壊れた日常
うぅ、またまた遅くなりました。投稿スピードが落ちていくのは私が未熟だからなのかもしれませんが、今後も出来るだけ早くこの世界を文章に出来るように頑張ります。
ザァァァァッ
港町シアネントは夕方から急激に発達した雨雲に頭上を覆われた直後、水瓶をひっくり返したかの様な土砂降りのせいで路地は見通しがきかなくなり、周囲は一気に夜になったと勘違いしそうな速さで暗くなっていた。この町は街道の中継地点に位置しているにも関わらず、大通りを見渡しても人通りが少ないのが不思議であったが、理由が分からなければ今日はたまたま人の姿が少ないのかもしれないと考えるに違いない。道行く人々は慌てて駆け出し目的地へ急ぐ者や、雨宿りついでに丁度良いので仕事終わりの一杯を求めて酒場へと飛び込んで行く者が居り、それら全員が強張った表情を浮かべながら灯火に照らされた場所を選ぶように駆けている様子は、まるで暗がりから何かが突然出てくるのを恐れているかの様である。酒場の中も一日の仕事を終えての一杯を楽しむ雰囲気では無く、どこか沈んだ顔でチビチビと飲んでいる者しか居ないので、余所から来てこの光景を見た者が居ればお通夜なのかと勘違いしそうであった。
「……遺体が上がったらしいな」
「……ああ、酷いありさまだったらしいぜ。
知人から聞いたところによると、何か巨大な生物に噛み砕かれていたらしい」
「……はぁ、もし死ぬとしても、俺はそんな死に方はしたくないもんだ」
「……だな。幸い、と言って良いのかわからんが、傷の大きさから即死だったようだけどな」
カタン
顔を寄せ合ってボソボソと話をしていた男達は、至近距離での突然の物音に驚いてそちらへと顔を向けると、そこには渋い顔をした酒場の主人が立っており、ちょうどテーブルに追加の酒瓶を置いたところであった。
「お客さん、あんまりそういう話をしない方が良いと思いますよ。
そんなつまらない酒を飲んでいたら、悪い出来事も近寄って来るってもんです」
その言葉に一瞬『迷信だ』と一蹴しようとした男達であったが、最近この町で起きている事はそうとは言い切れないのではないかと考え直し、苦笑いを酒場の主人へと返していた。
「そうかもしれねぇな。わざわざ暗くなる話題で飲む事はないぜ」
「だな。オヤジ、酒の肴も追加で見繕ってくれ」
「はいよ。少々お待ちになって下さいな」
同時に一礼してその場を離れた酒場の主人を見送った男達は、言葉とは裏腹に表情は暗いままでポツリと呟いていた。
「もう、二週間になるのか……」
二週間前といえば、丁度オルフィエルド学院の強化合宿が行われるので生徒達が合宿場へ向かう為に王都を出発した頃である。一方の港町であるシアネントでは、その日は天候も良く朝から雲の無い晴天が広がっており、早朝から暑い中を数多くの漁船が桟橋から沖へと出ているのが町からも見えていた。
ここは大陸にまるで上空から何か巨大な物が落下し、その膨大な衝撃で削れたかの様に円形の巨大な湾になっており、波は穏やかなままであるが長い年月の間に削られた海底は様々な地形をしているので、大小様々な魚の棲み処になり抜群の漁場になっていた。
ザザァザザァ
海上に浮かぶ小船からいつものように釣り糸を垂らしている漁師がジッと視線を向ける先にある浮きは、ピクリとも動かずに波に合わせてユラユラと漂うばかりであった。
「どうしたってんだ?今日は全然当たりが来ないぞ」
大物狙いの漁師はいつも漁をしている場所、海底が急に深くなっている場所数箇所で漁を行っていたが、どこに移動しても狙いの獲物どころか、雑魚の小物の当たりさえも全く無かった。しきりに首を捻っていた漁師であったが、当たりの無いまま同じ場所で待ち続けるにも限界だったので、次の場所へ移動しようと釣り糸を手繰り寄せ始めたところで、やっと今日最初の当たりが来たのを指先に感じて笑みを浮かべる。
「おっしゃ、これは大物がきてくれたようだぜ」
逃げられないように慎重に当たりに合わせた次の瞬間、想像以上の猛烈な引きに釣り糸から手を離す余裕も無く、獲物に逆に釣られたかのように海へと引っ張り込まれてしまった。
バッシャン
海中でやっと自分が船から落とされたと理解した漁師は、釣り糸から手を離して陽光を目印として海上へと浮上しようと泳ぎ始める。
『……っ!?』
もう少しで頭が海上に出そうなところで突然浮上する身体がガクンと止まり、いくら手で海水を掻こうとも進まなくなってしまった。焦りつつも片足に違和感を感じた漁師が下方へと視線を向けると、そこには足首に巻き付く女性の腕くらい太い何かがあった。恐怖に駆られて気が動転しそうになるが、漁師をしていて海中で縄が絡んだりした経験も有るので、こういう時の為に常に身に付けているナイフを素早く抜いてそれを切断しようとするが、切っ先が少し入って紫色の液体が漏れ出した瞬間ピクリと反応したソレに一瞬にして海中深くへと引き込まれてしまう。
ゴボゴボッ
その猛烈な勢いに漁師は肺から空気が搾り出されると同時に意識は暗転しており、それは運悪く命を落とす事になった漁師にとっては、これから待つ運命を考えれば僅かであっても幸運な事かもしれなかった。
陽が傾いて漁師の家族が帰って来ない事に気付き知人に捜索を頼んだものの、漁師の使っていた小船が見付かっただけで漁師の姿はどこにも見付けられなかった。心当たりの店等も覗いて空振りに終わるたびに気落ちしながら漁師の姿を見たら連絡してくれと言付けていく。出来る事を全て終えても居なくなった漁師の消息は依然掴めないままであった。
それだけであれば年に一度の不幸な出来事として、漁に携わっている者達の間で命を落とした漁師の冥福を祈ると共に、安全について再確認して今年の残りも気を付けて仕事をしていこうという事になったのだろうが、大多数の人間の予想に反して同様の事故が続く事になる。それが毎日、しかも数日に渡って起こった結果、漁師達の組合をまとめている代表者から町長へと原因究明の請願が行われた。
シアネントを含んだこの辺り一帯を治めている領主は伯爵位を持つ人物で、王家から信頼されている人物なので流通の重要拠点であるシアネントと街道沿いのいくつかの町を任されていた。その伯爵にシアネントを任されているのが町長であり、六十代と年配の男性であったが精力的に町の発展へと力を注いでいるので町民達からの支持も高かった。その町長は漁師組合の代表者からの請願について警備隊の隊長から会議室で報告を受けていた。
「この町の漁師は腕が良いから滅多に溺れる事は無いと思うのだが。
それにも関わらずこのような事故が起きているとの報告が遅れていたのは何故だ?」
「申し訳ありません。
たまたま事故が続いたと考えた警備兵が週末の定例報告まで待とうと判断したようです」
「ふむ、確かに事故だったならば、初めのうちは緊急性を感じなかったかもしれないな。
その警備兵には注意のみで、何らかの罰は科す必要は無いぞ」
「寛大な処置、ありがとうございます。それで、どういった対応を取りましょう?」
「ふむ……」
顎に手をやり考え込む町長を邪魔しないように室内に居る全員が黙ったまま視線を向けていたが、調査を行うだけで良いだろうと考えていた一人が町長の長い沈黙に不思議そうな顔で口を開く。
「警備隊の中から数人の調査チームを作って調査を行えば宜しいのでは?
もちろんその分の予算は予備費の方から出せます」
その言葉に町長は考え事を中断して、いつの間にか俯き加減になっていた顔を上げて視線を向ける。
「通常ならそれだけで良いと思うのだがな、財務役員長よ。
だが、今回の事故に限っては、何故か私は胸騒ぎが収まらないのだ」
財務役員長とは、言葉通りに町の財務、予算や収支の全てに関わる役員達の長である。
「胸騒ぎ、ですか?」
「済まない。このようなあやふやなもので政を行うのは良くないと自覚しているのだが。
小船に漁師が一人なら、言い方は悪いが起きてもおかしくない事故だとは思う。
だが連日に加え、中型船に乗っていた複数の漁師までもが全員同様の事故にあうのはおかしい。
事故の話を知っていて注意をしていたにも関わらず起きているのだからな。
船から落ちたとしても泳ぎも達者な漁師が簡単に命を落とすとは思えない」
「では、何かしらの外的要因が関与しているとおっしゃるのですか?」
「それを聞かれると返す言葉が見付からないのだがな……」
困ったような顔になる町長を見ながら、財務役員長は頭の中で素早く計算を行い結論を出すと、町長へと頷き掛けながら口を開く。
「わかりました。漁師達が不安で漁に出られなくなれば生活に打撃を受けます。
そうなれば町としても長期的な生活の保障を考えなければならなくなるでしょう。
既に事故にあった漁師の遺族に対する生活補助の予算も現時点で大きなものになると予想されます。
その出費を考えれば、今のうちに早く解決できればその分の出費を抑えられるかもしれません。
という事で、事故対策への予算は出来るだけ希望に沿うように、私がなんとかします」
「おお、感謝するぞ、財務役員長。それで、対策の方だが、何か意見がある者は居るか?」
その場に居る者達へとグルリと視線を向けていく町長であったが、警備隊隊長、財務役員長に続くこの場に居る最後の人物へと視線を止める。
「君なら何か良い考えが有るのではないかな?渉外役員長」
渉外役員長とは、町と人、町と町、町と国、更には外国の人間との連絡・交渉に関わる役員達の長で、その仕事の性質から色々な人間との繋がりがあった。
「そうですね、町の内部からとして警備隊から調査する者を少し多めにします。
それに加えて、町の外部の者にも協力をしてもらったらどうでしょうか。
信用の置ける人物に報酬を提示して引き受けてもらえば良いと思います。
調査は同じ方向からではなく、別の方向からも行った方が精度が増しますから」
「ふむ、前半はそれで良いとして、後半については信用の置ける人物には心当たりがあるのかな?」
「はい。ちょうど知人が町に滞在していますので、その者達に頼もうかと思います。
名も知れている者達なので力量も確かです」
「なるほど。君の知人ならば大丈夫そうだな。とりあえずの対策はこのくらいで良いだろう。
皆忙しいだろうが毎日この時間に会議を行い、その都度修正していく事にしよう。
済まんが私はこれから伯爵の使いの者と会わねばならない。
予算やそれ以外の細かい事については君達に任せる」
「「わかりました」」
揃った三人の言葉と一礼に頷いた町長は、足早に会議室を後にすると町長室へと向かう。会議室に残った三人の各部署のトップも、町長に任された事案の細かい取り決めを手早く終わらせて解散し、さっそく行動を開始する為に各部署へと移動していた。
町が動き出したからといってすぐに解決する訳も無く、その瞬間を捉える事が出来ていないので調査は難航していた。その間にも生活のかかっている漁師達は漁に出ない訳にはいかないので被害が続いてしまっていた。さすがに恐怖から次第に少人数小型の船から漁に出れなくなっていき、それで被害が減ると思いきや、これなら大丈夫だろうという大人数大型の船からも漁師が全員消えてしまい、それを最後に漁に出る者が一人も居なくなってしまう。町もより一層深刻に捉えて漁師達の生活保障の予算を組み直すと共に、領主の伯爵へとこれまでの調査内容を報告して一連の出来事の解決を請願していた。
港町シアネントから街道沿いに南下すると、伯爵領の中でシアネントに次ぐ第二の都市であるアフ・オルトレスが有り、そこに伯爵の住む領主の館が建てられていた。その日は、領主の館の別館に用意された会議室でシアネントからの請願についての会議が開かれていた。
「それではシアネントからの請願についての会議を行いたいと思います」
上座の立派な造りの椅子に座っている伯爵に頷き掛けられた補佐役がそう言って一礼すると、会議に参加している者達に状況把握をしてもらう為に、これまでの出来事が書かれているシアネントからの報告書を読み上げていった。
「状況は把握出来たな。早速だが意見があれば遠慮せずに思ったところを発言するがいい」
落ち着いた声でそう言ったのは、この館の主である伯爵で、驚く事にまだ三十代後半らしき年齢の男性で、長身で引き締まった体躯は軍を率いる将軍の様にも見える。王家に信頼されて領地を任されているのだから内政に優れているのだろうが、それに加えて軍事にも優れる正しく文武両道の人物なのだろう。
「発言を許す、部隊長」
挙手したところを伯爵に許可されたのは、伯爵領全体の治安維持を任されている部隊の隊長で、伯爵個人が雇っている兵士や国から預かっている兵士達をまとめている人物で、一礼すると早速話し始める。
「はっ、ありがとうございます。
報告書の内容からすると、今回の案件は事故では無く、事件と考えた方が良さそうですね。
現場が海上という事で、人間の仕業というよりは海中を自由に動ける何かが原因だと思われます」
「ふむ、なるほどな。その可能性は高いとは思うが、おぬしはどう思う?渉外本部長」
頷いた伯爵が質問の矛先を向けたのは、領内の町や村の渉外役員長達をまとめている人物である。
「私は人間の可能性も少しはあるのではないかと思います。
特殊な技能を有する者達ならば可能なのではありませんか?」
その言葉に部隊長は不機嫌そうな顔になるが、続く伯爵の言葉に少し気が晴れたようであった。
「確かにその可能性も無いとは言えないが、近隣諸国との関係が良好な現状では限りなく低いな。
それに、少数ならばいざ知らず、注意をしていた大人数の船があっさりとやられるとは思えない。
それこそ人間以外の何か、最悪を言えば魔獣の出現を疑いたくなる」
「魔獣ですとっ!」
ガタッ
一旦は気が晴れていた部隊長であったが、魔獣という言葉が出た事で声を荒げて椅子を倒しながら立ち上がってしまう。少しの間そのままの体勢で居たが、周囲からの視線に気付いて椅子を起こすと、軽く頭を下げて座り直していた。
「お騒がせして申し訳ありません」
「気にする事は無い。おぬしの反応は魔獣と聞いた者として当然の事だ。
なにしろ、本当に魔獣であったならば、今頃は強い個体を増やそうとしているだろうからな」
「はい。獲物を自由に得られる状況では、魔獣は強い個体を次々に増やす傾向にあります。
獲物を探す為の手足となる兵隊では無く、同じ強い個体が増えれば確実に数を増やせますからね」
「それは一大事ではないですかっ!もし町自体が襲われれば大変な被害になります」
「うむ、財務本部長の言う通りだな」
そう言って伯爵が頷き掛けたのは、渉外本部長と同じく、領内の町や村の財務役員長達をまとめている人物である。
「これで全員が現在我が領内の深刻な状況を理解出来たと思う。
それをふまえてどう動いたら良いと思うか意見を述べよ」
会話を誘導して現状把握を進めた伯爵は、改めてこの場の全員に意見を求める。
「魔獣が現れたかどうかはわかりませんが、すぐに部隊を動かした方が良いと思います」
「念の為に王都の方にも報せた方が良いかもしれないですね」
「それぞれ予算に関しては任せて下さい。どうにかしてひねり出してみせますから」
三種三様の言葉を聞いていた伯爵は、三人に頷いてから立ち上がる。
「部隊長は調査と解決に必要だと思う人数を揃えたらすぐに出発しろ」
「渉外本部長は王都へとシアネントからの報告書と共に早馬を走らせろ。
それと周囲の町や村にもシアネントでの滞在は最短にするように伝えよ。
加えて、シアネントに滞在している他国の者にも注意を呼びかけるのだ」
「財務本部長はそれぞれの予算を捻出し、足りなければ必要な分を私に報せるのだ。
可能な限り私の私財からも援助するつもりだ」
「「はっ」」
声を合わせ一礼して拝命した三人は、さっそく自分達の部署へと向かおうとするが、会議室の扉の外から急いで駆けて来る足音に気付いて立ち止まる。
バタンッ
駆けて来た勢いのまま開かれた扉に驚いて一歩退く三人の目の前で、飛び込んできた何者かは床に膝をついて荒い呼吸をどうにか落ち着かせようとしていた。その人物が補佐役の一人である事に内心驚きつつも、伯爵は落ち着いた様子で声を掛ける。
「どうしたのだ?おぬしが慌てて飛び込んで来るとは珍しい」
「も、申し訳ありません、伯爵様。大変な報せがシアネントから届いたので慌ててしまいました」
「ふむ、深呼吸して落ち着いてから報告するがいい」
その言葉に、伯爵が気分を害していない事が分かって安心しつつ、どうにか呼吸を落ち着かせて、といってもまだまだ荒いまま報告を始める。
「シ、シアネントから出航した直後に、ハンフロージェン王国からの交易船から人が消えたそうです。
陽が落ちていたので何があったかはわかっていませんが、湾の途中で突然止まったそうです。
なので、全く動かなくなったのを不審に思った他の船が接舷して事態が判明したらしいです」
「な、なんという事だ……」
今迄落ち着いた様子であった伯爵だったが、とうとう他国の者、しかも同盟を結んだばかりの国の人間が犠牲になってしまった事に動揺してそれが表に出てしまう。その様子に事態の深刻さを理解して室内の者達は誰一人動けなくなっていた。そのまま時間を浪費していくのかと思いきや、さすがは領主をしている人間と賞賛出来る速さで我に返った伯爵が最初に動き出す。
「渉外本部長、王都への連絡に追加して、交易ルートの一時変更を提案しておいてくれ。
ハンフロージェン王国への連絡等は王都の人間がどうにかするだろう」
「はっ、はい。畏まりました」
慌てて返事をする渉外本部長と、その光景を目にして呆けている場合じゃないと考えた残り二人も伯爵へと真剣な目を向けてくる。
「部隊長、調査解決に可能な限りの人員を動員し、最初から全力を上げていくのだ」
「財務本部長、保障の問題も出てくるかもしれない。その為の予算を計上して組み直せ。
それと、この件に関しての予算も増やせ。これからいくらでも必要になってくるだろうからな」
「「はっ」」
それぞれの指示を果たす為に自分の部署へと急ぎ会議室を駆け出していく。それを見送った伯爵はこれ以上事態が悪化しない事を祈りつつも、胸騒ぎは収まらずに重く留まり続けていた。
ザァァァァッ
最初に漁師が命を落としてから二週間経ったその日の夕方、部隊長に率いられた三桁にも達する人数の部隊が昼夜問わず急いでシアネントの郊外まで辿り着いた時、急激に発達した雨雲から落ちてきた雨のせいで兵士達は全身ずぶ濡れになっていた。見通しが利かない状況でこのまま進むと町の警備隊に勘違いされて戦闘になりかねないので、部隊の到着を報せる者を走らせていた。
「早く屋根のある場所に行きたいぜ」
そんな呟きが聞こえていたが、気持ちは分かるので部隊長は聞こえていないフリをしたまま町の門へと視線を固定し続けていた。それ程待つ事も無く戻って来た報せの者に先導されながら門を通ると、兵士達の姿に驚き見送る人々に見送られながら町長の屋敷へと向かう。すれ違う人間全員が暗い顔をしているのに気付いた部隊長は、早く原因を究明して解決する事によって人々を安心させなければと考えていた。
「お待ちしていました。部隊長自ら来て頂いて感謝します。
兵士の皆様には着替えと暖かい飲み物を用意させて頂きますので」
そう言って出迎えた町長に命ぜられた召使いの者の案内で、兵士達が別室へと案内されるのを見送った部隊長は、用意された個室で着替えてから会議室へと案内される。そこには町長をはじめ、警備隊長や財務と渉外の役員長が待っており、入室してくる部隊長へと深刻そうな表情のまま一礼していた。
「早速だが、最新の状況を聞かせてくれ」
身体を暖める為に出された酒を加えた熱い茶を一口飲んでホッと一息ついた部隊長の言葉に、町長達は更に表情を暗くして少しの間口を開くのを躊躇していたが、町長の視線に応えた警備隊長が重そうな口を開く。
「最初に漁師が行方不明なってから、ここまで何があったのか全く手がかりが有りませんでした。
そしてとうとう他国の、ハンフロージェン王国の交易船からもまるごと人が消えてしまいました。
今朝になって港でその交易船の乗組員らしき者の亡骸が発見されたのです。
報告を受けてやっと手掛かりが得られると思ったのですが、我々は更に混乱させられました。
亡骸は何か大きな生物に食い千切られていました。
最初は鮫の仕業かとも思いましたが、切断面から鮫の数倍の大きさの生物だと推測したからです」
片手を軽く上げて警備隊長の言葉をここで止めた町長は、続きを自らの口から話し始める。
「それでやっと、我々の思ってもみなかった事態が起きているのではないかと考えたのです。
ですから、部隊長自ら足を運んで頂いて、我々は本当に感謝しているのです」
町長達の報告を聞いていた部隊長は、最悪の想像が現実になりそうな予感に内心で動揺しそうになるのを抑えながら、冷静な表情を浮かべ続けていた。ここでこの町を動かしている者達が浮き足立てば、この町の人間全員が更なる不幸へと突き落とされてしまいそうだったからである。この時点では部隊長としては原因だと思われる一匹の魔獣を見付けて、数を増やす前に排除してしまえば解決するだろうと考えていたのだが、直後にそれは不可能になってしまった。
カンッカンッカンッ
突如聞こえて来た半鐘を打ち鳴らす音に疑問の視線を町長達へと向けた部隊長であったが、顔面を蒼白にして同じ方向、半鐘の音が聞こえて来る方向へと顔を向けている様子でほぼ理解していた。
「港から何かが現れたのだな?」
「は、はい。警備隊員を港に配置して何か起きれば鳴らすように命じてありました。
加えて、町の人間全員にも避難用の簡単な荷物を用意しておくようにも伝えてあります。
しかし、それは今朝の事です。どの程度それを深刻に捉えてもらえているかはわかりません」
「くっ、後手にまわったか。これからすぐに我々の部隊が港へと向かう。
警備隊の者は、念の為に避難誘導出来るようにしておいてくれ」
「わ、わかりました」
慌てて会議室を出て行く警備隊長を見送りながら自分も立ち上がった部隊長は、部隊の兵士達のもとへ行く前に町長達にも視線を向けて口を開いた。
「そちらもすぐに動けるようにしておいて欲しい。これから何が起きるかわからないのだからな」
「「わかりました」」
頷く町長達に見送られて会議室を出た部隊長は、召使いに案内されて部隊の兵士達の待機している部屋へと向かう。この建物で一番広い部屋である大広間に案内された兵士達は、人数が多かったので自由に動き回れる余裕が無いくらいであったが、思い思いに身体を休めながらくつろいだ様子で会話をしながら部隊長が現れるのを待っていた。
バタンッ
急いでいた勢いのまま扉を開いたので、その大きな音に驚いた兵士達が全員入口へと視線を向けるが、それらの視線も気にせず深刻そうな表情で部屋の中央へと歩いてくる部隊長の姿に一様に緊張した顔になる。時間も無いのでその反応も気にせず部隊長は話し始めた。
「緊急事態が発生した。最悪の想像が現実のものとなってしまったらしい」
ザワッ
それを聞いた全員が動揺しそうになるが、動揺が広がる前に先手をうって部隊長は言葉を続ける。
「落ち着けっ!」
その一言で姿勢を正した兵士達は、動揺しそうになっていたのが嘘のように落ち着き引き締まった顔になる。おそらく日々の厳しい訓練の賜物であるのだろう。その様子に内心満足していた部隊長であったが、それを喜んでいる場合ではない事を思い出す。
「アフ・オルトレスに伝令を走らせろ。最悪の想像が現実になったが、このまま原因を排除すると。
残りの者は速やかに港へ向かう。こちらの数が多いとはいえ、油断すれば命に関わるぞ」
「「はっ」」
部隊長への返事が揃って力強く返って来るや否や、伝令役は駆け出し、その他の者は装備を確認し始める。装備の確認が終わった者から、ほぼ全ての兵士が同じ位の時間で視線を向けられた部隊長は、それらに頷き振り返ると何も言わずに部屋を出る。兵士達も無言でその後に続き、未だに雨の降り続けている路地へと走り出て行った。
水溜りの水を跳ね飛ばしながら走りつつ、短時間で港の入口まで来た部隊は、その場で陣形を組み直して間髪入れずに港へと突入する。目的の場所を探して周囲を窺うが、雨と夜の闇でランプが有っても見通しが効かないせいで分からず、隊を分けて捜索した方が良いかと考えた部隊長であったが、いつの間にか音が止まっていた半鐘を鳴らしていたらしい警備隊員が駆け寄ってきてある方向を指し示す。その者に礼を言って指し示された方向へと向かうと、そこには予想通りに大きく成長した魔獣らしき姿が港の数箇所に備えられている松明に照らされているのが見えてきた。暗くて色は分からないが全身を魚類のような鱗で覆われ、松明の炎の反射具合から表面にはおそらくヌメヌメとした粘液で濡れており、印象としては魚類とトカゲの中間のような姿ではないかと感じられた。特徴としては前足の付け根に左右合計で十本以上の触手が生えており、丸太の様な六本の脚に支えられた胴体は大きく膨らんでいた。その姿の異様さに固まる兵士達だったが、いち早く我に返った部隊長が雨音に負けないように声を張り上げる。
「威圧されるなっ!最前列の盾隊が防御を厚くして耐えているうちに攻撃を加えろっ!
狙いを絞らせないように剣士隊は常に動き続け、弓隊はそれを援護しつつ可能なら目を潰せっ!」
その指示通りに動いた兵士達に囲まれた魔獣は、最初は新しい獲物が来た事を喜んでいたが、兵士の人数の多さと組織的に追い詰められていくにつれて苛立ちを募らせていく。
ヴォォォォッ
ジリジリと削られていく事に怒りを込めた唸り声を上げた魔獣が、上体を仰け反らせて突然大きく口を開く。それを見た兵士達は、押し込むのは今だと考えて渾身の一撃を叩き込もうと一歩踏み出すが、部隊長は何か嫌な感じがしたので間髪入れずに指示の声を上げていた。
「下がりつつ防御と回避っ!」
ビュッ
その声と同時に魔獣の口から兵士達の方へと広範囲に何かの液体が降りかかってくる。部隊長の声が無かったらまともに浴びていただろうが、反応の遅れた剣士隊の数人が少しかかったくらいで盾隊は見事に防御に成功していた。
「ぐあっ」
しかしその数人の剣士隊の兵士は苦痛の声を上げて地面に膝をつき、液体のかかった場所の近くを手で押さえていた。部隊長からは液体がかかった場所から白煙を上げているのが確認出来、そこに火傷のような傷を受けたのが分かった。
「負傷者は下がって、かけられた液体を洗い流してから手当てしろ。
残った者は今と同じ挙動を魔物がとったら指示されなくてもしっかり対処するのだぞ」
