水面下で
また投稿が遅くなりました・・・。執筆が早くなるように、これからも精進していきたいと思います。
カチャ……カチャリッ
金属の触れ合うような音を立てているのは、年季の入った錆びついていながらも丈夫な造りの鎖で、壁に固定されたその先が風も無いのに揺れていた。その場所は天井や壁から水が漏れ滴るせいで湿度が高く、黴や食べ滓の腐臭に加え備え付けのトイレのせいもあり嫌な臭いで充満しており、窓が無く空気の淀んだ石造りの部屋は壁に掛けられた松明の油分が燃える臭いも加わって形容しがたい不快さであった。弱い炎では隅々まで照らし出す事は出来ないので、その鉄格子に閉ざされた場所には壁際に黒い塊が有る様にしか見えなかった。数本の鎖がその黒い塊に繋がっており、それが微かに動いている事で鎖が音を立てているようである。
カツッカツッカツッ
石造りの床を歩く複数の人間の足音が反響しながらこの場所まで聞こえて来ると、黒い塊がピクリと動いて明らかにその音に反応していた。そのまま足音が近付き、鉄格子を挟んだ所でピタリと止まる。足音の主の持つランプの灯りに照らされた黒い塊は、薄汚れた格好で冷たい床に直に座っている鎖に拘束された囚人であった。目の前で立ち止まった足音に、何者が来たのかと頭を持ち上げた囚人の鋭い目に映るのは、普段からこの場所に居る牢番を連れた人物で、腰に佩いた長剣と軍服らしき服を身に付けたその格好から軍人ではないかと想像できた。軍人は肩まで届く茶色の髪と茶瞳の十代後半位の少年のように見えるが、黒い軍服に合わせた様な黒い布で目の下から首元までを覆っているのですぐには判別出来ない。胡散臭そうな顔で見上げてくる囚人の視線に気が付いた軍人は、ここまで案内をしてきた牢番に視線を向ける。
「案内ご苦労。すまないが席を外してもらっても良いかな?」
「お一人で大丈夫ですか?こいつは王族を狙う様な凶悪なヤツですが……」
「ふむ、心配せずともよい。コレも有る事だしな」
チャキッ
腰の長剣の柄に手を乗せて示した軍人の落ち着いた様子に、納得したらしい牢番は一つ頷いてから持っていたランプを手渡すと、来た方向へと足早に戻って行った。しばらく無言の時間が過ぎた後、足音も気配も感じられない事を確認すると、改めて鉄格子越しに囚人へと視線を向ける。その視線を受け止めた囚人は、軍人の体格や髪の色等の情報から、相手が自分を叩きのめした人間に似ている事に気が付いて驚きと怒りの表情になる。
「……お前はあの時のっ……いや、どこか違うな」
「ふむ、余が誰かに似ているのかな?残念ながらそれは思い違いであるぞ」
「……そのようだ。あいつはそんな話し方をしなかったし、気配が別物だからな」
「うむ、残念ながらあれ程の力量は持っておらん」
「……だが、それでも隙を見付けられそうもないな」
「ふむ、腕の立つ者にそう言われれば、余の実力も捨てたものではないのかも知れぬな」
どこか嬉しそうな響きの口調で一人頷いていた軍人に、囚人は毒気を抜かれたような顔になる。
「……で?」
「ふむ、『で?』とは?」
不思議そうな顔になって聞き返してくる様子が違和感なく感じられ、相手が少し変わった性格をしていると分かり、苦手な部類の人間なので囚人は嫌そうな顔になる。
「……世間話をしたくて来た訳じゃないだろうし、俺もお前ら軍人なんかとしたくはない。
それで、何を聞きたいんだ?もちろん依頼主の事は喋るつもりは全く無いがな」
「ふむ、それは残念であるな。おぬしの様な職種の話にも興味があったのだが」
その言葉を聞いた囚人が話題を変えて良かったと、心底から思っているのが、その顔からもありありと窺えた。
「まあよい。この度、ここまで足を運んだのは、おぬしが生きているうちに色々と話をしたかったのだ」
「……ふっ、処刑がこれ程早く決まるとは思っていなかったぜ。
まあ、王族連中を狙ったのだから当然かもしれないが」
一瞬暗い表情に変わったかもしれないが、すぐに口元を歪めて自嘲するかのような表情になった囚人は、自らの結末に満足はしていないが納得しているようであった。それを見た軍人は感心したような顔になって息を吐く。
「落ち着いておるのだな。死が目前に迫っていても恐れんとは」
「……ふん。こんな仕事をしていれば、いつかはこういう日が来るんじゃないかと思ってたさ。
今更、恐れるなんて無様な格好は晒すものか」
その言葉を聞きながら感心する視線を向けてくる軍人に、居心地の悪さを感じる囚人だったが、避け得ない人生の終わりを知らされて諦観の境地に達したらしく、落ち着いた表情に変わっていた。
「ふむ、とはいえ、まだ処刑は決定しておらんのだがな」
「……おいっ!……はぁ、確かに処刑の話は出ていなかったが、あの言い方じゃそう思うだろうが」
「ふむ、すまん。現状、おぬしの処刑をすぐに行えと言っておるのは少数の貴族だけだからな。
我ら軍部などはしばらく様子を見てからが良いと主張しておる」
「……ふっ、軍人のくせに甘い事だな」
「ふむ、おぬしは考え違いをしておるようだ。我らは処刑せずに尋問を続ける事を望んでおる。
つまり、すぐに楽にはさせないと言っておるのだ。この意味は分かるな?」
「……ちっ、尋問という名の拷問を続けようって事か。さすがは軍人だ、反吐が出るぜ」
心底嫌そうな顔で吐き捨てた囚人に、さも困った様子で軍人は頷く。
「うむ、そういう事だから、一部の貴族の主張には困っておる。まったくあやつらは……」
少数の貴族の言葉だけで困らせられている軍人をいい気味だと思いつつ、その貴族にふと興味を覚えたらしい囚人は口を開く。
「……ところで、その貴族ってのはどこのどなたさんなんだ?」
「ふむ、万が一おぬしが脱獄した場合に問題になりそうであるが……」
「……この状態から逃げられるとでも思ってるのか?いいから教えてくれたっていいだろう。
俺の運命を決める事柄なんだ。たとえそれが死であっても、拷問からは救われるからな」
「ふぅ、そこまで言うのならば教えるが、他言無用であるぞ。
どこかにこの情報が漏れた場合、死よりも辛い運命が待っている事を忘れるな」
「……誰に伝えるって言うんだ。ほら、さっさと教えてくれ」
「うむ、主な貴族は……」
次々と挙げられる名前を聞いていた囚人は、ある貴族の名前を聞いた場合だけ分かり難いが他と異なる反応をしていた。それは囚人本人も気付かない僅かなものだったが、軍人は思惑通りに事が運んで内心喝采を上げていた。態度を全く変えない軍人からは、自分の小さな失敗を思い起こすきっかけを得る事は囚人には出来なかったようだ。
「ふむ、今回は何も得る事が無かったが、次来る時には多少話してくれると助かるのだがな」
「……ふっ、残念だが何度来ても無駄足になると思うがな」
「ふっ、そうでもなかったがな」
「……ん?何か言ったか?」
「いや、何も言ってはおらんよ」
不思議そうな顔で自分の顔を見る囚人の様子に、最後まで変わらない態度のまま軍人は来た方向へと身体を向けて足を踏み出す。
「では、またな」
「……もう来るな。俺は軍人が嫌いなんだよ」
その言葉に何も返さず、手を上げて別れの挨拶とした軍人は、自らの言葉と反して二度とこの場所へ囚人との面会には訪れる事は無かった。
タッタッタッ
牢獄の不快な空気の中から脱出した軍人が、新鮮な空気を求めて深呼吸をしていると、背後から軽い足取りで駆けて来る足音が聞こえて来る。その足音の主の目的地は、軍人の下だったらしく、一直線に近付いてきて、振り返った軍人の目の前にピタッと立ち止まった。
「ここに居られましたか、隊長」
「ふむ、何か進展があったか?副隊長」
「はい。かの人物を重要参考人として招いています。時間が限られておりますので、お急ぎ下さい」
「うむ、心得た。案内頼むぞ」
「はっ」
軍人を隊長と呼んだのは、隊長と呼ばれた者よりも年齢は上に見える金髪碧眼の人物で、同じ隊の副隊長らしく同じ格好をしており、人物の特定は難しそうであった。敬礼をして早足に進み出した副隊長に続いて、隊長も変わらぬ態度で後を追いかけるが、その目は物事が思惑通りに進んでいる事に満足そうな光を見せていた。
牢獄が有ったのは軍の施設だったらしく、その建物内には軍服を着た人間が忙しそうに働いていた。二人は人目を避けるように裏口から敷地を出ると、そのまま王都の城壁に向かって歩き出す。しばらく細く入り組んだ道を進んで行ったところで、副隊長は周囲と同じ薄汚れた建物の一つへと近付く。
トントン、トン、トントントン、トン
決められたパターンのノックを扉へ行うと、それと同じ調子で建物内部からノックが返ってくる。直後に扉に付いている覗き穴がこちらの顔を確認するように開き、二人が待ち人だと分かったらしく、すぐに扉が開いたので周囲に人が居ない事を確認した二人は素早く中に入った。そこに居た二人と同じ格好をしている者、おそらくは見張りを命じられた同じ隊の隊員に頷くと、副隊長に案内されて建物の奥へと向かう。奥の部屋には地下へと向かう階段が黒い口を開けており、そこへと降りていく副隊長に続いて隊長も下へと降りる。そこにも隊員が数人立って何かを囲んでいたが、二人の登場に気付いた全員が敬礼をしてくる。それに返礼した二人は、隊員が囲んでいたモノへと視線を向ける。そこには椅子に座らされて後ろ手に縛られた一人の男性が居た。男性の顔には恐怖が浮かんでおり、猿轡もしていないのに声を出そうとしていない理由は、一人の隊員が抜身の長剣を肩に載せているせいだろう。
「っ!?」
新たに現れた自分よりも若く見える隊長が進み出てくると、男性は黙っているのも限界だったらしく恐怖や怒りで溜まっていた不満をぶつけようとするが、肩に載せられていた長剣を目の前に出されて慌てて口を閉じる。隊長は長剣を持つ隊員に視線でやめるように示し、長剣が鞘に収められるのを確認してから口を開いた。
「王族の馬車を崩したのはおぬしだな?」
「っ!?しっ、知らないっ、私は何もしていない」
その言葉に目を見開いた男性は、否定の言葉を口に出して、勢い良く首を振る。周囲の視線を避けるように視線をうろうろさせながら額に汗を浮かべるその様子は、その言葉が嘘である事がその場に居る誰にでも分かってしまうほどであった。
「ふむ、おぬしは勘違いをしておる」
「か、勘違い?」
「うむ、勘違いである。
おぬしがやったという事は決定事項であり、我らは最終確認の為に話を訊いているだけなのだ」
「なっ、そんな乱暴な……」
「残念ながら、あの時おぬしが馬車から逃げて行くのを、余が自ら見ておるのでな」
黙り込んでしまった男性を気にする事も無く、隊長は会話を続ける。
「黙秘しても、おぬしが自由になる事は無いぞ。何日かかっても、我らはいくらでも付き合ってやろう」
「それは困るっ!私が戻らなかったら……」
急に顔を青褪めさせた男性の様子に、隊長は何かを考えるようなそぶりをしてから口を開く。
「今回、王達を狙った刺客の依頼主なのだが、何人かの貴族が疑わしいと思っておる」
続けて数人の貴族の名前を口に出していくと、男性がある貴族の名前を聞いたところで、先程会ってきた囚人と似たような反応を見せる。その反応に確信を得た隊長は、男性が落ち着く前に言葉を続ける。
「ところで、おぬしの主は誰なのだ?おそらく、いずれかの貴族の従者であろうが」
その質問に、もはや青を通り越して白くなった顔で口を開閉するが、男性改め貴族の従者の口からは答えは出てこなく、その表情は苦悩に歪んでいた。
「もし、素直に何もかもを話すのならば、おぬしの頭を悩ませる何事かに我らの力を貸してやろう」
「っ!?」
その言葉に知らずに俯いていた従者は、バッという勢いで顔を上げて隊長の顔を凝視する。その視線に応えて頷いた隊長を見た従者は、しばらく逡巡した後、苦渋の決断をするかのように苦しそうな顔で隊長へと頷く。それを確認した隊長は、隊員に従者を椅子に縛り付けている縄を解かせてから口を開いた。
「ふむ、近しい者でも囚われておるのか?」
「何故それをっ!?そこまで分かっていたのか……」
「そうではない。ただ、このような時には大抵が似た状況である事が多いのだ」
「そうか……それなら話は早い。私の妻と娘が人質になっているんだ。
それだけじゃなく、毎日決められた時間に私が屋敷に戻らなければ二人は……」
力無く肩を落とす従者の姿を見ながら、隊長はこれからの対策を考え始める。隊長は絶対の信頼を向けられているらしく、隊員達は何も言わずにその決定を待つ体勢のようである。少しして考えがまとまったらしい隊長は、従者へと改めて声を掛ける。
「捕らえられている場所は分かっておるのか?」
「……ん?いや、分からない。屋敷の中は全て見て回ったが、どこにも居なかったんだ」
「ふむ、そうなると面倒な事になってくるな……近くに別荘などは無いのか?」
「別荘なら王都から早馬に乗っても1日半かかる距離に一つ。他にも各地に有るが、何日も掛かる」
「ふむ、おぬしに毎日屋敷に戻れと言いつけるならば、その近場のものが有力かもしれぬな」
「そうかもしれないが、別荘とは限らないんじゃないか?王都のどこかかもしれない」
「うむ、その可能性はあるが、何日も隠すならば別荘の方が安全ではあるな。
調べるとしたらあまり候補を増やすのは得策ではないが……ふむ、こうしよう。
おぬしは今迄通りの生活をしながら、最近屋敷に出入りするようになった者を我らに報せるのだ。
我らは別荘の調査を行いつつ、おぬしが報せる者について調べよう」
「わかった、言うとおりにする。だから妻と娘を助けてくれっ」
「うむ、心得た。おぬしが家族と無事に再会出来るよう力を尽くそうではないか。
心配だとは思うが、我らに任せて無茶をするでないぞ。おぬしも危険である事には変わりないのだ。
副隊長、この者との打ち合わせはおぬしに任せる」
「はっ、報告は今夜致します」
「うむ、では余は一度戻る。何かあればすぐに連絡をするのだぞ」
最後に従者に一度頷いた隊長は、敬礼する隊員達に見送られながらその場を後にする。このまま上手く事が運び、何の罪も無い従者の家族や無関係の民が血を流す事態にならない事を祈っていた。
そこは立派な造りをした屋敷の一室で、閉ざされたカーテンから漏れる陽光だけが光源になっているので、室内に居る人間の顔は分かり難いのだが、そこに居る二人分の人影は気にする事も無くそのまま会話を行っていた。一人は沈み込む身体を優しく受け止めるソファに座った恰幅の良い四十代から五十代の貴族の男で、もう一人はその貴族の前の床に跪いて頭を垂れている貴族の配下らしき細身の三十代の男である。かろうじて判別できる二人の表情は、随分深刻そうな様子であった。
「くそっ!忌々しい蛮族めがっ」
ソファに座り目を血走らせながら罵る言葉に、跪く男の頭が益々下がり、主人の怒りが自分に飛び火しない事を祈りながら、苦々しげな声で謝罪の言葉が発せられる。『蛮族』とは、隣国を蔑視している者達が使う差別用語である。
「申し訳ありません。
腕の立つ者を雇ったのですが、それを上回る力量の護衛を連れてくるとは誤算でした」
「誤算で済むかっ!自由に動かせる駒を作ったというのに、ここには役立たずしかおらんのか?」
ゴミを見るような、嫌な表情に顔を歪めている主人の言葉に、様々な感情を押し殺しながら再び謝罪の言葉を口に出す。
「……申し訳ありません」
「それにしても、あの護衛、遠目であったがどこかで見たような顔だと思うのだが……」
「オルフィエルド学院の生徒らしいですが、お知り合いですか?」
「いや、そのような場所に知人は居らんはずだ。まあ、気のせいだろう。
しかし、こうなってくるとあの計画も念頭に置かねばならないだろうな」
「お言葉ですが、あれは危険です。確かに警備の穴を利用出来ますが……」
「黙っていろ。相手が屋敷に居る時は警備が厚過ぎて手が出せん。オルフィエルドの学院なら尚更だ。
もしかしたら、次の週末のあれが最後のチャンスかもしれぬ」
「……わかりました。週末に向けて我らも全力で動きましょう」
「失敗すれば全てを失うのだ。お前達も後の事を考えずに命懸けで動く事だな」
「はっ」
自分を見下ろす主人の声に苛立ちが混じり、おそらく替えの効くモノを見る目になっているだろうと容易に察せられたので、そのまま目を合わせずに頭を下げたままでいると、すぐに興味を失ったように顔を背けた主人に退室を命じられる。音を立て無いように注意しながら退室した男は、顔に悲壮感を漂わせながら週末の計画を練る為に部下の待つ部屋へと向かって行った。
週末に向けて別荘と、屋敷の出入りの者を調査していた副隊長達の報告を受けた隊長は、これからの部隊の方針を軍の施設の一室で一人考えていた。予想通りに一番近い別荘に主人の貴族が居ないにも関わらず武装した複数の人間が滞在している事に加え、王都の屋敷を出入りする一部の人間が傭兵らしき人間達と頻繁に接触していたからである。部隊とはいえ隊員に余裕が有る訳でもなく、別荘への潜入で人質が本当にそこに捕らえられているのかを確認してからの方が、もし王都だった場合の保険になるが、別荘への往復が早馬でも三日位掛かると分かっているので、急がなければならなかった。
トントン
扉をノックして入室してきた副隊長は、隊長の悩んでいる様子を見てすこし考えてから口を開く。
「お悩みのようですね。人質の事は私に任せて、隊長は週末の方に集中なされては?」
その言葉に椅子に座って机に頬杖を突いて考えていた隊長は、顔を上げて副隊長に視線を向ける。
「いや、余自らがあの者に約束したのであるから、自らの手で救ってやりたいのだ」
「なるほど。隊長らしいですね」
「うむ、しかし時間が無いのも事実。どのようにすれば、より良い結果を得る事が出来るか……」
真面目な顔で一生懸命考える隊長の様子に、副隊長は思わず笑みを浮かべていた。それに気付いて訝しげな顔になった隊長の問い掛ける視線に、副隊長は頭を下げてから表情を改める。
「申し訳ありません。馬鹿にした訳ではありませんよ。
私より若く経験が少なくとも、より良い結果を求める隊長の直向きな様子に感心していたのです」
「ふむ、若輩で経験が足りていないのは事実であるから気にする事は無い。
だからこそ、何事にも直向きに対処していかねばならぬのだ。
それに、我ら貴族にとって、弱き者を助けるのは義務でもある」
「さすがは隊長です。貴人としての心得をきちんと実践しているのですね」
「うむ、余の立場からすれば、当然の事であるからな」
会話を挟んで気分転換にもなったらしく、隊長の表情から悩みが消えていた。
「考えがまとまりましたか?」
「うむ、いつも気遣い感謝しておるぞ。
余は別荘へと赴く事にしよう。こちらの事はおぬしに全て任せる」
「はっ、引き続き人質が居ないか調査を行い、加えて黒幕の計画も調査を続行します」
「うむ、頼りにしておるぞ」
敬礼する副隊長に頷いて応えた隊長は、細かい打ち合わせを行いながら、部隊の集まっている場所へと向かって行く。その表情は決定した方針への強い意志と、絶対に助けるという決意で引き締められていた。
部隊と合流した二人は、精鋭の揃った隊員の中でも腕の立つ者を選んで別荘への救出班を作る。人質が居ても居なくても、人質の安全の為に別荘からは一人も逃がせない為、場合によっては命のやり取りをしなければならない。その覚悟があるかの意思確認をしてメンバーを決定した隊長は、王都に残る副隊長以下隊員へと視線を向ける。
「王都に残る班は引き続き調査を行ってもらう。
週末まで日にちを有効に使い、焦らず確実に任務に就いてくれ」
「はっ、隊長達もお気を付けて。新たな情報が入り次第ご連絡致します」
「うむ、頼む。皆も必要が無ければ命の危険を冒すことはならんぞ」
「「はっ」」
全員揃って敬礼をしながら了解の声を上げる様子を満足そうに見た隊長は、そのまま救出班を連れて厩舎へと移動すると、すでに暗くなっている夜の王都を出発した。
馬を飛ばして街道を夜通し東進した救出班は、休憩を挟みつつ、目立たない様に明るい時間帯は街道を逸れて進んでいた。1日半の予定通りに別荘を窺える森へと到着した一行は、こちらで調査を行っていた隊員と無事に合流する事が出来た。その隊員によると、相手はかろうじて救出班の人数で制圧出来そうな人数だったので、隊長は他の隊員達に見せないように内心安堵しつつ、これからの作戦を練る。
「済まぬが、おぬしには引き続き別荘の見張りを頼む。
救出班は暗くなるまで休憩を取り、偵察を潜入させて人質の位置を確認後、払暁に急襲する」
「「はっ」」
敬礼をした隊員達に解散を伝えると、それぞれ思い思いの場所へと移動して休憩を取り始める。その様子を見ながら、作戦の成功が一連の事件の解決に繋がるのだと、希望を込めて決意を改めていた。
休憩しているうちに時間はあっという間に過ぎて陽が落ち周囲は夜の闇に閉ざされていた。発見されないように明かりを灯せない中、月明かりを頼りに軍服から黒装束に着替えた一行は、隊員の中で一番身軽で気配を消すのが上手い者を選び、黒装束を更に全身真っ黒で目元意外が見えない格好にさせていた。
「おぬしの力量は信頼しておる。だが、無茶はするな。払暁までまだ時間はあるのでな」
「はっ、ご信頼に応えさせて頂きます」
「うむ、では頼むぞ」
「はっ」
敬礼をした隊員は、足音も立てずに速やかに視界から消える。その動きと気配の消し方は、見事としか言えず、それ程距離は離れていないにも関わらず、その姿を捉え直す事は出来そうも無かった。見送った全員が楽な姿勢で別荘の有る方向を窺う。別荘の窓から漏れる複数の灯りが揺れ動き、確かに主人が訪れていないにも関わらず複数の人間がそこに居る事が分かった。その様子を見ながら、何かあればそれらの灯りの動きですぐに察する事が出来そうだと思った隊長は、余計な力を抜きながら過ぎていく時間に身を置いていた。
「戻りました」
予想よりも早く帰還の言葉が聞こえてきた方向へ、一同が驚きの表情で視線を向けると、いつの間に戻ってきていたのか、忽然と現れたかの様な隊員の姿を認めて、その場の全員が声を上げそうになる。逸早く平常心に戻った隊長は、現れた隊員へと向けた顔に苦笑を浮かべる。
「うむ、見事だ、と言いたいところであるが、仲間を驚かせてどうするのだ」
「申し訳ありません。皆の気が抜けていると感じましたので、つい」
「ふっ、まあ良い。それで、どうだったのだ?」
「はっ、確かに従者の家族らしき女性と子供が監禁されておりました」
「おぉ、良くやった。それで、様子はどうなのだ?」
「ありがとうございます。特に目立った怪我などは見受けられませんでした。
無力な女子供という事で、食事以外は部屋に閉じ込めてほったらかしているようです」
「ふむ、それは好都合というものだな。よし、計画通りに行動する事にしよう。
それぞれ受け持ちの相手を必ず拘束もしくは処理するように。
おぬしは余を人質の居る場所まで案内せよ。
払暁を待ち、目標を制圧する。各々全力を尽くせ。以上、時間まで解散っ」
「「はっ」」
闇に慣れた目で全員の顔を見ながらの隊長の言葉に、引き締まった顔になった隊員全員が小さいながらも力強く了解の声を上げる。その様子に満足した隊長は、口元に薄く笑みを浮かべていた。
払暁になり、薄っすらと空が明るくなってきたところで全員を整列させると、隊長は無言で頷き、片手を上げると別荘に向けて振り下ろした。その合図と同時に全員が静かに、かつ速やかに別荘へと突入し始めた。逃亡する者に備えて少し距離を置いて馬と待機する隊員と、出入り口を固める隊員を残して突入すると、隊長は潜入した隊員に案内されて人質の居る部屋へと急ぐ。それ以外の場所は、寝惚けて頭の鈍くなっている者達をほとんど無抵抗で拘束していったので隊員の中で怪我を受けた者はわずかであった。人質の部屋の前にはさすがに起きている見張りが居たが、この時間は起きていても頭の働きが鈍る事に加えて一人しか居なかったので、あっさりと無力化に成功した。
カチャリ
見張りを隊員に任せて部屋に隊長が入ると、人質の二人は物音にも気付かずに寝たままだった。室内に見張りが居ない事に安堵した隊長は、速やかに王都に戻らなくてはならない為、申し訳なく思いつつも二人を起こす為にベッドに近付く。
「おい、起きてくれ。寝ているところ済まぬが、我らは急いでおるのだ」
「……ん」
「起きたか?むむ、まだか」
声に反応したかと思ったが、娘を抱いた婦人はそのまま眠り続ける。人質になってからの心労や疲労で、寝起きが悪くなっているらしく、それを思った隊長は顔を曇らせるが、こちらも時間に余裕が有る訳ではないので今度は肩を揺らして声を掛ける。
「おい、起きてくれ」
「……んぅ?っ!?キャーーーッ!嫌っ、やめてっ」
今度は起きてくれたが、何かを勘違いしたらしく、肩を揺する隊長の手を叩いて後退り、未だに寝ている娘を庇うように抱き締める。
「おい、勘違いするでない。我らはおぬしの夫に頼まれ、おぬし達を救いに来たのだ。
こらっ、いいかげんに目を覚ませっ」
枕を投げつけられた隊長は、声に力を込めて婦人を落ち着かせようとする。
「嫌っ、来ないでっ……えっ?助け?あの人に頼まれて?……」
「うむ、そういう事だ。やっと落ち着いてくれたか」
「ここから出られるの?それにあの人は無事なんですか?」
「うむ、安心するが良い。それと、話はここを出て王都に向かいながらでも良いだろう」
「はい、わかりました。ごめんなさい、助けてくれたのに失礼な事を……」
「気にするな。そなたの立場ならば仕方がないのだからな」
落ち着いてくれた婦人の様子に隊長が安堵していると、扉が開いて隊員の一人が部屋へと入ってくる。一瞬ビクリとした婦人に、大丈夫だと身振りで示してから隊員へと視線を向ける。
「どうした?何事か不測の事態でも起きたか?」
「いえ、無事に全員を拘束したのでご報告に。こちらの被害は掠り傷程度です」
「うむ、良くやった。余は婦人達を連れてすぐに王都に向かう。
付いて来るのは少数で、残りは拘束した者を王都まで連行せよ」
「はっ、こちらで人員は振り分けます。ところで、そちらはどうやって連れて行かれるのですか?」
「む、馬には乗れ……そうもないな。ここには馬車などは用意されてはおらぬか?」
「おそらくは予備の物が用意されていると思います。すぐに調べますのでお待ちを」
「うむ、頼んだ」
隊長に一礼をして下がった隊員は、すぐに戻ってきて馬車の用意をしていると伝えてくる。それに頷いた隊長は、婦人達を連れそのままその隊員に案内されて馬車に乗り込むと、馬に乗った隊員に警護されながらもう一人の隊員に御者を任せて別荘を出発した。気持ち良さげに寝たままの娘を見詰めながらホッとして表情も明るくなった婦人の様子を眺め、これで良い方向へと事態が進んで行くに違いないと思う隊長であった。
帰りは馬車だったので少し時間がかかったが、週末前日に王都に戻る事が出来た隊長は、速やかに従者を保護して軍の施設へと匿う。家族と再会出来た従者や婦人達が涙を流して喜んでいる様子を見ながら、隊長は義務を果たせて安堵しつつ、明日が本番であると気持ちを切り替え表情を引き締めていた。
明日の計画の為に傭兵達と計画を話し合ってきた男は、憂鬱そうな顔で主人である貴族の屋敷を見上げていた。何でもやりそうな傭兵は性質の悪い者が多く、その相手をしているだけでも気が滅入ってしまったからだ。それでも計画には必要な人材である為、高い報酬をちらつかせつつ、離反しない様に機嫌を窺うのは、自分も貴族の血を引いている男にとっては苦痛であった。事を成した暁には、全員始末してしまおうと決心してひとまず溜飲を下げていたが、別荘からの定期連絡がいつまで経っても届かない事で、また違う不安を感じる。向こうに居る部下達も自分と同じく、貴族の血を引いているが大した役職にも就けないで燻っていた者達なので、少々いい加減なところがあり、定期連絡も忘れているのだろうと思っていたが、明日が計画の実行日というこのタイミングなので余計に胸騒ぎを覚えていた。もう戻れないところまで来ているので、首を振って悪い考えを追い出すと、連絡を受ける事を諦めて屋敷へと入って行った。
週末の早朝、軍部の施設の一室で副隊長から留守にしていた間の報告を受けていた隊長は、予想通り今日の催しで何事かを計画していると確信していた。保護した従者の仕えていた貴族の屋敷を出入りしている者が、多くの傭兵、但し報酬次第で何でもやるような者達と接触しており、その傭兵達の羽振りの良さから手付金だけでも依頼の難度が高い事が察せられ、例えば狙いが隣国の王族であってもおかしくないと想像出来たからである。一時は別荘で捕らえた者達を使って黒幕の貴族を捕らえようと考えていたが、部下が勝手にやった事だと白を切られたら再び同じ様な事が行われてしまいそうだと判断して中止した。ここまできたら更なる証拠を掴む為にも、今回の計画を未然に防ぐのではなく、実行させつつも殺害を阻止する方向へと決断する。隣国の人間を囮に使う非情な決定であったが、最悪の結果には絶対にならないと確信する事が出来るからであった。
「本当に良いのですか?隊長」
「うむ、大丈夫だ。余は全く心配しておらぬ」
「確かに先日の襲撃を撃退したのは見事でしたが……」
「ふむ、余はあやつの凄さを知っておるからな。
もし、あやつを信じられぬのならば、あやつを信じる余を信じるが良い」
その言葉で絶大の信頼を寄せている事が感じられた副隊長ではあったが、感心すると共に、敬愛する自分の上司の信頼の高さに嫉妬の様な感情を感じていた。
「羨ましいですね、そこまで隊長から信頼されているとは」
「ふむ、とはいえ、あやつは部下ではないからな。おぬし達に寄せている信頼とは別物なのだ」
「はっ、ありがたき幸せ。青臭いことを聞かせてしまい、申し訳ありません」
「いや、その気持ちは嬉しく思う。これからも余を助けてくれ、副隊長」
「はっ、力の限りお使え致します」
敬礼して下がる副隊長を見送った隊長は、今夜に起きるであろう様々の事を思って心身ともに引き締まる思いであった。
「皆の無事を祈るだけだな……」
そう呟く隊長の脳裏には、友人や隊員達の顔が浮かんでは消えていた。
今夜は城で同盟成立を祝したパーティが行われる。この国の重要な人物がたくさん集まるので、城の色々な場所で警備の薄い場所も出来てしまう。それを狙って襲撃を企てているらしい者達から、狙われた人物を無事に護れるのだろうか。今回不在の主人公は見事に活躍してくれるのだろうか。
楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰えるように頑張ります。




