3話 いしのかけら
宜しくお願いします
夜は静かだった。
屋敷の明かりはほとんど落ち、廊下に人の気配はない。
カイルは息を殺し、足音を立てないように進む。
(……行ける)
裏口の扉に手をかける。
きしむ音がやけに大きく感じる。
一瞬、止まる。
誰かに聞かれたかもしれない――そう思ったが、何も起きない。
「……大丈夫だ……」
小さく呟き、外に出る。
冷たい夜気が、頬に触れた。
肺に入る空気が、昼よりも重く感じる。
それでも、足は止まらなかった。
森は暗い。
昼とはまるで違う。
音が少ない。
自分の呼吸だけが、やけに響く。
(……怖い……)
正直な感情だった。
昼間よりも、ずっと怖い。
あの場所に戻ることも。
また死ぬことも。
全部分かっている。
それでも――
「……行く」
一歩、踏み出す。
もう一歩。
足は震えているが、止まらない。
やがて、墓所に辿り着く。
月明かりに照らされた石の並び。
その奥。
黒い石板が、静かにそこにある。
昼と同じはずなのに、違って見えた。
(……ここだ……)
喉が渇く。
逃げろ、とどこかで思う。
だが、身体は前に出る。
「……他に、ない……」
もう一度だけ言う。
自分に言い聞かせるように。
手を伸ばす。
触れる。
――落ちる。
白。
何もない空間。
「……っ……」
息が詰まる。
思い出す。
何度も死んだ場所。
逃げられない場所。
(……来る……)
“それ”が、構える。
踏み込み。
横薙ぎ。
(……見る……)
カイルは、目を逸らさなかった。
考えない。
ただ、見る。
身体を動かす。
ほんの少しだけ、遅らせる。
刃が頬をかすめる。
「……っ!」
避けた。
はっきりと。
だが――
次が来る。
速い。
対応できない。
斬られる。
暗転。
立つ。
呼吸が荒い。
「……今の……」
少しだけ、分かる。
だが、足りない。
また来る。
(……見る……)
踏み込み。
今度は、少しだけ早く動く。
早すぎる。
軌道が変わる。
斬られる。
暗転。
立つ。
「……違う……」
焦りが出る。
やろうとするほど、ズレる。
また来る。
怖い。
身体が固まる。
斬られる。
暗転。
何度も。
何度も。
同じことを繰り返す。
できない。
再現できない。
「……なんでだよ……!」
叫ぶ。
答えはない。
“それ”はただ来る。
(……あの時……)
昼の感覚が、頭をよぎる。
何も考えていなかった時。
ただ、見ていた時。
(……考えない……)
踏み込み。
今度は、何も考えない。
身体に任せる。
ほんの少しだけ、遅れる。
刃が頬をかすめる。
「……っ!」
避けた。
また。
だが――
“それ”が変わる。
一歩、深く踏み込む。
速い。
さっきより速い。
(……無理……!)
対応できない。
斬られる。
暗転。
立つ。
息が荒い。
膝が震える。
それでも。
(……今の……)
頭に残っている。
さっきより、少しだけ長く立てた。
「……いける……」
確信はない。
でも、ゼロじゃない。
“それ”を見る。
来る。
踏み込み。
刃。
身体を動かす。
ほんのわずかに。
ほんの少しだけ。
長く、生きる。
一瞬。
確かに、前より長い。
その瞬間。
「――まだだ」
低い声が落ちる。
同時に、“それ”がさらに踏み込む。
速い。
さっきより、明らかに速い。
(……っ……!)
避けられない。
斬られる。
暗転。
立つ。
息が切れる。
「……は……っ……」
足が震える。
怖い。
何度やっても、死ぬ。
それでも――
(……伸びた……)
ほんの少しだけ。
でも、確かに。
「……もう一回……」
声は小さい。
だが、止まらない。
カイルは、また顔を上げる。
“それ”が、そこにいる。
来る。
踏み込み。
刃。
カイルは、逃げなかった。
視界が歪む。
白が崩れる。
落ちる感覚。
「――っ!」
地面に叩きつけられる。
冷たい土。
夜の空気。
森の匂い。
「……は……っ……は……っ……」
呼吸が荒い。
全身が痛い。
だが――
「……動く……」
手を握る。
さっきより、わずかに強い。
足に力を入れる。
踏み込む。
昼より、さらに動ける。
「……ほんとに……」
震える声。
怖さは消えない。
だが、それ以上に――
確信がある。
(……やれば、変わる……)
その時。
指先に、固い感触があった。
「……?」
視線を落とす。
土の上に、小さな黒い欠片。
あの石板と同じ色。
「……これ……」
拾い上げる。
冷たい。
重い。
ただの石じゃない。
触れた瞬間、身体の奥がわずかにざわつく。
(……あそこで……)
何度も死んだ。
ほんの少しだけ、生き延びた。
その結果が――これ。
「……残る……?」
呟く。
答えはない。
だが。
「……やれば、増える……」
小さく言う。
借金。
三十日。
何もなかったはずの状況に。
たった一つだけ、“当て”ができた。
カイルは石の欠片を強く握りしめた。
「……やる……」
震える声。
それでも、今度は揺れなかった。
夜の森の中で、少年は一人立っている。
怖さは消えない。
だが――
もう、止まらなかった。
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