法廷
公判の朝は、晴れていた。
服は、ゆうべ作った。生地から作った。紺の、襟の詰まった、まじめな形の一そろい。
姿見の前で回ってみると、まじめな形は保たれていたが、袖からかすかに、こねた粘土の匂いがした。何度はたいても、匂いだけは抜けなかった。
「その服、どうしたんすか」
迎えに来たボルダーが言った。
「作った」
「生地から?」
「無から」
「無から」ボルダーは繰り返して、それ以上は聞かなかった。
裁判所までの道を、二人で歩いた。護衛、という言葉は、ゆうべで終わっていた。
犯人は捕まった、とだけ聞いた。詳しいことは、聞いても教えてもらえなかった。
歩きながら、早鐘は胸の前の束を抱え直した。几帳面で少し丸い字の、隅から隅まで読んだ束だった。
傍聴席は、埋まっていた。
入って、まずそれが目に入った。杖の婆さんが最前列にいた。傷持ちの冒険者たちが一列を占領していた。窓の外の屋根の上に、腕章の子らの羽根がちらちら見えた。それから、いちばん後ろの壁ぎわに、仏頂面がひとつ、腕を組んで立っていた。
早鐘は、被告人席に、ひとりで座った。
* * *
検察官の陳述は、書類を読む声で始まった。無許可の魔法薬。製造。販売。流通。読み上げられていく自分の二年間を聞いているうちに、束の中の文字が、頭の中で立ち上がってきて——
「異議あり!!」
立ち上がっていた。
「純粋な一人の魔法で作られたということは、混ぜ物をしていないという事です!」
法廷が、静かになった。
「静粛に」裁判長が言った。「被告人は、自分の番になってから発言してください」
「…………はい」
座った。顔が、燃えるように熱かった。傍聴席のどこかで、婆さんの含み笑いが聞こえた。
自分の番は、来た。立って、束のことを思い出しながら、口を開いた。
「えとぉ〜、純粋な一人の魔法で作られたということはぁ〜……」
さっきの勢いは、どこにもなかった。
混ぜ物、不分割、単声。覚えた言葉は全部順番に出てきたのに、出てくるそばから、先生の声で読んだときの半分の重さもなかった。
裁判長は聞いていた。検察官も聞いていた。聞かれれば聞かれるほど、言葉は軽くなった。
* * *
証人は、二人申請して、一人が通った。
「証人は、氏名と職業を」
「タダノフ。市警の刑事だ」
仏頂面は証言台に立ち、宣誓し、聞かれたことに、聞かれた分だけ答えた。被告人が無許可であることを知らなかった経緯。原価の販売。実害の不在。捜査した刑事の、事実だけの証言だった。事実だけの証言が終わりかけたところで、男は裁判長を見た。
「……ひとつ、付け加えたい」
「手短に」
「こいつは、いずれ必ず、正規に蜂蜜を作り出す」
男は懐から紙幣を出して、掲げた一万だった。
「だから俺は、今からそれを予約する」
「証人」裁判長が眉を寄せた。「それは証言ですか」
「事実の指摘だ」男は続けた。「早鐘は詐欺にあっていた。自分の作った魔法薬の価値を知らず、ほとんど原価で買いたたかれていた。——85円だ。この値段に、覚えのある奴はいるか」
男は、傍聴席へ向き直った。
「誰か一人のせいじゃない。ここにいる全員が、等しく罪を犯している。もしこの中に、こいつのポーションが『安すぎる』と思っていた奴がいたら、そいつも今ここで、正当な値段を支払うべきだ」
「証人は傍聴席に向かって演説しないでください」
「以上だ」
男は証言台を降りた。書記官が、今の発言をどう記録すべきか、隣と小声で揉めていた。
* * *
論告で、検察官は書類を置いた。
「これほど高度な魔法を使える者が、法律に関して、まったく無知であるという事があるでしょうか」
声は、早鐘に向いていた。
「被告人は本件のほかにも、逃走。無許可建築——一晩で城を、です。食品の成分表示違反。
魔法の使い方を学ぶのと同様に、法律を学ぶ機会は、いくらでもあったはずです。
本件の起訴後にも関わらず行われた度重なる法律違反は、目に余るものがあります。よって、検察側は被告人の厳重なる処罰を要求します」
着席の音が、やけに大きく聞こえた。
最終の陳述、と促されて、早鐘は立った。束を見た。束の言葉は、さっき全部使ってしまった。使って、軽かった。
学ぶ機会はいくらでもあった。あった、のだろうか。あの二年の、中に。
口を開いたら、束にない言葉が出た。
「チート能力なんだよぉ!」
法廷が、揺れた。
「神様がくれたんだよぉ! 私なんてただの女子高生で、なんなら日本の法律だってエアプ勢なんだよぉ!」
「静粛に。静粛に」
「異世界の法律とか、知ってるわけないじゃんよぉ!」
傍聴席は、揺れたまま戻らなかった。婆さんが杖で床を打って笑い、冒険者の列が肩を揺らし、窓の外で羽根がばたばたした。裁判長は木槌を三度打って、それから、打ちながら、少しだけ長いこと、早鐘を見ていた。
* * *
判決までの日々も、店は三時に閉まった。壁の赤丸は、もう増えなかった。
判決の日も、晴れていた。
「——証言の通り、被告人が顕著な魔法を使えることは確かである。しかし、被告人がこの世界に訪れたと証言するよりも前に、これと同様の魔法が使われたという記録はない。
すなわち、被告人がこの世界の文物によって魔法を習得したとする確たる根拠はない。それは同時に、法律を学習する機会を持たなかった、という被告の証言と矛盾しないものである、と判断する」
読み上げは、続いた。難しい言葉が続いて、難しい言葉の輪郭だけが、順番に耳を通り過ぎて——
罰金、二十万。
それだけが、はっきり聞こえた。
製造と販売の重い罪の名前は、判決のどこにも残っていなかった。残ったのは流通の、手続きの違反だけだった。禁固も、労役も、なかった。二十万。二年間と、85円の山と、城ひとつ分で、二十万だった。
――どうやって、払ったらいいんだろう。
デリバリーの代金は、ほとんど運び屋の少年たちに還元している。
今の店のやり方では、とても支払いきる事が出来ない。
異世界まで来て、チート能力をもらったのに、一体何をやっているんだろう。
閉廷、の声と同時に、傍聴席が立ち上がった。
「予約だよ!」
真っ先に来たのは、婆さんだった。杖より先に財布が来た。
「膝の分だ。前払いだよ。二十年分!」
「え、あの、まだ免許——」
「予約だから! これ、とっときな!」
冒険者たちが続いた。柵の前に列ができて、列は扉の外まで折れた。あのときの分だ、と言って傷痕を見せる者がいた。安すぎると思ってた、ずっと思ってた、と言いながら金を置く者がいた。窓から入ってきた羽根の子が、小さい銅貨の袋を柵の上に置いて、また飛んで出ていった。書記官が、今度こそ記録を諦めていた。
「な、並んで! 順番! りょ、領収書書きますから——」
声が、途中から、使い物にならなくなった。
拭いても追いつかないので、拭くのをやめて、早鐘は領収書を書き続けた。紺の袖に、涙と、こねた粘土の匂いがした。
顔を上げたとき、いちばん後ろの壁ぎわは、もう空いていた。
仏頂面は、いなかった。証言台の縁に、一万だけが、置いてあった。




