第五章 焼野の月 十二幕
立ち飲みの居酒屋に道雪。
手酌で酒を飲んでいると、芸者が立ち止まった。
「今日はお一人なんですか?」
道雪は振り向く。
「あれ?確か……。」
「時雨です。白妙姉さんがお世話に成ってます。」
微笑む道雪。
「お仕事?」
時雨も微笑む。
「ええ、初めてのお客様なんですが、これからお座敷で。」
「そっかそっか。忙しいのはいいけど体張りすぎないようにね。」
道雪は猪口を煽る。
そっと時雨が酌をする。
「ありがとう。もう少しであいつも来るよ。」
通りに眼を向ける。
時雨は会釈で返す。
「白妙姉さん、お味噌汁作るって張り切ってましたよ。」
道雪は悪戯に笑う。
「そりゃいいや、伝えておくよ。」
遅れて来た玄之丞は猪口を煽る。
道雪は煙管を燻らせる。
ちらり、と目を向けると、玄之丞がたどたどしく葉を詰めている。
道雪は口角を上げる。
二人の裏側から、練り物が運ばれる。
「名物の日竜頭やで。」
猪口を煽る玄之丞。
道雪は煙を吐き出す。
「お燗やで。」
二人の裏側から、徳利が運ばれる。
「お縄やで。」
ぞくり。
二人の裏側から、氷の様に冷たい瞳が覗き込む。
がたりと動こうとした玄之丞の手に激痛が走る。
手の甲越しに机が打根で縫い付けられていた。
「玄之丞!」
道雪は振り向けない。
顔が動かない。
手も、肩も、足も。
「追いかけっこ楽しかったなあ。せやけどもう終いや。」
榊の口角が上がる。
「おどれら一線越えてしもた。そらあかんわ。」
机に水色の陣羽織が投げ付けられる。
陣羽織は赤く染まっていた。
氷の様に冷たい眼が二人を交互に覗き込む。
「なんぞ餓鬼でも、やったらあかん事……あるやんな?」
二人は沈黙する。
低く響いたのは、榊の声。
「気に入っとったんに……残念や。」
玄之丞は机から打根ごと手を引き抜くと道雪の顔の前を打根で振りぬく。
はらはらと、何かが落ちる。
「先に行け!」
道雪が榊の顔を覗き込むと、瞳を開く。
玄之丞は一瞬胸の奥に何かを覚えるも、走り出した。
高瀬の座敷に駆け付けた仙蔵は違和感を覚える。
「本当にあの月影衆がやったんですかい?」
岡っ引きは歯噛みしながら頷く。
「水色の陣羽織が脱ぎ捨ててあった。」
現場を見渡す仙蔵。
細切れにされた指。
真縦に別れた足。
引き裂かれた臓物。
刺し跡だらけの喉。
恐怖に見開かれた顔は神棚に。
それは、時雨という芸者の顔だった。
道雪の緋色の瞳を直視した榊は、一瞬たじろいだ。
だがすぐさま振り返り、走る玄之丞目掛けて打根を放つ。
「馬鹿な!」
道雪は叫ぶ。
榊は玄之丞から目を逸らさずに呟く。
「ワシは人生で悪い思うたこと一度も無いさかいに。」
言いながら、ゆっくり振り返る。
「せやからワシに緋殺眼は効か……。」
榊の氷のような眼が見開かれる。
玄之丞の足に打根が突き刺さる。
体勢を崩し、顔を上げるとそこに立っていたのは熊五郎。
玄之丞の顔を見て、一瞬表情を崩す。
しかし歯を食いしばり、一言。
「すまん。」
玄之丞の手に縄が掛けられる……。
振り返った榊の眼に飛び込んだのは……。
顔がしな垂れる道雪。
胸元からは太刀が生えている。
その後ろで、首から上が飛ばされた店主が膝から崩れる。
隣で飲んでいた客が机に音を立てて倒れこむ。
榊の氷の様な眼が鋭く尖る。
「しゃれならんで自分。」
胸から生えた太刀はそのまま道雪の体を肩に向かって引き裂く。
そして。
赤子のように顔中に皺を集めて笑う、赤羽織の男が立っていた。




