捜査
タダノフは敷居の外から、店の中の魔力痕を読んだ。
焦げは床のまん中に濃く、壁の煤は一方向に薄れ、棚は一列だけただれている。
飛び火の痕がない。暴れた火の痕がない。一つの的に、一つの火が、当て続けられた形だった。
この街の建物は、燃えにくい。防火の漆喰と目止めで、火はさほど広がっていなかった。
床のまん中の的は、十秒。あるいは、もう少し。
「通報は」と、ボルダーが掠れた声で言った。
「後でいい」
それだけ返して、タダノフは敷居をまたいだ。
娘は、割れた殻の縁に腰かけて、その殻を、齧っていた。
「あ、タダノフさん。焼きゴーレム、美味しいよー」
外側の黒いところを割って、中の白いところを口に運んでいる。香ばしいのはむしろ得した、というような顔だった。
生きているというのは、そういうことでもあった。彼女はもう一片割って、隣に突っ立ったままのボルダーに差し出した。
「ボルダーさんも食べます? ここ、耳のとこ」
ボルダーは、返事をしなかった。差し出された白い欠片と、それを差し出す無事な手を、順番に見て、また声の出ない顔に戻った。娘は欠片を持ったまま、少し困っていた。
「早鐘」
タダノフは言った。
「……ボルダーのそばから、離れるな」
娘の手が、止まった。
欠片が、ゆっくり下りた。齧りかけの殻を膝に置いて、彼女は、はじめて焼け跡を——自分の店の床の焦げを、壁の煤の形を——見た。それから、小さく、はい、と言った。
* * *
聴取は、工房の机でやった。
「恨みを買う心当たりは」
「ないですよ!」娘は身を乗り出した。「この品行方正な土魔法使いを捕まえて! 恨む要素どこにあるんですか!」
「品行方正かはともかく、同業や客。あるいは依頼を断った相手」
「断った……」娘は天井を見た。しばらく見て、あ、と言った。「そういえば、変な勧誘なら断りました」
「勧誘」
「『裏魔法結社』、とかいう」
鉛筆を持ったボルダーの手が、止まった。
「私が城を作ったちょっとあと……くらいかなあ。お店の前に、男の人が立ってて。君の力にふさわしい意味をやれる、みたいなこと言われて。あ、これマルチか宗教だなって思って、間に合ってまーすって」
「間に合ってまーすって」ボルダーが繰り返した。
「塩対応が一番なんですよ、ああいうの。ついてくと壺買わされるんで」
「なんで言わないんすか!」ボルダーが頭を抱えた。「そういうの、言ってくださいよ!」
「え、怪しい勧誘って、警察に報告するものなんですか……?」
娘は本気できょとんとしていた。彼女の世界では、それは脅威の棚ではなく、迷惑の棚に仕舞われる出来事だった。だから誰にも言わず、誰にも数えられず、二年近く、そこに眠っていた。
「男の特徴は」タダノフは言った。
「んーと、背が高くて、痩せてて、姿勢が変に良くて。目が細いの。あと——」娘は自分の鼻をつまんだ。「土の匂いがした。畑っていうより、こねた粘土。うちの工房と、おんなじ匂い」
タダノフは、鉛筆を置いた。
二年前の、市場の雑踏が戻ってきた。
業者の店に入る前に、彼の脇を抜けていった肩。
土の、油じみた匂い。場違いなほど整った魔力の気配。半歩だけ振り返って、休暇だ、と自分に言って、見送った。
気のせいか、とあの日は思った。
気のせいでは、なかった。
* * *
翌日、業者の店には、茶が三種類出た。
「どれでもお好きなのを! ああ刑事さん、その椅子は脚が緩いので、こちらへ!」
仮釈放の男は、揉み手の形に生まれついたような手で、聞かれる前から帳簿を差し出してきた。
経営指導、という腕章が壁に掛かっている。再びの逮捕は、この男にとって茶より苦いらしかった。
「二年前だ」タダノフは帳簿を押し戻した。「早鐘アイヤの蜂蜜を、お前はどこで知った」
「あ、あれはですね、聞いたんです。噂を」
「誰から」
「卸しの男で……不定期に、掘り出し物を持ってくる。素性は知りません、ほんとに。背の高い、姿勢のいい……その男が、冒険者向けの市場に化け物みたいなポーション作りがいる、原価で売ってるから声をかけてみろと」
「時期は」
「蜂蜜より、ずっと前で。そもそもポーションの取引を始めたのが、その男の口利きで……」
男は喋りすぎるほど喋った。喋られた中身を削っていくと、残る骨は一本だった。
密造が知れるより先に——警察はおろか、業者が彼女を知るより先に——あの男たちは、彼女を知っていた事になる。
『裏魔法結社』の情報を集めるうちに、連中の手口の形が、見えてきた。
彼らの勧誘の方法は、一貫している。
強い力を見つけると、まずは、法に触れる行為をするように導く。警察に頼れない場所に立たせてから、仕事ぶりを観る。そして勧誘する。
フードルも、恐らく奴らの網にかかっていた。
あいつに最初にソーマを勧めたのは、一体誰だったのだろうな、と、タダノフはちらりと思った。思っただけで、すぐに捨てた。
* * *
冒険者ギルドの窓口は、タダノフの顔を見ると、黙って台帳の棚に向き直った。
「今度は何の台帳です」
「焼却係だ」
名簿は、薄かった。焼却係は、薄い名簿の職だった。素材回収で解体されたモンスターの残骸と、呪いのついた廃物と、燃やすしかないものを燃やす下働き。火の魔法の行き着く先としては、数少ない口の一つで、就く者も、続く者も少ない。
その薄い名簿の中に、一人いた。
在籍五年。腕は良い、と備考にある。備考はもう一行あった。所属パーティと揉め、以後ソロ。悪評あり。——それきり、ある年の途中で、在籍の線が切れていた。
「この男は」
「ああ……」窓口は声を落とした。「腕は本物でしたよ。ただ、揉め事も本物で。ソロで潜ると、まあ、その、狩り場では何があるか分からんでしょう。潜らなくなって、焼却場に回って、そのうち来なくなりました」
「早鐘アイヤの噂が立ちはじめた頃、こいつはまだいたか」
窓口は日付を突き合わせて、頷いた。
「はい。ちょうどいますね」
冒険者の噂は、焼却場にも落ちてくる。
原価のポーション。城を建てた娘。規格外の、化け物みたいな——才能の話は、才能を燃やして暮らす男の耳に、どんな音で届いていたのだろう。
タダノフは名簿の名を、手帳に写した。
それは誰にも見せない頁だった。
* * *
誰にも見せない頁は、この二ヶ月で、もう何枚か埋まっていた。
フードルの死から、日を置かずに消えた部下が、一人いる。
署はこれを連続焼死体事件の関連で追っていた。
タダノフがその男の部屋を見たのは、火災で焼失してしまってからだった。
火は、徹底していた。燃えにくく造られた街の、燃えにくく造られた部屋で、焼け残りがほとんど出ないほど焼かれている。
油を運び、火を配り、当て続けるしかない。手間の塊のような丁寧な火だった。
なのに、その火には、殺意がなかった。
憎しみも、なかった。焦りすら、なかった。暖炉に火を入れるのと同じ手つきで、人の住まいがひとつ、几帳面に焼かれていた。
争った形跡は、ない。部屋の主への感情も、ない。それでいて、灰まで焼く必要だけが、あった。
二ヶ月、この帳尻が合わなかった。
合わせる枠が、なかったからだ。
だが、強い魔法使いを勧誘する裏魔法結社の存在を当てはめると、帳尻は音を立てて合った。
消えたのではない。
最初から、いなかったのだ。
部下は、とうにいなかった。部下の顔と、部下の住所と、部下の机だけが署にあって、その中身は、別の誰かだった。変身、とまでは言わない。だが顔を作るくらいのことは、魔法にも、刃物にも、できる。フードルがしくじって、灯りが寄ってきたから、顔を焼いて、消えた。
署の中に、いたのだ。
いまも、いないとは限らなかった。
* * *
だから、報告書は書かなかった。
書けば、綴じられる。綴じられれば、回る。回った先の顔が、全部本物だと確かめる術は、もうこの署にはない。どこまで迫ったかを知らせることは、どこへ逃げればいいかを知らせることと、同じだった。
ボルダーは、護衛から動かせない。
それは都合でもあった。動かせない場所が、いちばん安全な場所でもあるというのは。
手帳の、誰にも見せない頁を、タダノフは閉じた。
消えた部下。勧誘の男。名簿の切れた火使い。点は三つ揃って、囲いの形は、もう見えていた。
あとは、中へ入るだけだった。




