渦巻き
通報は、煙だった。
郊外の空き家。隣家の婆さんが、雨戸の隙間から立ちのぼる細い煙を見て、消防を呼んだ。着いたときには、火はとうに落ちていた。焼けたのは、家ではなかった。
奥の一間に、それはあった。
黒く縮んだ、人の形。床は、その形の周りだけ、円く焦げている。損傷が激しく、顔からは何も分からなかった。
焼けの中心に、渦があった。
タダノフは膝をつき、長いこと、それを見た。
火の痕には、順序がある。溜めの痕の上に、放ちの痕が乗る。チャージとブラスト。どんな下手くそが撃っても、その二層だけは分かれる。分かれるから、読める。
これは、分かれていなかった。溜めながら放ち、放ちながら溜めたような——境目のない一枚の渦が、焼けの中心へゆっくり巻き込んでいる。縞が出ない。年輪がない。始まりと終わりが、ない。
鑑識の照合装置が、三度目のエラーを吐いた。
「平均が出ません」機材係が首を振った。「波形が収束しないんです。こんなの、見たことが……」
「あるだろう」タダノフは立ち上がった。「これで四回目だ」
同じだ。連続殺人犯で、間違いない。
東地区の路地裏。港の倉庫。橋の下。北の空き地。四つの現場の四つの渦と、同じ渦だった。機械が読めず、形が読めず、震えも読めない。
名前なら、知っていた。現物を見たのは、この一連の事件が初めてだ。溜めと放ちを分けるという現代火魔法の作法ができるより前の——統一前の、古い技法。教本の隅に、名前だけ載っていた。
灼熱魔法。
鍋を振りながら火を通す、というほどの意味だ。
家の中は、生活の痕だらけだった。
缶詰の空き缶が、律儀に隅へ積んである。窓は内側から目張りされ、寝床の毛布は薄い。一ヶ月近く、誰かがここに潜んでいた。
台所の隅の、ゴミ袋の中から、それは出た。
「スーツっすね」ボルダーが袋を開いて、首をかしげた。「なんで捨てないで、ゴミ袋に入れて置いとくんすかね」
畳んで、袋に入れて、置いてある。タダノフは袋の口から、その仕立てを見下ろした。
見覚えが、あった。机越しに、何年も見てきた仕立てだった。肩の線。襟の型。階級章を外した痕が、胸に薄く残っている。
「フードルの塒だ」
「えっ」
「途中で服を調達して、着替えたんだろう。脱いだこいつは、捨てられない。外に出せば、そこから足がつくかもしれない——そういう心理が働く。だから大抵の逃亡犯は、畳んで、袋に入れて、手元に置く」
ボルダーが、奥の一間のほうと、スーツとを見比べた。
「じゃあ、警部殿が、ここで五人目を……」
「かもしれん」タダノフは袋ごとスーツを取り上げ、ボルダーに押しつけた。「かもしれんが——読め」
ブラックライトの下で、ボルダーがスーツを隅々まで舐めた。袖。襟。裾。裏地。武骨な指が、仕立てを崩さないように、布を一枚ずつ返していった。長い時間をかけて、それから、顔を上げた。
「……何も、ないっす。きれいなもんすよ」
「そうだ。何もない」
タダノフは、目張りされた窓へ目をやった。
「もしここに潜んでいたのが、連続殺人の実行犯なら、発動の残滓が服のどこかに残っていていい。四体も焼けば、必ずだ。見当たらない。痕跡を消したような痕跡も、ない。
それに、ここは四つの現場のどれからも遠すぎる。検問だらけの街を、行って帰って四往復——この塒の暮らしぶりと、両立しない」
「じゃあ……」
「おそらく、連続殺人に関して言えば、この塒の宿主はシロだ」
「シロって」ボルダーが声を落とした。「じゃあ、あの遺体は、一体何なんすか」
答えは、検視室で出た。
遺体の魔力構成。人がひとりずつ違う編み目で、焼けても、死んでも、ほどけずに残る。大魔導ともなれば、登録された記録は分厚い。照合は、一致した。塒とスーツが、それを裏書きした。
フードル本人だった。
「……まずいな……よりにもよって、あのフードルが……」
タダノフの追っていた男は、殺人者側ではなかった。被害者側だった。渦巻きを背負い、自分の塒で、五人目に数えられていた。
ボルダーは、白い布の掛かった台のそばで、しばらく動かなかった。
「警部殿が……」
それきり、言葉は続かなかった。タダノフも、続けさせなかった。
遺体の確認には、立ち会いがもう一人、呼ばれていた。
フードルの部下だという、物静かな男だった。失脚のあとも署に机を残して、主のいない書類を守っていた男だ。いつ検視室に入ってきたのか、誰も気づかなかった。
「……間違いありません」
白い布が戻るまで、男は頭を下げていた。
それから、ボルダーのほうを向いた。
「失礼ですが、お名前を。——後日、私物の引き取りなどで、ご面倒をおかけするかと思いますので」
ボルダーが名乗ると、男は名を繰り返した。一度だけ、正確に。
丁寧に礼をして、男は出て行った。足音は、しなかった。
「……いい人っすね」
「そうだな」
タダノフは、台の上の白い布から、目を離さなかった。
夕方、司法解剖の速報が届いた。読み上げるボルダーの声が、途中で一度、止まった。
「死因……死因は、焼死じゃないっす。刺し傷。——背中に、深いのが一突き」
火は、その後だった。
雷神族の大魔導が、背中を取られている。雷の一筋も、返していない。
紙の上の事実は、それだけだった。それだけを、タダノフは長いこと見ていた。
渦巻きは、読めない。
だが、渦巻きの下は、まだ誰も読んでいない。
「造影剤を入れろ」タダノフは検視官に言った。「深部撮像だ。——層を読む」
深い火傷の署名は、真皮に、年単位で残る。あの晩の一発が、まだそこにあるはずだった。その上に積もったものがあるなら、それも。
指示を出しながら、タダノフは、あの夜の名簿を思い浮かべていた。聖護士会のパーティ。回復魔法の使い手なら、いくらでもいた。誰の署名が出ても、おかしくはない。
誰の署名でも、よかった。
たった一人を除けば、誰でもよかった。




