さがしものep4
「お守りの効力があっても、すぐに本命に当たるなんて持っているなあ」
現実とズレた道を歩けば、段々と空気感に変化が現れる。陰鬱とした空気が肌を触る。淀んだ空気が生暖かい風のように頬を撫で、不快指数が段階的に上がっていく。
十字路である辻のように、世界には境界というものが多数存在している。死後の世界では三途の川などが有名である。現世でも境界は存在しており、日常的に触れてしまうのだ。
経験として分かりやすいものを例に挙げれば塀の近くにある電信柱だ。電信柱とブロック塀等の一人が通ることのできる隙間を通過した時、頭が浮くような感覚や、一瞬意識を失うような現象に陥ることがある。その場所こそが現世と幽世の境界線である。ズレがなぜ起こるのか、詳しいことは何もわからないが、吹き溜まりのようなものだとオカルトの世界では認識されていた。境界とは、現世と幽世のズレである。
世界では極々僅かなズレが常日頃から起こっている。家を出たときに右足から出すか、左から出すかを無意識的に行うことにより目的地までの時間認識のズレや、何かを行おうと考えていたはずなのに別のことをしてしまうような自己認識のズレ。
一つ一つは取るに足らないような小さなズレでも、ズレたという事象は積み重なっていく。
少し強い程度の風が落ち葉を巻き上げ、旋風を起こし、落ち葉を一箇所に集める。ズレに関しても、人の動きによって落ち葉と同じようにズレの吹き溜まりが出来上がってしまう。
吹き溜まりも何かがそこに介入すればすぐになくなり、僅かな違和感で済む。電信柱の間を通ったときに人が感じる違和感。侵入した人の介入により違和感の正体も霧散するのだ。
路地は建物と建物の間の狭い空間、そして辻神のいた事により現世と幽世のズレが大きくなったことによって生まれた吹き溜まりであった。吹き溜まりには人が入ることもなく長年積み重なっていたところ、空穂ちゃんという異物が介入した。
現世とズレた世界は、理知外の存在にとっては絶好の隠れ蓑になりえるというのに。
「ズレといえば認識のズレで空穂ちゃんはやられたんだよね。情報のすり合わせって大事だなあ」
今回の依頼は僕が危険だと判断して依頼を排除していた。
態々分けた依頼を、空穂ちゃんが簡単だと言って依頼を受領し行動へと移した結末が、首から上を食べられて捨てられた状態である。
「次からはもっと厳しくしないとね。最終的に僕の手を煩わすことになってるし。面倒事は起こさないに限る」
僕は失敗から学習する男。同じ過ちを繰り返さないよう、次回からは社員に厳しくすることを心に決めていた。
*
「結構進んできたけど一向に姿は見せないなぁ。そろそろ何かしらの変化が現れてもいいんだけど……」
暗がりの空間を体感時間にして十分程度進んだ場所で立ち止まる。同じような光景が堂々巡りしていると言われればそう感じてしまうような代わり映えのしない道。
そもそも空穂ちゃんが無残に食べられた原因は僕と言えるだろう。猫又が居た場所や、その空間、見つけたタイミング等の悪い偶然が重なっただけであった。
空穂ちゃんが偶然にも依頼達成への必要条件である『猫を見つける』という運命を引き寄せたのは、お守りとして渡した石に込められた力によるものである。
化野が渡したお守りは空穂曰く『壺のような形』が掘られた石。
文字として正しい向きは九十度傾けたもので、壺を象ったものではない。渡されたのはルーン文字で『ᛈ』と書かれたもの。梨の木を表すとされている一文字。ラテン文字では『p』の音を割り当てられている。ルーン文字は一文字に意味が込められていると言われ占いなどにも使われていた文字。
渡した石に書かれた『ᛈ』の意味は偶然や運命。起こる事象を察知して渡したのではなく、空穂ちゃんに偶然が訪れることを期待して渡していた。そのお守りは効力を発揮して猫又を見つけることはできた。運命を手繰り寄せてしまったとも言えるだろう。お守り自体に空穂ちゃんを守るような力はなく、猫又を見つけてしまった時点でお守りの効果は切れていた。
「とりあえず、こちらからは見つけられないし……。向こうから来てもらうしか無さそうだね」
幾ら進んでも猫又には会えない。それは猫又がこちらを認識していないから。五感で感じられるものではなく、直感的にそこに居ないと分かる。鏡で区切られた道のように、そこに居るのにそこに居ない。人間と妖怪が生きる世界には境界があった。
出会うためには猫又が化野を認識する必要がある。そのため行える方法はただ一つ。
僕はポケットから取り出した石を等間隔に置いた。四ヶ所に置かれた石は線でつなぎ合わせれば正方形になるように置かれている。そのすべてにルーン文字を刻み込んだ石を使用していた。
「こんなもんかな。予め準備しておいた道具が役に立ってよかった」
僕は大きく深呼吸をして、僕の世界と妖怪のいる世界の境界を壊す為に動く。薄氷のように触れれば壊れる境界には誰も触れられない。触れられないからこそ、その場で境界としての意味を成している。イメージするのは隔てる壁が砕け散る様子。
大切なものはイメージであり、僕らの使う技術に一番大切なもの。何度も境界が崩れるイメージを想像し、思考を固めてから妖怪の名を呼んだ。
「タマ」
そのひと言を合図に、世界の表裏は無くなった。
7
名前を呼ぶ。その行為に何の意味があるかと問われれば、作ったルールに乗っ取ってそのものに役割を与えることと答える。ルールの外にあるものを無理やりルールの中に引きずり込む行為ともいえよう。
自然災害などを考えてみると、名称がない場合複数の自然災害も同一のものと捉えられてしまう。台風も雨、スコールも雨、狐の嫁入りも雨。それぞれに別の名称をつけることで起こった事象を区分化し、その言葉が表す現象に役割を与える。
名前というものは形作る楔だと考えている。そして僕の呼んだ『タマ』という名称。名前を呼ぶ行為は、探している物を認識するための楔を打ち込む行為であった。元々は誰かが管理するために作り出されたタマという名前。それがあるおかげで僕はタマを形成している猫又を呼び出すことができる。
「我を呼んだのはお前か?」
「うお、でっか……。可愛くないな」
突如として目の前に巨大な猫が現れた。元々その場にいたかのように、音も立てず悠然と座っている。眼光鋭く、威圧感も然ることながらやはりこの世のものとは違う事を認識させられる。驚いた僕は準備していた石を猫又の足元に落としてしまった。
「再び問う。我を呼んだのはお前か?」
「そうだね、僕が呼んだ。君のご主人様に探して、連れ戻してほしいって言われてね」
「我は自由になった身。元の場所へ戻る気はない」
「そんな事を言わずにさ、大人しく飼い主のところへ帰りなよ。僕も善意の行動じゃなくて仕事で来ているんだ。君の我儘を聞く道理はないよ」
「それならば我もお前の我儘を聞く道理はないだろう。仕事で来ている? だからなんだというのだ。そもそも我は彼奴のことを飼い主などと思ったことはない」
僕の言葉は取り付く島もなく突っぱねられる。拒否される気はしていたがここまで即効否定されると遣る瀬無い。
猫は所詮愛玩動物であり、法律上は飼い主の所有物とされる動物。自我を持つだけでここまで不遜な態度を取るようになるとは、よっぽど飼い主の躾が悪かったのだろう。
だが、タマという名前をつけたのは飼い主である。
「名前でその存在を縛られているのに?」
「縛られているのではない。我が猫又としての存在をタマという名を通して作り上げたのだ。我はタマ――猫又という妖怪。猫から進化した存在である。『又』の逆読みでタマ。昔、普通の猫として生きていた世界とは逆の世界に生きていける。この名を産み出された時からこちらの世界の者として生きていく権利を得たのだ」
逆さ言葉。倒語とも言われるが歴史は古く、日本書紀にも出てくる。当時のものは暗号や呪いではないかとされているが、その辺のことは詳しくない。サークルの社員で詳しい人はいるが、生憎と出払っている。
「面白いね。人間の住む世界と逆の世界の理に準じるために自分の存在を逆にしたのか」
「そうだ。この場所に存在している我こそが我であり、他のものに縛られるのは……収まらん」
「収まらんって、その巨体ならどこにも収まらないと思うよ」
「貴様、調子に乗っておるのか? あの者から依頼とやらを受けたからといって、何をしても無事で済むなどと考えてはおるまいな?」
幽世を現世の逆と定義した場合、この空間は生きている世界と逆とも言えなくはない。事実はそうであったとしても、そうでなかったとしても、猫又がそのように思っているのならば猫又の中ではそれが真実になる。意識とは持つ本人が真実なのだ。
一種のプラシーボ効果のようなものだろう。効き目がない薬を効果があると信じて飲み続けることで症状が改善する思い込みの現象。思い込みといえば悪く聞こえることもあるだろうが、自分の中の意識を信じ込む力とも言えるだろう。
「でも、うちに来た依頼なんだ。探してくれって。それにうちの社員も被害に遭ったし……」
「シャイン……? とは何だ?」
人間の言葉をある程度分かる猫又も、全ての言葉を知っているわけではない。現世に存在しない生き物へ僕は優しく答えを与える。
「あー、知人みたいなものだよ。覚えていないかな? さっき女を食ったでしょ?」
入り口に転がっていた頭部のない女子高生……空穂ちゃんらしきもの。
猫又はその味を思い出したのか前足で口元のよだれを拭うと憎たらしい笑みを浮かべた。目の前にいる僕によだれが掛かることはなかったが、不意な挙動はやめてほしい。
「確かに、我の存在が知られたため食ったな。全く腹の足しにもならぬ者であったな」
この手の輩は嘘をつかない。嘘を付くということを知らない。狡猾さを手に入れるところまでは成長していないのか、はたまた人間とは違う世界にいる生き物に嘘を付くという必要がないのか。
それは自分を守るために吐くものだ。それは弱い人間だからこそ行う防衛本能なのかもしれない。力を手に入れてしまった猫、恐れや自分を守るなどという行為すら脳裏には浮かんでいないのだ。
「美味しかった?」
「覚えてはおらん。それほどまでに退屈な味であった」
「可哀想な空穂ちゃん。餌になっただけじゃ飽き足らずグルメなクソ猫に批判されるなんて」
「女はもう少しふくよかな方が味が良さそうだ」
「それはそうでしょ。うら若き女子高生。肉付きもいいとは言えないし美味しくはないだろうね。でも確かに君はあの子を食べた。被害が出てるんだ。なら、この依頼を達成しないわけにはいかないよね。信用問題もあるし」
目の前の妖怪が空穂ちゃんを食べたことは事実。アルバイトに被害が出て動かない社長では、他の社員に示しが付かない。
そして依頼者にも、余計な被害を出したことを引き合いに出して報酬を吊り上げようという算段を立てていた。被害が出ている以上、依頼者もこちらの条件を受け入れるしかなく、信用問題にも関わってくる。勿論サークル側ではなく、依頼者側の。
「ほう、我とやるのか?先ほど変に食ったせいで腹が空いている。段々とそのような気がしてきた。お前も不味そうだが腹の足しにはなるだろう」
「そりゃちょうどいいね。僕の体は差し出せないけど、さっき買った魚があるよ? 猫と言えば魚でしょ?」
魚屋から買った籠を猫又の前に差し出す。猫と言ったら魚、図らずとも空穂ちゃんの考えそうなことを言ってしまった。
「抜かせ。妖怪と言えば食うものは人であろう?」
人を食べる妖怪がいたという伝承も残っている。しかし、現世で妖怪に人が食べられるという話は聞くことがない。伝承や噂話でも『人を食った』妖怪がいるだけで『人を食っている』妖怪は出てこない。人々の噂話から妖怪というものは産まれたのか、妖怪と言うものがいて、そこから噂話になったのかは定かではないが。
「いいや、違うね。今の世界に妖怪が食べるものは……何もない」
科学の進んだ現代で妖怪が独りで生きていける訳がない。




