終幕
「……おい。」
玄之丞は、気を失っている最後の一人を蹴とばし、起こす。
「……何だよ母ちゃん……今日は休む……ぐえっ!」
寝ぼけた顔を踏みつける。
椿はそれを、ただただ呆れた顔で眺めていた。
高嶋屋の屋敷へ向かう山道、ごろつきは何度も蹴とばされた。
逃げようとして。立ち止まって。いらん事を言って。
椿は脇腹を庇う様に、玄之丞の隣に必死で並ぶ。
「なあ玄之丞、あんた何背負ってるんだ?」
「……。」
「あんたほどの腕なら、仕官する宛なんていくらでもあるだろ?」
玄之丞は煙管をふかす。
「話したくないなら、無理に詮索しないけど……っつ!」
脇腹が痛み、椿は足を踏み外して倒れこむ。
「……っ。」
玄之丞はその後ろ襟を掴み、持ち上げる。胸に空いた風穴から血が滲む。
「……すまない。」
椿が小さく溢した、それは礼か、はたまた謝罪か。
玄之丞は少し高めに煙を吹き出して答えた。
「……只の人斬りだ。」
椿はじっと、その横顔を見つめた。
「へへ、お二人さん、着きやしたぜ。」
母屋の陰に隠れるように、離れは建っていた。
その周辺には大八車や竹籠が転がっている。
椿は駆け寄り、外から閂を外そうとするが硬くて動かない。
追いついた玄之丞は徐に閂を握ると、みりみりと音を立てて乱暴に外した。
戸を開くと、そこには怯えた子供達が……。
「三吉!三吉!」
椿は叫ぶ。
「お姉……ちゃん?」
奥の方で、小さな子供を抱きしめていた男の子が立ち上がる。
駆け出す。
跳ぶ。
椿は膝を着き。
両手を広げ。
抱きとめる。
玄之丞は煙管をふかすと、子供たちに背を向け、歩き出す。
「え?いや、あの……え、助…………。」
そのままごろつきの裾を掴むと、建物の陰へ引き摺って行った。
……鈍い音が一つ。
小さな悲鳴が、夜気に消えた。
そんな高嶋屋に、いち早く到着した初老の岡っ引きは、物陰に隠れ、その光景を静かに見ている。その口元は優しく微笑んでいた。
「はあ、はあ、やっと追いつきましたよ。」
肩を揺らしながら、走りこむ正太郎の視線の先には——子供を一人背負う白銀髪の男と、美しい女剣士が、走り去る姿だった。
「畜生!また間に合わなかったのか!」
正太郎は拳を握る。仙蔵はその背中をぽんぽんと叩く。
「いや、そうでもないぞ新米。今はあの子供達の保護が最優先だろ、なあ。」
そして仙蔵は煙管に火を入れる。
(——急にここに来いって言われて驚いたが、これでいいんですよね。)
(——榊の旦那。)
未明、烏鳴の千歳屋。
椿が静かに店から出て来た。
「書き置き、してきたぞ。」
「ああ。」
礼とばかりに、玄之丞は椿の掌に、布で巻いた小物を置いた。
「……あの娘からお前にだ。」
玄之丞は背を向け、歩き出す。
椿は少し遅れて続く。その手はしっかりと、三吉と繋ぎ合っている。
「お手紙、なんて書いたの?」
「万事解決、だよ。」
椿は微笑みかける。
そして再び玄之丞に問いかける。
「会わずに去るのか?」
「餓鬼に血の匂いなぞ不要だ」
玄之丞は歩を進める。二人との距離が、少しずつ——開く。
玄之丞の背に向けて、最後に椿は問う。
「報酬はいいのか?」
玄之丞は一度だけ立ち止まると答えた。
「……もう貰ってる。」
「……え?」
椿はきょとんと玄之丞の背を見つめる。
玄之丞はそのまま歩き出し、藍染の羽織の裾を返して——。
「——いい品だ。」
「……そうか。」
椿は渡された小物の布を解いた。そしてぼろぼろと、泣いた。
「……まったく……変な、侍だな……。」
その手には——質素な櫛が、握られていた。
歩を進めながら玄之丞は、少し口元を緩め——。
「——侍じゃねえ。」




