探り
焼死体は、これで四人目だった。
アブラモフは新聞を机に広げ、記事の隅々まで、二度読んだ。
あの高架下の夜から、謎の連続殺人が多発していた。
場所も、被害者の素性も、ばらばらだった。共通しているのは死に方だけ。全身がひどく焼けていて、身元の割れない者もいるという。
――まさか。
数える癖が、ついていた。それが何の勘定なのか、考えないようにしていた。
呼び鈴が鳴って、勘定は途切れた。
「もふもふ先生、こんにちはー!」
稽古の日だった。
机の上を、検察側から開示された鑑識記録が占領する。娘は真剣な顔で、記録の図版を上下逆さに眺めていた。アブラモフは黙ってそれを直してやった。
「いいかい。検察の証拠は、こう言っている。この蜂蜜は、たった一人の手で、休みなく、均一に編まれている——だから偽物だ、とね」
「はい……」
「それを、そのまま借りるんだ。純粋な一人の魔法で作られたということは、混ぜ物をしていないということ。毒も、ごまかしも、他人の手も、入る隙がない。彼らの読みは正しい。正しいまま、向きだけを変える」
「純粋な一人の魔法で作られたということは、混ぜ物をしていないという事です!」
「よろしい。では、稽古だ。私が裁判長と検察官を兼ねる。君は——」
「異議あり!!」
「静粛に」アブラモフは木槌の代わりに、湯呑みの底で机を軽く叩いた。「早押しクイズじゃないんだから。被告人は少し落ち着きなさい」
娘は不服そうに口を尖らせ、それでも椅子に座り直した。教程は二つだけだ。番を待つこと。訊かれたことにだけ、答えること。
「訊かれてないことは?」
「言わない」
「チートのことも?」
「特に言わない」
「よろしい」
稽古の間だけ、アブラモフは新聞の数字を忘れられた。
昼を回って、稽古は終わった。娘は帳面を抱えて立ち上がり、元気に扉を開けた。
「もふもふ先生、また来ますね! ——あっ、タダノフさん!」
扉の外に、仏頂面が立っていた。
「いま先生とすっごい特訓してたんですよ。私、裁判長になれるかも」
「ならなくていい」
娘は笑いながら階段を降りていき、入れ替わりに、仏頂面が入ってきた。アブラモフは新しい茶を淹れた。湯呑みを出す場所を、手がもう覚えていた。
「先生、早鐘の調子はどうだ」
「賢い子だよ。こちらの言う事は素直に聞いてくれるし、飲み込みが早い。しかし、なんというか独特だね、使える魔法が」
「今はまだ抑えている方だ」
「……そうか。それは将来が楽しみだ」
茶を一口。それから、アブラモフのほうから釣り糸を垂れた。
「連続殺人事件で、なにか進展があったのかね」
仏頂面は答える代わりに、懐から布包みを出した。机の上で開く。細い鎖が一本、鈍く光った。細工物だ。留め具の先に、何かを提げていたらしい輪がある。提げられていたはずのものは、ない。少し溶けたようになっている。
「こういうのに、見覚えはないか?」
アブラモフは身を屈め、鎖を眺めた。頭の中で、聖護士会の顔ぶれが順に流れていく。あれは大きさが違う。あれは色が違う。だいたい、宝石も何もない、鎖だけの状態だ。盗品だろうか。
「いや……見たことはない。私のものではないのは、確かだね」
「ああ。——このチェーンは恐らく、俺が追っている犯人のものだ。連続殺人鬼との関連があるのかは、今のところわからないが……捜査中に、たまたま高架下でこいつを見つけた」
仏頂面は鎖を見たまま、続けた。
「あの近くで捕まえた犯人の配下によると、犯人はまだ腕に大火傷を負っていたはずだ。だが、そこから奴の足取りが、まるで掴めなくなった。おそらく、警察の検問をすでにくぐり抜けている……一体、どうやって傷を隠したのか」
検問が探しているのは、火傷のある腕だ。
その火傷を誰が消したのか。
この部屋で知らないのは、この男だけだった。
「チェーンが落ちていた高架下の付近を調べた。誰かが水魔法を発動した魔力痕が残っている。犯人が最後に目撃された時刻、あの近くで聖護士会のパーティが開かれていたらしい。俺は、そのパーティが怪しいと思っている。犯人の知り合いも多いはずだ。——アブラモフ、なにかそれらしい話を聞いたことはないか?」
「さあ、聞いたことないな」声は、揺れなかった。「というか、誰なんだ? その犯人というのは」
「……言ってなかったか?」
「まだ聞いてないよ。私もそのパーティに出ていたからね、聞けばわかるかも知れない」
出席は、名簿を見れば分かることだ。隠す嘘は、つかない。
「大魔導フードルだ」
驚いた顔なら、作れる。法廷で鍛えた顔だ。眉を上げ、息を一つ呑み、それらしい間を置く。作りながら、内側で、別のものが冷えていった。警察の捜査の線は、あのパーティに——あの夜に、届いている。
「また、とんでもない大物が出てきたな……ガンダルフといい、君は大物としか関わらないのかね」
「正確には、元大魔導。現在フードルは失脚して、逃亡中だ」仏頂面はそこで言葉を切り、初めて、まっすぐこちらを見た。「……本当に、知らなかったのか? アブラモフ。よく思い出してくれ。あいつのことを他の誰かに聞いたりは、していないのか?」
責める目では、なかった。探しているというより、何かを待っている目だった。何を待たれているのか、アブラモフには分からなかった。
「一介の弁護士に、知るすべはないよ」アブラモフは湯呑みを置いた。「なるほどな……パーティで後ろ暗いうわさは、たくさん聞いているよ。……けど、本人がパーティに来たことはないね」
真実の文で壁を積み、嘘はその中に一枚だけ挟む。法廷で覚えた積み方だった。最初の一枚は、もう挟んでしまってあった。
「…………」
仏頂面は、それきり何も言わなかった。茶を飲み干し、鎖を布ごとしまって、立ち上がった。
去り際に、振り返りもしなかった。
扉が閉まって、事務所が静かになった。
湯呑みが二つ。稽古の紙が散らばった机。その隅に、たたみかけの新聞。
四人目、と、アブラモフは思った。
治した右腕のことを、思った。検問を素通りしていく右腕のことを。あの晩、夜のほうへ遠ざかっていった背中のことを。あれから、焼死体が四つ。
違うかもしれない。雷の男だ。火は使わないかもしれない。何の証拠もない。ただの、数の一致だ。
誰かに話せば、楽になる。話すことは、すべてを話すことだった。
アブラモフは立ち上がり、壁の米十字の前に立った。祈りの姿勢を、手が覚えている。目を閉じ、口を開き——言葉が、出てこなかった。
誰の無事を祈ればいいのか、分からなかった。
焼かれた四人か。次に焼かれる誰かか。それとも、自分が生かした男か。
おお、神よ。
それだけが、声にならずに落ちた。




