さがしものep3
4
『いいですか?これはルーン文字と言いましてね、難しいことは省きますがヨーロッパで使われていた、いや、今も使われてる文字なんです』
『アルファベットみたい』
『そうですね。まぁ北欧神話とかにも出てくるので知ってる人は知っている。君にはこの文字を使った魔術を覚えてもらおうと思っています』
『ふーん』
『理想を叶えるための力。つまり運命を手繰り寄せる力。そういう魔術ですよ』
これは化野の過去の記憶だ。
5
時は戻り、空穂ちゃんが事務所を出ていったところまで遡る。
空穂ちゃんが事務所を出た後、仕事を多少片付けた僕は適当な準備をしてから外に出た。夏は訪れておらず、肌寒く感じるかと思いジャケットを羽織ってきたが、少し動いたら汗が滲みそうな気温だった。季節と格闘し、夕暮れの気温を確認していれば、空穂ちゃんが事務所を出てから十五分程経過していた。
最近の学生はフットワークが軽く、すぐに居場所を見失ってしまうため急いで探さなければならないと僕は足早に移動し始めた。猫探しをする空穂ちゃんを探すという無駄な布陣は、彼女が猫探しを受けてしまったから発生した徒労であった。
「さてと空穂ちゃんを探さないとね。ちょっと不安だなあ……」
今回の件は明らかに普通の猫探しとは違う。依頼文はもちろんのこと、探す対象の特徴にも不可思議な点があった。
『尻尾が二本ある猫』。
不思議な生物に空穂ちゃんが気が付かないのは、知識が無いからであり、その正体は分かる人にはすぐにピンとくる。かく言う僕も依頼文を見た瞬間面倒になり投げ出したのだ。
妖怪猫又、つまり化け猫である。
長寿の猫が猫又に変化するという文献もあるが『目は猫のよう。体は犬のよう』とする文献もあり、狂犬病にかかった動物といった説もある。
妖怪とは人間の理知の範疇に収まらないものであり、答えを得たり、何かに定義付けたりすることは難しい。ルールとは人間が勝手に定めた縛りである。
人間は自分たちの知識が及ばないものに遭遇すると、自分たちのルールの中に押し込んで理解をしようとする。科学による実証実験が最たる例であり、この世の不可解な事象は科学で説明することができるのだ。それは人間が未知を嫌うから。
現在の妖怪に関しては其々に定説と言われるものがある。
河童は人の水死体であったり、一ツ目は死んだ象の頭蓋骨で、鼻の部分が空洞になっているため勘違いされていたり。
目に見えている事実から推測したに過ぎず、本物の妖怪を見て確認したわけではない。存在の可否が分からない生物に対しては存在しないと断定する他なく、未だに理解は進んでいない。
「妖怪絡みは久しぶりだけど、まぁなんとかなるでしょ」
僕が妖怪絡みの依頼を受ける事は始めてではない。なるべく受けたくは無いが、旧誼の仲であったり依頼の報酬目当てで受けることもある。
この世に生きる人の常識から外れるものであったとしても、なんでも屋の社長として依頼を熟すだけなのだ。
「空穂ちゃんは先ず何を考えるかな?」
空穂ちゃんの行く先を予想しながら歩いていると、通りすがりの人には奇異の目を向けられる。独り言を話しながら歩くというのはそれだけで不気味に見えてしまう。特別変なことを呟いているわけてはないが、小声で話していることが一層の不気味さを掻き立てるのだろう。歩道の端により、壁に背を預けるように寄りかかりながら思案する。
「花の女子高生の考えを予測するというのはなかなか難しいけど、空穂ちゃんは単純なところがあるし、ベタなところに行き着くだろうね」
先日も、事務所でババ抜きをして遊んでいた時に、ババを明らかに手札の位置から少し上に出して誘っていた。普通ならそれがブラフで上に出ていないところにババがあるのだが空穂ちゃんは違った。正直に上に出しているカードをババにするのだ。
空穂ちゃんは常識に囚われ過ぎている行動を起こす。
「猫と魚を関連付けて魚屋に行っていてもおかしくないなあ。今回は依頼を受ける時、いつも以上に釘を刺しておいたし、無茶な行動や一人で突っ走るようなことはしてないといいけど」
空穂ちゃんの性格や思考は数日間で理解できるものではなく、信用をするほどの関わりを持てていない。
数日の間に彼女が起こしてきた失敗を考えると、サークルにくる本物の依頼を受けてしまった以上、面倒事に巻き込まれている可能性が非常に高く、深いため息が漏れる。
「とりあえず魚屋に向かいながら考えるかな」
一時思考を止め、魚屋のある商店街へ向かう。部活を終えた学生や仕事が終わったサラリーマンの作り出す道の流れに逆らうように歩き出した。
商店街の入り口には看板もなく、草臥れた雰囲気で営業している店は視認できない。歩きながら左右を見回すと、シャッターに閉ざされている商店の数が多く、やっていても店先に人は立っておらず閑古鳥が鳴いている状況。最近では自治体の中でも、商店街を盛り上げようとしているがなかなかうまくいかないようだ。
まっすぐに商店街を進めば、シャッター街の中で唯一営業している魚屋が見える。
人通りも多くない場所であり、客の姿も見えない。その場にいるのは僕と魚屋の二人だけ。それでも魚屋は元気に営業をしていた。誰も居ない空間に「いらっしゃい」と言葉を投げかけながら。
魚屋のある場所はちょうど十字路の真ん中。十字路が交差する場所で営業をしているという奇妙な商店。店舗自体は他の店と横並びに営業しているのだが、魚屋の男自体が十字路の真ん中で魚を売っている。
店主の雰囲気は陽気な男で頭にねじり鉢巻きと腰にはエプロン。話しかけられたら、気さくに答える昔ながらの魚屋というイメージだった。
「魚屋さん、久しぶり。調子はどうかな?」
魚屋に着いた僕は店主に声を掛ける。
客のいない中、声を張り上げて商売をしていた店主は、その声に反応して顔を向ける。
「社長さんじゃないか。どうしたんだ? 魚買ってくか?」
嗄れた声で常連客のように話しかけられるが、僕はこの店の魚を一度たりとも食べたことはない。
「怖くて自分が食べる用に買えたもんじゃないよ。お客さんがいないところの魚なんてさ」
「うちのは安心安全だから何時でも買ってくれよ。ちゃんとした魚なんだからさ」
「ちゃんとしていない魚があるのなら教えてほしいところだよ」
「見たいか? これとかは――」
「いや、いいよ。その話は長くなりそうだ。ちょっと時間がなくてね」
店先に並べられている魚は鯵や鯖などの一般的に流通している魚。その目は未だに自分が死んでいることに気が付いていない程に澄み切っており、綺麗な状態だった。今にも泳ぎ出しそうな魚を一瞥し、魚屋との会話を進める。
「それでどうしたんだ? 社長さんが来ることなんて珍しいじゃないか」
商店街に来ること自体が稀であり、魚屋と会話をするときも主に依頼に関しての話しかしないため、店主も僕が魚を買いに来たわけではないことを分かっていた。
「うちの社員がね、猫探しをしていてさ」
「猫ねえ。この辺に猫なんて沢山いるからな。人よりも猫の方が多いくらいさ。猫の手も借りたいなんていうが、人間以外の手を借りようとするなんて変な種族だよ」
魚屋は瞳を魚のように丸くして僕を見つめる。沢山いると言われた猫の姿を今日は一匹も見ていない。偶々遭遇していないだけなのか、魚屋にしか見えていない猫なのか。
魚屋は僕が猫を探していると勘違いして居るようだったが、探しているのは社員の方である。
「社員の方を聞きたいんだよ。パーカー着た女子高生っぽい子なんだけどさ。見なかった?」
「それなら見たぞ。アレが社長さんのところの社員か」
いきなり空穂ちゃんの行方を知っている人に当たり、少しだけ高揚し前のめりになる。推測を持って魚屋を訪れたことが功を奏しており、面倒事が起きる前に解決する可能性が高まれば、あまり人に興味を持たない僕と言えど気持ちが昂ぶるのは仕方がないことだった。
「どこ行ったか教えてくれる? 結構急ぎでさ」
「お前さん、情報っていうのは物々交換だって知らないのか? 魚を買ってくれたら口が滑るかもしれないんだがなあ」
人間よりも人間らしく商魂たくましい魚屋。
情報を貰う代わりに対価を払うというのは、昔の情報屋のようで映画の世界に入り込んだ様。創作の中ではスーツに身を包んだ男性や世を偲ぶ姿をしていることが多い情報屋も、昔ながらの風貌では格好がつかない。
「いつの時代の人なんだよ」
「いつからだったかね。俺が魚屋を始めたのは」
「――わかった。じゃ、その籠を一つ分ね」
情報代。そう割り切り、魚屋から籠を一つ分買った。その中には鯵や鯖などの青魚が沢山入っている。安価で買える魚は籠を一つ買っても千円しかしない。物価高騰の影響を受けず、人に優しい値段で経営をしている魚屋なのだ。
新鮮な魚が、輝きを失っていない瞳で世界を見ている。死んでいるはずなのに、まるで生きているような視線に薄気味悪さを感じた。
「毎度あり。それで、社長さんのとこのアルバイトの子だったな。あそこの狭い路地あるだろ?」
魚屋の店舗と別の店の間にある狭い路地を指さす。
「そこに入っていったぞ。なんだかその路地をずっと見つめていてな。意を決したように入っていった。おかしなこともあるもんだと見てたが、そうかそうか」
矢継ぎ早に魚屋は言葉を紡ぎ、何かに気づいように再び僕の肩をバシバシと無遠慮に叩いていた。客に対して暴力を振るう店員など今の時代ではあり得ない。
一通り語ると魚屋は黙る。
化野も言葉を発さない。
そしてゆっくり、二人の目線が合う。
魚屋の口はニッコリと笑っているが目は笑っていなかった。
「心配だなぁ。早く行ってやれ。その前にお代を頂かないとな、お客さん」
他人事のように吐き捨てる魚屋。魚屋はこのような話に興味がなく、人間を助ける為に動こうともしない。魚を売るという自分の趣味と役目を行っているだけに過ぎないのだ。
それ以外の役割を演じることはなく、人情も何もない。ただ、人の行く末を遠くから眺めているだけ。
「千円だ。情報代なら安く済んだだろう?」
「はい、お金。それと、僕が丹精込めて作ったお守りもつけておくね。魔除けだよ魔除け」
自作のお守りを千円札で包みながら魚屋へ渡す。受け取った魚屋は渋い顔をしながら化野を睨みつける。
「……性格悪いな社長さん」
その視線から逃れるように足早で路地へと向かう。冗談で済ませてくれている内に退散するのだ。魚屋の気分が変わってしまえば僕の存在など一瞬で消されてしまうだろう。背中には魚屋の視線が突き刺さっていたが振り向くことはしなかった。
様々な神話や伝承にもある振り向いてはいけない道。日本神話における黄泉比良坂、ギリシャ神話におけるオルフェウスの話など土地が離れていても似たようなテーマで語り継がれている。魚屋からの視線を受けながらそんな事を考えていた。
魚屋は神話で語り継がれていたモノとは違う。
神格化された神ではなく、もっとおぞましい物なのだ。
――十字路の中心にいる者。
十字路は昔から辻と呼ばれている。
辻は横の通路を境に現世と来世の境界を果たしていると言われており、その中心にいるモノは辻神と呼ばれるがこれは神と言うには人を不幸にしすぎている。神社などで信仰されている神ではなく、お祓いや石碑などで鎮める悪神なのだ。
辻神があの場所で営みを開いているのは魚に限らず生物の生と死を感じているからだ。肉業者などの加工しているものと違い、魚は加工されていないものを販売している。生きたまま店先に並び、店先で命を終える。命の終わりをみることができることから魚屋をやっていた。
娯楽か、観察か。神が人の真似事をしている不気味さと悍ましさに直感から人々は立ち寄らない。
背に刺さっていた魚屋の視線を感じなくなった頃、僕は細く狭い路地と対峙していた。先が見えないほど長く続いている路地に足を踏み入れれば、解決するまでは出ることが出来ないと直感が告げている。
「ああ。ここか。面倒なことになってる。空穂ちゃんがここに入ったらしいし、死ぬことはないはずだけど少し急がなきゃ」
6
路地をゆっくりと進む。一歩進むごとに生み出す足音で驚いたネズミなどの小動物が飛び出してくが、気にすることなく歩いていく。普段は訪れない人の気配を察知して小動物も警戒しているのだろう。
室外機の音は入り口で止まっており、自分の発する音だけが空間に響く。このような暗がりの道では自分の感覚だけが頼りになるため、一歩ずつ地面を踏みしめながら進んで行った。
「空穂ちゃーん。いるー?」
大きく声を出し、空穂ちゃんの名前を呼ぶがその声は路地に反響し、吸い込まれるように消えていく。路地にいるなら声が聞こえるはずだが、返答は何もない。物音すらも聞こえない。
魚屋が嘘をつくことはないため、間違いなく空穂はここに来ていると確信していた。
神は嘘をつかない、魚屋は悪神ではあるが神と呼ばれているものだ。あの場に存在するということは、どこかで魚屋が神として認識されているということである。
自分の存在は、他者からの認識によって形成されると言う考えがあり、目に見えず、認識もできないものが存在するということは誰かが存在を作り上げたのだ。魚屋は誰かに神として認識されているからこそ、辻神として在ることができる。
嘘をつくとその嘘を隠すためにまた大きな嘘をつかなければならない。神にとって不浄ともいえる行為を魚屋は犯さない。
「ん?」
空穂ちゃんを探しながら歩いていると、足元に何かがあることに気づく。蹴ってしまったことで気付いた、というのが正しい。大きな石に躓いたかと思ったが、感触は軽く、足への衝撃はほとんど無かった。
暗がりで視界が悪いため、しゃがみ込んで蹴り飛ばしたものを確認した。
「うわあ。これまた大惨事だね」
地面に転がっていたのは首から上がない女子高生の死体だった。
その遺体はパーカーを着ており、ポケットからは化野が渡したお守りの巾着袋が零れ落ちていた。
「あー。間に合わなかったかあ」
首のない死体はピクリとも動かず、体温も無くなっていた。死んでいるとは言え、女子高生に触れることは憚られるため手を伸ばすことはしない。
「今回のバイトは長続きすると思ったけど、自分から危険に行ってしまうようでは駄目だね。それにしても自分と同じ形をした動物の頭がないというのも気持ち悪いな。蹴り飛ばしちゃったしバレたら怒られそうだから黙っておこう」
その場にある人間の少女だったものを無視し、僕は暗く長い路地を進んでいく。行く道には光が差し込む様子もない。
「いやー。死んじゃってるけど流石空穂ちゃん。偶然にも一発で答えを引き当てたね。僕のおかげかも知れないけど君の死は無駄にしないよ――なんてね」
空穂ちゃんだったものを置き去りにし、首から上を食らったであろう怪異を見定めるために僕は往く。既に彼女の死は脳内からは抜け落ち、目の前にある異常に興味は向いていた。




