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ファイアボール・キリング  作者: 桜山うす(J.I.A)
第四話 火魔法使いの暗殺者
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前夜

 屋敷は、広すぎた。


 部屋が六つに、物置がふたつ。庭には井戸まである。前に住んでいた小屋は違法建築で取り壊しになって、途方に暮れていたら、冒険者ギルドが口を利いてくれた。あの子のポーションには世話になったから、と。家賃は驚くほど安かった。広さは、驚くほど広かった。


 一階は、半分が店で、半分が工房だった。


 薬棚だけが、空だった。作るな、と言われている。石鹸と、シロップと、焼き菓子の棚は賑やかなのに、そこだけ器具ごと磨いて仕舞われて、埃よけの布を被って眠っている。店じまいのあとの工房の、まん中の大机が、今夜は紙で埋まっていた。


 弁護の紙だ。


「わたしの、署名は……たんせい。単声、であり……ふ、不分割……」


 早鐘アイヤは、紙を目の高さに掲げ、行きつ戻りつしながら音読していた。十回読んで、十回つっかえた。


 ——難しい言葉は、丸呑みしなくていい。事実を、順番に。


 もふもふの先生は、そう言った。言ったそばから紙にはびっしり難しい言葉を書いた。丸呑みしなくていいと言われると、丸呑みしたくなるのが人情だった。明日はこれを、本物の裁判官の前で言うのだ。つっかえたら、たぶん、笑われる。


 呼び鈴が鳴った。


 柱時計を見た。夜の九時を、回っていた。


 こんな時間に届く用事に、いいものはない。それくらいは、この街で学んでいた。早鐘は紙を置き、廊下を抜け、扉の覗き窓に片目を寄せた。


 仏頂面が、立っていた。


 一人だった。


「……タダノフさん?」


 扉を開けると、夜気と一緒に、雨上がりの匂いが入ってきた。仏頂面は、いつもの仏頂面より、さらに何かを引き結んでいた。ボルダーさんは、と聞きかけて、やめた。この人が一人で、この時間に、うちに来る。その並びのどこにも、いいものがなかった。


「夜分にすまない」


「あ、はい。あの、どうぞ——」


「ここでいい」


 男は、上がらなかった。玄関の三和土(たたき)に立ったまま、まっすぐにこちらを見た。


「アブラモフが、逮捕された」


 言葉は、耳までは届いた。


 そこから先に、進まなかった。


「……え?」


「潜伏中の犯人を、治療した。それが罪に問われた」男は、同じ速さで続けた。「警察で事情聴取を受けている。明日の裁判には、出られない」


「え、えっと」早鐘は、笑おうとした。「それ、何かの間違いじゃ。だって先生、弁護士さんですよ? 法律とか、めちゃくちゃ詳しいんですよ?」


「間違いじゃない」


「だって——」


「すまない」


 男は、頭を下げた。


「逮捕したのは、俺だ」


 三和土の上で、深く、下げたままだった。


 早鐘は、その旋毛(つむじ)を見ていた。


 見ているうちに、言葉の意味が、遅れて届いた。もふもふの先生は、捕まった。連れて行ったのは、この人だ。明日、先生は来ない。あのしっぽは、来ない。この街で初めてできた、味方のはずの人たちが——ひとりが、ひとりを、連れて行った。


「…………」


 息を、吸った。


「————バカーー!!」


 こぶしが出た。下げられた頭の、届く場所は肩しかなかった。ぽかぽかと、二度叩いた。石像を叩いたほうが、まだ手応えがあった。


「もふもふかえしてよーーっ!! わたしの、もふもふ!! 明日なんだよ!? 裁判、明日なんだよぉ!!」


 男は、避けなかった。


 弁明も、しなかった。ただ叩かれて、そこに立っていた。


 叩く手が、先に疲れた。早鐘は肩で息をして、涙目で仏頂面を睨み上げた。仏頂面は、頭を上げて、睨まれていた。


「……もう、信用ならない!!」


 声が、廊下に響いた。


「あなたも、警察も、この世界の法律も、ぜんぶ!! もういい!! 一人で出てやる!!」


 言ってから、自分の言葉に、自分で驚いた。


 男は、驚かなかった。


「弁護人がいなければ、開廷はできない」と、男は言った。手続きの声だった。「中止と延期は、決まったようなものだ」


「じゃ、じゃあ、延期して!! その間に、じ、自分で……自分で弁護する準備、するから!!」


「準備は、どれだけ要る」


「い、一ヶ月……」指を一本立てて、その指を見て、「いや、二ヶ月!!」


「二ヶ月で、大丈夫か」


「さ、三ヶ月!!」


 男は、それ以上聞かなかった。小さく、顎を引いた。


「日取りは、裁判所が決める。願い出ておけ」


「言われなくても!!」


 早鐘は腕を組んで、そっぽを向いた。向いた先の壁を、涙がにじんで、ゆがめた。まばたきで、押し戻した。


「……夜分に、すまなかった」


 男は、それだけ言って、背を向けた。


 扉に手をかけて——止まった。


 懐から、何かを出した。綴じた、紙の束だった。厚くて、角の揃った、重そうな束。男はそれを、玄関脇の靴箱の上に、静かに置いた。


 何も、言わなかった。


 扉が閉まって、足音が、雨上がりの道を遠ざかっていった。


 早鐘は、しばらく動かなかった。


 それから、そろそろと近寄って、束を見下ろした。


 表紙に、字があった。


 几帳面で、少し丸い、癖のある字。十回つっかえた紙に、びっしり並んでいたのと、同じ字だった。丸呑みしなくていい、と言ったくせに、びっしり書く字だった。


 早鐘は、開かなかった。


 開けなくても、誰の字かは、分かった。


 窓の外で、また細い雨が、降りはじめていた。


 早鐘は束を両腕に抱えて、灯りの点いた工房へ、戻っていった。

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