見回り
保釈中の容疑者を、どう扱うか。という話を、見回りのあいだじゅう、ボルダーがしていた。
「結局、顧問扱いで落ち着いたらしいっす。罪状が固まるまでは、って条件付きで」ボルダーは歩きながら手帳を繰った。「ゴーレムを数千体、ひと息で作ったっていうチート魔法。あれが上にバレたんすよ。今度は警視庁が放っておかないってなって」
タダノフは黙って歩いた。蜂蜜売りの娘が一晩で軍隊を建てたのだから、上が色めき立つのも道理ではあった。
「身元保護者まで立つそうっす。大魔導の、フードル警部。あの人が自分から手を挙げたとか」
その名で、タダノフの足が、ほんの半歩だけ遅れた。理由は、自分でも言えなかった。
「……知ってる人すか?」
「いや」
知らない男だった。評判のいい男だ、とだけ聞いている。それ以上は、何もない。何もないのが、なぜか引っかかった。──気のせいだ。彼はそう片づけた。
路地の奥で、笛が鳴った。
続いて、複数。短く、規則正しく。魔導警察の手入れの合図だった。
角を曲がると、表通りの一本裏が、もう現場になっていた。
地を蹴って跳ぶ者、屋根へ駆け上がる者、地面に這いつくばって取り押さえられる者。
安物の魔力が四方に弾けて、夜目にもちかちかと散っていた。
「たぶんあれは、闇バイトっすね」ボルダーは喋りながら、逃げかけたゴブリンの襟首を見もせずに掴んだ。「最近多いんすよ、匿名の運び屋」
群れには、層があった。
空と屋根は、飛べる者たちのものだった。イカロス、烏天狗、下級のジン。地下へ潜るのは獣人。そして地べたには、ヒップホップゴブリンの一団が、てんでに喚きながら右往左往していた。街の上と下を、はみ出し者たちが握っている。警察に押さえられるのは、まんなかだけだ。
「飛ぶやつを先に!」現場の警官が叫んだ。「ゴブリンはどうとでもなる、風ガキを追え!」
その声どおり、地べたのゴブリンたちは、わあわあ言いながらひとまとめにされていった。
雑魚モンスターだ。ボルダーは片腕に二人ずつ、米袋のように抱えていった。飛べる者だけが、空へ逃れていく。
追う警官も、飛んだ。屋根から屋根へ。空の追いかけっこは、いつまでも決着がつかなかった。
逃げる側も、それは承知していた。だから子どもらは、頃合いを計って跳ぶ。
あちこちの屋根で空間が裂け、一人、また一人と、その場から掻き消えた。ワープだ。だが、タダノフは追わなかった。
「いいんすか、消えてくっすよ」
「ワープは後から痕跡を追う事ができる」タダノフは言った。「お前も見ておけ」
飛び方の上手い者を見極め、タダノフは数人の背へ、小さなファイアボールを放った。指先ほどの大きさ。詠唱はない。豪速の種火が、痩せた肩へ、つぎはぎの羽根の根もとへ、一つずつ吸い込まれて──どれも、弾けなかった。
少年たちは、次々と飛んで逃げていく。
「あれ、当てなかったっすか?」
「いいや、あれでいい」
ワープは、地面に残る魔力の濃さで、跳んだ距離を予測することができる。
どの向きへ跳んだかまでは、わからない。
だが降りた先は、その距離ぶんの円の上に、必ずある。
さらに、ゲートの入口の魔力痕と、出口の魔力痕は、必ずぴたりと一致する。
円の上で一致する魔力痕を探し当てれば、そこが相手の逃走経路だ。
普通に跳ぶ限り、消えはしない。
だが、相手もそんな警察の捜査基準など、すでに承知なのだった。
子どもらが、最後の賭けに出た。
いくつもの背が、申し合わせたように真上へ撥ねる。
真上だ。
屋根を蹴り、夜空へ飛び上がりざま、頭上へ穴をこじ開けた。
地面でなく、空へ向かって開いたゲート。出口の見えない跳び方──空向きワープだ。
出口が空に向いて開くため、地面に痕跡が残らない。
地面に残るワープゲートの魔力痕を追跡することを逆手に取った、追跡回避手段だった。
だが、危ない技だった。
空に向かってワープゲートが開くということは、そのゲートの向こうに見えるのは、空だ。その先の地面は、見えない。しかし、慎重に通り抜けることはできない。勢いが足りなければ、開いた穴を通過しきれず、落ちる。
現に、子どもたちの半分は仕損じていた。
夜のあちこちで、鈍い音が続いた。
跳びそこねた子らが、見えない床へ放り出される音だ。
少し先の路上に、腰を抜かしてうずくまる影。屋根の斜面を転げ落ち、足を抱えたまま動けない影。
痕も残さず消えるはずの跳躍は、その何人かには、ただの墜落だった。待ち構えていた風使いの警官が、地に落ちた子らへ、わらわらと寄っていく。
それでも、巧い子は巧い。
残りの幾人かは、寸分の狂いもなく夜へ吸い込まれた。痕ひとつ残さず。
「うわ、消えたっす」ボルダーが天を仰いだ。「あれ、もう追えないんじゃ──」
「いや、そうでもない」
タダノフは、片手を、ゆるく握った。
夜空が、いくつも白く明るんだ。
打ち上がった火の玉が、街の上のあちこちで小さくひらき、ぶら下がるように燃えて、屋根を、路地を、点々と照らし出す。
先ほど放ったファイアボールを、信号弾のように空に打ち上げたのだった。
タダノフが羽根の根もとに投げつけた種火が、それぞれの出口で弾け、空へ昇ったのだ。
消えたはずの子らが、自分でも知らぬまに、自分の降りた先へ、灯りを一つずつ吊るしていた。
「一度ワープを発動してしまうと、魔力を消費しすぎて、満足に飛べなくなる。そこを狙うのが格段に楽だ」
「さすが、タダノフさんっす……」ボルダーが息を呑んだ。「ファイアボールを極めてる」
警官隊が、灯りを目印に散っていく。逃げ切れるはずだった子らが、一人、また一人と、追い立てられていった。
タダノフは、いちばん近い一つ──すぐ先の低い屋根に点った灯りへ、ゆっくり歩いていった。その下で、跳びおりたばかりの痩せた背が、肩で息をしている。
その背に声をかけようとして、あと一歩。
「仕事熱心なのはいいけどさ、もう少し手をぬいたら?」
声は、灯りの脇から落ちてきた。
低い屋根の縁に、女が一人、足を投げ出して腰かけていた。
ダークエルフ。仕立てのいい外套を夜風になぶらせ、こちらを見下ろして笑っている。
手の中で、白い火が一つ、行儀よく回っていた。場違いなほど品のいい火だった。
「イマノワ」
「その撃ち方、ひさしぶりに見たよ」女は空の灯りを顎で示した。「頭が回るのは、相変わらずだね。──でもさ、弱い者いじめみたいな真似は、やめなよ」
「……闇バイトの運び屋だ。法に触れている」タダノフは言った。
「闇バイトしか、残ってないからさ」イマノワは、空に点る灯りの群れを見回した。「風魔法使いにできる仕事なんて、大昔から運送業くらいだよ。けれど正規の便は、運送ギルドが根こそぎ握ってる。身元のない子も、外様も、年少も、門前払いだ。翼があったって、まっとうな食い扶持は回ってこない。──飛べる子を先に締め出しといて、こぼれた子だけ灯りで炙るのは、順番が逆だろ、刑事さん」
義理でも、人情でもない。庇うつもりもないらしかった。ただ、無一文の子どもを灯りで炙って追い回す律儀さが、この女には、ひどく無粋に映る。それだけのことだった。
その一瞬、タダノフの足が止まった。止まってしまった。
少年は、それを見ていた。逃げ足の速い子は、隙にも速い。痩せた背は、もう屋根の縁を蹴っている。
「足を洗いな」イマノワが、駆けていく少年へ言った。「大人と揉めたら来な」
忠告か、せんべつか。受け取ったかどうかも見えぬうちに、少年は夜へ紛れた。
「……何をしに来たんだ」
「頭の固い刑事さんをからかいに来ただけ」イマノワは立ち上がり、外套の裾を払った。「一人くらい、見逃しときな。そのほうが、刑事さんの寝覚めもいいだろ。──じゃあね」
白い火が、ふっと消えた。次に屋根の縁へ目をやったときには、もう女の背中はなかった。
あとには、街に点した灯りだけが、いくつも燃え残っていた。
タダノフが、自分の手で吊るした火だった。




