会食
フォークが、左に三本並んでいた。
タダノフは外側の一本を取り、皿の上の、名前のわからない前菜に取りかかった。
天井は高く、給仕は足音を持たず、燭台の火は行儀がよかった。魔導都市でも指折りの高級店だった。客の大半が魔族で、その大半が、タダノフの育った界隈では一生縁のない類の魔族だった。
仕立てのいい夜会服。長い耳に、品よく光る印。声を張る者は、一人もいない。
「似合わないねえ」向かいの席で、イマノワが笑った。「安心しな。あたしも半分は、仕事で来てる」
嘘だ、と思ったが、言わなかった。
卓の燭台で、火が一つ、揺れずに立っていた。魔法の火だ。土をほとんど含まない、白に近い、いい火だった。
その白さに、城の広間を思い出した。
* * *
半月あまり前。古城へ踏み込む、前の晩だった。
ダークエルフの居城は、山をひとつ、庭にしていた。門番は弱小種族の刑事を長いこと待たせ、それから、通した。広間の燭台はすべて白い火で、その奥に、お嬢様は退屈そうに座っていた。
「へえ。あんたのほうから来るなんてね」
「頼みがある」タダノフは言った。「明日、フードルを撃つ。闇医者の網を、抑えてほしい」
「言ったろ、刑事さん。警視庁の刑事様が相手じゃ、あたしは動けない」
「動くのは俺だ」タダノフは言った。「これは、俺が撃ち損じたあとの話だ」
フードルの所に殴り込みを仕掛けて、もしも取り逃がしたときの保険だった。
ファイアボールを撃てば、魔力痕の刻印が残る。タダノフの署名が入った火傷だ。
浅い傷なら、ひと月もすれば表の皮から消える。
だが彼の一発は、深い。真皮まで署名が押し込まれ、年単位で残る。これを消す手は一つ——第三種の回復魔法で、治療者の署名を上から重ねることだった。
「表の聖護士は、治す前に必ず魔力痕を取る。カルテが残る」タダノフは言った。「焼き印を消しに行ったこと自体が、証拠になる。
だから、警察の目を逃れて消したい奴は、必ず地下へ落ちる。地下の医者は、数えるほどしかいない。出口さえ張れば、向こうから落ちてくる」
「追わないで、待つんだ」イマノワは頬杖をついた。「故買屋を張る泥棒係みたいだね。──けど、あいつら、警察が大嫌いだよ。あたしが口を利くとなると、安くはないよ」
「わかってる」
「ん」
女はひらひらと手を振った。値段の話は、それきり出なかった。広間を出るタダノフの背中に、思い出したような声が届いた。
「生きてたら、食事でもどう?」
* * *
それが、この席だった。
皿が替わる。魚が来て、肉が来た。網の話は、肉の途中で出た。
「静かだよ」イマノワはナイフを置かずに言った。「半月、一匹も落ちてこない。地下の先生がたは、全員押さえてある。網に穴はないよ。──まだ掛からないだけだと思うけどね、傷が傷なんでしょ?」
「そうか」
妙だ、とまでは思わなかった。あの深さの焼き印だ。遅かれ早かれ、消しに来る。
デザートの前に、鐘が鳴った。
街の時鐘だった。十九時の鐘を数えるより先に、店の空気が変わった。給仕が壁際に下がり、足を止める。客たちが、ナイフを置く。話し声が、蝋燭を吹き消すように、一斉に絶えた。
魔族の客たちは、みな目を閉じていた。
今日はアンドラハル半島が消えた日だった。
イマノワも、目を閉じていた。長い睫毛が、白い火の明かりを受けて、静かだった。育ちのいい魔族の習慣だ。タダノフの育った界隈では、誰もこんなことはしなかった。祈りに割く時間があるなら、その分だけファイアボールの投げ込みをした。祈るには、たぶん、気持ちの整理というものが要る。タダノフには、まだなかった。
だから、目は開けたままだった。
卓の白い火を見ていた。静まり返った店の、どの卓の上でも、同じ白い火が、揺れずに立っていた。静けさの底で、うっすらと、油の臭いがした気がした。喪に服す上等な夜会服の、その下のどこかから。自分の袖からかもしれなかった。区別は、つかなかった。
鐘が、鳴り終わった。
ナイフとフォークの音が、少しずつ戻ってくる。イマノワは目を開けると、何も言わずにデザートを平らげ、それから、細い葉巻を一本、取り出した。
「火、ちょうだい」
タダノフは指先を差し出した。爪の先に、豆粒ほどの火を点す。それだけの火でも、白い燭台の隣では、色が違って見えた。芯のところに、油の黒が沈んでいる。
イマノワは葉巻の先をその火に浸し、ゆっくりと、吸いつけた。
「他人のMPで吸うタバコがさ、一番うまいんじゃないの」
タダノフは吸わない。毒の煙を吐く火など、吸いたいとは思わない。内心でそう思っている顔を見て、イマノワはおかしそうに目を細めた。それきり、黙った。
黙って、煙を味わっていた。
長かった。女は葉巻を口から離し、立ちのぼる煙を眺め、また一口、含んだ。火の味を確かめるような、火の言い分を聞くような、そういう間の取り方だった。灰が一度、皿の縁に落とされた。
「あんたの火、まだ黒いね」
それだけ言って、また一口。
* * *
イマノワの白い火を初めて見たのは、魔法学校の、部活の練習場だった。
ファイアボール部の部長。
ダークエルフの彼女の火は、白かった。撃ち手の魔力で燃える火には、撃ち手の中身が混ざる。あの火には、土の属性が混ざっていなかった。ダークエルフの火は、どこかでくすぶっている炎を呼び寄せる。だから、撃ち手の色があまり出ない。
こんなに白くて美しいファイアボールを、少年は見たことがなかった。
一目で、心を奪われた。その日のうちに、入部届を出した。
部長は、新入りの投球を面白がって眺めていた。
裏の稼業の家の娘だった。悪意のある火なら、嗅ぎ慣れていた。
ある日、彼女は真顔で訊いてきた。
「ねえ。誰か、殺したい奴でもいるの?」
少年も、真顔で答えた。
「いる」
その日から、二人は共犯になった。
故郷の半島を消した、人間軍最強の魔法使い。
的の名前は、どちらも口に出さなかった。出すまでもなかった。
* * *
煙の向こうで、女の目が、こちらを見た。目を閉じていたときと、同じ静けさのままだった。
「──もし、アンタが今でもくすぶっているのならさ」
脅しの響きは、なかった。誘いの軽さも、なかった。鳴り終わった鐘の、余韻のような言い方だった。
「――一緒に、殺そっか」
タダノフは、答えなかった。
イマノワも、二度は言わなかった。灰を落とし、短くなった葉巻を灰皿に置くと、給仕を呼んで、食後の甘い酒を二つ頼んだ。
卓の上では、彼の火が移った煙だけが、黒いまま、まっすぐに天井へ昇っていった。




