さがしものep2
2
事務所から出た空穂は依頼をこなすため、手当たり次第に路地裏などの猫が隠れそうな場所を探していた。
「聞き込みとかしたほうがいいのかな?」
普段の化野はやる気が無さそうで飄々としているが、今日は少し違っていた。空穂が依頼を選んだ時の真面目な表情や引き留めようとしていた行動が物語っていた。
独りになったことで改めて思案する空穂は、化野の態度から想像よりも難しい依頼の可能性が脳裏をよぎる。しかし、一度大見栄を切って飛び出した手前、不安になったからと事務所へ戻るようなことはしなかった。
「いや、やめておこ。多分、意味ないしー」
化野の言う簡単な依頼は長年業務に携わっている感覚であり、これまでも空穂にとって何度か危ない依頼はあった。
猫探しで高いところに登ってしまい、捕まえに行ったら落ちてしまって気絶したこと。鍵の探し物をしていたときはよくわからない路地に迷い込み、迷子になっていて気付いたら鍵を持ったまま事務所に寝ていたこと。
その度に化野から「外で寝たり、気絶したりしたら危ないよ。女子高生なんだから」と説教を受けていた。それでも依頼を解決していたことに変わりはなく、空穂の自信につながっている。
「何か起こった時には周りに人は居ないから大丈夫だとは思うけど」
空穂が外で寝たり気絶したりする時は決まって他の人が周りにいることはない。足りない頭で考えても結論は出ず、止まっていた足を動かし始め、再び猫探しに着手する。
「それよりも猫探さなきゃ。社長も後で来るって言ってたし大丈夫だよね」
この時間は人通りも少なくない。猫探しという不審な行動をしている空穂は目立ってしまう。
しかし、店先の人も、隣を通り過ぎるサラリーマンも空穂の呟きに耳を貸すことが一切なかった。弱い声は誰にも拾われることなく、都会のコンクリートに落ちていく。
「猫と言ったら魚」
安易な考えから空穂は魚屋の方へ向かって歩いていた。猫が魚を好きというのは日本人が知っている通説であった。
一説には日本は島国だから魚がよく捕れるため、猫に魚を与えていたとされており、その結果として猫が魚好きと勘違いされる要因になった。元々が猫科で肉食のため魚のほうが好物というわけではない。
「んー。居ないなぁ」
魚屋へ向かう間にも、辺りを見渡しながら歩いていく。この時間は人通りが多くないため、よそ見をしながら歩いていても人にぶつかることもない。
魚屋がある場所は所謂商店街と言われるような場所だ。昔は賑わっていた商店街も、今ではシャッターが下りているところが目立っていた。最近ではスーパーやコンビニなどの進出でわざわざ専門店に訪れる人が少なくなっている。
「この辺はあまり来たことないけど不思議な雰囲気」
華々しい雰囲気とは言えず、流行に敏感な中高生の姿は見えない。娯楽施設などが併設されていることもないため当然だろう。
魚屋を目の前にしたとき、横にある細い路地のようなものが目に入った。前を向いて歩いていれば気にすることなく通り過ぎる程度の狭い場所。先は暗く、終わりの見えない道。
本来の目的地であった、目の前の魚屋を一瞥しても、客は一人も入っておらず、店主が一人転寝をしていた。そこには猫の姿もなく、空穂の興味は改めて路地へと向いた。
「そういえば猫ってこういう隙間に集まって猫の集会するって聞いたことあるなー」
空穂は立ち止まり路地を見つめる。室外機などが至る所にあり、人一人が入っていくのがやっとの幅しかない。基本的には人が入ることを想定しておらず、恐らく室外機の修理業者しか出入りがないだろう。屋根もない道だが、不思議と陽の光はほとんど差し込んでおらず、先は見えない。
「どうしようかな……。すごい気になるけど、制服汚れちゃうしな」
口では行くことを躊躇っているが意識はその路地に釘付けとなっていた。その路地に呼び寄せられるように空穂の足が音も立てずに路地へと向く。
自分の独り言が音となって耳に入っても、それを脳が理解していない。音の羅列として響いた声に意味などなかった。
「社長に気を付けてって言われたし」
自分の直感は目の前の道に惹かれている。他のことを考えられないくらいに、その路地は空穂を手招きしていた。
猫を探すためにその路地へ行くのか、路地が気になっているから進もうとしているのか、空穂にはそれすらも分からなくなっていた。ただの興味本位。しかし好奇心は猫をも殺す。
「とりあえず行ってみよう。今までだって直感で動いた結果、依頼を達成できたんだしー」
自分を鼓舞するように、いつもより大きい声を出してから路地へ入る決意を固めた。暗がりへと進む不安から自分を守ってくれるようにと願いながら、パーカーのポケットに入れたお守りを握りしめ、その路地へ歩みを進めた。
3
「タマちゃーん。いるー?」
依頼にあった猫の名前を呼びながら薄暗い路地を進む。路地には空穂が歩いている足音も、語り掛ける声も、生み出す音は何も反響しない。音は路地に消え、置かれている室外機に吸い込まれているようだった。数えきれないほど置かれている室外機で稼働していたのは入り口の数個だけで、奥に進めばガラクタと化した物しか置かれていない。
日常を過ごしていれば音のない場所はない。車の音、路上で流れているラジオの音、寝る時ですら外で騒いでいる学生の声が耳に入る。感じることのない無音に薄気味悪さを感じながら歩みを進めていく。
路地は予想通り、闇が開けることなく続いていく。既に数分ほど歩いているが、等間隔に置かれた室外機ばかりで景色は変わらない。上を見上げても、虚像のような青空が見えるだけで、空穂がどこを歩いているのかも分からなくなっていた。一直線の道を進んでいたはずが、世界から迷子になってしまう。
「なんかおかしい。怖くなってきたしもう少し進んだら一旦戻ろう。社長も後で来るって言ってたし」
不安を少しでも無くそうとするかのように独り言を呟く。音のない空間では自分の声だけが唯一の生きた音だった。そうしないと一定のリズムを刻む室外機の音以外何も聞こえないこの空間でパニックになりそうだった。
「タ、タマちゃーん」
何度も探し物である猫の名前を叫びながら進んでいく。かなりの距離を歩いているが猫の一匹もいない。早く引き返せば良いものの、何故か一度始めてしまったことを途中でやめられなくなっていた。
少しの恐怖を我慢して進んで来た道を引き返してしまえば、努力が水の泡になると思い歩幅は狭くなりながらも少しずつ進んでいく。
既に陽の光は路地へはほとんど差し込まず、闇に慣れた目でも自分の足元を見るのが精一杯だった。
「流石に戻ろうかな。タマちゃんも居ないし」
光が差し込まず、暗闇の不安が興味を上回ったとき、空穂は戻ることにした。既に猫探しの依頼を忘れかけていたが、恐怖を散らすようにタマの名前を呼ぶ。こんな場所にいるはずがないとわかっていながらも、動物の一匹でもいれば安心できると一縷の望みにかけて。
左足を軸に百八十度体を反転させると、歩んできた道を急ぎ足で戻ろうと一歩を踏み出そうとした。戻る覚悟を決めれば、後悔が押し寄せる。
どうしてもっと早くに判断をしなかったのか。
「我の名を呼ぶのは誰だ?」
突如として何も聞こえなかった空間に低い声が響いた。井戸の底で鳴く蛙のようなひどく不快に感じる声。
今まで進んでいた道にこのような声を出せる生物はいなかった。重圧すらも感じさせる声に空穂は応えてしまう。
「だ、誰?」
声の主の正体を知るために、戻ることをやめ、声の方向に振り返る。
後ろ髪を引かれる声に応えて、道を振り返ることが不幸を呼ぶ話は世界中にあれど空穂は知らなかった。
振り返る空穂の眼前には白い毛並みが映る。視線を下に向け、ゆっくりと見上げていくと身長の二倍くらいはありそうな猫が空穂を見下ろしていた。
「え、でか」
一般的な猫のサイズではないし、ライオンなど大型の猫よりもはるかに大きい。見下される眼光は光の届かない空間にも関わらず、怪しげに光っており、異質な威圧感を放っていた。そこにいるだけの存在に目は離せず、足も動かせない。恐怖という感情を通り越し、理解ができないものを理解しようとした結果、脳内で処理しきれずに思考が停止してしまった。
「我の名前を呼んだのはお前か?」
先ほどと同じ言葉を目の前の猫はゆっくりと喋る。体格に見合った大きな尻尾を揺らしながら口は笑っているようにも見えた。その尻尾をよく見ると一本ではなく胴体の左右から二本目の尻尾が生えている。
「もしかしてタマ、ちゃん」
二本の尻尾から推測される名前を呼ぶ。依頼内容の特徴として、尻尾が二本ある、少し大きい、と書かれていたことを思い出していた。少し大きいと書かれていたが、常識的に想像していたサイズではない。
「いかにも。呼ばれたから答えたぞ」
もう一つ依頼書に書かれていたことがあった。
呼び掛ければ反応する。
空穂はタマの名前を呼んで探していた。名前に反応すると書かれていたため、声を出していたのだ。普通の猫のようにニャーと鳴いて答えてくれる程度のことを想像しており、猫の名前を呼んで日本語で返答されるとは思っていなかった。
「あの、飼い主?さんから探してほしいって依頼があってー、その、私が探してたんです」
猫に対して話しかける人はいても猫から日本語を話しかけられる人は居ないだろう。しかし、この猫は日本語が通じている。言葉をしゃべる生物を相手にすると無意識に日本語で会話を始めてしまっていた。
「ほう、飼い主とな?あの者に飼われた覚えはないのだが」
「はぁ……」
空穂は会話が続いていることに安堵が生まれる。得体のしれないモノと遭遇しているが、会話ができているということは対話をできるため、いきなり襲われることがない。根拠のない安心が緊張を解いていく。
「我は自由になった身。あの者のところに戻るつもりは全くない。どのようにしてここに来たかは知らぬが帰ると良い」
猫は空気が震える声を発した。その声に空穂は従って、無言のまま後退りをし、元来た道を戻ろうとする。目の前にいる存在は明らかに異質なものであり、すぐに化野へ相談するべきだと脳内で警鐘がなっていた。
状況を理解をすることで、人間に理解できる状況でないことを悟る。非現実に伸びた路地、尾が二股に分かれた巨大な猫。どれもが現実から乖離していた。
「とりあえず元の場所に戻って社長に相談しよう。なんかよくわかんないし、信じてもらえないかもしれないけどとにかくこの場所を離れないと」
後退りながら猫と距離を取る。
十分な距離を取ってから、一目散に路地の入口へと走ろうと空穂が考えてタイミングを計っていると。
「いや、待て。お前をそのまま返すと我の居場所があの者に知られてしまうではないか」
猫の眼光は空穂のことを逃さず、獲物を見つけた肉食獣として捉えていた。四本の足を地に付け、いつでもとびかかる準備をしている。
「社長が言っていたあの依頼文ちゃんと聞いておくんだった。そりゃこんなの逃げ出したっていうより手を離れたっていう他ないじゃん」
化野の話を聞かずに、過去の事例から慢心し、勝手に依頼を受けた結果が猫に襲われかけている状況。異質な空間では助けが来ることも見込めない。女の子のピンチに颯爽と現れるヒーローなど現実にはいないのだ。
「うむ、"殺すか"」
その言葉と同時に空穂は大声をあげながら走り始めた。猫から少しでも逃れたい一心で先の見えない道を只管に駆けていく。
声を出さずに走ることなどできなかった。声を発さなければ走る以外の無駄なことを考えてしまいそうで。猫から逃げることだけを考えて必死に走るも、足を動かす速度に対して路地の終わりは近づいてこない。
音のしない背後に一瞬だけ顔を向けると、巨大な猫は空穂を追ってきてはおらず、逃げ切ることに成功していた。全速力をやめ、小走りになりながら息を整える。
「今度からは依頼書ちゃんと読むことにしよう。尻尾が二本ある時点でちょっとおかしいと思うべきだったじゃん。少し大きいってのはすごく大きかったけど。声をかけて反応するっていうのも日本語とは思わないじゃん」
呟きながらも動かす足は止めない。後ろにいるであろう恐怖から逃げるように自責をしながら走る。
思考に余裕ができてしまえば、先ほど感じていた恐怖が甦り、脳が防衛機制を働かせる。未知のものを人間のルールに当てはめて既知のものへと変化させる行為は古来より人間がやってきたこと。
「他になんか書いてあったっけ? 今回の奴。社長に説明しないと」
視界の路地で、俯きながら走っていた空穂は、目の前の障害物にぶつかり尻餅をついた。
「え?」
来た道を辿った空穂には、自分がぶつかるような障害物はなかったと理解している。ぶつかったときに感じた年代物のカビが生えた毛布のような匂いと感触。
その匂いは猫と対峙したときに鼻腔をくすぐられたものと同じで――。
「逃がすわけにはいかん。お前はここで死ね」
「んぇ?」
人間が野生動物から逃げられるはずはなかったのだ。それもじゃれ付いている訳ではなく、空穂のことを仕留めようとしている獣からは。
猫の口から響く重低音が聞こえたと同時に空穂の首から上が、獣臭い口の中に収まる。
空穂の最後の一言は「んぇ」であった。食われる間際に思い浮かんでいた依頼文は――。
『依頼 私の手から離れてしまった猫を探し出してほしい。お腹をすかせていると思います』
頭に齧り付いた猫は首を振り、空穂の胴体と首を引き離す。じゃりじゃりと歯を合わせる音だけが暗い路地に響いていた。
巨大な猫は空腹と存在を隠匿するために餌となる者を食してしまった。
*
「あー。間に合わなかったか」
路地にたどり着いた僕は、首から上がない学生服の少女を発見する。彼女は見慣れたパーカーを着ており、ポケットからは渡したお守りが見えていた。間違いなく先ほど送り出した空穂ちゃんであり、物言わぬ抜け殻となっていた。
「今回は長生きすると思ったけど、自分から危険に行ってしまうようでは駄目だね」
すでに息絶えている空穂ちゃんに向かって言葉を吐き捨てる。僕の忠告を無視して飛び出したアルバイトは、その責任を命で果たしただけなのだ。生きている人間ならまだしも、死んだ者をこの場でどうにかする事はしない。既に死んでいるのならタイムリミットは訪れており、後は時間をかけて処理をすればいいだけだ。
――その場に人間の死体は無かった。
僕は思考を切り替えて路地の奥を見る。
「空穂ちゃんは自業自得だからどうでもいいけど自分と同じ形をした動物の頭がないというのも気持ち悪い。人を食らう化け猫。流石にこれは見逃せないね」
その場にある生きていたであろう少女だったものを足で端に寄せ、路地を進んでいく。路地の先には光がない。そして僕の後ろには抜け殻となった何かが転がっているだけ。
後ろを振り返ることなく、一人静かに靴音を立てて闇へと入っていく。




