火除け地の城
署の大会議室に、緊急対策本部の札が下がった。
逃げたのは、軽犯罪法違反の初犯。本来なら、こんな部屋は立たない。
立った理由は、罪状ではなかった。
土魔法チートだ。
金がいらない。飯もいらない。水も寝床も、その場で生み出す。
買い物の記録も、宿帳も、何ひとつ残らない。
腹を空かせて出てくるのを待つ、が通じない。
足取りという足取りが、最初から存在しない逃亡者だった。
署の廊下には、逃走の足場に積み上げられた上物のハイポーションが、いまも山をなして残っている。
むろんこれらも薬機法違反だ。罪状だけが、逃げるたびに膨らんでいく。
ホワイトボードに、迷宮都市の地図が広げられた。
「もっとも厄介なのは、下水だ」地図の前の警官が言った。「無限に食料を作れるなら、潜って一生出てこない。そういう相手として捜すべきだ」
「待ってください」別の一人が、手元の綴りをめくった。「過去の事件簿に、転生者の行動傾向が残っています。──これまで確認された異世界転生者の傾向として、『冒険者登録をして世界を旅する』、『人里離れた場所でのんびりスローライフを送る』、『王族の寵愛を受けて囲われる』、といった、ストレスフリーな状況を好む傾向があります」
「――つまり?」
「プロファイリングによると、下水に潜伏するのは、たとえ可能であったとしても、選択しないと推測されます」
「では、どこだ」
「前例があるものだと、ダンジョン最深部の、コア付近に潜伏していたそうです。あの領域なら、誰も手を出せない。無限の食料があれば籠城が可能です」
「いや、大森林だ」別の一人が身を乗り出した。「エルフの守護する世界樹の根元。あそこも外敵を寄せつけん。ストレスフリーという条件にも合う」
「待て、それなら竜の棲む霊峰の頂も候補に入る。チート能力者なら、登り切るくらいは──」
「どこも、通常の人員では立ち入れんぞ」
「S級冒険者を、複数パーティ派遣する必要があります」
「直ちに街道を封鎖しろ、危険度の高い順から捜査線を──」
地図に、印が増えていく。
深層へ、辺境へ、人の手の届かない方へ。
誰もが、彼女を異世界転生者としてしか見ていなかった。
そのとき、それまで一言も発していなかった本部長が、受話器を置いて、口を開いた。
「たった今、一報が入った」会議室の全員が振り向いた。「火除け地に、城が建っているとの事だ」
誰も、言葉を返せなかった。
* * *
タダノフが火除け地に着いたとき、そこに城が建っていた。
防波堤のすぐ近く、街でいちばん広い更地だった。
モンスターの氾濫を止めるために空けてある。万一を恐れて、誰も建てない場所。
その真ん中に、巨大な石造りの城塞がそびえていた。
城壁の上には、完全武装のゴーレムたちが、隙間なく並んでいる。
最強の、土の軍団。
辺境へ送られるはずだったSランクパーティまでが、結局この更地へ呼び出され、攻めあぐねていた。
城壁の上のほうから、半泣きの異世界転生者が警官たちを見下ろしていた。
城門の前には、ゴーレムが一体だけ、警察の側へ歩み出ていた。
壁の上の武装ゴーレムとは、どこか違った。丸腰で、姿勢がよかった。
「早鐘さまからのご要求は、火除け地からの警察の撤退と、逃走車両のご準備です」
ゴーレムが喋った。警官たちがざわついた。
「お、落ち着きなさい!」地元の警官が、交渉人の頭ごしに城へメガホンを構えた。「まだ初犯だ、罰金だけで済むかもしれない! ……そう伝えてくれ!」
交渉人の腰で、トランシーバーが、キーンと鳴った。
『一本85円で蜂蜜を売ってた私が、どうやって二十万も払うって言うんですかー!』
全員に、聞こえていた。
「早鐘さまは、二十万円もの罰金をお支払いになる金銭的余裕がないと仰せです」
トランシーバーは、早鐘が生み出していたものだ。電池で動く、異世界の玩具だった。
発電も送電も知らない娘に作れるのはそこまでで、それでも、この世界の道具を掻き乱すには十分だった。
回避も妨害も追いつかない。警官たちの手には、もはや負えない相手だった。
「だめだ、説得にも応じない……いったい、どうすれば……」
「あっ……あれは、タダノフ刑事……!」
タダノフが駆けつけると、地元の警官たちが青ざめた。隣のボルダーだけが、平然と遠くを見ていた。
一人が、声をひそめて噂話をした。
「……誰だ?」
「……かつてガンダルフの暗殺を企てた男だ。そのためだけに、低級魔法のファイアボールを極限まで鍛え上げていた」
「……なんでそんな男が魔導士に」
タダノフは答えなかった。門前の交渉人を、見ていた。
「……こいつ、デピスまで作れるのか」
「デピスって、何すか」
「口をきくゴーレムだ。最上位の製法を使うと、ゴーレムでも言葉が使えるようになる。……本来は、ピグマリオンが何代もかけて焼くものだ」
それから城を見上げ、その魔力痕を読んだ。
『プロッター痕』という、魔力の痕跡の筋だ。
魔力中心に偏りがあるとき、物体の伸張方向にこすれたような跡がつく。
バーコードのような擦れた跡が、上から下まで、ほとんど全部つながっていた。継ぎ目が一切ない。休んだ跡がない。
たまに労働基準法のなかった古代の仕事でも見かける。
寝かせる間もなく、ひと息に城を建てている。
蜂蜜の瓶で見たものと、まったく同じ違和感があった。
本来なら血統が何代もかけて丁寧に積み上げる土の業を、この娘は素手でやってのける。
タダノフは息を吐くと、城壁の中を登るひとすじの線を見ていた。
どんな巨大な構造物にも、『作り始め』の一点がある。
すべての『プロッター痕』は、その一点に集中しており、ここに全ての重心がかかっている。
そして、投球に入った。
一発だった。
城が、内側から崩れた。轟音と土煙。Sランクパーティが身構え、警官が腕で顔を覆う。
門前で、交渉人が立ち尽くしていた。何も言わなかった。胸の核だけが、ぴこぴこと、忙しなく点滅していた。
煙が晴れたとき、瓦礫の中心に早鐘がいた。無傷だった。
複数のゴーレムが、身を挺して彼女を崩落から守ってくれていた。
「なんだ……今の魔法は……」警官が呆然と言った。
「……今のは」タダノフは火球の余熱を握り消した。「ただのファイアボールだ」
彼は瓦礫を踏んで、ゴーレムたちに守られている娘を迎えに行った。