その言葉に無言で頷き魔獣へと攻撃を再開した兵士達に、部隊長は満足そうに頷く。今のが隠し玉だろうと推測した部隊長は、後はそれ程時間を掛けずに倒せるだろうと考え、素早く原因を取り除く事が出来て良かったと安堵の息を吐いていた。
ヴォォ……ズズゥゥン
断末魔の声を残して地面を揺らしつつ倒れた魔獣の姿に、兵士達は隣の者と拳を合わせたり掌を打ち合わせて喜びを表し、部隊長も満足そうな顔にわずかだが笑みを浮かべていた。
「喜びを表すのはそこまでだ。港を一回りしたら速やかに撤収するぞ」
「「はっ」」
ザバァァァッ
部隊長への返事の声は直後に背後で上がった大量の水が吹き上がるような音によって打ち消されてしまう。
「「は?」」
背後の音に振り返った兵士達は揃って疑問の声を漏らすが、目の前の光景への理解が追いつかないというか理解を拒んでいるかのように動けなくなっていた。
ビシャッ、ビシャッ、ビシャッ
海水を滴らせながら次々と港へと上がってくるのは先程と同種の魔獣ばかりではなく、体毛を身体に張り付かせながら丸太のように太い四本の腕で勢い良く飛び出してくる巨大な猿も居り、注意深く窺う事が出来れば指の間に水かきが有るのが分かっただろう。それに加えて、地上には上がってこないがこれもまた女性の胴回りと同じ位太い蛸の足に見えるモノが何本も海面から突き出して周囲を探り始めていた。そこまで確認してようやく我に返った部隊長は、焦りの表情で声を張り上げる。
「総員、防御陣形を保ちつつ後退せよっ!
先程の負傷者は町長にこの事を伝えてすぐに人々の避難を始めさせるのだっ!」
呆けていた兵士達は部隊長の指示通りに動き出すが、表情は怯えの色が隠せず、訓練通りに動いていても身体の切れはすぐには戻ってこない。その様子を眺めて無理は出来ないと判断しつつも、力強い声で指示を続ける。
「倒す必要は無い。出来るだけ時間を稼いで人々の避難を助けるのだ。
海に近付かなければ蛸足らしきモノは届かないだろう。弓隊は目を積極的に狙っていけ。
剣士隊は盾隊の援護に専念していればいい」
「「はっ」」
部隊長は意図的に落ち着いた調子の声を出して指示を出し、兵士達はそれが本当かどうかは気にせずに指揮をする者が落ち着いているなら大丈夫だと己を信じ込ませようとしていた。
カンカンカンッカンカンカンッ
前回より慌しく鳴らされる半鐘の音を聞いたシアネントに住む人々や訪れていた人々は、半信半疑のまま町からの通達通りに避難を開始しようとしていたが、まだ本気になっていないせいで動きが鈍かった。
「お客さんっ、早く避難した方がいいですよっ」
「んあ?何から避難するってんだ。もったいないからこの一杯が無くなってからな~」
「そうだそうだ~。もったいないもったいない~」
酒場の主人に避難を促された客の男であったが、同席していた男と共に酔っ払いらしい反応を返してくる。その様子に顔をしかめた酒場の主人であったが、この二人が店内に居る最後の客で、いちおう言う事は言ったので自分の避難用の荷物を取りに店の奥へと向かった。
「平和なこの町に何があるってんだ~」
「そうだそうだ~。平和平和~」
酔う前は事件の話で不安を口にしていた男達であったが、酒が入って悪い意味で気が大きくなっているらしく、客の居なくなった他のテーブル上の料理をつまんだりしてフラフラとしていた。
「こんなに料理を残してもったいないぞ~」
「そうだそうだ~。もったい」
ドガァァン
突如石で組まれた土台ごと壁が崩れて店内へと瓦礫が飛んでくる。運良く(?)それらの瓦礫には当たらなかった酔っ払い二人だったが、壁に出来た大穴から飛び込んできたモノを目にして身体が動かなくなってしまう。
ポロリ
手に持った料理を落とした事にも気付かずに呆けた顔で目の前のモノへと視線を向け続ける。
「ない……なんだこれ?酔っ払って幻覚でも見てるのかなぁ」
目と口だけは動いて言葉を続けながら近付いて来るソレを見上げていたが、ソレの近付く一歩一歩が地面を揺らしている事にも気付いていなかった。
バクンッ
ソレが大口を開けて自分の隣に居た友人の全身を口内に入れて、想像したくない音を立ててから飲み込むのを間近で聞いていても、客の男は一歩も動けなかった。
「……そっか、夢だ、夢に違いない」
直後に友人と同じ運命にあいながらも、最後までそれを信じて呟き続けていた。
グルルゥッ
まだ物足りないらしく低い唸り声を上げるソレ、巨大な身体に鎧の様に丈夫な皮膚、頭部は人を一口で飲み込める位大きな口と巨大な角が有り、短いが太い四足で身体を支えている魔獣は、他にも獲物が居ないか探っていたがすぐに諦めたようである。
ドガァァン
グッと身体を低くすると、反対側の壁を突き破って他の建物へと獲物を求めて移動していった。
「……いったい何が起きてるんだ……」
身を隠していた酒場の主人はそう呟くと、壁の大穴から建物の外を窺って他の魔獣が居ないのを確かめると、町の外へ避難する為に駆け出して行った。
町の他の場所でも似たような事はそこらじゅうで起きており、阿鼻叫喚の地獄絵図といった風情であった。それでも警備隊や兵士達の活躍で犠牲になる人の数は減っていたが、夜間という事に加えて初期の混乱が最後まで続いてしまい予想以上の犠牲が出てしまっていた。
グガァァァッ、ガギッドガッ
魔獣の攻撃を受け止め弾かれた兵士と後ろに控えていた兵士が入れ替わってすぐに穴を埋めていく。
「くっ、ここまでか」
港からジリジリと押し込まれてきた兵士達の後ろで呟く部隊長の顔には、ここまで来る途中で目にした惨状を思って悔しげな表情が浮かんでいた。警備隊に導かれて避難していく人々を脇から後ろに通しながら背後へと視線を向けると、既に町の出入り口である門が見えており、これ以上陣を維持する必要性が無くなってきているのが分かった。そのまま門前まで下がり、避難してくる人や警備隊の者の姿が無いかしばらくの間ねばっていたが、新たに現れる人影も無くこちらの余力も削られ、避難する人々も町から距離を取る事が出来たという報告が届いたので、部隊長は様々な可能性を飲み込み苦汁の決断を決めた。
「……下がるぞ。門から出た者から陣を作り、続く者の援護をするのだ」
先に門外に出た兵士達が左右に陣を作り、続く者達はその間を一気に飛び出していく。背後からの攻撃を妨害する為に先に出て陣を構えていた弓隊が門へと矢を集中して放つと、追い掛けて来ていた魔獣数匹は痛みに怒りの唸り声を上げていたが、何故か門の外までは追いかけて来ず、その場で兵士達を睨み付けていた。
「何故追い掛けて来ない?何らかの罠だろうか……」
避難した人々が居る方向とは別の方向へと少しずつ陣を後退させていく部隊長だったが、予想に反して魔獣はこちらを睨むだけで動こうとはしなかった。そのまま安全圏まで退いた部隊は、偵察役を数人放ってから避難している者達の居る場所へと向かった。
ザワザワザワ
シアネントの様子が良く見えるその丘には、町の住人に加えて町に滞在していた人間が集まっているのでその場は人々のざわめきで満たされていた。遠目に見える町のあちこちで火の手が上がり黒煙に覆われている様子を眺める町の住人は自分達の生活の基盤を破壊されて嘆き、町に滞在していた者達もまた商売等の仕事で訪れていたので多大な損失に頭を悩ませていた。その光景に自分の力の足りなさを責められているような気分になって足を止めそうになりつつも、部隊に待機を命じて町長達町の指導者とこれからの事を話し合おうと動き始める。
「すみませんっ、娘を見ませんでしたかっ」
視界の端を駆け寄ってきた夫婦らしき人影が兵士達一人一人に聞いて回る声を背に、部隊長は人々の間へと消えていく。その自然と強く握り締めた拳だけが、最後はこちらが絶対に勝つという決意を表に出していた。
早馬で今回の報せを受けた王都では、緊急に会議が開かれて即座に軍隊の派遣が決定される。交易路の変更や他国への通達にも人は動いていたが、一番多くの人間が動く事になったのは軍隊になるだろう。軍隊派遣に関連して王都に有る全ての戦える者を育てる学院には、輸送等の後方支援への協力を求められていた。主な仕事は輸送隊の護衛や雑用である。合宿を行っていたオルフィエルド学院の生徒達や教師達も、報せを聞いた直後に合宿を終了させて輸送隊に合流していた。生徒達の表情には同じく魔獣と戦闘を行った経験から緊張している者が多かったが、魔獣に対する恐怖を感じている者も少なく無かった。
破壊されたシアネントの町はこれからどうなっていくのだろう。シアネントから出てこなかった魔獣達の不可解な動きの理由を知る者は今は誰も居ない。果たして、戦場へと向かうオルフィエルド学院の者達は無事に王都へと帰って来れるのだろうか。
楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰えるように頑張ります。




