わずかな光明と拡がる暗雲
はぁ、投稿が伸びて伸びてこんなに経ってしまいました。遅筆で申し訳ないです。この章からは人物の説明を繰り返さないようにする試みを行っております。以前の章については今後修正するつもりなので、ご容赦下さい。
人々の気持ちを反映してるかのように空は厚い雲に覆われて薄暗く、急に季節が進んだように気温が低くなったので、薄着をしていた者は肌寒さを感じて益々身体を縮こませ、通りを目的地へ逃げるように急ぎ足になっている。緘口令を布いていても人の口に戸は立てられず、早々に軍が初戦を敗退した事が知れ渡ってしまったので、この先への不安や魔獣への恐怖が負の感情となってアフ・オルトレスの町全体を覆っているかのようであった。それでもこの場所、負傷者の治療や収容を目的とした建物の入口辺りに居る者達の周囲だけは違う空気に感じられた。
「ひさしぶりだな、ダスクに黒炎。
あははっ、そんなに驚く事かい?それとも、僕達の事なんて忘れちゃったかな」
「……っは、お久しぶりです、アルさん。忘れるわけないですよ。
こんなところで会えるとは思っていなかったので思わず固まってしまいました」
輸送隊と共にこの町に到着したダスクと黒炎は、ここではなく別の負傷者用の施設でたまたま再会した顔見知りの夫婦を仕事の合間に手伝って女の子を探していたが、その子を連れていたのが以前ハンフロージェン王国の王都スカルトパシオンで知り合ったアル達だった事に驚いていた。アルは金髪碧瞳、髪はそれ程長くなく前髪は目に届くかどうか、フード付きのマントで隠れているが青い服に銀色の鎧、腰には白焔鋼の剣を佩いている。ダスクより頭一つ分背が高く、年齢は二十歳位である。
「アルったら、イジワル言わないの。ひさしぶりね、元気そうで良かったわ」
「うむ、息災のようでなによりじゃ。
もちろん妾の事だけは忘れてはいないだろうと確信しておるがな」
「おひさしぶりです、ミリーさん、バーナさん」
アルと同じ様にフードを首の後ろに降ろして笑顔で話し掛けてきた方がミリーで、黒髪茶瞳、髪は肩に届く位の長さ、同じくフード付きのマントで隠れているが神職の着る様な白い服の上から軽装鎧、両腰には組み立て式の棍を差している。回復魔法を使える神職の女性で、最初に見た時の蹴りの凄さが印象的だった。ダスクと同じ位の背丈でアルと同じ年齢である。フードは被ったまま少し上げて顔を見せながら表情を変えずに話し掛けてきた方がバーナで、赤髪蒼瞳、髪は腰まで届く長さで手には年季の入ったねじれた木の杖、黒いローブの上から外套とフードを常に被っている。言葉遣いが独特なのに加えて普段から無表情で滅多に表情を変えないが、親しい者や気に入った者に対しては柔らかな笑みを見せる事もある。ダスクより少し低い位の背丈で外見上の年齢はアル達と変わらない。フードの下には頭の両側耳の上にドラゴンの様な角がある。
「ところで、どうしてこんなところに居るんですか?」
「ん?ああ、僕達はシアネントの町に雇われてるんだよ。
今回の事で最初は調査を頼まれていたんだけど、今は生存者の保護とか色々かな」
「なるほど。だから、あの子を連れてここまで来たんですね」
「うん。まだ小さい子だから保護者を探していくつか回ってきたんだ。早めに見付かって良かったよ。
それはそうと、あの子の家族と知り合いなのかい?」
「はい。以前、あの人達の経営してる宿屋に泊まらせてもらったんです。
黒炎は女の子に気に入られて『ワンちゃん』って呼ばれながら好きなように撫でられてましたけどね」
そう言って笑みを浮かべるダスクに釣られてアル達(バーナは表面上はほとんど変化が無かったが)も笑顔になるが、近くに他の人が居て文句を言えない黒炎は不満に思っている事を尻尾の振りで表しながらその様子を見ていた。
「その後、スカルトパシオンに辿り着いてから色々あったのは知ってますよね。
そのせいで、この町で再会するまではすっかり忘れてて、なんだか申し訳ない感じです」
「まあ、家族全員無事に再会出来たんだから、あの子達に関しては気にする事はないさ。
その場に君は居なかったんだからな。必要以上に考え過ぎるのは良くない事だぞ」
「ですね。最近の経験から魔獣相手なら問題無く戦えるってわかってるので、つい」
その言葉に真面目な顔になったアルは、相変わらずダスク達が巻き込まれ体質な事に内心で心配しつつ、興味があったので魔獣の戦力を測るついでに質問を口に出す。
「その言葉から察するに、魔獣との戦闘経験が有るのかい?」
「はい。少し前に学院の合宿があって、そこに現れた魔獣と戦いました。
それと、その後に輸送隊に参加してここに来る途中にもたくさんの魔獣が現れて……」
輸送隊から離れて魔獣と戦った時のダスクの話には、その豪快さと一人で相手にした魔獣の数の多さにさすがのアル達も驚きつつ、個人的な強さが更に一段階上に昇ったのだなと感心していた。
ダスクの話がひと段落したところで、再会を喜び合っていた家族が落ち着いた笑顔でお礼と暇の言葉を掛けてくる。頭を下げる夫婦に恐縮するアル達の傍らでは、女の子に首へとギュッと抱きつかれて酸素を求めて苦しむ黒炎の姿があった。何度も手を振りながら去っていく女の子達を見送ったダスクは、同じく手を振ったりして見送っていたアル達へと視線を向ける。
「アルさん達はこれからどうするんですか?」
「僕達はこのままシアネントの町の人達の頼まれ事をこなしていく感じかな。
そういう君達はどうなんだい?」
「僕達は学院の生徒として軍の雑用みたいなのをやってます。今日も分配する物資を運んでいました。
そのついでにあの人達を、ここみたいに怪我人とかの集まってる場所へと案内していたんです」
「なるほど。学院の生徒としては自由に動くわけにはいかないか」
「???」
顎に片手を当てて考え始めたアルの姿を不思議そうに見ているダスクの姿に、ミリーは苦笑しながら話しかける。
「いいのよ。君はまだ若いんだし、なんでもかんでも解決する側に居なくていいんだから。
いくら強くても解決出来ない問題だってあるし、それらを呼ぶような行動は慎んだ方がいいわ。
アルったら、自分で心配していながらいざとなると惜しく感じるのは良くない癖ね」
「よいよい、気にするな。回りくどい事を言っておるが、おぬしを心配しているという事じゃ」
良く分からないという表情のダスクに、バーナは呆れたような口調でそれだけを言う。そのやりとりを見ていたアルも顎に当てていた手を頭の上にもっていって苦笑していた。
「ところで、もう一人居るって言ってなかったっけ?」
女の子達家族が居なくなって、受付の女性も用は済んだのだろうとこちらから注意を逸らしているので、我慢をしていた黒炎は小さな声ではあったが喋り始める。
「もう一人?……ああ、そういえば前にもそんな話が出たっけ。
残念ながら、今回も宿で休んでるよ。
スカルトパシオンの事件で活躍できなかったから今度こそはって、調査する時に頑張り過ぎたんだ。
疲労がたまっているところに魔獣の襲撃があったから、町の人達を逃がすのに少し無茶をしてね」
「またぁ?今回は会えるのかなって期待していたんだけどな~。
でも、そういうコトならしょうがないか」
「あはは、君が残念がっていたって伝えておくわ。前回も君達に会えなくて残念がっていたからね」
「ゆっくり休んで下さいと伝えておいて下さい。それと、機会があれば会いたいですねって」
「くっくっくっ、おぬし達とあやつは縁が無いと見た。
なんやかやと邪魔が入って、今回もまた最後まで会えないに違いないのじゃ」
「まさか~。でも、バーナが言うと本当にそうなりそうな気がするな~」
まさかとは思いつつ、ダスク達は顔を見合わせて笑い声を上げる。その声が意外と大きかったのか、建物の奥からこちらへと向かってきた人物に窘められてしまう。
「静かにして下さいね。ここには怪我をして休んでいる人達が大勢居るんですから」
「す、すみませんっ」
受付の女性に何も言われなかったのでつい声が大きくなってしまっていたが、簡単な用事でもあったのかいつの間にか席を外していたらしく、視線を向けるとちょうど今戻って来たのが目に留まる。一同は奥から出てくる人物に改めて謝罪しようと待ち構えるが、ダスクと黒炎はその場に現れたのが自分達の良く知っている人物だった事に驚き、相手も同じだったらしく同時に声を上げていた。
「「あっ」」
顔を見合わせる人間二人を余所に、嬉しそうに尻尾を振りつつ前に出た黒炎は、数日しか顔を合わせていなかっただけであったが懐かしそうな口調になる。
「ここに居たんだね、ローラ。なんだか久しぶりな感じがするよ~」
「ふふっ、学院に通うようになってから、これだけ顔を合わせないのは初めてだからかもね。
二人共、無茶して怪我なんかしてないわよね?」
「大丈夫だよ。大怪我するような事なんて、そうそう起きないと思う」
「本当かしら?そういう事に関して、いっつも貴方の言う事って信用ならないわよ、ダスク」
黒炎の言葉に笑顔になりつつも、ダスクの言葉を疑わしそうに聞いている人物の名前はフローラル・グリーンといい、親しい者には愛称のローラの方で呼ばれている。肩までの栗色の髪と明るい翠の瞳の可愛いというよりは美人顔の少女で、小柄で少し控えめな身体に黒を基調とした軍服に似た制服を着て汚れないように白のエプロンを掛けている。大人しそうに見える外見とは逆の勝気な性格が特徴で、専門の関係から微かに薬草の良い香りが感じられる。栗色の髪は全部を短くしてある訳ではなく、両側の耳の前に一房ずつ腰に届く位の長さの髪が垂らされてワンポイントになっていた。
「むぅ、そんな事は無いと思うけどなあ。たまに厳しいよな、ローラって」
「自覚が無い貴方が悪いんでしょ。
それよりも、後ろに居る人達は貴方達の知り合いかな?出来れば紹介して欲しいんだけど」
ダスクと黒炎の後ろから笑みを浮かべながら自分達を見ている三人組の視線に気が付いたフローラルは、その見守る風な様子に居心地が悪いものを感じてダスクに紹介を頼んでいた。
「ああそっか、そうだよな。
僕達が間違えてハンフロージェン王国の王都スカルトパシオンに立ち寄ったのは話しただろ。
その時に知り合った人達なんだよ。彼がアルさんで、順にミリーさんとバーナさん。
そして、こっちがフローラル・グリーンで、愛称はローラっていいます」
アル達を順に手で示しながら紹介したダスクは、続けてフローラルの事もアル達に紹介していた。
「ああ、この人達がそうなのね。
はじめまして、フローラル・グリーンといいます。
ダスクと親しいのなら、私の事はローラって呼んで下さいね」
姿勢を正して綺麗なお辞儀をするフローラルの姿に、アル達は好ましいものを感じて笑みを深める。
「「よろしく(してやろう)、ローラ」」
声を揃えて応えるアル達(バーナはいつも通りに偉そうであったが)は、ダスクとフローラルを見比べていたと思ったら、ミリーが何気ない感じに言葉を続ける。
「それにしても、ダスクくんも隅に置けないわね。こんなに可愛い彼女が出来ているなんて」
「えっ!?」
ミリーの言葉に驚きの声を上げたのはフローラルだけで、ダスクと黒炎は不思議そうな顔でミリーやその後ろでウンウンと頷いているアルとバーナを見ているだけであった。その反応に失言を悟ったミリーは、慌てて口を開いていた。
「ううん、なんでもないの。冗談冗談、今言った事は忘れて良いから。
そっ、それより、ローラさんはここで何をしていたのかしら?」
目で謝りながらフローラルへと質問をするミリーに、頬を少し上気させていたフローラルは深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、笑みを浮かべて答えを返す。
「私は専門が薬師なので怪我人の手当てや、この施設の手伝いをしていました。
学院にここへと割り当てられてから、ずっと忙しかったので連絡も取れませんでしたから。
なので、ダスク達とここで会うとは全く思っていませんでしたよ」
「だから双方共に驚いていたのね」
頷くアル達やフローラルを眺めていたダスクであったが、ふと脚を叩く感触に気が付いてそちらへと視線を向けると、黒炎が前足を持ち上げてポンポンと叩いているのが目に入る。
「なんだ?」
「せっかくローラが見付かったんだから背中のソレ、見てもらえばいいんじゃない?」
「あ、そっか」
あてがわれた宿舎に鎧は脱いできたので、ダスクの背中には大剣が革紐で斜めに吊ってあり、更にその外側には大きな布包みが背負われていた。普通の人間なら重さで会話中には下に降ろしたくなるところであるが、ダスクにはなんてことない重さだったので、その存在をすっかり忘れていたのであった。
「ちょっと見てもらいたい物があるんだけど、いいかな?」
女性三人で楽しそうに会話をしていたフローラルに声を掛けたダスクは、興味深そうにこちらを見るアル達も含めた一同の目の前で背の荷物を降ろして包みを開く。
「これは、魔獣の角だな、ダスク」
「はい。魔獣を倒した時に、黒炎が何かの役に立つんじゃないかって言うので持ってきました」
アルの言葉に頷いたダスクは、フローラルが見やすいように持ち上げて胸の前に保持する。
「これは……ちょっと待ってて、すぐ戻って来るから」
そう言って、フローラルは元来た方向へと早足で戻って行く。急いでいても、ここで怪我人が傷を癒している事を忘れずに走らないのは、さすがは薬師を専門としている人間であった。その背中を不思議そうに見送っていたダスク達であったが、言葉通りにすぐに戻って来たフローラルはダスクにも見覚えのあるいつも持ち歩いている鞄を持っており、それを取りに戻っていたらしかった。
「確か、ここに……」
鞄から取り出した年季の入った本を素早く慎重にめくり始めたフローラルに、ダスク達は邪魔をしないように出来るだけ物音を立てないようにジッとしていたが、唯一人バーナはその本に興味を示したらしかった。
「ほぉ、あの本は……魔を退ける秘薬の。珍しい、今尚途切れずに伝わっておったのじゃな」
呟きの意味は良く分からなかったが、それが貴重なものなのだという事は伝わってきたので、ダスクと黒炎はフローラルが凄い知識を持っているんだなと感心していた。
「ダスク、貴方やっぱり無茶したわね」
「えっ、無茶なんて」
「この角を持っている魔獣の大きさもこの本に載っていたわ。
しかも、この角ってこの魔獣の平均的な大きさからするとかなり大きいのよ。
こんなのと戦うなんて無茶以外のなにものでもないわ」
「あははっ、バレちゃったらしょうがないね。素直に認めないとローラの説教が始まりそうだよ」
「むぅ、無茶では……うっ、ごめん。僕も黒炎も怪我なんかしてないから心配しないでくれ」
「はぁ、しょうがないか。貴方達からすればなんてことない出来事なのかもしれないものね。
でも、心配している人間が居るって事を忘れないでね」
「わかった。忘れないように頑張るよ」
まだ何か言いたそうな顔をしていたフローラルであったが、諦めて表情を変えると調べた結果を伝えてくる。
「この角を使って薬を調合すれば、魔獣の動きを阻害する事が出来るかもしれないわ。
とは言っても、動けなくする訳じゃないから役に立つのかわからないけど」
「なるほど。それがあれば軍隊にとっては有用だね。一気に殲滅出来るかもしれない」
「確かにアルさんの言う通りかもしれない。戦闘ではちょっとした事でも大きな影響を与えるから」
良い報せに表情を明るくする一同であったが、突然黒炎とバーナが建物の隅に同時に顔を向ける。まるでその場所に警戒しなければならない何かが存在するかのように、双方の視線は鋭いものになっており、黒炎は全身の毛を立てて身体が膨らんでいた。
「「……」」
少なく無い時間、全員がそのままの体勢で動けなかったが、このまま立ち止まっている訳にもいかないのでダスクは問い掛けてみる。
「どうかしたのか?」
「……変な気配を感じたんだけど気のせいだったのかな~」
バーナも同じだったらしく、アルやミリーの前で黒炎と同じ様に首を捻っているのが見えた。黒炎達が見ていた方へと視線を向けるが、そこには何もおかしなところは発見出来なかったので、黒炎を安心させる為に艶やかな毛を撫でてやる。緊張も和らいで膨らんだ毛も元に戻った黒炎にホッとしたダスクは、分からないものを考え続けていてもしょうがないので、気持ちを切り替える為に深呼吸を一度してから口を開いた。
「まあいいや、その薬ってどれくらいで出来るんだ?」
「残念ながらすぐには出来ないわ。調合する前に素材としての処理が時間かかりそうなのよ」
「そっか、それでもこれから必要になりそうだから、すぐに始めてもらった方が良いかも」
「わかったわ。それじゃあ私の部屋に運んでおかないとね。
ふっ……ううっ、これ重過ぎるわ。ゴメン、そのまま部屋まで運んでもらってもいい?」
重さでビクともしない魔獣の角に早々に降参したフローラルは、ダスクの方へと顔を向けて頼んでくるが、もちろん調合を頼んでいるのは自分の方なので、少しも考えずに角を包み直して持ち上げる。
「そういう事なので、ここで失礼しますね。
また機会があれば会いましょう、アルさん、ミリーさん、バーナさん」
「ああ、しばらくはこの町に居るだろうから会う機会もあるだろう。
薬の調合には期待してますよ、ローラさん」
「はい。出来るだけ早く終わらせられるように頑張ります」
「それじゃあまたね~」
手の代わりに大きく尻尾を振る黒炎に笑顔になった一同は、その場で分かれてアル達は入って来た場所へと戻って外へと出て行った。見送りを終えたダスク達は、フローラルの案内で施設に隣接した宿舎へと向かう。その場に人影が無くなった直後、様子を窺うように顔を出したネズミ大の影には誰一人気付く事は無かった。
施設の中をそのまま奥へと進んだ後、屋根の有る渡り廊下を通って隣のひとまわり小さな二階建ての建物へと入る。そこはフローラルと同じ様に泊り込みで怪我人の看護をする者が利用する宿舎らしく、狭いながらも個室の扉がたくさん並んでいた。階段を登った二階も同じ造りで、その中の内の一つをフローラルが開き、部屋へと入るその背に続いてダスク達も入室する。建物の外観が古めかしい感じであったが、室内の方は綺麗に修繕が行われて掃除が行き届いているので、ダスクは案外住みやすそうな感じを受けていた。
「なかなか良い部屋だね」
「ええ、最初は外から見てどうかと思ったけど、一人で住む分には悪くないわよ」
「ボク達の部屋はボロいからね~。一階だけど、ダスクの鎧でいつ床が抜けるか心配してるんだよ」
「床が板張りじゃなければ良かったんだけどな」
「ふふっ、あれは重過ぎるからしょうがないわよ。とりあえず、一階で良かったと思わなきゃ」
クスクスと楽しそうに笑うフローラルに口を尖らせながら、ダスクは指示された窓際の机の上に包みから出した魔獣の角を載せる。入れ替わりに場所を交代したフローラルは、施設内に居る時にいつの間にか出ていたわずかな陽の光を当てる為にカーテンと窓を開いた。
「本当はもう少し陽の光が強いと良いんだけどね。これだと予想以上に乾燥の時間が増えそうだわ」
「そっか。合宿中だったら天気の良い日もあったんだけどな」
「イロイロ悪いコトが重なっちゃうね~」
頷いて顔を見合わせるダスク達は少しの間無言になっていたが、その沈黙は居心地の悪いものではなく、友人と共有する時間にホッとしていたのかもしれなかった。
「早くまた皆と一緒に学院に通えるようになるといいわね」
「うん。みんな一緒に美味しい物を食べたいよ」
「そればっかだな」
「ふふっ、黒炎らしくていいじゃない。何気ない事を普通に出来るのが一番よ」
「そっか、そうだな」
会話をしながら手を動かしていたフローラルが魔獣の角の周囲に何かを立てているのに気が付き、ダスクはそれが何なのかが分からなかったので質問をしてみる。
「それは?」
「手順に書いてあるんだけど、神聖な結界のようなものね。
薬の材料に何か悪いものが入るのを防ぐ効果があるみたい」
「へ~、そんなコトも必要なんだね~」
「昔の人はそういうものが世界のどこにでも存在していると考えてたらしいわ。
私には感じる事が出来ないけど、昔からの手順は守らなきゃね」
「ついでにこの部屋も安全になりそうだ」
「ふふっ、最近は物騒だから良いかもしれないわね」
笑みを浮かべながら作業を終えたフローラルの様子を確認したダスクは、自分の役目も有るので黒炎を促して仕事に戻る事を伝える。その言葉に残念そうにしていたフローラルであったが、自分も同じく役目を中断してきたので共に宿舎から外に出る。ダスク達は食事等、理由は何でも良いので出来るだけ学院と同じ位の頻度で会う事を約束してから別れると、それぞれの役目を果たす為に別々の場所へと向かった。その場に誰も居なくなってから再び現れたネズミ大の影は宿舎へ視線を向けるが、それが人間ならばどこか残念そうに見える風に首を横に振ってからダスク達とは全く別の方向へと消えて行った。
ダスクと黒炎がアル達と再会していたのと同じ位の時間に、アフ・オルトレスから離れた場所に有る王都アズレシルエンスの一画に建てられた立派な建物の一室では、異国の者らしき褐色の肌と銀髪をもつ人達が、何かの用心か単に使い慣れているからか、彼等の母国語らしき言葉を用いてダスク達とは正反対のピリピリとした会話を行っていた。
「どうして駄目なのですかっ!」
「当然です。貴女は我が国の大切な姫君なのですから。
もしこの国で起きている事件で貴女に何かがあれば、同盟にヒビが入る可能性も有るのですよ?」
「くっ」
恰幅の良い男性の断言するような言葉に、声を荒げていたダスクと同年代の少女は言葉を詰まらせる。それでも不満がその綺麗な顔にありありと表れているので、男性は溜め息を吐きつつ姫と呼んだ少女をなだめようとする。
「折り返し王の指示が届けられれば動けるようになるかもしれません。
残念ですが、それまではこの屋敷で待機をお願い致します」
「なっ、それがどれだけ時間がかかる事か、外務卿である貴方ならばわかるでしょう?
そうしているうちに何もかもが終わってしまったら……」
外務卿とは、ハンフロージェン王国の外交に携わる者達を統べている人物で、今回は同盟締結から間もないという事で直接指揮を執ろうとこの国を訪れており、彼が帰国した後は任命されている外交官が引き継ぐ事になっている。
敬愛する王族の姫が表情を曇らせているのは、さすがの外務卿も心苦しかったが、すぐにでも危険な最前線へと飛んで行ってしまいそうな様子を危惧して言葉を続ける。
「貴女の心配している者達は、そんなに頼りないのですか?」
「そんな事はありません。
そんな事がないからこそ、簡単に危険に飛び込んでしまいそうで怖いのです」
「なるほど。
かの御仁は、我が国の混乱を未然に防いでくれた英雄ではありませんか。
それほどの人物ならば、貴女の心配をこれほど強く一身に受けていれば大丈夫ですよ」
「そう、だといいのですが……って、なっ、なにを言っているのかわかりません。
私が心配しているのは、大切な友人達全員ですっ」
「はははっ、わかっていますとも。
さて、それでは姫様は屋敷で待機をお願い致します。
世間は魔獣などと物騒ですから、屋敷の周囲と出入り口には衛兵を配置します。
お部屋の前にも待機させておきますので、ご用命あればその者にお伝え下さい」
「えっ?」
話の方向を逸らされてすぐには反応出来なかった姫を余所に、屈強な衛兵が数人進み出てきてその周囲を固めてしまう。それは護るというよりも逃げ道を塞ぐかのようで、そう思った姫が不満を口にしようとしていたが、衛兵達の勢いに流されるように部屋の出入り口まで押されて外へと出て行きそうになる。
「ちょっ、押さないでっ」
「お待ち下さい。外務卿といえども、そのなさりようは姫様に無礼ではありませんか?」
部屋の片隅で綺麗な姿勢で待機していたメイド姿の女性が声を上げる。その声は凛としたものを含んでいたので、姫を連行しようとしていた衛兵達も思わず足を止めさせられていた。
「ふむ、おぬしの言う事ももっともだが、姫様の安全を保つ為には仕方の無い事なのだ。
ちょうどいい、おぬしも共に部屋へと向かってもらいたい。身の回りの世話も必要だからな」
その言葉と外務卿の硬い表情に何を言っても聞き入れられないと悟ったらしいメイド姿の女性は、溜め息を吐きつつ姫の方へと歩み寄る。上の立場である外務卿であったが、そのメイド姿の女性がすんなりと言う事を聞いてくれたので、外見は泰然を保ちつつその背中をホッとした風に見送っていた。
「出来れば大人しくしていてもらいたいものだが……」
扉の外を遠ざかっていく公用語の上品とは言いがたい言葉に首を横に振りつつ、出来るだけ見回りを行う衛兵の数を減らさないようにしないといけないなと考えていた。
陽が落ちて暗くなったアフ・オルトレスでは、大通りを照らす灯火の光も届かない路地裏は魔獣の出現以前よりも人の気配が感じられなくなっていた。ここ最近の出来事から増幅された不安のせいか、まるで底無しの暗闇に吸い込まれそうな心細さを感じるので、余計に他人の存在を感じられる大通りへと引き寄せられていた。それでも薄暗い路地裏を通る者の姿を全く見なくなる、と言う訳でも無いらしく、今この瞬間にもそこを歩いている人影があった。道の端から端までをフラフラと千鳥足で進む様子から、おそらくは不安を和らげる為に深酒をしてしまったらしい酔っ払いだろう。かろうじて手にぶら下げられているランプからの光に照らされた影が、揺れに合わせて壁や地面の上で目まぐるしく位置を変えていた。
「……ウィ~~ック、俺ァ、何にも怖くねぇぞぉ~~っ」
ガンッ
「あ痛っ、こんちくしょ~!
魔獣だか何だか知らねぇが、どっからでもかかってこいってんだっ」
道の端に置いてあった木箱に足をぶつけて痛そうにしながら、脈絡も無い事を言っているのはまさしく酔っ払いらしい反応であった。そのままブツブツを文句を呟きながら進んでいた酔っ払いは、弱いランプの光に照らされた路地の先に、この時間この場にはそぐわないものを見付けて立ち止まっていた。しきりに目元を擦ってまばたきを繰り返しても消えない事から、それが酔ったせいで見えている幻では無いと分かり、それまで少なからず時間がかかっていても眼前から少しも動かないのは酔った頭ではおかしいとも思えず、加えて視界に違和感を覚えたがすぐに気のせいだと思い直して全く警戒するそぶりも無く相手へと声を掛ける。
「ヒック、こんな所で何してんだぁ?
最近は物騒なんだから、暗くなったらこんなとこに居ちゃ駄目だぞぉ~」
酔っ払って無防備に歩いていた人間の言葉では少しも説得力が無い事にも気付かずに、年長者として説教をしてやろうと続けて口を開こうとしていたが、目の前の人物は笑みを浮かべてこちらを見ている、というよりも観察しているような視線に、居心地が悪くなるのと同時に頭に血が昇っていた。酔いで赤くなっていた顔が更に濃くなり、そのまま拳骨の一つでも落としてやろうと歩み寄ったところで、やっと何がおかしかったのかに気が付いていた。
「な、なんだこりゃ……」
相手に近寄った事でランプの光に照らされる影が大きく濃くなってその現象を際立たせたのだろう。目の前の人物の足元から伸びた影は、その体格からすれば有り得ない程の大きさをしており、形も人間のものとはとても思えなかった。背にしている建物の壁一面に伸びた影は、四足の巨大な獣の様な形をしているだけではなく、頭部には巨大な顎を備えた頭が複数生えているのが、酔いが醒め始めていた頭でもどうにか認識出来ていた。口をパクパクと開閉しながら顔色を赤から青へと変えていく酔っ払いの反応を楽しんでいたらしい人物は、ようやく満足して本題に入る為の言葉を伝えてくる。
『アハハッ、君達人間ガ食料ヲ熟成シタリ味付ケシタリスル理由ハ理解出来ルヨ。
魂モ恐怖ヤ不安デ熟成サセルト美味シクナルカラネ。
心配シナクテモ大丈夫ダヨ。命マデハ獲ッタリシナイカラ、今ハマダ。
トイウ事デ、ソロソロ食ベサセテモラッチャオウカナ』
「ひぃっ!?」
魂を食べられるという未知の恐怖に思わず声を漏らすが、その場にとどまれば最悪の結果が待っているだけなので、力の抜けてしまっている脚をどうにか動かして身体を反転させる事には成功していた。そのまま駆け出そうとするが、踏み出した足に力が入らずに転倒して地面に頭をぶつけてしまう。それでも手足を動かして這ってでもそこから離れようとしていたが、壁の巨大な獣の影が盛り上がったかと思えば、一瞬にして酔っ払いは周囲の地面と共に全身を真っ黒な影に覆われてしまった。
『ゴチソウサマ』
満足そうな声が聞こえた直後、再び影は建物の壁へと戻って厚みを無くしていた。先程まで影が覆っていた場所には酔っ払いの姿は失われずに残っていたが、目を閉じて浅い呼吸をしている様子は顔色の悪さからも最低限の生命維持だけしか行われていないようであった。
『ウ~ン、マダマダ足リナイカナ。ダカラコソ命ヲ奪ワズニ、コノ程度ニ抑エテイルンダケド。
コノママ続ケラレルヨウニ、コレハ人間ニ報セテオイタホウガ良サソウダネ。
死ンデシマウト、人間達ハ魔獣ヨリモ身近ナ調査ヲ優先シテシマイソウダカラナァ』
そう言って歩き出した人影であったが、少し進んだだけで立ち止まると、何かを考えているらしく腕組みをしながら首を傾げる。
『ソウイエバ、アッチノ対処モシナイトイケナイノカ。
コノ前魔界ニ追イ返サレテキタ奴ガ得意ナ方法デモ試シテミヨウカナ。
アンナ小物トハ違ッテ細カイ作業ハ苦手ナンダケド、マアショウガナイカ』
方針を決めたらしく、再び歩き出した人影の足元に続く影は自由に形を変えられるようで、いつの間にか普通の人間と同じ人型に戻されていた。
その日はここ以外にも数ヶ所で同じ症状の酔っ払いが保護される。最初は酒の飲み過ぎだと診断されていた者達が一向に目を覚まさない事で不審に思った医師が調べ直すが、衰弱しているという事くらいしか分からなかった。関係者に他言無用を徹底していたにも関わらずに謎の奇病が発生したという噂が流れて、アフ・オルトレスの住人や軍関係者達も魔獣に加えて奇病の脅威に頭を悩ませ不安感が増していく。加えて行方不明者も出ているという話も出始めているので、今この状態は謎の人影にとっては魂の熟成に好都合な空気に変わってきているのだろう。
この日から意識不明の人間と行方不明の人間は連日のように増えていき、軍もシアネントの奪還に手間取っているという事で、益々アフ・オルトレスは暗い空気に支配されていく。フローラルの作る薬も天候が味方してくれずに時間がかかるという事で、皆を元気付ける手段に利用出来るのはまだ先になりそうであった。そもそも、わずかな光明となりそうなこの薬は無事に作る事が出来るのだろうか。謎の人物に連れ去られたと思われる行方不明者達は何に利用されるのか。ダスクと黒炎は噂話を聞いても影響は受けていなかったが、ここまでの一連の流れが以前戦った事のある魔界の住人と同じ悪魔族の仕業だとは考えもしなかったのである。果たして、ダスク達やアル達はこれからどんな風に関わっていくのだろうか。
楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰えるように頑張ります。




