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それは黒くて重かった  作者: D.K.B.Y.
第一章
3/45

無知と出会い(前編)

前話の投稿と同じペースで投稿できました。気を抜かずに続けられたら良いなと思っています。

 ザァーーー

辺り一面、土砂降りの雨で水溜りが出来ている。空は分厚い雲に覆われて薄暗く、大量の雨をまさにたらいをひっくり返した様な感じで落としている。頭上には大きな常緑樹が枝を張り出しており、濃い緑の葉は雨が直接かかるのを防いでくれていたが、葉の隙間から(したた)ってくる雫だけでも全身が湿ってくる。次第に強くなってくる風に、直接かかる雨が増えてくると急激に体温を奪い始めた。

「風も吹いてるから、さすがに冷えてきた」

「うぅ、ボクなんて毛が濡れて身体に張り付いてるから、さ、寒い……」

「ちょっとまずいな。雨風(あめかぜ)を防ぐ場所を探した方が良いかもしれない」

身を乗り出して雨に霞む景色の奥を見通す様に眺めるのは、くすんだ黒色の全身鎧を装備した人物で、声は鎧の内側なのでくぐもって聞こえるが十代半ば位の少年の声である。

「さ、探すなら一緒に行くよ。戻ってくると二度手間になるし」

そう言い、身体を振るって濡れた身体から雨水を飛ばしたのは、普段はピンと立った三角の耳と狐の様な大きい尻尾を持った艶やかな黒い毛皮の獣であったが、今は雨に濡れて耳は伏せられ、尻尾や身体は毛がペタッと張り付いてみすぼらしく見えている。

 前者はダスク、後者は黒炎である。ダスクは木の根元に置いてあった荷物を持つと、忘れ物が無いか確認してから黒炎に頷いて合図し、雨宿りをしていた木の下から走り出す。どうしてこんな事になったんだろう、そう思いながら。


 故郷の村、ノースアタロスを出発したダスクと黒炎は順調に街道までの道を進んでいた。数日経った今では、だいぶ旅にも慣れてきて、野宿をするのも手際が良くなっている。枯れ木を集めて焚き火を(おこ)し、薪と一緒に見付けたキノコと先程捕まえた兎をさばいた肉で作った串焼きを地面に刺して(あぶ)る。その近くにはヤカンがあり、お茶に使う湯を沸かしていた。

「街道って遠かったんだね。結構歩いているのにまだ合流できない」

「あはは、それだけ村が山奥のド田舎にあったんだね」

「こらっ、そういう事は言っちゃ駄目だよ。僕達の故郷なんだから」

「いいじゃん、ボクなりに親しみを込めて言ってるんだし」

「はぁ、まあいいか」

苦笑いしながら串焼きの様子を見る。焼き加減も良さそうだと判断して、黒炎の前に皿に乗せて半分置き、自分の分にかぶりついた。黒炎も熱々を美味しそうに食べている。出発が雪に閉ざされる冬の前、秋であった為、周囲からは虫の音が聞こえてくる。収穫の秋でもあるから食料も豊富で、その面では野宿にも最適である。問題はこれからどんどん気温が低下してくる事だろう。

「これからどんどん寒くなってくるんだろうね」

焚き火に手を当てながら水筒の水を飲むダスクは、装備を外して楽な格好に着替えている。こちらを見る黒炎の視線に応えて、追加の水を地面の皿へと注いだ。

「さっさと街道に出た方が良さそうだね」

そう言って皿の水を飲み干した黒炎は、焚き火の前で丸くなる。眠るのではなく、首は持ち上がってダスクの方を見ていた。

「ボク的には野宿でも美味しい物が食べられるなら全然構わないんだけど、

 キミ達ニンゲンは布団で横になって休まないと体力的にしんどくなってくるんじゃないかな」

「そうかもしれない。僕はまだ大丈夫だけど、この先は分からないからね」

少し考え込んでいたダスクは、表情を真面目なものに変え、黒炎へ再び視線を向ける。

「明日は少し急いでもいいかな?」

「ん?いいよ、ボクはキミについてくだけだから」

紅い瞳が笑っている様に感じられ、尻尾は機嫌が良さそうにゆったりと振られている。

「ありがとう、それじゃあもう寝ちゃおう」

「そうだね、おやすみ~」

黒炎は、首を引っ込めて黒い毛玉になり、ダスクは食事の後片付けを済ませて毛布にくるまった。

「おやすみ」

小声でささやいて目を閉じるやいなや、眠りへと落ちていった。


 早朝、太陽が山の稜線から顔を出すと同時に起床する。簡単な朝食を()り、荷物をまとめ装備を整えると、さっそく街道を目指して出発する。今日は確実に街道に出たいのでしばらく身体を慣らす為に走った後、本格的に長距離走へと突入した。黒炎の四足の走りは優美で美しい物であったが、くすんだ黒い全身鎧に加え同素材の大きな装備を背中にかついで走る姿は、まるで黒い塊がすごい勢いで転がっている様な印象を与える。たまに森から飛び出してくる動物がそれを見て、恐れをなして逃げていく光景が何度も繰り返された。

 ザザザザッ

どれ程の体力があれば出来るのか、太陽が真上に昇るまで走り続けたダスク達は、突然木々に囲まれていた道から広々とした道に出る。驚いたらしく、急に止まろうとしたダスクは、鎧等の重さで地面を少しの距離滑ってから止まった。黒炎はぶつからない様に、軽やかに横に跳躍して、その隣に止まる。

「あぶなっ、さすがのボクでもキミにぶつかったら結構痛いよ」

「ごめん、急に広い場所に出たから驚いちゃって」

「気を付けてよ、もぅ」

道の真ん中で立ち止まって話をするダスク達は、街道を行き交う旅人達の目を引くのに充分以上に目立っていた。ほとんどの旅人が指をさしたり、連れと囁き合っている。しばらくの間、言葉をやりあってたダスク達は、自分達が旅人達の注目の的になっている事に気が付く。

「あらら、道の真ん中で話してたら、そりゃ注目の的だよね」

「まいったな、ここで立ち止まっていたら通行の邪魔だな」

「かなり邪魔だったんだろうね、みんなが見てたよ」

「とりあえず早く行こう。確か、街道に出たら右へ進めば良いって言ってたかな」

「そうしよう、せっかく街道に出たんだから町に行こうよ」

「うん、僕も久しぶりにベッドで寝たいからね」

「楽しみだな~、最初の町には何があるんだろう」

街道を右へ、つまり西に向かって歩き出す。ダスクと黒炎、お互いが会話だけに気を取られて周囲へ注意を向けていなかったので、道の端へ寄って歩いていながらもすれ違う旅人達の視線を依然として集めたままだという事に気が付かなかった。

 今日は天候も良く、秋から冬へと変わる時期の冷たい風も吹いていないので、過ごし易い陽気である。見渡す景色は、牧場でのんびり牧草を食む牛が並んでいたり、黄金色(こがねいろ)のススキの原があったりして、とてものどかな雰囲気だった。そういった空気に浸りながら歩いているうちに、いつの間にか少なくない距離を歩いていたらしい。ふと気付くと、遠めに町らしき影が見えてきた。

「あ、町が見えてきた。ほら、あそこ、見えるかい?」

「やった~、記念すべき最初の町だね。ボクお腹空いちゃったから何か食べようよ」

「まだ着いて無いのに気が早いって。でも、そうしようかな、僕もお腹減ってるからね」

街道に出る為に、朝からずっと走りっぱなしで、その後はずっと歩いていたからだろう、ダスク達は意識した途端に腹の虫が泣き出すのを聞く。それからは無意識に、先程よりも歩調を速めて歩いていたのであろう、町の影はみるみるうちに近付いてきていた。

 ガラガラガラガラ

牛に引かれた荷車に続いて町の門へと差し掛かる。数台の荷車が新鮮な牛乳が入った缶や農作物を運んでいる。酪農や農業が主産業の町の様で、ますます食事が楽しみになる。

「え~と、町の名前は……アチケットっていうのか、意外としっかりした町だね」

門の上の壁に書かれている町の名前を眺めながら、黒炎は少し失礼な事を言う。しょうがない、という感じの表情で肩をすくめるダスクも似た様な印象を受けたのだろう、視線を向ける町を囲む塀は自分達の村の柵とは比較にならない位しっかりと造られていた。基礎に石を積み上げ、その上に防火防水作用のある塗料を塗った木材で壁を作っている。

「やっぱり街道沿いだから塀も立派だね」

「ウチの村とは全然違うね。ボクでも乗り越えるのは大変そうだ」

「何言ってるんだよ、乗り越える機会なんてあるわけがない」

「あはは、まあそうだけどね」

門の脇に立っていた守衛に村発行の身分証明書を確認してもらい、何故かこちらを凝視しているもう一人の守衛に見送られる様に門をくぐる。町を東西に貫いている中央通りには今迄見た事も無い数の人が歩いている。道の両脇からは商店の客引きの声が響き、客とのやりとりが一層の活気を辺りに振りまいている。ここから見えるだけで村の人口くらいあるんじゃないかと思えたダスク達は、驚きの余りその場に立ち止まっていた。行き交う人々は、邪魔そうな素振りでダスク達を見るが、まさしく黒い塊という存在感にギョッとした顔で離れていく。

「すごい人の数だ、町にはこんなに人が居るんだね」

「むぅ、人が多過ぎてボクには周りが見えないよ」

「そっか、それじゃあ肩に乗るかい?」

「久しぶりにそうしようかな、そのうち誰かにどこかを踏まれそうだし」

頷いたダスクは乗りやすいように少し腰をかがめる。黒炎は素早く背を駆け上がると、首の後ろに横向きに胴を付け、両肩に足を置く。周りに居た人々は一瞬驚いた様子であったが、動物を肩に載せる様が、どこか微笑ましさを感じさせて笑顔になっていた。

「ねぇねぇ、あそこの屋台で売ってる串焼きが美味しそうだよ。食べようよっ」

 ザワッ

黒炎が話すところを、ダスク達の方を見ていた人々が目にした途端に周囲の空気がざわつく。人々は一様に驚いた顔をしており、近くの人間と何か小声で会話をしていた。

「なんだろう、周りの人がこっちを見ているような……まあいっか、ダスク、早く行こっ」

「ん?分かった、落ちない様に気を付けて」

ダスクも黒炎も自分達が注目されるとは思っていないので、周りの反応を改めて意識する事も無く、人々をかき分けて屋台へと向かう。驚いていた人のほとんどは自分の見聞きした事は何かの間違いだった、と思い直して首を振りつつ、再び当初の目的に向けて歩き出す。その後も、ダスク達の行く先々(さきざき)で同様の現象が起きていたが、本人達は特に気に止めることも無く、初めての町を楽しんでいた。その後ろを追いかけながら、様子を窺っていた人間が居る事にも気が付く事は無かった。

 カラーン、カラーン、カラーン

陽も傾き、空は夕焼けで真っ赤に染まっている。帰宅を促す教会の鐘の音が辺りに響き、遠くには巣に戻る鳥達の姿が見え、人々も家路へと足を速めている。壁や建物がある町は、村に居た時よりも暗くなるのが早いらしく、辺りの様子が見えなくなるのも間もなくであろう。

「屋台の食べ物は美味しかったね。町って良い所だな~」

「うん、食べ物もだけど、色々な物を売ってて面白かった」

「キミったら金属の細工物のトコから全然動かなかったよね」

「う、悪かったよ。職業柄ああいった物には興味があったから」

「まあいいけどね。今のボクは美味しい物が食べられて機嫌が良いから」

「あはは、ありがとう」

町を周っている間にやった事を話しながら楽しそうに道を歩く。これだけ暗くなってくると黒い格好も目立たなくなり、人も少なくなっているので黒炎もダスクの肩の上から降りて地面を歩いている。たまにすれ違う人は黒い塊が突然視界に入ってくる事に驚いていた。

「そろそろ宿を決めないとまずいかな」

「そうだね、ボクも部屋の中でゆっくり休みたい」

「今日は結構歩いたからね、僕も同じだよ」

「ところで、宿ってどうやって探すんだい?」

「あ、どうしよう、それは考えてなかった」

「えぇっ、どうするんだよっ!?ボクだって分からないよ」

困惑したような様子で顔を見合わせる。鎧の顎の有る辺りに手を当てながら考えているダスクを見ながら、落ち着かない(ふう)に尻尾を振る黒炎はうろうろと行ったり来たりしていた。

「お客さん、宿を探しているんで?」

タイミングを見計らった様に後ろから掛けられた声に、ダスクは振り向き、黒炎はその横へと回って、新たな登場人物に視線を向ける。少なくない時間考え込んでいたらしく、真っ暗になった道を照らす白い月明かりは強くなっていて、道の真ん中に立っていたダスク達をくっきりと見せていた。現れた人影はランプを持っており、その弱い灯りが照らしている姿は、30代後半位の男で、無精ヒゲを残した身なりの悪い格好であった。

「オジサンは誰?ボク達に何か用かい?」

黒炎が話しかけた瞬間に男は少しだけ表情を変えるが、すぐに元に戻して答える。奇妙に歪んだ表情は、辺りの暗さもあって、ダスク達にはハッキリとは見えていなかった。

「あっしは宿の客引きですよ」

「客引き?あなたが宿を紹介してくれるのですか?」

「そうでさ、それが仕事なんでね」

「でも、どうしてボク達が宿を探してるって分かったの?」

「まあ、言い方は悪いですが、この時間にボケッとこんな所で立っている人間は(まれ)なんでね。

 そんな稀な人間はだいたい同じ理由で居るもんなんですよ」

「なるほど、そういう背景があったから僕達に声をかけたんですね」

「そうでさ、まあ、たまたま通りかかった所で『宿』っていう言葉が聞こえたんですけどね」

「あはは、ちゃっかりしてるな~、でも助かったね」

「そうだね、ちょうど良かった。そういう事なので、案内よろしくお願いします」

「あいよ、それでは着いて来て下さいな」

一礼して向きを変えた客引きの男は、サクサク進んで行くが、時々着いて来るのを確認するようにダスク達の方を見る。遅れずに着いて来る様子に安心した様に、客引きの男は口元に笑みを見せつつ先へと進む。中央通りを後にしてからの進む方向は、どんどん道が細くなっていくと共に薄汚れた建物が目立つようになっていた。

「宿ってこんなところにあるんだね」

「うん、僕も知らなかったから勉強になったよ」

そんな事を言いながら歩くダスク達を連れて、いくつもの角を曲がった客引きの男は一軒の建物の前で立ち止まる。建物には宿屋を示す看板が無いどころか何を扱っているか分からない様子だったが、灯りの漏れる扉の奥からは飲酒を楽しむ声や、料理の匂いが伝わってくる。案内をしてきた客引きの男は、入口の扉を開けて入ると、片手を促す様に広げる。

「いらっしゃいませ」

それに応えて店内へと足を進めたダスク達が視線を上げると、いつの間にか静かになっていた店内の客の全員が見ているのが分かった。思ってもいなかった状況に戸惑(とまど)ったダスクは立ち止まり、黒炎も警戒する様な仕草で傍らに寄る。

「おらっ、お前らには関係無いんだから酒でも飲んでろっ!」

焦っているのか、怒っているのか分からない様子で客へと怒鳴ると、客引きの男は愛想笑いを浮かべてダスク達へと頭を下げる。

「すいやせん、ウチの客は無遠慮な奴ばっかりで」

「え、ああ、構いませんよ。少し驚いただけなので」

「そんな事より、ボクお腹空いちゃったよ」

黒炎が言葉を発した瞬間、まだこちらを見ていた周りの客達は顔を見合わせて喋り始める。さすがに分かりやすい反応で自分達を見る客達に、気分を害した黒炎はムッツリと黙り込んでしまった。

「すいやせん、あっしが注意しときますんで」

「お願いします。とりあえず簡単な物で良いので料理を出して下さい」

「まいど、あんたは普通で良さそうだが、その御仁(ごじん)は同じ物で大丈夫かい?」

「大丈夫です、逆に彼のは熱々にして下さい」

無言で頷くカウンター内の男は後ろで煮込んでいたスープを皿に注いで持って来る。黒炎の分は注文通りに別の鍋に分けて熱々にしてくれた。さびれた店構えの割にスープの味は文句の付け様が無く、黒炎もある程度機嫌が良くなったようで尻尾が満足そうに振られていた。

 食べ終わりに合わせて出されたカップの水を流し込み、満足そうに鎧の腹辺りを撫でたダスクは、黒炎も食事が済んでいるのを確認してから促すように客引きの男へと顔を向ける。近くで酒を飲んでいた客引きの男も心得た様子で頷き返す。

「そいじゃあ宿帳にサインをしちまってくださいな。すぐに部屋に案内しますんで」

カウンターに居た別の男から宿帳を受け取った客引きの男は、ダスクへインクに浸けたペンを渡してくる。宿帳と入れ替えで食事代と前払いの宿代を渡す。ダスクがサインをして返した宿帳をカウンターへと放った客引きの男は、部屋まで案内するらしく、着いて来いという仕草をしてから歩き出した。

 ギィ、ミシィ

案内する客引きの男に次いで木製の階段に足を乗せた瞬間、ダスクの足の下から木の軋む様な嫌な音が聞こえてくる。慌てて足を戻したダスクは、困惑したように客引きの男を引きとめた。

「あの、申し訳ないのですが1階に有る部屋に変えてもらえないでしょうか」

「あぁっ!?……ゴホン、どうかしやしたか?」

「見ての通り鎧があるので少々重さがありまして、率直に言いますと階段がもちません」

「は?……ちょっと待ってろ、相談してくる」

予想もしていなかった事態に、不機嫌そうな顔になった客引きの男は返す口調が荒くなっていたのにも気が付かず、慌ててカウンターの男と相談を始める。

「……せっかく……になる……」

「……1階は……裏の……」

小声で話し合う二人の様子に申し訳ないと思いつつ、見知らぬ町で今から新しく宿を探すのが困難だと考えたダスクは客引きの男に近寄る。

「あの、ちょっといいですか?」

「ん?ちょっと待っててくれ、今話してる」

「ですから、その事についてです」

ハッとした顔でダスクの方を見た男達は、何か勘違いしたかのようで慌てた様に詰め寄ってくる。

「お客さん、待ってくれ、今なんとかするから」

「あ、いえ、違うんです。

 1階で僕達が横になれるスペースがあるなら物置小屋でも構わないってお願いしようかと」

「なんだそういう事か。本当にいいのか?裏に大丈夫そうな物置があるが」

「はい、こっちの都合で悩ませるのも悪いので」

「すまねぇな、宿代は安くしとくぜ」

「ありがとうございます」

安心したダスクと、何故かホッとした顔になった宿の男達は安堵の息をつく。宿代の差額を受け取り、再び案内をする客引きの男の後に着いて行くと、今度は裏口へと案内される。扉を開いて進む後ろ姿を眺めながら、先程から無言の黒炎にダスクは小さな声で話しかける。

「どうしたんだい?さっきから黙ったままだけど」

「ん?ちょっとね、後で話すよ」

出てきた宿屋よりも更にくたびれた感じの小屋の前で止まった客引きの男の姿に、黒炎は会話を止める。ダスク達が側に来るのを待って、客引きの男は入口の鍵を外した。

「ちょっとボロいけど我慢してくれ。邪魔だったら中の物は自由に動かしちまっていいぞ」

「分かりました、ありがとうございます」

「ゆっくり寝てくれ」

そう言い戻って行く客引きの男の背中を少しの間見ていた黒炎は、ダスクが開いて待つ扉を抜けて奥へと入っていった。小屋の扉が閉まり、真っ暗になった裏口の扉の前で立ち止まっていた客引きの男は、ダスク達が確かに小屋へと入ったのを確認していたかのようにしばらく見てから宿へと入った。

 宿で話をしているうちに拡がったのか、月を隠した厚い雲は辺りを尚一層暗闇に閉ざしている。加えて吹き始めていた風は湿り気を帯び、遠からず雫を落とすのではないかと思える雰囲気になっていた。

 ガタガタガタッ

物置小屋の中では背嚢から出したランプの灯りに照らされたダスクが、乱雑に置かれていた木箱や麻袋等を端へと動かしている。床には埃が積もっていたので、動く度に舞い上がるそれに黒炎が嫌そうな顔をしていた。

「ねぇ、ボク達、ちゃんとしたベッドの有る部屋で寝る予定だったよね」

「しょうがないだろ、僕の鎧のせいでこんな所になっちゃったのは悪いとは思うけど」

「ここがボロ過ぎるだけだと思うよ。普通の建物ならかろうじて重さにも耐えられるんじゃないかな」

「まあ、そうかもしれないけど、今は屋根の有る場所で寝られるだけで良しとしようよ」

「はぁ、文句言ってもしょうがないか。とりあえず広さはそれなりにとれそうだし。

 それにさっき外に出たときに風が湿っていたからね」

「良かった、少しはましに思える事があったね。そういえば、さっき話を止めたけど何だったんだ?」

「うん、ちょっとね……」

途中で言いよどむ様な仕草で何か考えていた黒炎であったが、心を決めたらしく真剣な瞳でダスクの顔を見る。

「なんか、変じゃなかった?

 あの宿に居た人達もそうだけど、それ以上にボク達を案内してくれた客引きの人の態度とか」

「そう?僕は別に気にならなかったけどな~。

 ほら、建物も傷んでるし、客を集めるのに必死だったんじゃないかな」

「そうなのかな、う~ん、ボクの野生の勘がビンビン反応してるんだけど」

「野生って……僕達と一緒に住んでたんだから野生じゃないって。

 でも黒炎の感覚も馬鹿に出来ない時があるからな、大丈夫だとは思うけど注意はしておこうか」

そう言うダスクの言葉に黒炎は嬉しそうに尻尾を振る。それを見て笑顔を見せたダスクは、外していた兜を再び装着すると、鎧のまま寝る事に決めたようで、そのまま壁を背に座ると手の届く位置に装備類を置く。黒炎はその傍らに来ると、背嚢を背負ったまま丸くなる。

「おやすみ」

「おやすみ~」

お互いに言葉を交わし、黒炎は目を閉じるや否や睡眠に落ちる。その様子に笑みを見せてからランプの火を消し、自分の背嚢にしまうとダスクも同じ様に目を閉じる。真っ暗になった小屋の中にはダスク達の寝息だけが聞こえていた。

 ガタガタッガタッ

深夜になり風が強くなって建物の戸や窓を揺らす音が鳴っているが、次第に強くなってきた風の音にかき消されそうになっている。寝静まっている町に起きている人間は居ないだろうと、もし誰かが見ていたら思いそうな時間帯ではあったが、不意に宿の裏口が開かれる。そこから顔を見せたのはダスク達を案内した客引きの男であった。辺りを見回し、物置小屋の方を注意深く観察していたが、静かな様子に納得して身体も外に出す。その後ろにはカウンター内に居た男も一緒であった。

 ポツッ

ふと頬に落ちた感触に手をやると、客引きの男の掌は少し濡れていた。

「雨か、音を消してくれるから好都合だな」

「ああ、仕事をするには良い天候だ」

闇にまぎれる二人は、そう小声で話しながらニヤリと笑う。その手には物騒な物が握られていた。闇の中では判別しづらいが、太く頑丈そうな棍棒には何か黒っぽいシミがこびり付いている。頷き合った二人はゆっくりと忍び足で物置小屋へと向かう。背を向けた二人の腰のベルトには大振りのナイフが差し込まれていた。扉に耳を付けて内部の音を聞いていた客引きの男が手で合図をした後に、再び二人は頷き合った。鍵穴に油の様な物を差し、音を立てずに開錠するやいなや扉を開いて飛び込むと、目の前には闇に目が慣れていてもなお、影にしか見えない二つの膨らみが床に(●●)並んで横になっていた。

 ドガッボグッ

二人は同時に飛びかかると、大きい方の影には頭部らしき場所を乱打し、小さい方の影には1発殴った後に捕獲する様に押さえつける。二つの影は最初の一撃で失神してしまったかの様にピクリとも動かない。大きい方の影に馬乗りになった客引きの男は、そのまま頭部らしき場所を殴り続ける。

 グシャッ

何かが潰れる様な音が室内に響き、客引きの男の手にも何かを潰した手応えが伝わってきた。そこでやっと手を止めると、男達は顔を見合わせてニヤリと笑う。

「くっくっくっ、やったぜ、息の根を止めてやった」

「こっちも一撃で気を失ったらしい、ピクリとも動かないぜ」

「おいおい、せっかくの売り物なんだ、殺して無いだろうな」

「安心しろって、それくらいの加減は出来る。なにしろ慣れているからな」

嫌な感じに笑いあう二人の様子は、殺しを何とも思っていない様子がありありと(うかが)われた。

「おい、灯りを点けろよ。真っ暗じゃ戦利品も確認できない」

「そうだな、あのくすんだ黒色の鎧も骨董品屋に高く売れそうだしな」

そう言って、慣れたように天井に吊ってあったランプに火を(とも)す。ランプの灯りに照らされた室内は人が動いたので埃が舞い、積み上げられた木箱や麻袋の薄汚れた様子がはっきりと見える。少し咳き込みながら自分達の成果を確かめようと、先程まで影だったモノに視線を向ける。

「は?」

二人の男達は目の前にあるモノが何であるか理解できなかった、というよりは理解したくなかった。

 元々ここに放り込んであった麻袋や毛皮がまとめられて置かれ、その上に毛布が被せてあり、まるで何かが寝ている様に形を整えられている。小さい方は毛皮が多く使われ、大きい方は頭の位置に麻袋に入れられた何かが潰れ、何か液体を染み出させている。その色は埃で汚れているだけで、赤黒くも無く、血液からは程遠い色をして、どこか果物の様な匂いが漂ってくる。

 バタンッ

放心していた二人の男の背後から突然扉の閉まる音が聞こえてくる。ビクリと身を震わせ恐る恐る後ろに振り向く二人の男の目に、信じたく無い光景が飛び込んでくる。

「な、なっ……」

そこには完全武装のダスクと、獲物に飛び掛る直前の様に身体をたわめた黒炎の姿があった。ダスク達には全く怪我が無く、自分達が騙されたのだと、男達はようやく理解する。放心していた男達の顔には一転して怒りの感情が噴出し、悔しそうに奥歯をギリギリと音が鳴るくらい強く噛み締める。

「……何で分かった?俺達が襲ってくる事を」

油断無くダスク達の方を睨みながら、二人の男達は棍棒を持ち替えて手の空いた方の腕を背後へとまわす。怒りの顔から冷めた顔に変わった男達は、先程よりも迫力のある様子に変わった。

「さっき、この小屋を変な気配が探ってたんだよね。ボクはそういうのに敏感だから」

「ちっ、なるほどな。それで身替りを用意したってわけか、悪天候もこっちだけの味方じゃねぇな」

「それにしても、おっちゃん叩き過ぎだよ。ボクのオヤツが台無しだし」

うらめしそうな声で何かの染み出した麻袋を一瞥する黒炎の様子に、客引きの男は床に唾を吐き出す。

「けっ、そんな事知るかっ!それより、何でお前ら完全武装になってるんだよ」

「簡単な話だよ、それも黒炎が、あんた達の様子が少し変だって教えてくれたんだ」

「てことは、お前は変だって思ってなかったんだろ、何で簡単に信じるんだよ」

「当たり前だろ、黒炎とは長い付き合いなんだ。僕は家族の言う事を信じる」

そう言って一歩前に踏み出したダスクの背中を、黒炎は嬉しそうに尻尾を振りながら紅い瞳で見る。

「家族、ね。それじゃあ脅しても渡しはしないだろうな」

「当然だろ、だから諦めて欲しい」

「聞けない話だな、おい、やるぞ」

客引きの男が合図すると、二人共に背後から腕を前に戻す。その手には大振りのナイフが握られており、二人の手付きはそれを使い慣れている様子が窺えた。頷き合った男達は、同時に前に出ようと足を踏み出す。しかし、それは果たされる事は無かった。

 ドガッ

何かが視界一杯に広がったと思った次の瞬間には、二人の男達は背後へと吹き飛ばされていた。背中一面に感じる痛みに、自分達が吹き飛ばされて木箱の山に激突した事を理解する。しかし、何が起こったのかが分からなかった男達は、視線を上げて自分達が立っていた場所を見る。その場所には、いつの間に動いたのか、くすんだ黒色の全身鎧をランプの灯りに鈍く光らせ左腕の装備を身体の前に掲げたダスクの姿があった。

「ぐっ、てめぇ、何しやがった」

「武器で攻撃してきそうだったから、ちょっと下がってもらっただけですよ」

「二人まとめてそれで押しただけってのか、まさかそのなりでそんな動きが出来るとはな」

「どうします?続けますか?」

隙を窺っていたもう一人の男が動こうとした瞬間、右手の装備で機先を制する。先端を向けられた男は身動き出来ない様子で悔しそうな顔になった。その光景を見て観念したのか、ナイフを下に向けた客引きの男は、憎憎しげな表情でダスクを見る。

「くっ、クソがっ!さっさと出て行きやがれっ!」

「ああそうだ、忘れてました。どうして僕達を狙ったんですか?」

「ちっ、人語を解する獣が珍しかったんだよ。金持ち連中に高く売れそうだったからな」

「なるほど、ありがとうございます」

視線を外さずに毛布を回収して後退したダスクは、合図をする様に黒炎に頷く。それを見た黒炎は、器用に扉を開けると雨の強くなってきた外に飛び出す。それを確認して再び視線を戻したダスクは、声に力を込めて男達へと伝える。

「追って来ても良いですが、今度は手加減しませんので」

その言葉を残して小屋を出ると、扉を閉めて黒炎の後を追いかける。ダスク達の姿は雨と闇夜に紛れてあっという間に見えなくなった。

 フゥ

図らずも同時に溜息を漏らした二人の男達は、立ち上がって身体を動かし、異常が無さそうだと分かって顔を見合わせる。

「どうするよ?」

「コケにされたんだ、ぶち殺さないと気が済まねぇ」

「想像以上に手強いぞ、何か手があるのか?」

「くくっ、同業者やゴロツキ連中、全てに声をかけろ。追い込んでやる」

「分かった、連絡を回す」

「頼んだぜ、俺はあいつらを追いかける」

「せいぜい死ぬなよ」

そう言って、カウンター内に居た男は先に小屋から出ていく。それを追う様に、客引きの男は走り出す。その顔には狩りを楽しむ様な残忍な表情が表れていた。

 ピーーーー

深夜の雨の町を、雨風の音を切り裂くように呼子の笛の音が鳴り響く。それと同時に大勢の人間の気配が集まりだす。それは、ダスクが黒炎に追い付き、しばらく走ってから始まった。水溜りの雨水を跳ね飛ばしながら走り回る人影を避ける様に、ダスク達は物陰に隠れる。

「失敗したね、あの二人の事縛っておけば良かった」

「そうだね、あれで諦めてくれると思っていたんだけどな」

「これからどうしようか?」

「ここまで大掛かりになると、町を出ないと駄目だろうな」

「やっぱりそうなるか、はぁ、最初の町がこんな事になるなんて」

「しょうがないよ、僕達の無知が原因でもあるんだから」

意気消沈した様に肩を落とすダスク達は、しばらくそのままの格好で暗闇の中で動かず、影の様な建物に同化しているかのようであった。

「さて、そろそろ行こうか」

「それがいいね、いつまでも落ち込んでいる場合じゃない」

「また次の町に期待しようよ」

「何も知らなかった僕達への手痛い洗礼だと思えば良い」

「うん、ボク達にとっては勉強になったかな」

「行こう」

頷き合ったダスク達は、周囲の気配を探り、とりあえずの安全を確認して走り出す。建物の隙間を渡りながら目指すのは、街道の先へと進む西門のある方向ではあったが、地の利が無い為、ひとまずは町を囲む塀に突き当たる様に端に向けてまっすぐ進んでいた。追っ手は中央通りと東西の門を重点的に見張っているらしく、塀を目指して入り組んだ区画へと突入したダスク達は結果的には見付かる確率が減っていた。土地勘の無い事が逆に有利に働いたようである。そのまま走り続けたダスク達は、目の前に黒い壁が見えてきたのに気が付く。一気に壁際へと近付くと、近くの建物の影に飛び込む。緊張感からか、ダスク達の息は荒くなっており、白く染まった二つの塊が空中にかすんで消える。

「やっと着いたね、ボク疲れちゃったよ」

「うん、逃げているってのが悪いのかな、僕もいつもより疲れやすいみたいだ」

「どうする?」

「追っ手の気配が遠いって事は、中央通りとか門は見張られているだろうね」

「だろうね、やっぱりこれしかないか」

そう言いながら、黒炎は塀を見上げる。それに釣られるようにダスクも塀を見上げ、その高さに溜息をつく。

「近くで見ると更に高く感じるな。僕には足場が必要かな。黒炎は僕の肩を使えば行けるでしょ」

「そうだね。はぁ、まさか本当にこれを越える事になるとは思わなかったよ」

「ははは、言霊(ことだま)なのかもね。……さあ、行こうか」

その言葉と共に塀の前に立つダスクに頷いて、黒炎は走り出す。軽い足取りで跳び上がると、ダスクの肩を踏み台にしてジャンプする。高く舞い上がった身体は、フワリと音を立てずに塀の上に降り立った。

「追っ手の姿はあるかい?」

「居ないよ、後ろにも、壁の向こう側にも動く影は見えない」

「分かった、先に降りてて」

頷いた黒炎が塀の向こう側へと消えるのを見送ったダスクは、近くの頑丈そうな木箱をいくつか積み上げる。高さが足りないんじゃないかと思える状態であったが、少し助走をとったダスクは重さに反して音を立てずに軽々と塀の上に立つ。塀の向こう側を見下ろすと少し離れた場所に紅く輝く瞳が見えた。黒炎の位置から地面までの距離を測ったダスクは、さっきよりも高さが有るので今度は慎重に塀から飛び降りる。

 ドンッ

雨でぬかるんだ地面であったが、鎧の重さからか足は地面にめり込み、思っていた以上の音が鳴る。そのままの格好で辺りの様子を窺っているダスクの姿に、軽い足取りの黒炎が傍らに寄った。

「ダイジョブ、音に気が付いた気配はないみたいだよ」

「そっか、まだまだ鍛え方が足りないな」

「う~ん、今でも充分鍛えられてると思うけどな~」

「まだまだだよ、父さんと比べたら雲泥の差だから」

「父ちゃんか……あれはスゴかったよね」

「うん、僕の目標だからね……とりあえず町から離れよう」

「そうだね、町の外まで追いかけられたらメンドくさい」

頷き合ってダスク達は町から離れていく。町の方向を見ると、西門の場所には守衛が用意した篝火が辺りを照らしている。おそらくこの時間帯には守衛を無視して門から出る事は出来ないようである。安心したダスク達は、門の位置から街道のある場所の見当をつけて西の森へと入る。馬鹿正直に街道の通っている門へと向かえば姿を見られてしまうからだ。森に入ってしばらく歩いているうちに緊張感が薄れていたのだろう、ダスク達はそれに全く気が付かなかった。

 ドカッ

後ろに注意していたダスクの少し前を歩いていた黒炎が、突然真横に吹っ飛ばされる。声も無く横たわる黒炎の姿に呆然となりながら、その原因となったモノへと視線を向ける。いつの間に先へと回り込まれていたのか、ニヤニヤした顔でダスクを見るのは、客引きの男であった。

「落し前をつけさせてもらいに来たぜ。あぁ、安心しな、殺してはいない、商品だからな」

黙ったまま黒炎へ視線を向けたダスクは、その身体が呼吸に合わせて上下しているのを確認して安心する。その様子を楽しそうな顔で見ながら、客引きの男は右手の長剣をダスクへと向ける。

「まあ、お前には死んでもらうから、関係ないだろうけどな」

「そうか」

低い声でそれだけ言うと、ダスクは両手の装備を構える。それに反応して長剣を上段に構えた客引きの男は、緊張感のある顔であったが、未だに口に笑みを浮かべている。今迄長剣を使って逃した獲物は居なかったからだ。目の前の獲物の大きさは、油断さえしなければ小屋の時みたいに見失う事は無いだろうと、客引きの男は考えていた。

「こいよっ、黒豚っ!」

自分を奮い立たせる様にダスクへと罵声を飛ばした客引きの男の目には、向かってくるダスクの姿がハッキリと見えている。油断をしなければ大丈夫だと確信したかのようにニヤリと笑った。一直線に走り寄るダスクの様子に、がら空きの兜に一撃してふらつかせたところで止めを刺そうと決める。左手に持っていた棍棒を振り上げると、カウンター気味に兜へ叩きつけた。

 ガッ

痺れる様な感触を残して棍棒が砕け散る。立ち止まったダスクの姿を見て、笑みを深めた客引きの男は止めを刺す為に長剣を構えた。

 ギンッ、ドガッ

次の瞬間、金属同士のぶつかる様な音と、金属と肉体のぶつかる鈍い音が響く。客引きの男は吹き飛びながら、どうして自分が飛んでいるのか理解できなかった。数メートルも吹き飛んだ後、やっと止まった客引きの男が目を上げると、近くの地面に何かが落ちてきて刺さるのを目にする。それが自分の持っていた長剣の刀身である事に気付いて呆然となった。

 あの一瞬に何が起きたかといえば、ダスクが右腕の装備を目にも留まらない速さで水平に振り抜いて長剣を叩き折り、無防備な客引きの男の眼前に踏み込んで胸部に左手の装備を叩きつけただけの単純な事である。ただそれが非凡であったのは、それらが一瞬の間に連動して行われた事であり、踏み込んだ場所の地面には足のめり込んだ跡が十センチ以上の深さの穴を開けていた。

 信じられない光景に動けずにいた客引きの男の耳に、ぬかるみを歩く音が聞こえて来た。視線を向けると、ダスクの黒い姿がゆっくりと近付いてくるのが見える。慌てて下がろうとするが、胸の骨が折れているらしく、激痛が走って起き上がる事も出来なかった。

「ひぃ、た、助けてくれっ、俺が悪かった」

その言葉が聞こえていない風に近付いてくるダスクの姿は、客引きの男の目には黒い死神の様に映っていた。うつ伏せになって這いずる様に下がっていく客引きの男の側に来たダスクは、無言のまま全身の体重をかける様に上から圧し掛かる。

「うがっ、潰れる、潰れちまうよっ、ぐぅ、死ぬっ……」

想像以上に重いダスクの鎧と装備は、客引きの男をぬかるみに数センチも沈め、更に折れていた骨を砕いていく。何も言えなくなった客引きの男の耳元に兜を近づけたダスクは、低い声で言葉を伝える。

「僕の家族に手を出したお前には手加減するつもりが無くなった、後悔しろ」

それは、再び相見(あいまみ)えても手加減するつもりであった事を伝えていた。涙でぐちゃぐちゃになった顔で何かを言いたげに口をパクパクさせる客引きの男であったが、胸を潰されて肺から空気を押し出されてしまった状態では声にもならなかった。そのまま客引きの男が死んでしまうまで続くと思われた拷問の様な時間は、後ろから聞こえて来た声で終わる。

「ボクは大丈夫だから、その辺にしときなよ。おっちゃん死んじゃうよ」

ハッとした様子で立ち上がったダスクは後ろに振り返る。そこには心配そうな様子でダスクを見詰める黒炎の姿があった。吹き飛ばされて泥に汚れていたが、怪我をしている素振りも無く、軽い足取りでダスクの傍らへと歩いてくる。

「あ、僕、なんて事を……」

呆然とした様子で肩を落とすダスクの様子に、慰めるように脚に前足を置く。

「今回は運が悪かったんだよ。おっちゃんもやり過ぎたし、キミも手加減出来なかった」

「それでいいのかな?もう少しで僕は人殺しになるところだった」

「いいんだよ、ボクが許す。個人的にはボクの為に怒ってくれて嬉しかったし」

嬉しそうに尻尾を振る黒炎の仕草を見て、落ち着く為にダスクは深呼吸を何度かする。その様子に安心した黒炎は改めてダスクへと視線を向ける。

「それでも急がないと人殺しになっちゃうよ、キミは」

「そうだね、急いで町に運んで守衛さんに渡さないと」

ハッとして、ダスクは客引きの男に近寄り怪我の程度を確認すると、気を失っていたが適切な処置をすれば命に関わる状態で無いと分かった。少しだけ安心した様子で息を吐くと、黒炎に向かって頷いてから客引きの男を背負う。怪我に響かない程度に加減して走りながら、ダスクは自分が怒りに我を忘れた時の加減の無さを嘆いていた。

 あっという間に町の西門に辿り着いたダスク達は、守衛へと客引きの男を渡す。事情聴取をしてくる守衛には、道の途中で拾ったと伝え、急いでいるという理由でその場を逃げる様に後にした。嘘を吐くのは心苦しかったが、町に戻ると色々面倒な状況になると考えたからであった。町から離れるように、しばらくの間走り続けたダスク達は、頃合をみて休憩の為に杉の大木の下へと逃げ込む。雨でずぶ濡れになったダスク達は、体温も奪われて余計に体力を奪われていたからだ。白く漂う荒い呼吸を収めるように深呼吸を続け、ある程度呼吸が落ち着いたところで背嚢の中から乾いた手拭いを二枚出す。防水加工をした自作の背嚢であったが、その能力を余す事無く発揮して、少しも雨が染み込んでいなかった。一枚目で黒炎の身体を拭った後、装備を全て外したダスクはまずはそれで装備から水分を拭う。それから服を脱ぎ二枚目の手拭いで全身を拭ってから着替えをして、最後に装備を付け直した。乾いた薪も無い状態では焚き火で暖まる事も出来ず、身を寄せ合いながらダスク達は雨が止むのを待つ事にした。


 なかなか雨は止まず、それどころかますます激しくなる。そのまま少なくない時間が経ったところで、物語は冒頭の状況になる。


 ザザザザッ

草むらを突き抜けながら走るダスク達は、激しい雨で見通しの悪くなった森の中を奥へと進んでいく。しばらく走っていてもなかなか良さそうな場所が見付からない。足は止めないが、諦めかけた心にくじけそうになった瞬間、稲光が光り、ダスクの右手にある岩山の斜面にある洞穴が目に飛び込んでくる。

「あっち、洞穴があった、ついて来て!」

それだけ言って、急角度に曲がると、ダスクは先導する様に洞穴の見えた場所へと向かう。見間違いだったら、という不安にかられそうになったところで洞穴の黒々とした入口が見えてきた。走るスピードを上げたダスク達は、その勢いのまま飛び込んでいく。

「やった、ここなら大丈夫そうだね」

「うん、ついてない事ばっかりだったけど、僕達にも少しは運が向いてきたかな」

ダスクは笑顔になり、黒炎も嬉しそうに尻尾を振る。やっと一息つけた様子で息を吐き出した瞬間、ダスク達の背後、洞穴の奥から物音が聞こえてきた。

 カランッ

誰かがうっかり足で蹴り飛ばしてしまった、という感じで小石が転がってダスク達の目の前に落ちてくる。

「誰だっ!」

誰何(すいか)の声を上げたダスクの硬い声に、本当に何者かが居たらしく、息を呑む様な音が聞こえてきた。ダスクと黒炎の向ける厳しい視線に観念したらしく、洞穴の奥から近付いてくる足音が聞こえてくる。その音は軽く、恐れを感じる心細さの様な物が感じられた。


 洞穴の奥から近付いてくるのは何者か?悪い事が続いた為、ダスク達は厳しい顔で油断無く身構える。激しくなる雨風に包まれた森は暗い未来を暗示しているかのようで、洞穴の奥を睨む顔にはうんざりとした表情があった。果たして新たな登場人物はダスク達に幸と不幸、どちらをもたらすのだろうか。

楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰える様に頑張ります。

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