集結
投稿が遅くなりまして申し訳無いです……なんか毎回謝っている気が(泣)
ゴゴゴォォォッ
アフ・オルトレスの大通りを俯き加減で歩いていた人々はその場に届いてきた轟音に顔を上げ、音の聞こえて来る方向へと視線を向けると一様に驚いた表情になる。陽が完全に落ちる寸前の薄明の空を背に、街中で起きるのが不自然だと感じる竜巻がくねりながら立ち昇っていた。
「ちくしょう、今度は竜巻かよっ」
「ああっ、神様……」
竜巻を見る人々は、最近の好まざる出来事の連続に悪態をついたり、その場に跪いて神に祈りを捧げる者も居た。不安に駆られる人々は、そのまま竜巻が荒れ狂い街中を壊し始めるのではないかと最悪の想像をしていたが、予想に反して眺めているうちに前触れも無くフッと消えてしまう。引き続き何かが起きるのではないかとその場から動けなかったが、いつまで経っても竜巻の発生した方向は静かなままなので、ホッとしつつも首を捻りながら家路や目的地へと足早に向かい、すぐに何事も無かったかのように普段通りの、それよりはやや静かな空気がその場に流れ始めていた。
一方、竜巻の発生したその場所では、しゃがんで地面に突き立てた大剣に摑まりながら猛烈な風に目蓋を閉じていた人影と、少し離れた場所で地面に伏せている影からホッとしたような声が上がる。
「いったい何が起きたんだ?」
「……たすかったぁ~」
疑問と安堵という全く違った言葉だったが、それぞれが今思っている事を素直に口に出しており、知人が聞いていれば、らしい言葉だなと思ったに違いなかった。
「良かった。無事のようだな、黒炎」
「キミは大剣があったからいいだろうけどね、ダスク。
ボクなんて軽いから、危うく吹き飛ばされて建物にぶつかるところだったよ~」
不満そうに言いながら起き上がった黒炎は身体を振るって乱れた毛を直すと、同じく立ち上がったダスクの側に向かって歩いてくる。
「まあ、お互い無事だったんだからいいじゃないか。
……はっ、無事といえば、ローラは無事なのかっ!?」
「そっか、ローラはダイジョブなのっ!?」
突然の事に驚いて失念していた出来事を思い出したダスク達は、竜巻が発生した中心地、直前までフローラルが倒れていた場所へと慌てて視線を向ける。
「うわっ」
思わず黒炎が驚きの声を上げたように、空き地は竜巻が発生する前と比べると惨憺たる光景に変わっていた。隅に積んであった木箱は全て崩れており、中には落下の衝撃と壁に叩きつけられたせいで粉々になっている物もある。それ以上に目を引くのは、空き地を囲む壁に沿うようにぐるりと倒れている人々の姿だった。竜巻に吹き飛ばされた人々、悪魔族に操られていた者達は全員地面に転ばされてあちこちに擦り傷を作っているようだが、壊された木箱の破片等には当たらなかったようで一見して重傷者は居ないように見える。それでも受けた衝撃は強かったらしく、意識が無いのか呻き声を上げるだけで動けそうな者は居ないようであった。その人々に囲まれた中心にポッカリと空いた場所、最後に確認した時とほとんど変わらない場所に横たわっているフローラルの姿を発見する。
「「ローラっ」」
声を揃えてそう叫ぶと、ダスク達は急いでフローラルへと駆け寄る。念の為に頭を支えて慎重に抱き起こしたダスクは、フローラルを挟んで心配そうな視線を注ぐ黒炎に頷くと、優しくその身体を揺すりながら声を掛けてみる。
「しっかりしろ、ローラ」
「目を開けてよ、ローラ」
胸が上下しているので呼吸をしているのは分かっていたが、何度か呼びかけても目を開かないフローラルに、ただ気を失っているだけじゃないのかと不安になってくる。それでも何度目かの呼びかけでフローラルの目蓋が震えるように開いてくれたので、ダスク達はホッと安堵の息を吐いていた。
「……んっ、ここは……あれ?ダスク?どうして……」
「良かった。覚えてる?さっきまで何があったのか」
「ええ、覚えているわ。操られている人達に囲まれて、倒されて、そして……あっ」
そこまで話して慌てて自分の胸元へと視線を向けるが、服は血に汚れてはおらず、痛みも感じられないので短剣で刺されていないと分かったフローラルは安堵する。
「刺されてない……貴方が助けてくれたの?ダスク」
そう質問しながら視線を上げると、思っていた以上にダスクの顔が近くにある事に驚いて顔が熱くなってしまう。その表情を隠したくなったが、身体から力が抜けてしまっていたので顔を俯ける事しか出来なかった。
「僕じゃないよ。突然竜巻が起こったんだ。多分、そのせいで助かったんじゃないかと思うけど」
「竜巻?もう駄目かと思って、諦めて目を閉じた後の事は全然覚えてないわ。
風の音がうるさかった気はしたけど、まさか竜巻が発生して助かるなんて……」
地面に倒されて身体の上に人の山が出来ていたダスクはもちろん、同じく倒されて目を閉じていたフローラルには、あの時何が起きたのかは目にしていなかった。
カチャッ
その時、何か金属の物を地面に置く音がしたのでそちらへと視線を向けると、黒炎がフローラルの短剣と一緒に細長い物を拾ってきていた。ダスク達が不思議そうな顔をしているのに気が付いた黒炎は、それらを示しながら口を開く。
「これってローラのだよね?薬草の香りが強いからそうだと思って拾ってきたんだよ。
それと、そっちはあの時に飛んできたやつ。なんか見覚えがあったから一緒に拾ってきた」
少し離れた場所から見ていた黒炎には竜巻の直前に飛んで来た物も見えていたらしく、何故拾ってきたのかをダスク達二人に教えてくれた。
「これは……」
