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ファイアボール・キリング  作者: 桜山うす(J.I.A)
第四話 火魔法使いの暗殺者
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18/26

準備期間

 期日は、二ヶ月先に決まった。


 裁判所から届いた書面には、日付が一つと、遅れることは許されないという意味の文言が、堅い言葉で書いてあった。早鐘はそれを工房の壁に画鋲で留めて、赤丸で三重に囲った。丸は日に日に増えて、いまは五重になっている。


 店は、三時に閉まる。


 文房具雑貨と、石鹸と、シロップ。それに近ごろは、焼き菓子とコーヒーが加わった。朝に開けて、昼を回って、三時に閉める。仕込みがあるからだと本人は言うが、夕方の工房で仕込みより先に広げられるのは、たいてい判例の写しだった。


 ボルダーが店に着くのは、いつもその後だった。


「見回りっす」


 と、毎回言った。


「はい、ごくろうさまです」


 と、毎回返された。誰も、それ以上は言わなかった。見回りにしては同じ店にしか寄らないとか、見回りにしては私服だとか、言えることは幾つもあったが、店主は言わなかった。ボルダーも、考えないことにしていた。


 カウンターには、決まってドーナツとコーヒーが出た。警察の方はこれですよね、と最初の日に出されて、よく分からないけど否定する理由も見当たらないので、そのままになった。ドーナツは日ごとに形が良くなった。試作二号、と言われて食べた日もあれば、七号を三つ食べた日もあった。番号が飛んだ日のことは、聞かないことにしていた。


 それから、夜まで手伝った。


 図書館から借り出した判例の綴りを、ひと抱えで運ぶ。棚を作る。読み合わせに付き合う。読み合わせは、たいてい同じ場所で止まった。


「わたしの署名は、たんせ……単声・不分割……ふぶんかつ、であり……」


「そこ、昨日もつっかえてました」


「うるさいなあ! 言えてるでしょ、ちゃんと! だいたいこの字が悪いんですよ、細かくて、びっしりで……」


 紙に向かって文句を言うわりに、彼女はその紙を、指の腹でしわ一つ立てないように扱った。ページを繰る手つきだけが、文句と別のことを言っていた。ボルダーは、それも見ないことにしていた。見ないことが、この店では礼儀のような気がした。


 * * *


 砂糖の匂いは、ボルダーを、いつも同じ場所へ連れて行く。


 ガキの頃だ。親に連れられて行った、隣街のショッピングモール。吹き抜けの広場に揚げ菓子の屋台が出ていて、その紙袋を抱えたまま、ボルダーは人垣の後ろにいた。同い年より頭ひとつ大きかったから、後ろからでも、大人たちの肩越しに、店の奥が見えた。


 悲鳴は、宝飾店のほうから上がった。


 強盗だった。人質を取って、店の奥で刃物を振り回して、大人たちは遠巻きに、誰も動けなかった。ガキのボルダーにも、動けない理由まではわからなかった。わかったのは、その人垣の前列に、コートの男が一人、立っていたことだ。


 男は、走らなかった。叫びもしなかった。ただ、投げる構えを、静かに取った。


 紅蓮の炎が、一本、通った。


 人垣の隙間を、陳列棚の角を、人質の肩の上を。触れてはいけないもの全部を華麗に避けて、刃物の男の手元だけが、ぽんと爆ぜた。悲鳴と、煙と、拍手。紙袋の中で揚げ菓子が冷めるのも忘れて、ボルダーはその一本の軌道を、いつまでも目の裏で再生していた。


「ファイアボールなんて鍛えても潰しがきかないぞ」、とは、それから先、何度も言われた。

 火の魔法は、戦いから退いたら行き場がない。焼くだけの力を雇う職場は、世の中に数えるほどしかない。周知の事実というやつで、教官にも言われ、親にも言われ、配属の挨拶に行った日には、当の本人にまで言われた。


 言ってから、本人は、頭をぽりぽりと掻いた。


「まあ、潰しがきかないから、俺も警察になるしかなかったんだが」


 それでも鍛えたのは、あの一本が忘れられなかったからで——結局、魔法の才に目覚めるより先に、体の方が強くなった。

 火はロウソクほどしか出せないが、殴り合いでは負けたことがない。高卒でそのまま警察に入ったのは、あの一本の隣に立ちたかったからだった。


 署に入って、過去を聞いた。


 あの火が、もともと何のために、誰を殺すために鍛えられたものだったのかを。


 ボルダーは、ますます好きになった。


 なぜ「ますます」なのかは、考えたことがなかった。


 * * *


「俺、ガキの頃、タダノフさんに会ってるんすよ」


 試作九号の日に、ボルダーはその話をした。モールの人垣。一本の火。手元だけが爆ぜて、人質はかすり傷ひとつなかったこと。


 早鐘は、ドーナツの粉砂糖を指につけたまま、聞いていた。


「……それって」聞き終えて、彼女は言った。「ガンダルフさんを狙ってた、練習の成果ってことだよね」


「そうっすね」


「うーん」早鐘は、天井を見た。「私、そのカッコよさが、よく分からないのよね……たとえば、不真面目な人が更生するのって、そんなに偉いかなぁ。最初からずっと真面目に頑張っている人の方が、ずっと偉いでしょ?」


「そんな風に言う?」


「けどさ、タダノフさんって、本当はずっと真面目だったんじゃないかって思うのよ……魔族が戦争で降伏して、それに従っている人たちが偉いのかとか、私はピンとこない。でも、普通のファイアボールじゃないのは、カッコいいと思う」


「でしょう」


 ボルダーは、胸を張った。自分のことのように、というより、半分くらいは自分のことのつもりだった。


 * * *


 人は、来た。


 最初は、常連の婆さんだった。膝の薬を、ずっと早鐘のポーションで済ませていたという婆さんは、閉店後の店に杖をついて現れて、裁判とやらに出て話をしてやる、と言った。


「あんたのは85円で、よそのは八千円だった。85円が罪なら、八千円は何なんだい。あたしゃそれを、お偉いさんの前で言ってやりたいんだよ」


「い、いや、それ、たぶん争点じゃ……」


「言ってやりたいんだよ」


 婆さんは言い張って、聞き取りの紙に、几帳面な字で名前を書いて帰った。


 冒険者も来た。一話の城の下で腰を抜かした顔ぶれや、ポーションで命を拾ったという傷持ちの男たち。誰も彼女が無許可だなんて知らなかった、知ってたら教えてた、それだけの話だ——と、口々に同じことを言い、聞き取りの紙は、綴りが二冊目になった。


 子どもは、礼を置いていった。店先に、掘ったばかりの芋が置いてあった日がある。誰の字ともつかない、ありがとうとだけ書いた紙が挟まっていた日がある。金を置いていく者は、一人もいなかった。置いていく理由が、まだ誰にもなかった。


 腕章の子らも、顔を出した。


 早鐘飯店・空とどけ。羽根の音を店先に降ろして、箱を背負ったまま、売り上げだの新しい届け先だのを、口々に報告していく。景気の話は、半分より少し下を向いていたが、羽根のほうは、みんな上を向いていた。


 その日は、羽根のない子が、一人まじっていた。


 配達組の弟分だという、獣人の子だった。耳を伏せて、隅で棚の石鹸ばかり見ている。翼の仕事の話が続くあいだ、その子だけが、話の外にいた。


 早鐘が、ひょいと、その子の前にしゃがんだ。


「ねえ、君。重いもの、どれくらい持てる?」


「……え?」


「あと、冷たいの、出せる? お水の魔法で」


「……出せる、けど」


「おお、冷凍宅配ができるじゃん」


 早鐘は立ち上がり、カウンターの帳面を引き寄せて、何かを書きつけた。獣人の子はきょとんとし、風の子らもきょとんとし、ボルダーもきょとんとした。帳面は、ぱたんと閉じられた。


「なんすか、いまの」


「んー? ないしょ」


 * * *


 公判まで、あと十日を切った。


 閉店後の店には、灯りが点いている。綴りが二冊、壁の書面には赤丸が五重、カウンターにはドーナツの箱。杖の婆さんが帰り、羽根の子らが屋根から飛び立ち、読み合わせの声が、また同じ場所でつっかえる。


「単声・不分割、であり……」


「そこっす」


「言えてる! いまのは言えてる!」


 夜の通りに、店の灯りが、細長く伸びていた。


 ボルダーは、その灯りの中で、判例の綴りの三冊目に、背表紙を貼っていた。

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