2話 「死ねば残る」
毎日あげる予定ですので良かったら読んでね
冷たい。
頬に触れる感触で、カイルは目を開けた。
土の匂い。
湿った空気。
かすかな風の音。
「……は……っ……は……っ……」
呼吸が乱れている。
胸が苦しい。
身体が、自分のものじゃないみたいに重い。
「……ここ……」
ゆっくりと視線を上げる。
森だ。
見慣れた、ルーデン領の裏の森。
さっきまでいた白い空間は、どこにもない。
「……戻った……?」
かすれた声で呟く。
その瞬間――
思い出す。
斬られた感覚。
何度も、何度も。
(……夢じゃない……)
喉がひりつく。
反射的に、自分の首に触れる。
ちゃんとある。
傷もない。
それでも――
「……死んだ……」
言葉にした途端、背筋が震えた。
胃がひっくり返るような感覚がこみ上げる。
思わず膝をつく。
「……う……っ……」
何も出ないのに、えずく。
呼吸が乱れる。
心臓がうるさい。
(死んだ……のに……戻ってる……?)
理解できない。
でも、否定もできない。
あれは確かに――
「……っ」
頭を振る。
考えると、また吐きそうになる。
「……帰る……」
立ち上がろうとする。
足に力を入れる。
その時だった。
「……あれ……?」
違和感。
身体が、軽い。
いや、軽いというより――
(……動く……?)
足を一歩、出す。
地面を蹴る。
ほんの少しだけ、いつもより前に出た。
「……え……」
もう一歩。
今度は意識して踏み込む。
ぐらつく。
だが、転ばない。
(……なんだ、これ……)
呼吸が止まる。
頭の中に、さっきの光景が浮かぶ。
何度も、何度も死んだ場所。
必死に動こうとした感覚。
(……あれが……)
身体に、残っている。
信じられない。
でも――
もう一度、軽く踏み込む。
さっきより、ほんの少しだけ。
動ける。
「……ほんとに……?」
声が震える。
怖い。
でも、それ以上に――
「……使える……?」
借金。
三十日。
このままじゃ終わる。
(……もし……)
あの場所に、もう一度行けば。
もっと動けるようになれば。
「……やるしかない……」
唇を噛む。
怖くないわけがない。
あんな場所、二度と行きたくない。
それでも――
「……他に、ない……」
顔を上げる。
森の奥。
あの石板のある場所を見る。
風が吹く。
同じ場所なのに、違って見える。
「……もう一回……」
一歩、踏み出そうとした、その時。
「――若様!」
声が飛んできた。
びくりと肩が跳ねる。
振り返ると、木々の間から人影が近づいてくる。
「若様! こんなところに……!」
使用人のトマスだった。
息を切らしながら、駆け寄ってくる。
「……トマス……」
カイルは立ち尽くしたまま呟く。
トマスはカイルの姿を見るなり、顔をしかめた。
「お探ししておりました……! 勝手に屋敷を出られては困ります!」
丁寧な言葉だが、余裕がない。
視線が、カイルの足元に一瞬だけ落ちる。
すぐに逸らされた。
「……帰りますよ」
有無を言わせない口調だった。
カイルは一度だけ、森の奥を見た。
あの石。
あの場所。
喉がひりつく。
(……行ける……)
そう思った瞬間。
「若様」
低く呼ばれる。
トマスの目が、じっとこちらを見ていた。
「……今は、戻っていただかないと困ります」
逃げ道はない。
カイルはゆっくりと視線を外した。
「……分かった」
小さく答える。
トマスは短く息を吐いた。
「では、こちらへ」
背を向ける。
カイルはその後ろを歩き出した。
⸻
屋敷に戻るまで、ほとんど会話はなかった。
足音だけが続く。
門をくぐる。
屋敷は、静かだった。
人はいるはずなのに、活気がない。
廊下を歩く使用人たちも、どこかよそよそしい。
カイルと目が合うと、すぐに逸らされる。
(……終わってるって思われてる……)
足が止まりそうになる。
だが、止まらない。
応接間の前で、トマスが立ち止まる。
「若様」
振り返らずに言う。
「本日、再びあの方がお見えになるかもしれません」
あの方。
取り立て人だ。
「……そう」
短く返す。
トマスは少しだけ間を置いてから続けた。
「……ご判断は、お早めに」
それだけ言って、去っていく。
一人になる。
静かな廊下。
カイルはその場に立ったまま、拳を握った。
三十日。
残り時間は減っている。
(……何も変わってない)
屋敷も。
借金も。
全部そのまま。
だが――
ゆっくりと、自分の手を見る。
指を動かす。
握る。開く。
ほんのわずかに。
確かに、違う。
「……やれる……」
小さく呟く。
怖い。
あそこに戻るのは、怖い。
でも。
「……他に、ない」
顔を上げる。
窓の外。
森が見える。
「……夜だな……」
ぽつりと漏らす。
昼は無理だ。
また止められる。
なら――
カイルは静かに歩き出した。
誰にも見つからない時間を選ぶために。
今日はここまで