だいぶ力の戻って来たフローラルを地面に座らせると、とりあえずダスクは短剣を彼女の腰の鞘に収めておく。ごく自然にされていたのでその瞬間は気にならなかったが、きわどい場所までスカートがめくり上がっていたせいで危うくその下まで見えそうになっていた事に気付いたフローラルは、一瞬で耳まで赤くなっていた。
「まだ気配は残ってるか?」
「ううん、もう感じられない。近くには居ないと思うよ」
周囲の様子を確認して倒れた者達がすぐに動けないだろうと推測したダスクは、黒炎にも悪魔族について質問して安全を確認すると、荷物から取り出したランプに火を灯してから並べられていた細長い物二本を拾って確かめる。
「これは矢か。こっちは普通に鏃が付いているけど、こっちは何も無いな。
衝撃で壊れたのか……ん?この矢羽根には見覚えがあるような……」
どこかで見たような気がする矢羽根の色と造りに、なんとか思い出そうとダスクは首を捻る。
ダンッ
「っ!?」
なかなか出てこないので黒炎達にも聞いてみようかと口を開きかけたところで、背後の倉庫の方から何かが地面に飛び降りてきたような音が聞こえて来る。驚きを抑えて油断無く振り返ったダスクは、まだ地面に座ったままのフローラルを庇うように前に出て大剣を構えた。
「あいたたた。やっぱりちょっと高かったみたいだな。
あちゃあ、やっぱり無理し過ぎたか。その鏃は貴重品なんだけどな~」
着地した足が痺れたのを痛そうにしながら身体を起こしたのは、外套を纏い付属のフードを被った人物で、その背には見覚えの有るような金色の弓を背負っていた。足先を軽く振りながらダスク達を見た闖入者は、ダスクの手に握られた矢を確認して残念そうな声を出していたが、警戒した表情で自分を見る視線に戸惑いつつ声を掛けてくる。
「おいおい、オレの事を忘れたなんて言わせないぜ。
そんなに離れていたわけじゃないし、命の恩人に対してそれはないんじゃ……って、コレか」
そう言って目深に被っていたフードを背後へと跳ね除ける。
「「あっ!?」」
フードの下から出てきたのはダスク達が良く知っている顔だったが、ここに居るはずの無い人物だったので揃って驚きの声を上げていた。
「こんなところで何をしてるんだ?ソラ」
「ガクッ。なんだよ、仲間の危機に颯爽と登場したってのに」
「いや、それは本当に助かったんだけど……」
新たに現れた人物の名前はソラリス・シールといい、親しい人は愛称のソラの方で呼んでいる。透き通る様な輝きを見せる腰まで届く銀髪を三つ編みにして背中に垂らした中性的で美しい容姿の少女で、小麦色の肌と小柄で細身の身体に、今は外套の下にフローラルと同じオルフィエルド学院の女子用の制服を着ている。橙色に染めた革製の胸当てや籠手を身に付け、精緻な模様が施された黄金色の弓でチーム内では遠隔攻撃を担当しているが、今回はそれに助けられたようである。一番印象的な力強さを感じさせる金の瞳を輝かせながら、不満そうな顔をダスクへと向けていた。
「確か王都でやる事があるって言ってなかったっけ?
それに、なんか全体的にボロボロっていうかなんというか……」
「ん?そうなんだけどな。ていうか、身なりの事は言わないでくれ。少しは気にしてるんだからな。
その話は置いとくとして、どうしてここに居るかって?
なんか危ないからって屋敷から出してもらえなくなりそうだったから脱走してきた。
ああ、オレの事は心配しなくてもいいぞ。後の事はサフィに任せてきたから大丈夫だぜ」
あっさりとそう言うソラリスに、今頃サフィーラは大変なんだろうなとダスク達は胸中で思いつつ、彼女の献身には頭が下がる想いであった。
「とにかく助かった。ソラが居なかったら僕達は大切な友達を失っていたところだったよ」
「ありがと~、ソラ。すっごくカッコよかったよっ」
「本当にありがとう、ソラ。貴女は私の命の恩人ね」
皆に一斉に礼を言われたソラリスは、一転して頬を染めると照れくさいのか顔を逸らす。
「あ、あはははっ。まっしょうめんから真面目な顔で言われると照れるじゃん。
い、いいってことよ。オレ達は仲間なんだから当たり前だぜっ」
その素直というか分かりやすい反応に、ダスク達は張り詰めていた気持ちが少し楽になって笑みを浮かべる事が出来た。
「あははっ、ソラったら照れちゃって~」
「て、照れてなんてないって。これはっ、そう、勝利にちょっと興奮しただけさっ」
「ふふっ、そういう事にしておいてあげましょ」
「むぅ、ローラまで。恩を仇で返された気分だぜ」
楽しそうに会話をする仲間達から視線を外したダスクは、再度周囲に倒れている者達の様子を窺ってからソラリスが出てきた倉庫の窓を見上げる。
「ところで、なんでソラはあんな場所から登場したんだ?」
「へ?ああ、ちょっと色々あったっていうか……」
「色々って?」
「あ~、要するに一文無しだったんだよっ。明日までちょこっと泊まらせてもらおうかなって」
「え~、うっそだ~。お金持ちじゃん、ソラって」
「おいおい、黒炎、別にオレ自身が金持ちってわけじゃないっての。
はぁ、わかったよ。言えばいいんだろ、言えば。
屋敷を抜け出したのはいいけど、荷物の中にお金を入れるのを忘れていたんだよっ」
「ぷっ、あはははっ、ソラったらドジだな~」
「うるせっ。
ここに来るまでは野宿しながら狩りをして空腹を満たしたけど、ちゃんとしたもの食べたいぜ」
「なるほど。本当に運が良かったんだな。ソラのドジがなければ今頃は……」
「そうね。ソラのドジがなければ……」
「おいこらっ、お前ら本当に感謝してるんだろうなっ」
「もちろんっ」
楽しそうに尻尾を大きく振りながら肯定する黒炎の言葉に同意するように、ダスクとフローラルもソラリスへと頷きを返す。それを口を尖らせながら見ていたソラリスは、少なくとも人間二人は真面目な顔をしていたので溜め息を吐きつつ渋々と認めていた。
ザッザッザッザッ
その時、この空き地の唯一の出入り口である路地の方から複数の人間の近付いて来る足音が聞こえて来る。
「増援かっ!?」
大剣を構えたダスクは、黒炎達に下がってもらい後方の警戒を頼んでから路地の出入り口を塞ぐように仁王立ちする。今度は最初から相手を気絶させるつもりだと伝えてあるので、先程のような単純なミスで窮地に陥る事だけはしないだろう。そのまま足音が近付いて相手が姿を現すのを待っていたダスク達の目の前に、ようやく現れた者達は、悪魔族に操られていた人々とは違って武装をした集団であった。相手が武装しているので簡単には無力化出来ないだろうと気を引き締め直したダスクであったが、集団の先頭にいる者の顔にどこか見覚えが有るような気がしており、相手も同じらしく少しだけ首を捻っていたが、ダスクとその人物は同時に思い出したようであった。
「「あっ」」
危険な人物では無いと分かったダスクが武器を収めるのを見た黒炎達は、どうしたのかと思いつつダスクのすぐ近くまで戻ってくる。
「こんな所で学院の生徒が何をしているんだ?」
「すみません、隊長さん。
友達を探しに来たのですが、突然向こうで倒れてる人達に襲われまして」
「なにっ!?お前達、ここはいいから倒れている者達を」
「「はっ」」
ダスクが隊長と呼んだのはこの町の警備隊長で、軍の手伝いの関係で警備隊とは良く顔を合わせていた。背後に続く警備隊員達は、隊長の命令で空き地に倒れている者達の様子を確かめる為に手分けして駆け寄って行った。
「我々は正体不明の竜巻の調査に来たんだが、ここで何があったんだ?」
「わかりません。
何かに操られているみたいで、自分の意思で行動しているようには見えませんでした。
隊長さんの言っている竜巻は、襲われている時に突然発生して突然消えました。
あの人達が倒れているのは、その竜巻に飛ばされたからです。
僕達も危なかったのですが、なんとか大丈夫でした」
「むぅ、良くわからない状況だな……」
少しだけ変えて伝えた情報に、警備隊長は首を捻っていたが、一人の隊員が報告に戻って来る。
「全員意識を失っております。目立った怪我はありませんが、全員が衰弱しているようです。
早めに治療施設に運んだ方が良いかと思われます」
「ふむ、そうか。
直ちに搬送を始めろ。恐らく人員が足りないだろうから、近くの詰め所へ応援を要請するんだ」
「はっ」
命令を受けた警備隊員は、他の隊員達へと伝達してから応援要請の為に空き地から走り去って行った。それを見送った警備隊長は、ダスク達へと視線を戻して口を開く。
「君達は早く帰るんだ。それと、君、ダスクくんだったかな?後日もう一度話を聞かせてくれ」
「はい、わかりました」
「うむ。そうだ、襲われたのなら隊員に送らせようか」
「いえ、大丈夫です。
まさか街中で襲われるとは思っていなかったせいで追い詰められましたが、最初から警戒していれば問題ありません」
「そうか。まあ、気を付けて帰れよ」
「はい、ありがとうございます」
そう言って頭を下げるダスクに続いてフローラルやソラリス、ついでに黒炎も頭を下げていた。その様子に笑みを浮かべた警備隊長に見送られながら、ダスク達は空き地から出て帰路へとついていた。
早足で細い路地を抜けて広い通りへと出たところで、ようやく安心したダスク達は足を緩めながら深呼吸をする。それでも後ろが気になって振り返っているフローラルに、ダスクはその肩を片方の手でポンと軽く叩いた。
「次は絶対に守ってみせるよ」
「……ありがとう」
「多分大丈夫じゃないかと思う。
外で襲ってきたって事は、他の人間の居る場所には来ないのかもしれない」
「そう、ね。そうだと思う事にするわ。そういえば、直接は近寄れないような事を言っていたかも。
もしかしたら、角の処理で魔除けを使っていたからかもしれないわね」
「なるほど。それなら魔除けで護られている部屋に早く戻った方が良い」
深刻そうな顔に戻ってしまったダスクとフローラルの様子に、やれやれという風な表情になったソラリスが明るい声で話し掛ける。
「助かったんだから、その話はやめようぜ。そんな事よりも腹減っちゃったな~」
「うんうん、ボクもお腹ペコペコだよ~」
ソラリスの言葉に同調して、力が抜けたようにいつもはピンと立っている耳を伏せて大きな尻尾を垂らす黒炎の様子に、ダスクとフローラルは顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「そうだな。どこかで食事でもして行こうか」
「ふふっ、早くしないと倒れちゃいそうね」
「ついでにオレの分の食事代もよろしくなっ」
「わかった。危ないところを助けてもらったし、遠慮しないでいいぞ」
「やったぜ」
思惑通りに笑みを浮かべる二人を見て嬉しくなったソラリスは、一文無しだという事を思い出してついでに宿の問題も口に出していた。
「そうだ。ついでに今日泊まる場所もいいか?なんだったらお前の宿泊してる部屋でもいいぜ」
「なっ!?」
全く期待していない風に聞いたソラリスの言葉に思わずフローラルは驚きの声を上げていたが、そんな二人の様子も気にせずにダスクは気軽に頷いていた。
「ん?ああ、別に構わないけど。黒炎もいいよな?」
「別にいいよ~。ここに来るまでの話も興味あるし」
「へ、へぇ~、いいんだ?それじゃあ遠慮なく……」
「駄目よっ!貴女は私の部屋に来なさい」
「え~」
「い・い・わ・ね?」
「は、はいっ」
ソラリスの両肩に手を置いて話すフローラルの顔は、ちょうど背後に居るダスクと黒炎には見えなかったが、何かを恐れているような表情でガクガクと頷くソラリスを見れば一目瞭然なのかもしれない。但し、肝心なところでは鈍いダスクと黒炎は、それを見ても二人は仲が良いなと思って見守るだけであった。
それから食事を終えた一行は、フローラルの宿泊している部屋まで二人を送って別れ、ダスクと黒炎は建物の外に出てからすぐに立ち止まる。
「見張るのかい?」
「うん。念の為、今夜は寝ないで警戒にあたる。部屋に戻れないけど寝ててもいいぞ」
「う~ん、ボクも気になるから起きてるよ」
「そうしてくれると助かるよ」
嬉しそうに頷いたダスクは黒炎の頭を撫でてからランプの火を消し、何かが起きればすぐに動けるように近くの物陰へと移動して座ると、荷物から毛布を出して傍らの黒炎と一緒に肩へと掛ける。何事も無ければ良いと思いながら、雲が消えて星が見えるようになった夜空を見上げるダスクは、隣に居る黒炎の温もりを心強く感じていた。
それと同じ頃、アフ・オルトレスから北方に位置する軍の部隊の陣地内は、大勢の兵士が居るにも関わらず妙に静まり返っていた。かといって兵士達の大部分が寝ているというわけでもなく、夜の闇を追い払うかのようにいくつも熾された焚き火の周りに座って食事を摂っている姿が、あえて探そうとしなくてもいくらでも視界に飛び込んでくる。しかしながら、一様に暗い顔で元気の無い様子なので、たまに聞こえて来る騎馬の飼葉を催促する声の方が大きく存在感が有るくらいだった。どうしてここまで部隊の雰囲気が悪いのかといえば、ここまでの戦いでは魔獣を狩りに来ているにも関わらず、押し返されて五分五分というよりも逆に押されている有様で、陣地の周囲を囲んでいる逆茂木の多さからも分かるように時折夜襲を受けて消耗も強いられているからである。それでも被害は最小限に抑えているが、攻めよりも守る時間の方が長くなっているので、ほとんどの兵士がこの遠征の終わりを想像出来なくなっている事も要因だろう。指揮をしている将軍やその副官達も打開策を思い浮かばないまま、中央の天幕の中で顔を見合わせながら眉間に皺を寄せていた。
「……」
無言のままいたずらに時間が経過していく中で、ジッと目を閉じて考えるそぶりをしていた将軍が、目蓋を開いて何かを決心したような目で副官達を見る。
「一つ考えがある」
「おおっ、さすがです、将軍。それで、どのような策なのでしょうか?」
「うむ……今は話せぬ」
「なっ」
「慌てるな。貴公らが信用出来ないというわけではない。
効果があるのかわからぬし、未だ形の定まらぬ策なのだ。
今、余計な期待を持てば、駄目であった時に逆に苦しくなるのだからな。
すまぬが今宵はここで解散とする。策が定まり次第、最初に貴公らに伝えると約束しよう」
「わかりました。そう仰るならば我々もその策を心待ちに致しましょう」
納得していない表情の者も居たが、将軍は作戦会議を解散させて天幕から人払いをする。そのついでに従者へと、ある人物にここに来て欲しいという言葉を伝えるように命じていた。
待つだけの行為は余計に長く感じるのか、厳しい表情で天幕の中を歩き回る将軍は、時折果汁で薄めたワインで喉を湿らせながら気持ちを落ち着かせようとしていた。
「ふむ、相当鬱憤が溜まっているようであるな」
「っ!?……ふぅ、驚かせないで頂きたい」
以前同様、いつの間にか天幕に入ってきた将軍の待ち人である若者、情報収集の部隊を率いている隊長は、相変わらず黒い布で口元を覆った軍服姿で、自分が突然声を掛けて驚かせたにも関わらず、本来ならば上役である将軍の前で泰然とした態度で立っていた。
「わざわざ足を運んで頂き感謝致します」
「ふむ、現在軍を率いておるのはおぬしなのだ。
役職でいえば、余よりもおぬしの方が上なのだから気にする事はない」
「ありがとうございます」
頭を下げる将軍に頷く隊長は、今はそれも必要ないという風に、ここに来た目的を果たす為に間を置かずに口を開く。
「ふむ、ここに呼んだという事は、余の力を借りたいという事なのだな?」
「はい。我々の鍛えた軍だけで魔獣を討伐出来ると考えていましたが、力及ばず……。
このままでは徒に被害が増すばかり。恥を忍んで貴方のお力をお借りしたいのです」
「うむ、任せるがよい。現状を打開する一手を打ち込んでみせよう」
「それはもしかして、貴方達直属のこのえ……秘密部隊のようなものなのですか?」
「ふむ、そういうものではないが、一騎当千という言葉の意味が真に理解出来たりはするだろうな」
鋭い視線で将軍の言葉を途中で変えさせつつ、質問には遠まわしの答えしか返さなかった隊長は、その場で簡単な打ち合わせを行った後、打開策を実行する時に部下に質問された時には上の身分の者からの介入があったとだけ答えるように伝え、来た時と同様にほとんど音を立てずにその場を後にした。それを見送った将軍は溜め息を一つ吐き、誰も居なくなった天幕で一人、先程の会談の前まで地図を広げて議論を交わしていた円卓の周囲にある椅子の一つに、ドサリと疲れたように座り込む。
「本当になんとかなるのだろうか……」
一人になって冷静になった将軍は打開策に対して半信半疑に変わったようで、思わずそんな呟きを漏らしていたが、幸いにも彼に率いられる者達が不安になるだろう言葉を聞いている者は誰一人居なかった。
翌日、懸念していた再襲撃も無く、安心したようにホッと息を吐いたダスクは、徹夜明けでさすがに眠い目をこすりながら立ち上がって伸びをする。見上げれば今日の空は良く晴れており、暖かくなりそうだと思いながら足元で毛布にくるまって寝ている黒炎へと声を掛ける。
「もう朝だぞ、黒炎。
一度部屋まで二人の様子を見に行ったら、一旦僕達も部屋に戻るんだから起きてくれ」
「……むにゃ」
幸せそうな寝顔に溜め息を吐きつつ、黒炎から毛布をはぎとって荷物に仕舞う。
「ほら、起きないと僕だけで朝ご飯を食べるぞ」
「……うにゅっ、ズルイよぅ……あれ?もう朝か。ふわぁぁぁっ、おはよ~、ダスク」
喉の奥まで覗けそうな大口を開いて欠伸をする黒炎に苦笑しつつ、ダスクは大剣を背負って準備を終える。その傍らの黒炎も背中を弓のようにしならせて伸びをした後に身体を振るうと、乱れた毛は梳ったように綺麗になって朝日に艶やかに輝いていた。
時間が時間なので音を立てないようにフローラルの部屋に寄ったダスクは、必ず二人一緒に行動するように注意すると共に、人の居ない場所には出来るだけ近付かない方が良いと伝えてから、まだ眠そうな黒炎を連れて自分の宿泊している部屋へと向かう。ちなみに朝早くに起きていたのはフローラルだけで、声量を抑えて会話をしていたとはいえソラリスは少しも起きる気配が無く、やはり長旅の疲労が出たのかもしれなかった。それからは出来るだけ空いている時間にはフローラルとソラリスの様子を見に行っていたダスク達であったが、心配していた襲撃はさすがに連日という訳にもいかないのか、それとも警戒していたのが正解だったのか、その日は何事も無い一日が過ぎていった。
そして翌日、その日も朝から晴れて過ごし易そうな一日になりそうだと思いながら、各々の仕事をこなして太陽が真上を過ぎた頃、ダスク達が迎えに行って合流した一行は以前にも利用した食事処兼酒場、その店が路地に面した広場に設置したテーブルで昼食を摂っていた。
「いや~、まいった。すっかり忘れちまってたんだよな」
「あははっ、その馬もまさか置いてかれるとは思ってなかっただろうね」
話題に上っているのはソラリスがこの町まで来る時に乗ってきた馬で、あの日は倉庫街の近くに有る雑草の生い茂った小さな空き地に繋いで草を食べられるようにしておいたが、襲撃のいざこざや疲労のせいでつい忘れて丸一日ほったらかしにしてしまった。慌てて迎えに行ってみれば、主人のソラリスの姿にも気が付かずに周囲の雑草を根こそぎ食べ尽くす勢いで食事に勤しむ姿が出迎えてくれた。食事と会話を楽しむ黒炎とソラリスの様子に笑みを浮かべていたダスクであったが、ふと真面目な顔になってフローラルへと視線を向ける。
「まだ視線を感じる?」
「ええ。以前よりは距離があるのか弱く感じるけど、相変わらず見られてるみたい」
「まだ諦めていないって事か。本当にしつこいな」
そう言って溜め息を吐くダスクは、テーブルの上に載せてあった兜を手に取ると、気になった汚れを手拭いで拭き始める。それを見たフローラルは、兜からダスクの全身へと視線を移してから微笑んでいた。
「ふふっ、その格好を見るのも久しぶりな気がするわね。その方が貴方らしいかもしれない」
「ん?当然だよ。この鎧と僕達は切っても切れないからね。
本当は毎日使いたいんだけど、物々しすぎるから禁止されたんだ。
だから今日みたいな物資の警備の時くらいしか出番が無いんだよ」
ダスクの格好は学院では見慣れていたくすんだ黒色の全身鎧で、すぐ後ろの石垣に大剣と巨大な盾が立てかけられていた。毎日の日課である早朝の鍛錬はほぼ欠かしていなかったが、最近の日中は学院の制服に大剣だけを背負って仕事をこなしていたのである。
「まあ、仕方ないかもね。
皆が不安にならないように、迫ってきている戦場を極力想起させないように心がけているのかも」
「なるほど。そういう意味もあるんだなぁ」
しきりに頷いて感心するダスクを、フローラルは食後のお茶を飲みながら楽しそうに眺めていた。
「むぅ、情報ではこの辺りに居るはずなのだが……」
ダスク達の居る場所から少し離れた通りを、オルフィエルド学院の制服を着て腰に長剣を佩いた同い年位の少年が、誰かを探すようにキョロキョロと視線を動かしながら歩いていた。その姿は髪の毛と瞳の色の違い以外はほぼダスクと同じ容姿なので、初めて見た人間は双子だと勘違いしそうである。
「……む、あそこで食事をしているのがそうらしい。
休み無く馬を走らせたせいで携帯食で済ませたが、やっと余も並の食事にありつけそうであるな。
おや?あれはあの時の家族のようであるが」
探していた者達を見付けて歩み寄ろうとしたところで、見覚えの有る親子三人連れの姿に気が付く。少しの間その三人を眺めていた少年は、何か思うところがあるらしく姿を隠しながらその場へと近付いていった。
「こんにちは。私達も御一緒していいですかな?」
側面から掛けられた言葉に顔を上げたダスクの視線の先には、数日前に感動の再会を果たした親子三人の姿があった。訝しげな顔になるフローラルとソラリスにどういう知り合いかを簡単に説明すると、すぐに笑顔になってダスクへと頷く。
「構いませんよ。少し顔色が悪いようですし、早く座って下さい」
「ありがとう。ほら、お姉さんの隣の席に座らせてもらいなさい」
「は~い」
黒炎を撫で回そうとしていたらしい女の子は、父親の言葉に残念そうな顔をしながらフローラルの隣の席へと駆け寄る。
「あっ!?」
胸に黒炎を模したらしきヌイグルミを抱き締めていた女の子は、手がふさがっていたので地面のおうとつにつまづいても体勢を直せないまま転んでしまう。それを見たフローラルは誰よりも早く駆け寄り、起き上がらせて服の汚れを払いながら怪我がないか確かめていた。
「大丈夫?怪我は……無いみたいね。急に駆け出したら危ないわよ」
「ごめんなさい、おねえちゃん。つぎからはきをつける。くろちゃんもごめんね。
……あれ?くろちゃんがいない」
空っぽになった手を広げて泣きそうになる女の子に、フローラルが周囲を見回すとすぐに特徴的な黒いヌイグルミの姿が目に飛び込んできた。それを拾ったフローラルは、汚れを払いながらどこも壊れていない事を確認して女の子へと微笑みかける。
「こっちに居たわ。大事なお友達の為にも足元には気を付けなきゃね」
「ありがとう、おねえちゃん。こんどからきをつけるよ」
「良い子ね。偉いわ」
素直な返事に満足したフローラルは、女の子に近付いて目線を合わせる為にしゃがんで両手でヌイグルミを差し出す。受け取る為に手を出してくる、そう思っていたフローラルは、手を出してきた女の子の手にギラリと光るモノが握られているのを見付けてもすぐには反応出来なかった。
「え?」
「なにやってるんだっ!?」
二人の様子を眺めていたダスクは驚きつつも双方にとって危ないと思ったので、阻止というよりも取りあげる為に側に近寄ろうとするが、どういうわけか妨害するのに絶妙な位置に女の子の両親が立っていたのでその場にたたらを踏んでしまう。その目の前で女の子の握る光るモノ、小さな子が持つには少々大振りなナイフがフローラルの胸の中心へと向かっていった。
「っ!?」
動けないままナイフの行方を視線だけで追っていたフローラルは、その切っ先が触れる直前に思わず目をギュッと閉じてしまう。直後に訪れるであろう痛みに身構えていたが、いつまで経っても来ないので恐る恐る目蓋を開いてみる。
「あっ」
目の前には相変わらずナイフがあったが、それを持つ女の子の手が横から突き出された手に摑まれて止まっていた。その光景に驚きつつも、誰が自分を救ってくれたのかを確かめようと摑んだ手を辿ってその持ち主を見ると、それは先程離れた場所で親子三人の様子を窺っていたダスク似の少年、フローラルも良く知っている自分達のチームのリーダー、ウィリアム・トーラスであった。
「ふむ、少々悪ふざけが過ぎるのではないかな?お嬢さん」
「……っ」
無言で力を込めているらしい女の子がどうにかして振り解こうと試みていたが、ウィリアムは相当力を込めているらしく次第に苦痛の表情を浮かべ始める。
カチャン
とうとうナイフを取り落とした女の子は、年齢不相応に憎々しげな表情をウィリアムへと向けると、その場から身軽に距離を取る。そこにはいつの間にか両親も移動しており、その二人の顔は一様に表情が抜け落ちてまるで人形のように感じられた。
「すまない。助かった、ウィリアム」
「うむ、気にするな。余がローラを守るのは当然であるし、リーダーの務めでもある」
まだ呆然としているフローラルを守るように、既に全装備を装着したダスクが前面に位置し、ウィリアムとソラリスが左右を固める。黒炎はフローラルの様子を気にしながらも、ダスクのすぐ近くまで移動していた。
「そうなのか?黒炎」
「うん、そうみたい」
阿吽の呼吸で短い言葉だけで確認したダスクは、油断無く親子三人の動きを見ながら答えを期待せずに質問をしてみる。
「操られてるんだよな?」
『アハハッ、コノ前ノ人形達トハチョット違ウヨ』
「なっ!?」
予想とは違ってすぐに女の子から、その可愛らしい口から出てきたとは思えない甲高い声で答えが返ってくる。驚きで固まるダスク達を面白そうに見ながら、女の子達を操っているらしい存在、おそらく悪魔族が言葉を続ける。
『モウ面倒ダカラ自分ノ手デ始末ヲツケヨウカナッテ思ッタンダケドナ。
ホント、次カラ次ヘト沸イテ来ナイデ欲シイネ」
「お前の目的は一体なんなんだ?どうしてローラの事を狙う」
『ン?ワザワザ教エテアゲルスジアイモ無インダケドネ。
ナンカ僕ノ可愛イ魔獣達ニトッテ不都合ナ薬ヲ作ッテルミタイダカラサ』
「今、魔獣って言ったのか?それじゃあ最近の魔獣の事件は……」
『ソウダヨ。僕ガオイシイ食事ヲスル為ニ、魔獣達ニヤラセテイタノサ。
キミタチ人間ダッテ料理ニハ味付ケスルダロウ?』
「なっ!?そんな事の為にたくさんの人達を苦しめていたのかっ!
許さないぞっ!!」
「待て、ダスク」
すぐにでも飛び出しそうなダスクに、ソラリスにフローラルを任せて前に出てきたウィリアムが肩を押さえて制止する。今回もフローラルの危機に何も出来なかったダスクは怒りの視線を向けるが、ウィリアムは真面目な顔で平然と受け止める。
「聞きたい事がある」
その言葉と視線に何か感じるところがあったのか、ダスクは気持ちを落ち着かせて戦闘に最適な精神状態になるように深呼吸を始めた。
『マダ何カアルノカイ?マッタク、付キ合イガ良イナ、僕ッテ』
「お前は何者かの命令で現れたのか?そしてお前の他に仲間が居るのか?」
『アハハッ、何ヲ言ウノカト思エバ。今ハマダ我ガ王ノ人間界ヘノ興味ハ薄イカラネ。
僕ハ食事ヲ楽シミニ来タダケサ。ソレニ、仲間?人間ジャアルマイシ。
魔獣ノ王デアル僕ニハ必要ノナイモノダヨ』
「ふむ、お前をどうにか出来れば解決するようだな。わかりやすくていい」
『僕ヲ倒セルツモリナノカイ?ナメラレタモノダネ』
お互いに相容れぬものと理解しているので、確認作業を終わらせたウィリアムと悪魔族は敵意の視線を交わし合う。
ドガッ
「話はそのへんでいいんじゃないか?そろそろその子から出て僕と戦えっ!」
気持ちを落ち着かせようとしていたが、これまでやられっぱなしのダスクは我慢の限界に来たようで、大剣を地面に突きつけて会話に区切りをつけさせる。いつもの様子とは違うダスクに、親子三人がダスクの知り合いだとは知らないウィリアムは訝しげな顔になり、女の子の表情は面白いものを見ているかのように変わる。
その頃には周囲で遠目に様子を窺いながら仲裁しようとしていた他の客達は、普通の争い事とは違う事を悟ってほとんどの者がその場を後にしており、そんな余計な手出しをされないという状況はダスク達にとって望むべき事なのかもしれなかった。
『アハハッ、言ウ通リニスルト思ウノカイ?サア、遠慮無クカカッテキナヨ』
「くっ、卑怯な奴だな。それとも、悪魔族らしいと言うべきか」
ナイフを構えて無防備に近付いて来る女の子、中身は悪魔族であったが、知り合いの姿をしている相手を簡単には攻撃できずにダスクはジリジリと後退していた。その様子を見ていたダスクの仲間達は、口も手も出せずに見守るしか出来ず、背後に近付いていた人物の存在も声を訊くまで気付かなかった。
「攻撃するんだっ、ダスク」
「え?」
そう呟いて振り返ったフローラルの目の前には、数日前に仕事場でダスクと共に会った者達の姿があり、三人連れのうちの唯一の男性が先程の声の主であった。
「アルさん?いつの間に……」
そう呟いたフローラルの言葉にニコリと微笑むと、厳しい表情に戻って再度ダスクへと声を掛ける。
「その子は贄だ。残念だけど、もう助からない。
今は喰べた魂の記憶を利用してその身体を動かしているんだ。
君がその子にしてやれる事は、安らかに眠らせてやる事だけしか残っていない」
「そんなっ」
思わず声を上げたフローラルやソラリスは悲しそうな顔になり、ウィリアムは女の子を悼む表情を浮かべる。辛い現実を伝えたアルや、その連れのミリーやバーナもウィリアムと似たような表情になっていた。
『チェッ、モウ少シ遊ベルカト思ッタンダケドナ。マアイイヤ、改メテカカッテキナヨ』
「……」
『ン?ドウカシタノカイ……プッ、アハハッ、マサカ攻撃出来ナイノカナ』
兜の下の表情は分からないが、黙ったまま微動だにしないダスクの様子に、言葉通りの予想をして思わず噴出す悪魔族に対し、少しも反論をせずにいるのが答えなのかもしれない。
ドスンッ
構えていた大剣が力の抜けた手から落ちた瞬間、その場に居る全員がダスクが戦意を喪失したのではないかと思っていた。
『クックックッ、一番ヤッカイダッタ奴ガコンナニ簡単ニ排除出来ルトハネ』
そう言いつつも警戒心を無くさずに近付く姿に、ダスクは棒立ちで、他の者達は焦った様子で動こうとする。
「ダスクっ!?」
『死ンジャイナヨ』
タタッ
懐に入って鎧の隙間にナイフを突き込む悪魔族の動きに続いて、ダスクの鎧姿が両膝を地面に落とす。ほとんどの者が最悪の想像をしていたが、ダスクの両腕が持ち上がって女の子の身体をそっと抱き締めるのを見て、安堵と不安の混ざった空気になっていた。
『クッ、離セヨッ。ナイフガ全然通ラナイジャナイカ。忌々シイ火獣ノ装備メッ』
ミシッ
鎧の隙間を意図的に狭めているせいでナイフは入らず、次第にダスクの腕には力が込められてきているらしく、悪魔族の苦痛がそのまま女の子の顔に表れる。
『ググッ、良イノカ?コノ娘ノ身体ガ破壊サレルゾ』
「……ごめんな、助けられなくて」
小さな声で呟くダスクの言葉に気付いた悪魔族は、慌てて脱出しようともがき続けるが、万力のように締められていく両腕はビクともしなかった。
『グアッ、何故ダッ、コノ身体カラモ抜ケラレナイ。コレモ火獣ガッ……』
ゴキッ
耳を塞ぎたくなるような音が聞こえると同時に、悪魔族の贄にされた女の子の身体がピタリと動きを止める。続いてダスクはその身体をそっと地面に横たえて、まだ開いていた目蓋を閉じてやっていた。
「ダスク……」
誰かが呟いていたが、直接声を掛けるのを躊躇わせる空気がその場に流れていた。しかしそれも人間だけにしか感じ取れないものなのかも知れず、怒りに狂った人外のモノには関係が無いようであった。
『ガアッ、許サナイゾッ』
『一ツヲ潰サレタトシテモ、マダ残ッテイルンダカラナッ』
黙祷を捧げていた一同がハッとして顔を上げると、そこには先程まで黙って棒立ちになっていた女の子の両親が合わせて単体の存在であるかのように悪魔族のものらしき言葉を叫んでおり、その様子は女の子と同じく贄にされているのだと、したくもない予想が頭に浮かんでくる。
「親子全員だったんだな。覚悟しろよ。お前は絶対に許さないからな」
『『ソレハコッチノセリフダヨ。オ前ハ僕ガ直接噛ミ砕イテヤルゾッ』』
睨み合う双方の間の緊張感が限界に達した瞬間、先に飛び出したのは拾っておいた大剣を両手で構えたダスクの方であった。
ブンッ
二人一緒に薙ぎ払おうとしたダスクであったが、大剣が触れる寸前に身体から何かが抜けるように縮んでクシャリと地面に崩れ落ちる。予想外の現象に驚いて動きが止まっている間に、充分距離をとった位置に漆黒の塊が湧き上がり飛び散った。
ビシャビシャッ
液体が撒き散らされる音と共に正体不明の塊が地面に広がると、記憶にあるモノと似た、それでいて更に大きく禍々しい魔法陣が描かれる。続いてその魔法陣が暗い紫色の光を発し始めると同時に、ダスクの後方に居る黒炎は身体を震わせながらピンと立っていた耳を伏せて尻尾を丸め、フローラルや初めてのソラリスは気分が悪くなってお互いに身体を支え合う。その他の者は油断無く得物を構えて、すぐに援護に入れる体勢をとっていた。
グルルゥゥゥッ
巨大な獣の唸り声がまるで産声のように、暗紫色の魔法陣から巨大な影が這い出してくる。以前の悪魔族も大きかったが、今回のは更に巨大で、周囲の建物と同じ位の体高があった。しかも四足なので後足で立ち上がればまさに見上げるほどの怪物なのである。外見は艶の無い漆黒の毛皮で包まれたしなやかで力強い四足の獣の身体に狼に似た頭が三つ生えており、太い脚の先には鋭い爪を備え、尻尾の先は魔法陣と同じ色の炎が灯っている。三つの頭はそれぞれ太くて鋭い牙を持ち、鬼火の様に青く輝く左右二つずつ、一つの頭に計四つの瞳は憎悪で強い光を発しているが、中央の頭だけは瞳を閉じて口を閉じ、まるで動かない作り物の様にも見えた。おそらく、先程ダスクが贄と一緒に砕いたのがその頭の部分だったのだろう。魔法陣から全身を引き出した悪魔族は、全身を振るって乱れた毛を落ち着かせると、頭を空へと向ける。
ルゥオオォォォォッ
その遠吠えは遠くまで届き、それを耳にした者は不安を感じて家に入って扉に鍵をかけ、野生の獣は巣に逃げ込んで身を寄せ合い、軍と戦闘中の魔獣は勢いを増していた。
「準備は整ったのか?だったら始めようじゃないか」
『クックックッ、サスガニコノ姿ヲ見テモ動ジナイヨウダ。
サスガダナ、ト言イタイトコロダガ、コノ姿ノ我ハ力ノ加減ガ効カナイカラナ。
アッサリト壊レテクレルナヨ』
「いいからかかってこいよ。多分、壊れるのはお前の方だろうがな」
ピンッ
そんな音が聞こえてきそうなくらい張り詰めた空気が流れるが、ほとんど全員が息を詰めて見守る中、そこに割り込める者がこの場に一人だけ居た。
「ここで戦うのは、さすがの僕でも看過出来ないよ」
「止めないで下さい、アルさん」
実力を認めているアルの言葉だったが、怒りで周囲の見えていないダスクは従わずに戦いを始める方に気持ちが傾いていた。悪魔族の方もその言葉を不快そうに聞いていたが、ふとアルの抜いている長剣に目を止めると驚きの声を上げる。
『ナッ、別ノ火獣カラ加護ヲ受ケタ装備ダト?何故コンナ場所ニ集マッテイルノダ』
「さて、どうしてだろうね」
そう言って笑みを浮かべるアルの様子に警戒心を覚えたのか、悪魔族の纏っている空気から迷いの様なものが感じられるようになる。逃がさずにこの場で戦いたいダスクは、相手が退こうと考える前に戦闘を開始してしまおうと足を踏み出しかけるが、それより一瞬早く悪魔族が意思を決定したようである。
『コノ場デ戦ウノハヤメテオコウ。サスガニ使イ手ヲ二人同時ニ相手ニスルノハ面倒カモシレナイ。
ココハ不意ヲ打タレナカッタダケデモ良シトシテオコウ』
「逃げるのかっ!」
『戦イタケレバ最初ニ落トシタ町ニ来ルガイイ。目的ハ果タセナカッタガ、マアイイダロウ。
クックックッ、オ前達ノ死ニ場所トナル場デ待ッテイルゾッ』
ダンッ
「くっ」
後方への跳躍で建物の屋根の上まで登った悪魔族は、追い駆けようとするダスクの目の前であっという間に小さくなっていった。悪魔族の通った場所では例外なく人々の悲鳴が上がっていたので、その声もまたすぐに聞こえなった事で完全に町から去ってしまったのだと分かった。
ドガッ
やり場の無い苛立ちをぶつけるように突き下ろした大剣の先は地面にめり込み、その周囲に広くひび割れを作る様子は、ダスクがかなり大きな力を込めていた証であった。
「落ち着け、ダスク」
「なんで止めたんですかっ、アルさん」
「君はこんな場所で戦うつもりだったのか?ここで戦えば大きな被害が出るかもしれなかった。
そしてなにより、あの子達の遺体を更に傷つけてしまっただろう」
「っ!?」
その言葉に改めて周囲を見回したダスクは、黒炎以下自分のチームメイトやアル達が自分を心配そうに見ている視線や、贄にされた女の子とその両親の遺体、そして離れた場所からこちらを窺う町の人々、特に子供達の怖がっている視線に気付いて熱くなっていた気分が一気に冷やされる。
「……みんな、ごめん。止めてくれてありがとう、アルさん」
「気にしないでいいよ。落ち着いてくれたなら良かった。
君が本気になったら僕には止められそうもないからね」
「そんなことは……」
おどけるように困った顔になるアルは、口元に笑みを浮かべているのでダスクの気分を解そうとしてくれているのが、少々機微に鈍いダスクであってもすぐに察せられた。それにも感謝しつつ、女の子の遺体へと歩み寄る。
「必ず君達家族の仇は討つよ。だから、どうか安らかに眠ってくれ」
そう言ってから抱き上げると、彼女の両親の遺体にも歩み寄り、一緒に荷物から出した大きな布に包む。一度に全員を包めてしまう事に、ダスクは一抹の寂しさを感じていた。
「大丈夫?ダスク」
「大丈夫だよ、ローラ。それより、葬ってあげるにはどうすればいいんだろう。
やっぱりこの町にはこの町の葬り方があるのかな?」
「多分教会で祈りを頼んで、それから墓地に埋葬じゃないかな」
「うむ、おそらくそれで間違いないだろう。国内ではそこまでの大きな差は無いと聞いておる」
「こっちの作法は知らないけど、早く弔ってやろうぜ」
「みんなで一緒に行こうよ」
「ああ、僕達も参加させて欲しい」
アルの言葉にミリーやバーナも同意してくれる。全員が同じ考えである事に嬉しく思いながら、知り合いの家族全員が悪魔族に魂を恐怖で熟成させられながら喰われてしまったという身近で起きた悲劇に、自分の手が届く範囲はとても狭いのだと突きつけられ、内心でダスクはやるせなさを感じていた。
一連の出来事の元凶である悪魔族が、再会を喜び合っていた家族を犠牲にしてとうとう姿を現す。目の前で知り合いが命を落とすのを見て、いくら鍛えてもどうしようもない事態もあるのだと、自分の無力さをダスクは噛み締めながら、次に相対したならば必ず倒して家族の仇を討とうと決意していた。ダスクが間も無く完成するフローラルの調合した薬を待ってシアネントに突入しようと考えているに違いないと考えている仲間達は、その時になって自分達の存在を忘れずに冷静に動いてくれるのか心配しており、絶対にダスクから目を離さないようにしようと考えていた。果たして、ダスク達は無事に悪魔族を倒して今回の事件に決着をつけられるのだろうか。
楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰えるように頑張ります。




