ファイアボール・キリング
海は、目の前にあった。
少年は毎日、浜に立って、沖へ向けてファイアボールを撃った。
朝に三十発。夕に三十発。火はまっすぐに飛び、水面の上で燃え尽きた。澄んだ、橙色の火だった。
「魔法学校に行きなさい。お前の火は、まっすぐで美しい」
いつか、同じ海を見に来た大魔法使いは、そう言った。
少年はその言葉を、覚えていた。
それが英雄ガンダルフで、半島を消し去った男だったと知ったのは、もう少し後だった。
魔法学校に入った。
図書館の机に、彼は本を積んだ。積まれる本は、年ごとに変わった。初めは火の教本だった。それから、土の教本になった。それから、背表紙に題のない本になった。
高等魔法の免状は、魔法庁の台帳に載る。台帳に載った火は、監視される。
だから、初級魔法だけで、確実に命を奪う方法を探さなければならない。
そんなとき、ファイアボール部の部長、イマノワと出会った。
仲間が増え、ファイアボールだけで英雄ガンダルフを倒すための計画が、綿密に組まれていった。
浜には、通い続けた。撃つ先は沖から、流木を組んだ人形に変わっていた。火はまっすぐに飛んだ。色だけが、変わっていった。橙に、煤が混じった。煤は年ごとに増えた。やがて火は黒く、粘るように燃えた。
油の火だった。
その日、浜から戻ると、彼女が道に立っていた。
「もうお止めください」
故郷の工房の、最後の一体。焼きたてのパンの艶を持つ、ほとんど人と変わらない出で立ちの、高級ボノム。
彼女は、タダノフが毎日海で何をしているか、知っていた。
彼女は言った。それから、長く話した。
「まだ半島があった頃、あなたの故郷は人間の軍に踏まれていました。
戦争が始まると、魔王軍は、畑や台所のゴーレムにまで武器を持たせました。だから人間の軍は、ゴーレムを見つけ次第壊しました。戦うためのものも、そうでないものも。お父様の工房も、例外ではありませんでした」
「私は五歳のあなたを抱えて、工房を出ました。けれど軍に見つかり、脚を撃たれ、銃を向けられました。
――私は、壊されませんでした。
銃を構えた人間が、言ったのです。『この子には、まだ親が必要だ』と」
「私には、その言葉が分かりませんでした。私は、命じられた用を離れて、動いたことがありません。命令の外で人が動く理由を、私は、存じませんでした。長く考えて、こう解釈しました。私を残せば、あなたが生きる。私は、あなたを生かすための道具として、見逃されたのだと。あなたを生かすことが、私の存在する意味なのだと。
その解釈のまま、十年、間違えずに動いてきたつもりでした」
「半島を離れた私たちは、陸から、半島が消えるのを見ました。大陸では、誰も私を壊そうとはしませんでした。
あの日からあなたが海に向かって火を投げ続けていたことを、私は知っています。あなたの火が黒くなっていくのを、年ごとに見ました。見るたびに、あの言葉を口ずさみました。
親が、必要だ。――親とは、ただ生かす者のことでは、なかったのです」
「私は、あなたに、人の気持ちを教えてあげられませんでした。
私の命はタダノフ様に救われ、タダノフ様を助けるために残されたものです。お命じになるなら、いつでも差し出します。
けれど――お許しください。私は、あなたを失うのが怖い。あなたの火が黒く染まってゆくのが、怖いのです」
「どんなに夜遅く戻ってきても、構いません。私の知らないうちにピアスを開けていても、構いません。けれど、あなたのなさろうとしていることがどれほど偉大でも、お命をなげうつおつもりなら、私にはお止めすることしかできません。
もう復讐は、おやめください。タダノフ様。どうか、ご自愛ください」
彼は、何も言わなかった。
黙って彼女の横を通り、家に入った。
計画は、仕上げに入っていた。
経路。日取り。会場の図面。
残る障壁は、一つだった。
あのゴーレムは、必ず妨げる。
しかし、工程表の最後に、彼はその一行を載せなかった。
浜へ、彼女と出た。
本番と同じ距離を測る、と彼は言った。大会会場の、端から主賓席まで。彼女は、何も訊かなかった。
「……俺はここにいる。歩いていってくれ。あの岬まで」
彼女は歩いた。
ためらいは、一拍もなかった。歩調は変わらず、止まらず、砂の上の足跡は一直線だった。
姿が、小さくなった。指の幅ほどになった。波の音が、間のすべてを埋めた。
岬の手前で彼女は止まり、振り返った。
表情は、見えなかった。見えたのは、こちらへ向き直った輪郭と、胸の奥の、小さな灯だけだった。
彼は、撃った。
火は、まっすぐに飛んだ。
一発だった。
あとには、波の音だけが残った。
* * *
店の中は、静かだった。
早鐘が、先に口を開いた。
「……ボノムさんかわいそう」
ボルダーが、何か言いかけて――やめた。
早鐘は紐を結びかけたまま、ボルダーを見た。
「ねえ、それって罪にならないんですか? ロボット愛護法みたいなの、ないの?」
「そっちの世界にはあるのかもしれないけど、この世界にはないんすよ」ボルダーは言った。「ゴーレムは法律上、器物っすから。おまけに自分の持ち物なら、器物損壊にもならないんす。……誰も、罪に問えないんすよ」
「えー。それはかわいそう過ぎない?」
「ゴーレムは、もともとそういう物なんすよ」
「じゃあタダノフさんは、どうしてボノムさんを蘇らせるのよ」
半島が消えた年、二人は、まだ生まれていなかった。
タダノフは、どちらにも答えなかった。
木箱を、持ち上げた。
* * *
戸口へ向かいかけたとき、早鐘が「あっ」と言った。
「待っててください。ちょっとだけ」
帳場の奥へ引っ込み、すぐに戻ってきた。両手で、紙の包みを差し出す。
「タダノフさん、これを使ってください」
包みの口から、甘い香りが立っていた。
「これは……シナモンか」
「はい。デピスを作るのに必要だと知って、レシピを覚えたんです。これだけは、個人的にお菓子を作るのにたくさん作ってて……あ、ちゃんと苗からシナモンを育ててるんですよ?」
タダノフは慎重に包みを受け取り、木箱の上に載せた。
ボルダーが言った。
「当たり前みたいに言ってるけど、それ種苗法違反っすよ」
「私、またなにかやっちゃいましたかぁ!?」
「ボルダー、現行犯逮捕だ。もう一度法令を勉強させてこい」
「了解っす」
ボルダーは慣れた手つきで早鐘の腕を取り、店の外へ連れ出した。
「おまわりさん、信じてください。私、異世界からやってきて。そこじゃシナモンも蜂蜜も、コンビニとかで普通に売ってて、魔法アイテムなんかじゃなかったんです」
「はいはい。図書館で聞くから」
二人の声は、市場通りの雑踏に紛れて、聞こえなくなった。
タダノフは、木箱を抱え直した。
これで、全部だった。




