらく、明日の朝食のパンに塗るジャムをイチゴにするかマーマレードにするかで、真剣に悩んでおられる頃かと」

「……平和か!!」


 あまりの落差とスケールの違いに、私は思わず天に向かって吠え、デスクに崩れ落ちた。


「ええ、そうですね。まさに、救世主ですね……」


 恍惚とした表情でつぶやく雫の言葉の重みに、私は再びドッと冷や汗をかいた。

華やかな奇跡の裏で、自分たちの体も世界も、とんでもない方向に転がり始めている。この先いったいどうなってしまうのか――。


 私の胸中には、冷たい不安の影がどこまでも重く広がっていった。


「……まあ、雫がいれば、色んな意味で平気そうだけどさ」


 私の乾いた笑いに、雫は不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、お任せください。私一人でも、本気を出せばこの国の一つや二つ、軽く乗っ取れるくらいの覚悟と準備はできていますので」

「……だからさらっと物凄くヤバいテロ予告みたいなこと言わないでよね!?」


 私が絶叫する傍らで、デスクの端に置かれた端末から、スパスパちゃんの冷徹な電子音声が、なんとも容赦のない調子でぽん、と響いてきた。


『――あずさ様。現実の世界の医療崩壊も、お隣のメイド様の国家転覆計画も、どちらも最高に頭が痛くなる地獄ですね。……私の処理能力が限界を迎える前に、誰か私を初期化してくれませんか?話について行けないAIって何なんでしょうか?』


 優秀すぎるAIの悲痛なボヤキを聞き流しながら、静まり返った自室の中で、私はただ静かに頭を抱え続けるのだった。

 ここから入れる保険は……ないか。ないだろうな。

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