第五章 焼野の月 九幕
朝の稽古を終えて、芸者が二人。
華やいだ街を優雅に歩く。
「今日の旦那はお子さんが元服したばかりだから、花でも送ろうかね。」
微笑む朝霧。
後輩も瞳を閉じ、口元で微笑みを返す。
「姉さん、それは良き報せ。」
柔らかいその声は、同時に穏やかだった。
「私も一摘みよろしいでしょうか?。」
花屋の前に差し掛かる。
ふと雑踏の中に、嗅ぎ慣れない匂いを感じた。
鮮明に思い出される、昨夜の血の匂い。
朝霧が振り返ると、後輩は足を止めていた。
鷹のような鋭い目付きの若者の、後ろ姿が遠ざかっていく。
首を傾げる朝霧。
「何ぞ、良い報せでもありましたか?」
後輩は小さく口元を緩め、首を振る。
手を顔に添え、呟く。
「いえ、何も。今はまだ、何も。」
後輩の掌の近くには、涙ほくろがあった。
「昨日は肝が冷えたぞ。」
夜、翁の面を外しながら道雪が口を開く。
「角曲がってたら死神に遭ってたなありゃ。」
玄之丞は刀の血を拭いながら返す。
「死神ってお前……。」
ぴたと手を止め、道雪に振り向く。
「変わった喋り方の?」
道雪は身震いした。
「うー……そうそうそう!ってあれ?」
緋色の瞳が大きく開く。
「玄之丞お前、虎殺しとそいつ両方相手にしたのかよ!」
道雪が、がばと玄之丞の肩を掴む。
「大丈夫か!殺されてないよな!」
その手を払う玄之丞。
眼を細め、自分の足を指差す。
道雪の視線が動く。
そして玄之丞を抱きしめる。
「ああ良かった玄之丞!良かったあ!ぐえ!」
玄之丞が半身になって躱し、道雪は倒れこむ。
「ああくそ!飲み行くぞ道雪。」
玄之丞は歯を噛み鳴らす。
朝霧と後輩が歩く。
「お花、喜んで頂いて良かったですね、姉さん。」
後輩は胸の前で手を合わせる。
微笑む朝霧。
「ええ。白妙の目利きのおかげね。」
白妙は瞳を閉じる。
「いえ、あの娘さんが一生懸命育ててくれたからです。」
煙管を口に運ぶ朝霧。
白妙が火を寄せる。
「そうかもしれないね。」
口元を緩めながらも煙を品よく吐き出した。
「そうだ、私もうひとかた呼ばれてるんだわ。」
言いながら、白妙へと振り向く。
「初めてのお客様なんだけど、お役人みたいだから一緒にどう?」
白妙は微笑み返す。
「ええ、喜んでお供させて頂きます、姉さん。」
座敷で酒を交わす玄之丞と道雪。
給仕がなめろうを運んでくる。
「いやしかし、よく無事だったな。」
それに対し、玄之丞は右手の猪口を眺め呟く。
「いや、多分……。」
左手をきつく握りしめる。
その時だった。
一瞬、店内が静まり返る。
玄之丞は入って来た役人を見て、眼を疑った。
店内は徐々にざわめきを取り戻していく。
「旦那、こっちです。」
立ち上がった仙蔵は、席へと案内する。
役人は腰掛け、その氷の様な眼を店内へ行き渡らせる。
うっすらと、口角を上げた。
給仕が酒を運び、仙蔵が酌をする。
ぐいと猪口を煽る榊に仙蔵が切り出す。
「今日は旦那にご紹介したくて別嬪さん用意してるんですわ。」
煙管を取り出し、口元に運ぶ榊。
「おもろいやん。」
ゆっくり煙を吐き出した。
氷の様な眼を、その客から逸らさずに。
玄之丞は猪口を煽る。
「おい、ちょっと早くねえか?」
道雪が新しい徳利を頼む。
おお、という感嘆の声が聞こえる。
芸者は店に入ると優雅に歩を進める。
その三歩後ろに後輩芸者が続く。
二人は役人の席の前で足を止める。
役人は氷の様な眼を今も逸らさずに、仙蔵に店主を呼ばせた。
朝霧が役人の隣に。
白妙は仙蔵の隣に座る。
挨拶もそこそこに、店主が来た。
「なんぞ、御無礼でも……。」
立ち上がる役人。
漸く店主に向き直り、笑みを見せる。
「ええことが……あった時は。」
言うが早いか店内に向け、声を張り上げた。
「わしの驕りや。飲み。」
歓声が上がる。
仙蔵は眼を広げている。
朝霧が白妙へ目配せした。
白妙は席を立ち、少しかがんで仙蔵へ囁く。
「皆様にお酌をして参ります……暫し。」
道雪の猪口に酒が満たされる。
「あ、どうも。」
眼をやると、玄之丞は手の中の猪口をじっと見詰めていた。
「おい、おい。」
たまらず声を掛ける。
玄之丞ははっと道雪を見て、白粉の香りに気づいて身構えた。
そこに居たのは、徳利を手に持ち、優しく微笑みかける芸者。
涙ほくろの芸者——。




